Ⅱ162.私欲少女は黙する。
「やめて下さい。その子は僕の友達なので離してあげて下さい」
聞き覚えのある、その声に。
先頭を歩いていたステイルはその角を曲がらず瞬時に後退した。ドンと背中が私にぶつかり、私もフラつき背後に立つアーサーにぶつかりかけた。隣を歩いていたパウエルが腕を伸ばしてくれて、アーサーと一緒に私を支えてくれる。
ステイルの背中に押されるように更に三歩ほど後退する。お互い当たったことを謝るよりも、目や口を固く噤んだ。あまりにも穏やかではない話し声に、パウエルも角の向こうに居るのが誰かはわからずとも私達に合わせてくれる。潜めた声で「誰かいるのか」と彼が尋ねれば、ステイルが口の前で人差し指を立てて頷いた。その動作だけで、今私達が取るべき行動は明白だった。
ステイルの合図に頷くよりも先に、角の向こうからまた別の人物の声が飛び込んでくる。
「なんだぁ?ガキのくせに格好つけてるんじゃねぇよ。ちょっと話してるだけだ」
「下級層のガキになんざに構ってんじゃねぇ、消えろ」
ガラが悪い男の声だ。
まさか侵入者かと、壁に張り付くステイルから私も顔を起こしてそっと覗き込む。背の高さからして高等部ぐらいだろうか。……その横顔が二つ、一方向に向かって馬鹿にするような笑みを向けていた。彼らの話し相手を見るにはもっと覗き込まないと難しそうだ。
少なくとも私達が知る人物一人はこの先にいる。話し方からして誰かを庇っているようだ。可能性として一人の人物を思い浮かべれば、まさかまた高等部がナンパでもしていたのかと考える。異性間交流に関しては、ジルベール宰相がしっかり規則に書き加えてくれたし、教師からの指導も高等部は特に入った筈なのに。
「これ以上首突っ込んだら痛い目にみるぜ。こんなヤツどうでも良いだろ?今なら見なかったことに」
「だけど僕も同じようなものですから。この子は僕と友達になってくれた子で、だからどうでも良くなんかないです」
きっぱりと男達の声を上塗りする言葉に、ちょっとだけ本当に彼なのか耳を疑ってしまう。
思わずステイルとアーサーに振り返れば、二人も目が丸かった。やはり驚いているらしい。もう少し前のめりになれば男達の目先も見れるかしらと思うけれど駄目だ。これ以上顔を出したら気付かれてしまう。
ステイルからも手だけで「駄目です」と止めるように、制された。仕方なく一度首を引っ込め、耳だけを澄ませる。
「なぁ……もしかしてフィリップ達の知ってる奴か?」
パウエルの言葉に〝多分〟を含めながら私達は同時に頷いた。
その途端、ただでさえ穏やかではない話し声に身構えていたパウエルの眼差しが少し鋭くなった。今日まで見たことのなかった険しい顔に思わずゾクッと目を奪われる。待って、こんなところで第三作目に近い顔をしないで。
しかもパチッと、本当に小さくだけど電気が弾ける音がしたから一気に背筋まで冷たくなった。まずい絶対嫌な予感がする!いやでもちゃんともう制御できるって言ってたわよね⁈まさかこの場でゲームみたいな大技とか起こさないわよね⁈いやでも、まだ制御だけと言っていたということは……‼︎
恐らくこの場で私だけが感じている身の危険に、耐えきれずコソコソとパウエルから身を反らすような体勢で背後のアーサーに背中をくっつけてしまう。最悪の場合、避けれるのは寸前予知できる私だけだろうか。いやアーサーなら私の動きに合わせればきっと一緒に避けられる。もしくはステイルの瞬間移動で逃走か。
アーサーもアーサーで私を守る為と角の先の会話が気になってか前のめりになっていたから、私がむぎゅぅと彼を押しやる形になった。支える為にか、それともこれ以上押しやられないようにする為か両肩に手を添えてくれるアーサーに、迷惑させてるとは思いつつ今だけは勝手に安心させてもらう。
角の向こうでは、男達二人が「へぇ……?」「なんだこいつも下級層か」と笑い混じりに零す声が聞こえてきた。もうその反応だけで、これから不穏な展開が待っているとしか思えない。
応じるようにパウエルだけでなく、ステイルやアーサーまで静かに闘気を放ち始めた。
私の背後に立って支えてくれていたアーサーが、そっと立ち位置を変えるように前へ出て私を後退させるようにゆっくり下がった。踏み込みの足の形からして、もしかすると一番に飛び込もうとしてるのかもしれない。
ステイルが本当に私にもギリギリにしか聞こえない声で「顔は覚えた」と呟く。それに止めるわけでもなく並んで頷きを返すアーサーに、きっと彼も見過ごせないのだろうとわかる。私だって同じだ。
じわじわと足下から湧き上がるような覇気に、もう一歩でも動けば今度こそ殺気になって勘付かれるんじゃないかと思う。それくらいピリピリと臨戦態勢が整っている。
当然だ。明らかに善悪がどちらかわかるし高等部生が標的に加えようとしている人物は、私達にとっても大事な子なのだから。
今も姿は見えないし「じゃあ僕らはこれで失礼します」と堂々と話す声色は別人のようにも聞こえるけれど、この口調と声は間違いない。
「ケメト。い、良いって、もう……お前まで巻き込まれるから……」
やっぱりケメトだ。
男の子の声ということは、近くにセフェクはいないのだろうか。一緒にいるのは同学年の友達か。少なくとも声や話し方からヴァルではない。
第一ヴァルは学校内ではセフェクともケメトとも関わらないようにしているし、他人の振りをさせている。きっと今ケメトがこうなっていることをセフェクもヴァルも知らないだろう。というか知っていたら確実に脅している二人組はただでは済まない。……そう思うと自分より大きい不良二人に物怖じしない様子は、寧ろケメトらしいかもしれない。配達人業で日常的に裏家業系の人達を三人で返り討ちにしているし、しかもいつも一緒にいるのが悪人面代表格の凶悪顔なヴァルだ。むしろここで不良程度に怯える方がおかしい。……うん、やっぱり向こうにいるのはケメトだ。
「大丈夫ですよ。だってアレンは何も悪いことはしていないんですから。だから僕と一緒に皆のところに帰りましょう」
皆探してますよ、と言うケメトは全く怖じけない。
どうやら一人だけ離脱しちゃった友達を探しに来てあげたらしい。相変わらず本当に良い子だ。姿が見えなくても友達の手を引いてあげている姿が目に浮かぶ。
アレンと呼ばれる少年もケメトに従おうとしたのか、その途端不良が「なに勝手に帰ろうとしてやがる⁈」と声を荒げた。高等部が初等部に大人げないしあまりにもとは思うけれど、なんかヴァルと比べて考えてみると急に私まで少し落ち着いてきた。その程度の脅しじゃ絶対ケメトを怖がらせるのは無理だと冷静に評価してしまう。
そして思った通り、ケメトの返しの声は変わらず落ち着いていた。
「?でも、もう話は終わっていましたよね。アレンはそんな人知らないって言ってましたし……」
きょとんとした声は、本当に悪気がないのだろうなと思う。
きっとケメトがアレンを見つけ出した時には、彼が必死に否定しているところだったのだろう。それとも本当かよとか探りをいれられているところだったのか。様子を伺って今の私達みたいに立ち聞きをしていたのか。……というか、〝そんな人〟って、まさか、いや、もしかしなくても絶対これって
「僕も〝ライアー〟なんて人知らないです。人捜しだったら先生とか他の子達にも僕から聞いてみましょうか?」
その、直後。
悪意のないケメトの言葉に、不良二人が「ッ聞いてやがったのか‼︎」と勢いよく声を荒げ出した。あからさまにズンズンと足音を立てるそれに、とうとうケメト達にまで手を出そうとしているのだと理解する。
私達はケメトやセフェクに正体を隠しているし、殲滅戦の一件やジルベール宰相の特殊能力を知られないようにする為にも特に〝ジャンヌ〟は接触するわけにもいかない。ケメトは賢いし、今の私達を見たら絶対気付いてしまう。
けど、だからといって見過ごせるわけもない。
不良達の怒鳴りと足音がゴングになり、めいっぱい張り詰めていたこちらも我慢の限界だった。ぶわりと覇気が前後から風のように放たれ、私も混ざる。
ゲームの設定が頭をチラチラ掠めたけれど、今だけは目の前のことに集中する。大丈夫、ケメトにバレずとも方法はある筈だ。いっそ石でも投げてこっちに誘き寄せるとか。
ステイルの瞬間移動も容易に使えないけれど、アーサーならここからでも充分に石を命中させることは可能だ。そう思って振り返れば、既にアーサーは足元から小ぶりの石を二個掴んでいた。たぶんこれ以上のサイズで投げたら彼らの頭が割れるからだろう。
いっそ今この場に隠れているだろうハリソン副隊長にお願いするのもありだと思ったけれど、パウエルの手前呼び掛けられない。任務忠実執行派のハリソン副隊長だと子ども同士の小競り合いに関与してくれる気もしない。
そしてとうとう角の向こうへ顔見られるの承知で覗き込んだ、その瞬間。
えっ、と。
「……………」
その暫くは、声が出なかった。
唖然とする私達の頭上に、昼休み終了の予鈴が降り注いだ。「!急いで戻りましょう‼︎」とケメトが友達の手を引いて逃げ去ったのを、壁から皆で顔を覗かせて確認する。良かった、二人とも無事で済んだのは何よりだ。こちらにも最後まで気付かなかった。
さっきのことについては先ず置いといて、とにかく遅刻するわけにはいかない。放置された物だけステイルに回収してもらった私達もまた、急ぎ中等部と高等部の教室へと向かった。
ステイルの案内通りに近道を駆けながら、私の頭の中にはいくつもの疑問が巡り弾ける。
なんで、どうして、そういえばと、もう暗躍しているの、やっぱり例の件って
〝ライアー〟が関係しているの?
「まずい……」
口の中だけで呟いた言葉だけど、喉から頭の奥まで確かに響いた。
まだ攻略対象者全員見つかってないのに。よりによって彼だなんて。だけどこのまま放置したら確実に彼はやらかしを続ける。少なくともラスボスに出会う二年後迄は。あんなことを他の生徒にもやらかしていたら、と考えれば以前報告で聞いた不登校や早退生徒が綺麗に結び付く。とにかくこれを野放しになんてできない。
解決方法は説得か強制排除か、もしくは
……引き合わせるか。
できれば、〝そういうこと〟は潜入視察を終えてからにしたかったのだけれど。
そうとも言ってられないなと思いながら、私は高等部へ去るパウエルと別れた。
Ⅱ114番外




