Ⅱ158.私欲少女は連れて行かれる。
「お待たせ致しました、ジャンヌ」
二限終わり。
アムレットにディオスにクロイと、授業間の短い休み時間になかなかのイベントがあった私は授業後も大人しく席についていた。アムレットはまたいつもの友人の子達とお昼を食べに教室を出ていったし、ファーナム兄弟もセドリックのところだろう。三人とも話はこの後のつもりらしい。
移動教室から早々に帰ってきてくれたステイルだけれど、移動教室が今日は遠い場所だったのかいつもより遅めだった。といっても他の男子達よりも遥かに早く戻ってきてくれた。にこやかに笑いかけてくれるステイルに私からも先ずは一言返す。……けれど。
「……ジャックは?どうかしたの⁇」
アーサーが、居ない。
あれっと。正直ステイルが戻ってきてくれた時も、いつもより遅いことよりも最初にそっちが気になってしまった。
いつもは僅差はあっても二人一緒に戻ってきてくれるのに、今日はアーサーだけいない。しかもまじまじとステイルを見上げると、珍しく汗をかいた跡がある。僅かに服が湿っているし少しだけ土汚れもあった。
まさか高等部にお礼参りでもされたとか何かあったのかとも思ったけれど、それにしては落ち着いている。
私の投げかけにちょっぴり肩を竦めてみせるステイルは「あぁ、アイツは……」と言うと、少し待つように廊下の方へ振り返った。まだステイル以外男子が誰も帰らずに女子が順々にお昼休憩へと去っている扉から、私が視線を投げて二秒くらいして騒がしい声だけが先に入ってきた。
「だァから‼︎‼︎忙しいンで無理っす‼︎っつーか見せるほどのことなんか何も……‼︎」
「いや何もじゃねぇだろどう考えても‼︎」
「なぁもう一回だけ見せてくれよ!なっ⁈俺見損ねて……」
「あれも騎士様に習ったのか⁈お前親戚なんだろ⁇」
「他にも何習った?!なあなあなあ‼︎」
凄まじいアーサーの雄叫びと、それにくっつくような男子達のはしゃぎ声。
取り敢えずアーサーが無事そうなことはわかって胸を撫で下ろしたけれど、一体何があったのかは全く読めない。しまいには「無理っす‼︎」とアーサーの怒鳴り声に近いものまで聞こえてきて、口端が笑ったままヒクついてしまう。
説明を求めようとステイルに目を配れば、口元を隠してプルプル肩を震わせていた。身体ごと捻らせて窓側に逸らしているけど、確実に笑っている。もうこの反応を見れば、多分アーサーはステイルに置いて行かれちゃったんだなぁということだけはわかった。だってステイルがこんなに楽しそうなんだもの。
そう思っていると、じわじわ更に教室の傍までガヤガヤ声が近づいてきた。もうちょっとで開け放しの扉から姿が見えるかなと思ったら、先にまたアーサーの教室にまで響く怒鳴り声が飛び込んできた。
「ッフィリップテメェ‼︎俺だけ置いてってンじゃねぇよ‼︎‼︎」
ブフッ‼︎、とそこで大きくステイルがまた吹き出した。
その後もアーサーの怒鳴りも虚しくお腹を抱えて笑い出すステイルは、絞った目元に涙まで滲んでいる。久々の大ツボだ。
直後には「聞こえてンぞ‼︎」とアーサーの怒鳴りが続き、教室から蒼色の目を尖らせて姿を現した。ジャック、と彼を呼ぶけれど、その口のまま私は表情筋ごと固まってしまう。
教室に入ってきたアーサーには我らがクラスの男子が十人近くへばりついている。同い年である男子十人分の体重を引き摺りながら銀縁眼鏡をずり落としかけ、束ねた銀色の髪を振り乱す彼の姿はまるで砂鉄をくっつけた磁石だった。
ギロッと鋭い眼差しで爆笑を隠し入れないステイルを睨んだ後、私に「遅くなってすみません」と謝ってくれる。取り敢えず遅れた理由は一目瞭然ながら、私は開いたままだった口を恐る恐る動かした。
「おかえりなさいジャック……?ええと、何がどうしたのかしら……?」
その、これは、と私の問い掛けに一度苦そうな顔をしたアーサーは、首だけを動かして自分にしがみつく彼らへ振り返った。
こうしている今も「いいじゃねぇか」「もう一回だけ」「女子にも見せてやれよ」と口々に言われながらアーサーを廊下方面へ連れ戻そうと引っ張っている。全員身体の至るところに土がついているし、がっつり汗を掻いている。いっそ彼らを引き摺ってきたアーサーが一番涼やかかもしれない。……彼らにべったり付かれているから、もう彼らの汗とか汚れとかも擦りついちゃっていると思うけれど。
アーサーが言い淀んでいる間に、また彼らはアーサーをずりずりと教室から引き戻そうと頑張り始めた。大半が私達と一緒に校門まで帰ったことのある男子達だ。
まだ教室に残っていた女子があまりの男子同士のジャレ合い姿に「何やってるの?」投げかけてくる。この状況じゃ関係なくても気になるのは当然だ。するとアーサーの腕を引っ張る男子の一人が「すっげーんだよ!」と息巻くように教室中に聞かせるような声で女子に答えた。
「さっき騎士の授業でジャックがとにかくすごくて‼︎‼︎お前らも見ればわかるって‼︎‼︎」
あっちゃぁ〜〜………………、うん。わかった、色々と。
そうだそうだと同調する彼らに飲まれるように口を一文字に結ぶアーサーは、乾いた目で私を見た。もう言わなくても「すんません‼︎」と叫んでいるのがすごくわかる。
どうやら今日とうとうアーサー大望のカラム隊長による騎士の授業だったらしい。そりゃあ学校でやっと身体を動かせる上に、生徒としてとはいえ大好きなカラム隊長からの手解きだ。テンションを上げるなという方が難しい。その後も武勇伝かのようにそれぞれ話まくる男子達の話だけでも、アーサーが飛んだとか急速発射したとか回ったとか。抽象的すぎてイマイチ掴みきれないけれど凄まじかったことだけはわかった。
そして今、それを見た男子達がわらわらと集まってはアーサーにもう一度その動きを見せて欲しいと所望中と。……多分、アーサーのことだから見せびらかしたかったとかではなく充分に自制したつもりなんだろうなぁと思う。昔ステイルと手合わせを始めた頃から剣の腕とか瞬発力が凄かったのに本人無自覚だったもの。まぁ一番近くにいた見本が騎士団長じゃその辺の平均値常識が鈍っていても仕方ない。
ステイルもアーサーに非があるとは考えていないらしく、くっくっと堪えきれずに笑いながら「カラム隊長も苦笑していました」と私に囁いた。アーサーが身体能力御披露目してしまった時もきっとカラム隊長やステイルはいくらかはフォローを入れてくれたんだろうなと思う。
「皆さん、ジャックにもう一度あの熊をも掻い潜った跳躍を見せて欲しいそうです」
ステイルの言葉に「熊⁈」と、今度は男子達だけでなく女子の声まで重なった。
フィリップテメェ‼︎と同時にアーサーの御怒りが放たれたけれど、言ってしまったものは戻らない。周囲の子達が次々とジャックは熊まで倒せたのかと囁き合う。男子達の話以上のインパクトのある話題にクラス中が騒然となってしまった。
男子達にせがまれるアーサーは「だァから俺はジャンヌ達と約束が」と何度も言うけれど、いつも一緒なんだから今ぐらい良いだろと返されてしまう。アーサーとしては見せる見せないよりも、私の護衛の為に断ってくれているんだろう。私達の正体を勘付かれない為に、彼も目立たないようにしないといけない。まぁアーサーの性格だと目立ちたくないもあるかもしれないけれど。
でも、ステイルもクロイに言った時と同じように、自分からアーサーの設定に熊さんを追加してしまったし、彼が強いことくらいは知られて良いと考えたのだろう。特待生試験で私が狙われた時も、アーサーが高等部を倒したという噂のお陰でアーサーと一緒の時は狙われなかったらしいし、アーサーの実力がちょこっとでも知られれば名実共に私の護衛としての効果もあるもの。
どうしますか、と軽く尋ねてくれるステイルはもう私にあとは任せてくれるつもりらしい。「パウエルは?」と確認すると「誘えば来てくれると思います」と快諾だ。どうせ昼休みは攻略対象者探しもできないし、今なら問題ない。
「良いんじゃないかしら、ジャック。私達も付いていくわ。お昼は何処でも食べられるもの」
パウエルを誘ってね、と続ければさっきまで険しかった顔のアーサーの目が見開かれた。良いンすか⁈とでも言いたそうな彼に私は笑顔で返す。自分のことで私達を付き合わせるのを遠慮してくれているのだなとわかる。
もともとパウエルとのご飯だってステイルの用事だし、今回くらいアーサーに合わせても問題はない。もうアムレットは教室を出た後だし、ステイルも安心できる。
やった!よし行こうぜ、ほらジャンヌも言ってるだろ、と大喜びする彼らの中でも聞こえるように、私は快諾の意思を込めてアーサーに声を張った。
「ジャックの格好良いところ、私も皆に見て欲しいわ!本当にすごいんだものっ」
男子達に大人気のアーサーを前にちょっと自慢気分になっていた声は、思った以上によく響いた。
アーサーにわいわい話していた男子も、興味深そうに接近してきた女子も皆丸くした目で私とアーサーを見る。そしてとうのアーサーは、……茹だったように顔が赤だった。
一拍置いてからアーサーを捕まえている男子「あ⁈」や「おい!」と発熱したかのようなアーサーに声を上げるけど、固まったアーサーに返事はない。深い蒼の目がずり落ちかけた銀縁眼鏡の曇りでぼんやりとしか見えなくなっている。……しまった、無責任にハードルを上げすぎた。
ただでさえ人からの高評価とか評判とかに謙遜しまくるアーサーなのに、ここで王女である私がそんな〝格好良いところをこの人は見せてくれます〟なんて期待爆上がりな言い方したら緊張もする。それとも単に褒められて照れただけか……いややはり前者だろう。アーサーが格好良いのも凄いのもいつものことだ。
圧をかけてしまったことに「あ」と気付いてから短く声が出たけれど、やはりもう遅い。真っ赤になったアーサーを男子達が心配しながらも「よし外で冷やそう」「外だ外!」「ついでに跳ねるか飛べよ!」「お前らも来てみろよ!」と抵抗しなくなったアーサーを引き摺り、女子も男子も他クラスも関係なく周囲の生徒に呼びかけながら連れて行っていく。
慌てて私も追いかけながら「待って!その前に寄って欲しいところが‼︎」とパウエルとの待ち合わせ場所である渡り廊下経由を所望する。
私の後をお昼ご飯の入ったリュックを担いだステイルが駆け足で追い掛けてきてくれる。ばっちりお昼ご飯の存在を忘れていた私はありがとうとステイルの方に振り向くと、返事をくれながらもニヤニヤと楽しそうな顔がそこにあった。騎士団だけでなくクラスでもモテモテ大人気のアーサーが嬉しくて仕方ない顔だ。
男子達に連行されるアーサーに続きながら私達の昼休みが始まった。




