Ⅱ163.私欲少女は心構える。
「はぁ……、……とにかく無事に済んでよかったわ……」
なんとか授業開始前に教室に戻れた私達は、脱力しながらも自分の席に着いた。
ここに辿り着くまでなかなか長く険しい道のりだったと思う。パウエルと別れた後、中等部まで戻った私達へ教室へ戻る途中の生徒が何人も振り返ってはの噂話だった。……主にアーサーの。
あの子が噂の?私さっきみたわよ、すごいの、飛んだって特殊能力?と、誰もが噂する渦中でアーサーもなかなか肩身が狭そうだった。
クラスの教室に入ってからは、アーサーの身体能力ショーを見ていた子達から「体調平気?」「メルヴィン達が医務室見に行ったのに!」「何処にいたの⁈」と私まで詰め寄られてしまった。心配かけたことを謝りながら、まさかの仮病と言える空気でもなかった。
心配かけてごめんなさい、と繰り返す私に続いてステイルが「ジャックが慌てて走ったせいで、余計気分を悪くしてしまったので静かな校舎裏で休ませていました」と上手く嘘になりにくい理由をつくってくれたお陰で怪しまれずには済んだ。流石策士ステイル。
代わりにアーサーが女の子を乱暴に運んだという汚名を着せられるのが心配になったけれど、アーサー本人も前のめりに肯定した上で「用具の片付け任せちまってすんませんでした」と男子達に謝っていた。そういえばあの辺を使う代わりに用具の片付けをするという約束だったんだと私も思い出した。
あれ全部を彼らが片付けてくれたんだなと思うと、私まで申し訳なくなった。アーサーを逃す為とはいえ、用具を片付けず逃亡なんて迷惑極まりない。
アーサーの謝罪に男の子達は気にしなくて良いと言って私の体調まで気にしてくれた。……しかも結構な割合で「追いかけて医務室行ったんだけどどこにも居なかったから心配した」という証言もあった。
それだけ心配を掛けたのか、それとも私をという大義名分で単にアーサーの妙技が見足りなかったのかはわからないけれど。でも片付けだけでも申し訳ないのに、更にご足労までさせてしまったことに最終的には私も頭を下げた。
最近睡眠不足だからそのせいかしら、と言い訳を作りながら心配をかけたこととジャックを強制退場させてしまったことの謝罪だ。私まで謝ることになるのはステイルにもアーサーにも予想外だったらしく、「いえ俺がジャックを呼んだのが!‼︎」「いや俺が勝手に無断で‼︎」と全力フォローまでしてくれた。
主に私を心配して集まってくれたのは男女両方だったけれど、アーサーにまた見せてくれよと集まったのが男子。そして遠巻きでキャアキャアと目を輝かせてコソコソ話をしていたのが、過半数女子。やっぱり予想通りの展開になった。
もう中等部に戻ったあたりからそうだったけれども、アーサーのあのアクロバットを目にしたであろう女子の目は明らかにハートだった。遠巻きで悪意ゼロで指で差し示し短く黄色い悲鳴を上げていた。アーサー本人が指差しや悲鳴に居心地悪そうに首を窄めても、女の子達は嬉しそうだった。うっすらと「眼鏡を取ったら格好いい」みたいな話し声が聞こえてきて、そういえばさっき途中から眼鏡を外しちゃってたんだっけと思い出す。
あの場は校門から離れていて騎士もいなかったし、セフェクやケメトにも見られなかったから問題ないけれど、銀縁眼鏡を外したアーサーはまた印象が違ったのだろうなと思う。長い三つ編みと眼鏡なんてイケメンというよりも少女漫画の地味子のような変装だし、いつものキリッとした騎士姿とは印象も別物だろう。……眼鏡取ってイケメンとか、それこそ乙女ゲームや少女漫画の王道だなと思うとちょっと素敵だけれども。
アーサーも女子からの悲鳴やキャアキャアが怖がられているわけではないことはわかっているみたいだれど、何とも複雑そうだった。
本人曰く、未だに〝あの程度〟でキャアキャア言われるのがわからないらしい。もうその発言からしてアーサーらしいと言えば物凄くアーサーらしい。そうでなくてもアーサーは囃立てられるのとかは好きじゃないもの。
むしろ、アーサーと一緒にいる私達まで目立つことへ申し訳なさそうに背中が丸くなっていた。目立って良いとゴーサインしたのは私だし本当に気にしないでと言ってもまだ落ち込んでいた。
だけど、「皆が格好良いと思ってくれている証拠よ。私は嬉しいわ」と言ったら、また唇を絞って僅かに顔が火照っていたから、周りに格好良いと言われるのは嬉しいと思ってくれているのかなと思う。……そのあと、擦れる声で「言わねぇで下さいって……」と怒られちゃったけれど。
私が何とかの一つ覚えそのままに連呼多様し過ぎた所為で「格好良い」ワードは暫くアーサーの中では禁止らしい。でもアーサーは本当に格好良いのだから仕方ない。もっと褒め言葉のボキャブラリーを増やさないと駄目かしらと、指摘された時にちょっとは反省した。
その後も昼休み前とは飛躍的に女性からの注目度がうなぎ登りをしているアーサーに、これはステイルと同じイベントも遠くないなと思う。
本来の姿だと最年少騎士隊長且つ今や伝説の聖騎士である彼は、王族の式典でも御令嬢に注目を浴びる立場になっている。けれど、今まで私はアーサーが女性陣に注目されたり話しかけられることはあっても、長々とアプローチされているのは見たことが無い。もし今回、ジャックとしてそういうイベントがあったらどうやって断るつもりなのかしらと、少し心配になった。
場合によっては私やステイルが助け舟を出す展開もあり得なくはない。
授業が始まる三秒前まで、体調不良だった私と人気急上昇中のアーサーそして私達二人のフォローで大忙しのステイルで席にすら辿り付けなかった。
教師が入ってきたことでやっと生徒全員が席に座ることを許された時には三人ぐったりとして、今やっと席に腰を落ち着けている。
私の呟きに「そうですね……」と示し合わせずともアーサーとステイルの声が重なった。二人とも口には出さずとも思い返していることは私と同じことだろう。
教師が前席から資料を配りながら、今日の授業は何かと説明を始める。生徒達が静まるのに合わせて私達も唇を縛って前を向いた。それでも頭の中はさっきのことで大忙しだ。
『僕も〝ライアー〟なんて人知らないです』
……取り敢えず、アレを引いても彼に問い詰めたいことも叱り付けたいことも色々ある。
けど、とにかく今は〝ライアー〟だ。ゲームの設定を知っている私と違って、何も知らないステイルやアーサー、そして一般生徒であるパウエルは疑問だらけだろう。
もうファーナム姉弟を思い出した時から、芋蔓式で彼関連のことも思い出している。アムレットとの恋愛ルートとか結末とか弱みとかも大体わかっている。ゲームスタートは今から三年後だけれど、その前に行動に移していても別に不思議じゃない。結局の問題は彼が入学してから。そしてその彼は一年早く学校に入学できてしまっている。
程度はあれど問題行動自体は学校創設時からだし、それを考えると二年早いやらかしといったところだろうか。主人公であるアムレットが入学した時には、既に次の段階に堕ちていた。そうなる前に止められれば大丈夫と思ったけれど、……そうも言っていられないらしい。
『それとこちらはまた別件なのですが。教師達の話では、未だに早退者やそれから学校に来なくなる生徒が多発しているそうです。殆どが下級層の生徒らしいですが』
三日前、カラム隊長が私やジルベール宰相に報告してくれた話を思い出す。
本題はまた別だったけれど、その報告も充分に要検討案件だった。なんでも、カラム隊長が職員室で教師達の嘆きや苦労話をしっかりとヒヤリングしてくれたらしい。
お陰でジルベール宰相も早々に事実確認と情報収集に動いてくれたし、カラム隊長も職員室内でまた話を聞いてみますと言ってくれた。元々は私の護衛の為だったけれど、本当にカラム隊長が担当してくれて良かったと思う。
騎士の授業で特別講師だけでも大変な筈なのに、現場の生の声をしっかり教えてくれるとか流石過ぎるし正直すごく助けられた。本当に周りの人をよく見ている人なんだなぁと改めて感心させられてしまった。ジルベール宰相とステイルもすごく感謝していたもの。
「…………〝ライアー〟という名。聞き慣れない名ですが、恐らくは通り名といったところでしょう」
前の席から回ってきた資料を受け取りながら、紛れるようにステイルが声を潜める。
私もそれに頷きながら、やっぱりステイルは賢いなと思う。きっと私がゲームの設定をこのまま言わなくてもステイルやジルベール宰相が真実に辿り着くのはそう遠くないだろう。そこから国として正式に最短距離で問題解決することも難しくはない。……けれど、その場合だと。
そこまで考えると、何だか悶々と頭を悩ませてしまう。確かに、確かに何もしなくても、第二作目が始まるより前にこのまま問題は解決する……というかジルベール宰相とステイルが解決しちゃうだろう。もうそれについては弁明の余地もないし仕方ないけれど、でも彼だけはどうにもと往生際悪く考えてしまう。
第二作目の設定を思い出してしまえばどうしても自業自得の一言で見捨てる気になれない。今やっていることも多分彼には悪気すらないのだろう。なら余計に彼を放っておけない。彼がやっていることは自分勝手で傍迷惑で有罪だけれど、でもそれ以上に
純粋な願いだと思えるから。
「……とにかく、三限が終わったら引き続き一年の学級に行かせて」
はい、と。正面を向いたまま口だけを動かした私の言葉に、今度は両側からその一言が返ってきた。
どちらにしても、先ずは状況を理解してから接触を図ろう。本格的に彼との接触も図るなら、私一人だけじゃなくて正式に予知として話して皆の協力を求めたい。城に帰ったらジルベール宰相やカラム隊長、そしてできることならヴァル達にもそれとなく意見を聞いてみよう。ケメトは私達がこっそり見ていたことは知らないだろうけれど、「なにか知らないかしら?」くらいの質問になら協力してくれると思う。できることなら彼にはゲームと違う結末を迎えて欲しい。その為にも今日こそはせめて一年の攻略対象者だけでも思い出さないと‼︎
もう心に決めた私は、整理し切った頭の中で資料を握る指の力を僅かに強めた。
……
「選ぶと良い。私と共に騎士の授業に同行するか、それとも職員室で放課後まで教師の指導を受けるかだ」
「ッくっっっそこンの堅物怪力馬鹿騎士‼︎‼︎」
まさか、既にがっつり接触していた人がいただなんて思いもせずに。
Ⅱ114番外




