Ⅱ168.私欲少女は待たれる。
「どうしたの、一体……?その、もしかしなくても私達を待ってくれていたのかしら……?」
驚きのあまりちゃんと上手く言葉が出なかった。
ファーナム兄弟と別れて校門へ急げばまさかのアムレットだ。
もう生徒も下校しきって私達以外歩いていないその先で佇んでいる面々は、全員私達を待ってのことだろうと考えれば事情を聞く前から申し訳なくなる。
私達とそしてハリソン副隊長が合流したことで、セドリック達はもう帰れる筈だけれど明らかに不測の事態であることを察してまだ動こうとしていなかった。不自然に思われないようにハリソン副隊長と応答したり、アラン隊長と雑談しながらもこちらの様子を窺ってくれている。今、校門に立っているのは彼らだけではないのだから。しかも一名は恐らく待っていた相手は私ではないだろう。
ファーナム兄弟を終えて、まだ私達も帰るのは遅くなりそうだと今から覚悟する。
ぎこちない笑顔になっていると自覚しながらもアムレットを迎える。
きっと断った私が用事を終わらせて出てくるのを校門で待っててくれていたのであろうことはわかる。けれど校門に並んでいる影を見ると、状況はもう一癖二癖複雑かもしれない。全員の注意がアムレットと私達に刺さっているし、どうして彼がここにとか訳がわからない。挑戦的なごった煮料理を目の前に出されているような気分だ。脳の処理が追いつかない。
でもとにかく今はちょっとまずい。だってここにはステイルがいるのだから。
元はといえばアムレットと接点を作ってしまった私に全面的責任がある。
私やアーサーはともかくステイルはアムレットと距離を作りたがっている。こんな教室も廊下もない逃げ場ゼロの校門前じゃ、理由を作って離れることもできない。前のアーサーみたいにエリック副隊長の方に行ければとも思うけれど、このタイミングでも離れたら確実にアムレットを避けていると言っているようなものだ。
どうしよう、とアムレットに投げかけて時間を稼ぎながら先ずはステイルの顔色を確認すべく目だけで振り返る。これでまだステイルが平然としてくれていれば大丈夫のサインだけど、そうでなかったら絶対まずい。そう思って振り返ったステイルの顔は……完全に、最悪だった。
「…………ーっ」
昔は表情が読みにくかった頃が懐かしいと思うほどに、顔色がまず悪い。透明感のある肌が今はほの暗く灰色に見える。大して走ってもいないのに額から首筋まで汗がじんわり伝っているし、眼鏡の黒縁を押さえながら僅かに顔を隠すけれど彼にしてはささやかな抵抗だ。それだけステイルが戸惑う案件だということだということになる。
そのまま最大限まで気配を消したステイルは、音も無く私の隣からアーサーの背後へと引いて
「お話中すんません、ジャンヌ。フィリップは〝まだ頭が痛い〟でしょうし、先にエリック副隊長ンとこに連れて行きますね」
アーサー!!
救世主!と私は心の底から叫びながら身体ごと振り返る。
目の前ではアムレットが「その、実はっ……」と小さくなって口ごもっている最中だったけれど、一度区切られた。
ステイルは頭が痛い、という情報にすぐ反応してくれた心優しいアムレットは、「そうだったの⁈」とさっきまでの萎れた様子が嘘のように顔を上げた。
ええ、まぁ……と私が言葉を続ける間に、アーサーがステイルとアムレットの間に入るように位置を変える。ステイルの肩に腕を回し、「行くぞ」と間を突っ切った。
ステイルも顔を俯かせたまま「すみません、失礼します」と細い声量で言うとアーサーに合わせるように足を動かした。本当にごめんなさいアーサーステイル!
アーサーがステイルと一緒に私から離れたことで、様子を窺っていたセドリック達が完全に待機状態へと足を地面に縫い止めた。特にハリソン副隊長からは、長い横髪の影で見えない筈の視線を刺さるほどに感じてしまう。
お願いだからアムレットには乱暴しないで下さい‼︎と心の中で叫びながらステイル達の背中を見送った私は、改めてアムレットへ向き直る。
「ごめんなさい。私の用事が終わってから頭が痛いって言っていて」
「そうだったんだ……。そんな大変なのに本当にごめんね。こんな待ち伏せみたいなの絶対迷惑だし、駄目だって私もわかっていたんだけれど……ごめんなさい」
しゅん、とまた顔を俯けてしまうアムレットの表情が曇り出す。
ううん私こそ!!と落ち込むアムレットに全力で首を横に振る。寧ろ私の為に待たせていたのだから、ここでお断りムードになる私の方が申し訳ない。
私こそ何度も断ってごめんなさい、と続けながら視界の隅でステイルがアーサーと一緒に遠くなるのを確認する。一歩一歩ゆっくりという程ではなく寧ろ早足で、頭が痛い設定のステイルをアーサーがエリック副隊長の下へ避難させてくれる。
このまま私がアムレットと会話している間にステイルが〝彼〟との話も済ませてくれたら解決だ。二人を分断しつつアムレットからの話を聞き、ステイルが用事を終わるのを見計らって同時退場すれば良い。そうすればアムレットはステイルと話さず、私達も退場できる。あとは彼の話が何なのかにもよるけれど
「フィッ……ッどうしたんだ?!顔色が悪いけど体調でも崩したのか⁈なあジャック!」
そう思った途端、ここまで響く声が放たれた。
耳がビリビリするほどの声に思わず私もアムレットも振り向いてしまう。さっきからずっと校門前で私達を……というより恐らくステイルを待っていたであろう、パウエルの声に。
そう、何故かこのタイミングでアムレットのみならずパウエルまで私達を待っていた。まさかファーナム兄弟、アムレットと続いて彼まで待っているとは思わなかった。
今まで一緒に帰ったことはなかったし、彼が校門でこんなに長らく待ってくれていた理由なんてステイルしか考えられない。遠目でもわかるくらいに慌てた様子で近付いてくるステイルに一人パウエルが駆け寄り出す。
くるりと肩ごと振り返ったアムレットも、あまりのパウエルの声量に驚いたのか丸い目をしていた。「大丈夫か⁈どうしたんだ⁈」とすっごく心配しているパウエルに私の良心がガリガリと鑢に掛けられているように削られる。ごめんなさいパウエル!!
遠目ではっきり表情まではわからないけれど、もうその声を聞くだけで胸が痛い!!現実ではパウエルに辛い想いはさせたくないのに!!!
でも、これでパウエルがステイルと用事を済ませてくれれば済む。頭が痛いだけなら受け答えぐらいはできても不自然じゃないだろうし、彼だったらもうステイルの友人だから不用意に近付いてきてもハリソン副隊長達に警戒される心配はない……のに。
「あれ……?」
思わず声が零れた。
アムレットと振り返った先で、駆け寄るパウエルとステイル達の様子がおかしい。心配して歩み寄って来てくれているパウエルをなにやらアーサーが阻んでいる。空いている方の手の平を胸の前に上げた、断る動作だ。
あくまでステイルとパウエルの間に立つし、アーサーに何か言われたらしいパウエルも近付く足がピタリと止まった。最後にはアーサーがペコリと頭を下げると、そのまま立ち止まるパウエルを置いてエリック副隊長の方へ合流してしまう。えっ、待って、なんでパウエルまで面会謝絶⁈
まさか本当に気分でも悪くなったのかと一瞬だけ思ったけれど、アーサーが傍に居てそれはあり得ない。エリック副隊長もアーサーに合わせるようにステイルを迎えると、今度はセドリックまで会話に入って来たように近付き出した。
エリック副隊長とはまだしも、ジャックとフィリップとは接点のない筈のセドリックからのコンタクトに見ている私の方がヒヤヒヤする。声が聞こえないから余計心臓に悪い。
なにやらセドリックが馬車を指したと思ったら、殆ど間もなくステイルがまさかの王族用の馬車に真っ直ぐ乗り込んでいった。平民らしく深々と何度も頭をセドリックに下げながら馬車へと消えていくステイルに、とにかく本当に避けたい状況なんだなと理解する。
どういう流れでそうなったかは後で聞くとして、今は取り敢えずアムレットだ。王族の馬車に吸い込まれたステイルに驚いているのか、未だに視線を馬車の方向へ向けたまま固まる彼女に「どうして王族の馬車に?」とでも聞かれたら、絶対私も「わからない」とぼけようと決める。後はそのまま話を本題へ戻すだけだ。
アムレット、と切り替えるべく彼女を呼ぶ。すると、ぽかんと丸い目で瞬きも忘れていたアムレットがゆっくりと口を動かした。
「どうして」という小さな出だしに、やはり本題ではない疑問が投げかけられるのだなと
「どうしてパウエルがバーナーズ達を知っているの……?」
え。
アムレットの言葉に私の方がわからなくなる。
待って、なんで、どうして?私の方が聞きたい。
ぽかんとしたままのアムレットに、私も口が開いたままになる。どうしてアムレットがパウエルを知っているの??
視線を向ければ彼女が馬車に向けていたと思っていたそれは、どうやらパウエルに向いていたようだった。今もパウエルは馬車に消えたステイルが心配なのか、追うように傍まで駆け寄ってアーサーと話している。上手く誤魔化してくれていれば良いんだけれどと、逃避するように考えてしまう。
「ジャンヌ。貴方達まさかパウエルと知り合いだったの?いつから??まさか、そのっ……もしかして」
私の方が同じことをアムレットに聞きたい。いつからアムレットとパウエルが知り合いに??どこに接点なんてあったかしら。だってパウエルは高等部でアムレットは中等部で、それにゲームでもアムレットは第二作目の主人公だけどパウエルは第三作目の……。
私への投げかけにそれ以上は少し躊躇うように一度唇を絞ったアムレットは険しい表情になった。返事をしない私に「ジャンヌ!」と声を上げると、両手でしっかりと私の右手を握ってくる。
『教えて下さい‼︎彼の過去に……何があったのですか……⁈』
既視感のように頭に走ったのは、ゲームのアムレットの台詞だ。
手が熱い。それだけ真剣なのか焦っているのか、アムレットの顔が熱が籠りすぎたように頬や耳まで紅潮しだす。高等部生徒のパウエルとお互いへの疑問がつきないのはお互い同じらしい。本題の前に今はこちらの方に向き合わないと、と私は呆けそうな頭を起こすべく口の中を一度噛んだ。アムレットに呼びかけに応じるように朱色の瞳へ意思を持って目を合わす。まるでゲームの最終決戦前のような強い目だ。
「もしかしてっ、その……ぱ、パウエルが話していた子ってジャ」
「おおおおぉぉぉい!!アムレットー!!いつまで話してるんだー?!もっとこっちに来てから話してくれよ!!!!」
ガツン、とまるで頭を横殴りされたかのような大声が放たれた。
あまりの声量に音波まで感じてしまう。勢いの負けるように声から耳が身体ごと傾くように反れた。校門に振り返れば、流石にこの声量には驚いたようにアラン隊長達も少し身構えていた。声量拡大の特殊能力者とかだろうかと思ってしまうほどの大声だ。……というか、やっぱりこの大声どこか覚えがあるような。そして今アムレットって。
音波に身体が傾く私と同じように目の前でグラリと揺れたアムレットは、意を決していた表情から一転して口を固く閉ざしてしまった。私の手を包んだまま僅かに肩を震わせている彼女から、手の圧迫感が強まる。……もしかしてその人もアムレットの知り合い??
あまりに切迫していた空気を嘘のように声一つで叩き割った人物に、私は引き攣った顔で目を向ける。最初にアムレットに気付いた時、校門に並んでいることを確認できた〝六人〟セドリック、アラン隊長、ハリソン副隊長、エリック副隊長、パウエルとそして残りの一人。
一応見覚えもある彼だけど、厳密には初対面だ。てっきりパウエルの付き添いだと思っていた。でも、パウエルがアムレットの知り合いなら、パウエルの友人であろう彼がアムレットとも知り合いであることはおかしくない。これくらいはパズルのピースとしても簡単に脳内で嵌まる関係だ。
「あの、アムレット……あの人は」
「…………本当に本当にごめんね、ごめんなさいジャンヌ」
校門から先には入ってはいけないという規則をしっかり守って境界線の前で声を上げた彼は、学校初日に私達が窓から見下ろした時にパウエルの隣に立っていた黒髪美青年だ。
あの時見た整った顔立ちと優雅な動作を忘れてしまいそうなほど、たった今豪快な声を放ったのは間違いなく彼だ。アムレットとも友達ということは、まさか私の記憶が引っかからなかっただけで実は最後の攻略対象者なのだろうか。顔は確かにそうでもおかしくないくらいに綺麗なレオンにも似た顔だし、第二作目はもともと印象がないから可能性としては充分にある。
もう今日で何度目かもわからなくなる私への謝罪を放ったアムレットは、顔を俯けたままプルプルと肩まで震わせた。どうやら話の腰をバッキリ折られたのを怒っているらしい。さっきの深刻そうな表情から見ても、そこでの横やりは流石のアムレットが怒っても仕方が無い。ゲームでも結構ハキハキした性格だったアムレットは、悪いと思ったことははっきり言葉にして怒る子だった。
今はきっと私の手前、一生懸命我慢してくれているのだろう。けれどその間も黒髪美青年はよく届くようにか、口の横に手を添えて彼女の背中を追撃した。
「聞こえてないのかー⁈アムレット!!そんなところにいねぇでこっちに」
「~~~~わかったから大声で叫ばないで!!!!友達にちゃんと話してから紹介するって言ったでしょ!?もう十四なのにこんなことお願いするの恥ずかしいんだから!!!!」
本日初公開。アムレットの激怒。
第一声から畳みかけるように叫ぶアムレットは、振り返った顔が耳まで真っ赤だった。
パチリと開いていた目が今は少しつり上がっている。セフェクがヴァルに怒鳴る時とも似た表情だ。怒っても可愛らしい横顔をそのまま眺めてしまうと、叫んだ直後にアムレットがハッと私の方に顔を戻した。
目前で怒鳴ってしまったことを恥ずかしそうに、唇を震わせた後「ごめん!!」と慌てて謝るアムレットは可愛らしい。そしてそれをまた打ち壊すように彼はまた大声でアムレットへと叫びだした。
「しょうがねぇだろぉぉおおお?!だって」と、全く反省の欠片も怒鳴られたことに怯む様子もなく平然と叫ぶ彼はいっそ清々しい。また彼が言い終わる前からピクピクと肩を震わせるアムレットに、どうやら彼こそがずっと私へ言おうとしていた用事そのものだったんだなと理解す
「俺は、兄ちゃんだからな!!!!」
………………………………………………兄ちゃん??
どこかで聞いた覚えのある台詞と、衝撃的事実の両方に脳が揺れるほど殴られた。
「ッ恥ずかしいから大声で言わないで!!」と思春期真っ盛りに叫ぶアムレットと、そして黒髪美青年。
思い出していた筈のアムレットの設定にまさかそんな存在はと、記憶の蓋が僅かに開き出す感覚で目まで眩んだ。
Ⅱ21




