そして撤収する。
「でも、でもなあぁ……アムレットなら別に城で働かなくても、そういう優秀な補佐としての仕事は国中にいくらでもあるぞ?今なら国外との交流も多いから貿易商だって」
「私はフリージア王国の為に働きたいの!私達みたいな親のいない子でも、兄さんみたいに毎日仕事ばかりしなくても安心して生きていける国にしたいの!城下だけじゃなくて、国全土で!!」
強い意思に目を光らせるアムレットは、希望にも満ちていた。
細い身体を反るほど伸ばしてお兄様を見据えば、逆にエフロンお兄様の背中が丸くなってたじろいでしまう。妹の志が立派だからこそ否定もしにくいのだろう。
それでも、やはり頷けない様子のお兄様は目を泳がせながら後ろ首を掻いた。そろそろ引っ越しの準備にと校門から一度逃げ去ろうと話題を変え始めた時、アムレットの小さな鼻が大きく膨らんだ。
「……どうせ、兄さんは昔の友達のことでまだ根にもってるだけでしょ」
?!ちょっと待って!それ以上は言っちゃいけない話題な気がする!!!!
どうしてそこまで三歳だったアムレットが知ってるの?!と嫌な予感が先に疑問を思う。更にはアムレットの低めたその声にパウエルまで「その話はまずいからやめろって……」と止めに入る。パウエルまでまさか知ってるの?!
どうしよう、ここで実は王族と騎士の私達が聞いちゃいけないことを言おうとしている気がする。そう思って背中が冷たくなると、エフロンお兄様も口を結んでしまった。
さっきまでおどおどしていた表情が今は苦しそうに歪み、初めて眉間に皺が入るのを見てしまった。そしてまた第三戦目の幕が切って落とされる。スタートから予想外の言葉と一緒に。
「ご両親の都合なんだから仕方ないでしょ!寧ろそれなら私が城で働いたら見つけられるかも……」
「!いや駄目だ!本当に探すな‼︎あいつも絶対俺のことなんて忘れてるから‼︎」
「ならどうしてそんなに拘るの?そんなっ、一度も連絡すら寄越してくれない友達なんて!お城の中に居ても、会おうとすれば城下に降りることもできる筈でしょ?」
「いやアイツにも色々都合があるんだって!それにー、あれだ!城や王都の暮らしが好きになってもうあんな街の外れなんて帰りたくなくなったんだろ‼︎」
「そんなのおかしいわ!会えるのに会わないなんて、しかもそんな理由でなんて薄情過ぎ」
「〜〜〜っっ‼︎アイツのこと悪く言うな‼︎‼︎アイツのこと悪く言っていいのは俺だけだ‼︎‼︎」
白熱し出す討論が、最後にエフロンお兄様の叫びに打ち込まれた。
ドンッ!とあまりの音波でのけ反りようなほどの大声で、私もアーサーも両手で耳を塞ぐ。怒鳴る、というよりもアムレットの声を上塗る為に上げられた声は、まるで応援団の声援のように両拳を握られたままお腹の底から発せられた。
耳を塞いだまま目で見回せば、エフロンお兄様の声を塞がなかったのはご本人と妹のアムレットだけだ。校門の方向ではセドリック達も耳を片方もしくは両方塞いでいた。敵意こそ感じないものの、あまりの音量に敵襲と感じるほどの勢いにハリソン副隊長や校門前の騎士はこちらに身構えていた。
セドリックだったからいいけど、一般的な王族だったらたぶん充分不敬で捕まる域に達していたんだろうなと思う。
ハァ、ハァと一気に叫びすぎたせいで流石に息が荒くなったお兄様の様子に、もう平気かしらと私はそっと耳を塞ぐ手を緩める。一番目の前にいたアムレットが真っすぐにお兄様を毅然とした態度で見上げているのが格好良い。でもお兄様は若干涙目だ。
「また始まった……」
ハァ……、と塞いで手を緩めた直後にため息混じりの小さな声が飛び込んだ。
振り返ればパウエルが耳を塞いだまま苦々しそうに二人を見ていた。どうやらパウエルにはこれすら見慣れた光景らしい。
どういうこと?と聞こうと思ったけれど、パウエルは依然として耳を塞いだままだ。すると見つめ合っている二人から避難するようにとうとうアーサーが動き出した。回り込むように私達の方へ駆け寄ってきてくれて潜めた声で「大丈夫すか……?!」と心配してくれる言葉に、避難ではなく私を心配してきてくれたのだなと思い直す。感謝を込めて一言返したところで、再びあの声が発せられた。
「アイツは本っっ当に色々大変だったんだ!!でもなあすごく良い奴で!は、ッ親想いで、兄ちゃんも色々ガキの頃は世話になったんだぞ?!ちょっと表情読めなかったけど街の連中にも好かれてたし当時の女子にもそりゃあモッテモテなくらいで……」
「でも親の都合で城内に移り住んでから一回も会ってないんでしょ?お父さんの出世なんて関係ない。なのに十年経った今も一度も兄さんどころか街にすら帰ってこないなんて……」
「とにかく色々だ色々!!アムレット!とにかくアイツのことを薄情っていうのはやめろ!お前はアイツのこと知らねぇだろ!」
「なら教えてよ!兄さん、その友達の名前すら教えてくれないじゃない!私だって兄さんの友達探しくらい手伝えるのに!!」
「だから兄ちゃんは探してねぇんだ!もう昔のことだし、ただ元気でいてくれりゃあそれで良いだけで」
「だからせめてその人が生きてるかどうかくらいは知りたいでしょ?!」
「生きてる!!絶対生きてるから!!」
「どうしてそんなことが言えるの?!本当にその人は兄さんの友達だったの?街を去ることも教えてすらくれなかったんでしょ?!黙って居なくなっちゃうなんて……っ。……」
怒涛の撃ち合い戦争に、また余波だけでフラッとした。
アーサーが背後から今度は私の耳を押さえてくれて、それでもくぐもった音で二人の会話ははっきり聞き取れてしまった。ゲームでも主人公らしくはっきりと公衆の面前でも声を張る場面とかあったけど、もしかしてそれもお兄様譲りだったのだろうか。声の大きい人には同じ音量じゃないと渡り合えない時があるもの。
パウエルは続きにこれがあるからまだ耳を塞いだままだったんだなと思う。ということはこの兄妹喧嘩も結構な頻度で行われているということだ。しかも、やっぱりこれって間違いなくステイルの話だ。
まさかすぐそこにある馬車の中にご本人がいるなんて口が裂けても言えない。けど、二人の話を聞いて少しだけ私は安心する。どうやらエフロンお兄様は〝規則〟を破ってはいないらしい。その上で、友人としか明かしていない状態でステイルのことをアムレットに話していたようだ。……そしてその結果、兄妹間の亀裂に繋がっちゃっている。
もうここまで聞いてしまうと、アムレットの気持ちも言い分もわかるけれどそれ以上にエフロンお兄様の気持ちがすごくよくわかる。でも、事情を知らない筈の私がここでお兄様側につく理由も思いつかない。それくらいにアムレットの意見もしっかりしている。
最後にピタリと口を噤ませるアムレットは、下唇を噛んで俯いた。アムレット?とエフロンお兄様の顔色が青くなっていく。彼女の肩が微弱に震えているのに気付いたのだろう。
次第にパタッ、パタッと水滴が小さく拳を握るアムレットからこぼれ落ちれば一気にエフロンお兄様の喉が反れた。その間にも搾り出すような震えた声がアムレットから放たれる。
「……気にしてないって言うのに私の夢には反対して、会いたくないって言うのにいつも庇って……。どっちも絶対嘘じゃないっ……!!どうして教えてくれないの……?!私じゃっ……兄さんの力になれないの……?!」
「ちちちちちち、違うぞ?!断じて違う!兄ちゃんはな、アムレットがやりたいこと頑張ってくれてればそれで充分に……」
「私の夢に一番反対しているのは兄さんじゃない!」
カッと鋭く悲鳴にも近い声を放ったアムレットのそれは、今度こそ怒鳴り声だった。
涙に潤ませた目でエフロンお兄様を睨んだアムレットは、そこまで言うとぐいっと服の袖で両目を拭った。妹からの刃物に近い言葉に大きくのけ反るお兄様を数秒睨みつけると、それから力が抜けるように肩を丸めた。まだ湿った目をそのままに、何事もなかったように私の方へと向き直る。
「……ごめんねジャンヌ、ジャック。関係ないのに待たせちゃって。兄さんは私が先に連れ帰るから。こんな時間まで付き合ってくれてありがとう」
また来週学校でね、と絞れた声で笑顔を見せてくれたアムレットは両手で私とアーサーの手を順番に握り締めた。
呆然としたまま一言しか出なかった私達に手を振ると、最後に馬車の扉をノックして「待たせてごめんね、お大事に」と優しい声がかけられた。
二拍くらいしてからコン、と一度だけノックが返されたけれどステイルから声はなかった。アムレットも返事が返ってきたことに少しほっと息を吐いた後、鼻を啜ってからエフロンお兄様へ戻って手を掴んだ。
「……話の続きは、家でしよう兄さん。パウエルも待たせてごめんね。引っ越しの手伝いまだお願いできる?」
勿論だ、と少し慌てた様子のパウエルが胸を叩いた。
そのままエフロンお兄様の腕を引いて校門の向こうへ去っていくアムレットの背中に続く。何度か私達の方は心配そうに馬車を振り返ってくれたけど、「あいつにも宜しく!」と叫ぶと今はアムレット達の方を優先させてくれた。
もうエフロンお兄様からは最初のような覇気のかけらもなく、背中も妹に引かれるまま丸まっていた。私達の為にきっと場所を変えてくれたアムレットだけど、この後はまた今の続きがあるのだろうなと思う。
あそこで走り去ってもおかしくなかったのに怒りに任せず、自分の為に時間を空けてくれていたお兄様とパウエルと一緒に行動するのは本当に大人だ。やっぱり恥ずかしがったり喧嘩したりしても、パウエルのこともお兄様のことも大切なんだろう。……けれど。
「ジャンヌ。……あの、こっちのフィリップなンすけど」
三人の背中が見えなくなってから、私の隣に並んだアーサーがそっと声を掛けてくれた。
その言葉にハッとなり、馬車へと急ぎ駆け寄る。校門に騎士が見ている前で流石に勝手に開けるなんてできないけれど、扉の前で「フィリップ……?」と声を掛けてみる。けれど今回は何も返事がない。
「セドリック王弟殿下が、見兼ねて〝知り合いを待っている間だけでよければ〟と馬車を貸して下さりました。ンで、……すっげー助かりましたね」
言葉を選びながら現状説明をしてくれるアーサーが、最後だけ最小限まで声を絞った。
私も大きく頷きながら、セドリックの方へ振り返る。人目を気にして、あくまで庶民と王族として振る舞ってくれるセドリックが優雅な動作で来てくれた。多分彼も、エフロンお兄様とステイルの繋がりまでは気付いていないだろう。お礼は城に戻ってからするとして、今は軽く形式だけ守って挨拶を交わした後、御者に代わってアラン隊長が馬車の扉を開けてくれた。
ステイル!と叫びたい気持ちを堪えて開けられた扉から身を乗り出せば、……小さくなったステイルがそこに居た。
「…………頭痛が……治りそうにありません……」
消え入りそうな声でそう呟いたステイルは、両手で顔を覆うどころか席に腰掛けたまま膝を抱くようにうずくまっていた。馬車内のソファーと一体になっている。
弱々しい姿のステイルは膝と腕で顔色さえもわからない。馬車に乗り込む私達を隠すようにエリック副隊長達が囲って背中で隠してくれる中、一歩ずつ慎重にステイルへ歩み寄る。私が近付いているのはわかっただろうけれど、それでも身じろぎ一つしようとしない。私の後に続いたアーサーが「もォ帰ったぞ」と告げれば、本当に小さくだけど頷きが返ってきた。
小さくなる彼の隣に座り、驚かさないように指先からゆっくりその背中を撫でた。肩のラインから腰までを繰り返し上から下までと撫で下ろせば、一度だけステイルの背中が深呼吸したように膨らみ、戻った。
「……私達も家に、帰ってから話しましょうか」
きっとステイル自身も頭の中で色々整理したいだろう。
そう思って提案すれば、今度は頷きと一緒に「はい」と短く返ってきた。
黙っていて申し訳ありませんでした、と。
その言葉を弱々しくその口から零してくれたのは、馬車から降りてエリック副隊長と一緒に帰路を歩いて暫くしてからのことだった。




