Ⅱ161.私欲少女はひと息いれる。
「っっ……マジっすか……」
ハァァァァ……と目の前で萎れるように蹲み込むアーサーは、完全に項垂れてしまった。
全速前進で走ってくれた彼に降ろされた私もその姿にアワアワと狼狽えてしまう。
生徒達の目から離れたところで、医務室へと向かっていたアーサーに私から声を掛けて引き留めた。ステイルも呼び止めようとしてくれたのだろうけれど、本気のアーサーとステイル達では私一人分のハンデがあっても脚の速さが見事に違った。このままでは本当に医務室に仮病生徒を放り込んでしまうと慌てて止まるようにお願いした。それから追い付いてきたステイルとパウエルと一緒に人目の無い校舎裏に回り、降ろしてもらった。
蒼い目を白黒させながらやっとステイルからの助け舟だったことに気付いた今、アーサーは一気に撃沈した。
「ご、ごめんなさいジャック。折角心配してくれたのに……」
「だがよく考えろ。本当にそうだったら俺がわざわざお前に医務室まで頼むと思うか?」
謝る私にステイルが続く。
項垂れて言葉が出ないアーサーに代わって、パウエルが「まぁ俺でもフィリップでもジャンヌくらいは抱えられるよな」と返した。……実際は、アーサーなら私を連行するまでもなく触れただけで体調不良を治せるからなのだけれども。流石ステイル、上手くふわっと言い回してくれた。
アーサーもステイルが言わんとしたことはわかったらしく、消え入りそうな声で「そりゃァ……っ」とだけ漏らした。大分落ち込んでいる。気合を入れて心配してくれたのが恥ずかしかったのか、銀色の髪から出た耳が真っ赤になっていた。校舎の裏とはいえ、日当たりは悪くない中ではっきりアーサーの顔色がわかる。
私達が回り込んだのは、校庭に近い中等部の校舎裏だった。昼休みももう後半過ぎているからか、わざわざ通る必要のない裏側には誰もいない。新設したばかりの建物ということもあって校舎裏もなかなか綺麗なものだった。流石ジルベール宰相、ぬかりない。
ステイルが嘘をついたことに関しては、ちゃんと自分を逃してくれる為だったと理解してくれているからか文句はないらしい。けれど、やっぱりまだ落ち込んでいるアーサーは赤い顔のまま動かなかった。佇んでいる私達と蹲るアーサーだとまるで私達がアーサーを虐めているみたいになる。このままだと鐘が鳴るまで落ち込んでいそうだ。
私はステイルが担いでくれた三人分の食料が入ったリュックを探り、アーサーに歩み寄る。しゃがんだまま頭を俯けて両膝を抱え込む彼に合わせ、私も両膝をついた。こういう時に服の皺だけ気にすれば良いのはドレスじゃない服の良いところだ。
私が目の前に来たのは音や気配でわかったらしく、肩を小さく上下させるアーサーへ一言掛ける。ジャック、と仮の名を呼べばおずおずとだけど顔を上げてくれた。やっぱり耳だけじゃなく顔まで赤いアーサーは、目も若干虚だ。顔を上げてもまだこちらに合わせられないように伏目の彼に私は
「はい。口開けて?」
彼の分のサンドイッチをそっと口へ突きつける。
カサッ、と包みの音と一緒に眼前へ示されたサンドイッチにアーサーも目を丸くして見返してくれた。私がそのままぐいぐいとサンドイッチを近づければ、まだ戸惑い気味に目蓋を痙攣させながらも口を開けてくれる。がぶり、と。直後には気持ちの良い噛り付き音と、振動まで伝わってきた。
美味しい?と笑い掛ければ、口の中を噛み砕きながら丸い目のアーサーは、五回連続で頷いてくれた。サンドイッチとはいえ城の料理人が作った軽食だからアーサーも気に入ってくれている。
良かったと気の抜けた笑みを向ければ、ゴクリと口の中を飲み込んだ音が私の耳まで届いた。
「ずっと食べてなかったでしょう?こんなところでごめんなさいね、だけどゆっくり食べて」
「………………はい」
残りのサンドイッチもどうぞと差し出せば、手だけ少し慌てふためきながら受け取ってくれた。
顔が変わらず、……というかさっきより赤いけれど、しゃがんで借りてきた猫のようになったまま両手で黙々と食べ始めた。もしかしてお腹空かして元気がでないとか子ども扱いされたと思ったのだろうか。
今のアーサーは十四歳だし、私も知らず知らず子ども扱いしてしまっている可能性はある。何かフォローを入れるべきかと考えていると、今度はステイルが私に並び立ってアーサーへ水を突きつけた。「ん」と、その一音だけでわかったらしく、アーサーも顔を上げないまま手だけを伸ばして受け取った。それを返事と判断したように、ステイルは腕を組み口を開く。
「心配させたのは悪かった。だがああでも言わなければ、あそこから降りてきてもまた生徒達に囲まれていただろう」
予想というよりも断言に近いその言葉に、アーサーは言い返さなかった。
水を飲んだ後も黙々とサンドイッチを大口で頬張り続ける姿に、もしかして思ったよりお腹が空いてたのかなと思う。よく考えれば運動後だ。
二個目のサンドイッチをリュックから取り出すべく私が立ち上がると、先にステイルがリュックから出してくれた。早々と一個目を食べ終わるアーサーが、ステイルから直接受け取る形で二個目にも噛り付く。
アーサーの食事タイムに、パウエルも壁際に移動して寄り掛かる。
「にしても、本当にすげぇなジャック。あんなところから飛び降りちまうなんて」
「いやあれは……。その、まァ校舎の屋上より全然低かったですし……」
パウエルの言葉に、口を空にした直後のアーサーが抑えた声で呟いた。
直後に「お前の基準で言うな」とステイルが叩き折ったけれど、あまりしっくり来ないように首を捻っている。多分、彼にとってはあの高さも常識の範囲内なのだろう。ラスボスチートの私は勿論だけど、騎士団もあのくらいの木の高さからなら余裕だろうし。
アーサーのことだし、基本的に十四歳の身体能力でできることなら大したことないと思っている可能性もある。技術こそ消えないけれど、身体能力そのものは新兵だった当時のものだ。……首席で騎士団入団を最年少で決めた、当時の。
そう考えれば、相変わらずのアーサーに笑みで上げた口端が勝手に引き攣った。すると
「……すンません、ジャンヌ」
ぼそっ、と一度唇を結んだアーサーから突然の謝罪だった。
へ⁈と、むしろ私が謝る方なのにどうしてと間抜けな声を上げてしまう。最後の一口分だけ残してまた俯ちがちになってしまうアーサーの顔色は暗い。ずん、と垂れた頭に漬物石でも乗せられているかのような重さだった。目立っちゃったことを謝っているのだろうか。流石にあれだけ大注目を浴びればアーサーも
「結局、全ッ然格好良いとこ見せれなくて……」
『ジャックの格好良いところ、私も皆に見て欲しいわ!本当にすごいんだものっ』
気付いて、いない。
アーサーの言葉を聞きながら、校庭へ向かう前の自分の台詞を思い出す。
聞き返したくなるくらいにくぐもった彼の声は、間違っても謙遜とは思えないほどに重かった。同時にいつも伸びている背中も丸くなってしまっている。彼の様子と予想外の言葉に何度か瞬きだけが増えてしまった。
首だけを動かして隣のステイルと校舎側のパウエルへ目を向ければ、二人も私と同じような感想らしい。ステイルは少し笑って見返してくるし、パウエルは目が皿みたいにパチリと丸い。
最後にアーサーへまた顔を戻せば、まだ最後の一口のままに俯いて深く長い溜息を吐いている。未だに最初の一口以降からは私に顔も上げてくれない。いつも年上のアーサーが、今は十四歳の姿でこんなに小さくなっているのが何だか可愛く見えてしまう。
フフッ、と。うっかり笑ってしまう口元を片手で隠してから「何言ってるの!」と弾む声を誤魔化さずアーサーへと返す。
「すっごく格好良かったわよ。皆、ジャックを褒めてたし夢中だったわ。きっとあの場にいた人達全員そう思ってたもの」
結った先からこぼれ、細く垂れた前髪を手を伸ばして指先ですくいアーサーの耳へとかける。
耳に触れた途端、くすぐったかったのか小さく肩が揺れた。そのままゆっくり顔を上げてくれたアーサーの目が段々と目蓋がなくなるくらいに開かれていく。
きっとアーサーにとっては〝あの程度で?〟という気持ちが強いのだろう。本来の彼の実力を知れば、その気持ちもわからないでもない。だけど間違いなくあの時のアーサーは格好良かったし、文字通り格好良いところを皆が見てくれた。
それに何より、もし仮に格好良い技を見せられなくても私の希望なんか気にする必要はない。あれは王女としての命令でもなければ、単なるジャンヌとしての希望だもの。
アーサーがすごいのを見せても大丈夫よという意味もあったし、別に生徒全員を掌握しろなんて思ってもいない。……まぁ、アーサーの格好良いところを見せびらかしたかったところは本当だけど。でもそれならもう充分にアーサーは
「私のこと心配して飛び出してくれたジャックが、あの場にいた誰よりも格好良いわよ」
恥ずかしいことなんてない。
実際、あそこで颯爽と飛び降りてきたアーサーはすごく格好良かったし、むしろ内面と外見も素敵なのが皆に知られたぐらいだ。
そう思って笑いかければ、じゅわっとアーサーの顔が塗ったように赤くなった。最後の一口を持ったまま、瞬きもしない顔が色だけ変わっていく。流石に驚いて私もアーサー⁈と悲鳴を上げそうになる。
直前で思い止まり、代わりに「ジャック⁈」と呼んだ時にはもう首から手まで真っ赤だった。……からかいに聞こえてしまったのだろうか。ステイルの言葉を鵜呑みにして大慌ての救急搬送をしたことにも、もの凄く落ち込んでいたのに。また振り返すようなことを言ってしまった。
ごめんなさい!と慌てて謝りながら、誤解を解くべく補足をいれる。
「あの、だから本当にただ、さっきのジャックは誰の目から見ても絶対に格好良かったという意味なだけで」
「ッだ!い、丈夫です……‼︎ありがとうございますわかってるンで‼︎‼︎ですからそッ……格好……とか、ンな連呼しねぇで下さいっ……〜〜っ」
私の言葉を途中で遮ったアーサーは、最後にはまた両膝を抱えて俯いてしまった。
最後の一口がいつまで経っても食べられない。また項垂れてしまったアーサーに何だか申し訳なくなる。確かに格好良いとかペラペラ言い過ぎた。
こんなに連呼したら信憑性が逆になくなるし、よいしょする為のお世辞と思われたのかもしれない。
お世辞じゃなくて本心よ‼︎と訴えたかったけど、ここで言ったら本当の本当に信じて貰えなくなる。続けたい気持ちをぐっと押さえ、もう一度だけ「ごめんなさいね」と謝らせて貰った私はその場から立ち上がった。その途端、隣に並んだステイルが何やら悪い笑みを浮かべているのが見える。ニヤリと何だかとても楽しそうだ。
パウエルにその悪い顔はまだ見せないようにねと心の中だけで唱えると、ステイルは真っ直ぐにアーサーを見下ろしながら眼鏡の黒縁を指先で押さえた。
「さぁ、さっさと戻るぞジャック。そろそろ昼休みも予鈴が鳴る時間だ」
パウエルも付き合わせて悪かったな、と振り返った時にはまたいつもの表情だ。
「いや楽しかった」と笑って返してくれるパウエルと、「……おう」と最後の一口を頬張りながら返すアーサーの声はタイミング良く殆ど重なった。
まだ顔色は赤かったけれど、それでも何とか全員が食事をできたことにほっとしながら私達は歩き始める。隠れていたことがバレないように、校舎を完全把握してくれているステイルのナビに続いて校舎裏沿いに進めば
「やめて下さい。その子は僕の友達なので離してあげて下さい」
……あれ?
物凄く聞き覚えのある、声が。




