Ⅱ153.次期王妹は隠しきる。
「おやすみなさいお姉様、兄様っ」
おやすみなさい、おやすみと。いつもの挨拶に笑顔で返してくれるお姉様と兄様に手を振った。
私とお姉様を送ったまま自室へ戻る為に階段へ向かう兄様と、そしてご自分のお部屋から私達を見送ってくれるお姉様。そして私も自分の部屋へと専属侍女のカーラーとチェルシーと廊下を歩く。これから化粧を落として髪を解いてお着替えをしたら後は明日に備えるだけ。
兄様の誕生祭。今年も大勢の人達にお祝いされて、兄様の大事な人達が招かれてくれた式典はとても幸せだった。毎年のことだけれど、……その〝毎年〟がこれからも続く事が嬉しくて。今でも時々都合の良い夢を見ちゃっているんじゃないかと思う。
「今日もお疲れ様でしたティアラ様」
すぐにお支度をしますね、と声を掛けてくれるチェルシーに一言返しながら鏡の前に立つ。
ドレスを脱ぐのを手伝って貰う為にそこで足を止めた時、……ちょっぴり窓の向こうが気になった。
いくつもの馬車の音や馬の声が聞こえて、きっと式典から帰る来賓だわと思う。式典会場から宮殿がすぐそこの私達と違って城外の屋敷や国に帰る来賓、そして城内の宮殿に各々帰るか一泊する来賓もそこまでの移動で馬車を使うからどうしても混んでしまう。
窓までそっと影が映らないように歩み寄り、閉じられたカーテンの隙間から外を覗く。沢山の馬車とそして一つ一つ事故が起こらないように衛兵や各々の従者達が誘導をしている。炬火やランプを灯した光景は私の部屋からでもちらちら彼らの姿が見えた。
兄様の誕生祭に招かれた人も大勢で、特に今年からお姉様に会う機会が我が国の式典だけになってしまった人達は、積極的に式典を望むようになってくれた。そのくらい国内外の人達がお姉様に会いたいと思ってくれるのがすごくすごく嬉し……
「っっっっ⁈」
バッ‼︎
瞼が無くなるのを自分でもわかりながら、息を引いて窓枠から翻る。
もともと隙間だけだったカーテンを後ろの手でぴっちり押さえつけるように止め、反対の手でバクバクと突然激しくなり出した胸を押さえた。
肩で息をしながら唇を結んでいると、カーラーが「どうかなさいましたか⁈」と心配してくれる。首を横に思い切り振って見せるけど、まだ声が出せない。チェルシーが外に誰かいたのかとカーテンの向こうを覗こうとするから、唇を噛んだまま見せまいと私は歩み寄ってくる彼女を両手で止めた。駄目、見ないでと声の代わりに必死に訴える。なんで、なんでなんでッどうして!
セドリック王弟と目が合うの⁈‼︎
「ティアラ様、顔色がっ……まさかお熱でも」
違う‼︎‼︎違わないけど絶対違う‼︎
ふるふると首を振りながら、窓を覗かれないように必死に阻む。ここでまだあの人が馬車を止めたままこっちを向いていたら絶対絶対に恥ずかしい!
カーテンの隙間から覗いたのだって偶然で、そこから馬車を見下ろしたのだって偶然で、なのに、なのにちょうど馬車に乗っていたあの人の金色が目に入ってしまった。
国際郵便機関や体験入学中のセドリック王弟が、式典で最後まで残って来賓と話をしているのは別におかしくない。だからこんな時間まで残っていたのだろうし、城内の宮殿へ帰る時間が遅くなったのも当然で、今までだって来賓と語らう為にあの人は遅くまで残ってる。
けれど、わざわざ私達の宮殿の前を通って帰る理由にはならない。
珍しくはない。式典に招かれた来賓が王居を一度ぐるりと巡ってから帰ることはよくある。城の中でも立派な建物だし、王族へ想いを馳せる人も少なくないとわかっている。どこの部屋に王族がいるかまでは知られていなくても、ここに私達が住んでいることは皆が知っている。今だってセドリック王弟の馬車以外もいくつもの馬車が私達の宮殿前をゆっくり横切っていた。
でもセドリック王弟はここ最近は頻繁に私達の宮殿へも訪れているし、もう城内の人なのだからここの宮殿だって見慣れている筈なのに!どうしてわざわざ遠回りしてまでここを通り過ぎちゃうの⁈しかもどうして私の部屋を見上げていたの⁈
今ちょうど、偶然馬車が通り過ぎたところで何となく馬車に乗っている人を気にしてしまった。金色の髪が炬火の光に反射して光った途端もしかしてと思ってしまって、気が付けば考えるより先にカーテンの隙間から顔を覗かせていた。今日だってちゃんと会ったし、別に用事も何もないのに目で探してしまって。そしたら一瞬、ほんの、ほんの一瞬だけ衛兵の持っていた灯りに照らされた焔色の瞳と目が合った気がして
あの人だと、わかった瞬間心臓がひっくり返った。
「〜〜っっ、な……なんでもないですっ……‼︎ほんとにほんとに何でもないのでお姉様と兄様にも言わないで下さいっ……」
ばか。ばかばかばか。
本当に本当にあの人がわからない。どうしてあの人まで王居で遠回りしたりするの?どうして今目が合ってしまったの?何かお話しがあるのなら兄様の式典で話してくれれば良かったのに。さっきのダンスで、…………ちょっとくらいお話してくれても良かったのに。
セドリック王弟は、挨拶でも必要以上は話してこない。しかもダンスの時だって殆ど何も話しかけてこない。お姉様とダンスする時は色々とお話ししていることが多いのに、私の時はずっとずっと無言で。
私から話そうにも話題が全く見つからなくて、しかもセドリック王弟相手だとすごくすごく緊張して、観客にそれが気付かれないように意識するので精一杯で唇どころか舌先すらピクリとも動いてくれなかった。
ダンスが終わった後にも「先ほどのダンスでは手を取ってくれて感謝する」の一言だけで、やっぱりそれ以上は話してくれなかった。私も私で、「とても踊りやすいので」の一言しか言い訳もできなかった。もっとちゃんと「貴方だから踊りたかった」「この先も貴方しか最初に取りたくない」と言えれば良いのに。兄様やアーサーやレオン王子にだったら何度だって素直に言えるのに。
そう思いながら私はセドリック王弟の馬車が去りきるまでの間、チェルシー達を押し止めた。そろそろ大丈夫と思ってからそれよりもお着替えをと言えば、二人とも私のおでこや首の熱を測りながらもとりあえずお着替えは許してくれた。私が鏡の前に戻ると、入れ替わりにチェルシーがカーテンの向こうを覗いたけれど何も言われなくてほっとする。ちゃんとあのまま帰ってくれたみたい。
お着替えの間に早く顔の熱を冷まさなきゃと何度も細かく口の中を飲み込みながら、冷静に冷静にと私は自分に言い聞かせる。偶然カーテンを覗いて、外の景色を眺めたらセドリック王弟と目が合っちゃっただけ。偶然で、何も恥ずかしいことなんてないわと思い直す。……けれど。
どうして、窓の外が気になっちゃったのかしら。
別に……期待なんかしていない筈なのに。去っていく馬車の音にあの人のことを思い出して、あの人はもう帰っちゃったかしらとかあの人が去る馬車が見えるかしらとかわかるかしらとか思ってー……、なんかいない。
ただ、本当にほんのちょっぴり気になっただけで、それに、それにまさかあの人が
こっちを見上げてくれていたなんて思わなくて。
「〜〜っ……」
嫌い。本当に本当に大きらい。
運悪くカーテンを覗くのが間に合わなかったら良かったのに。
運悪くあの人に気付けずに窓から引ければよかったのに。
運良くあの人が私に気付かなければ良かったのに。
そんなことを思いながら堪らず唇を噛んだ。寝衣に着替え、体調が悪いなら薬師にと言ってくれるチェルシーの言葉を断って二人が部屋を出るより先に、隠れるようにベッドに潜り込んだ。
その夜、たくさんたくさん疲れていた筈なのになかなか寝付けなくて。
むぅむぅと何度か漏らしながら、瞼の裏に最後に合ったあの人の目の焔が焼き付いた。きつく閉じても、あの一瞬が忘れられない。窓の外が静かになってもずっと私は枕を抱き締めて眠気を待ち続けた。
せめて、夢の中だけでもあの人と鉢合わせせずに済みますようにと願いながら。
……
「セドリック様、やはり薬師を……」
「いや、すまない。本当になんでもない……〜〜っ」
顔を覆い、馬車の中で項垂れる。
闇夜の中でもわかるほど顔を真っ赤に塗り上げたセドリックは、金色の前髪ごと掻き上げ死にかける。つい数分前に起こった奇跡的な一瞬を何度も何度も頭の中で鮮明に思い出しては死にかける。
式典が終わり、最後の一人の来賓とも語り終わりこれから帰ろうとした時にほんの、少しだけ魔が刺した。
このまま真っ直ぐ帰るのではなくせめて愛しい彼女のいる部屋を見上げてから去ろうと思い、御者に宮殿前を通って帰るように頼んだ。
ティアラの部屋の位置も把握だけはしていたセドリックだが、当然灯りの灯ったその部屋にカーテンが覆われていることも、無防備に開けられるどころか位置を把握されないように安易にカーテンの前に王女が立たないだろうこともわかっていた。それでも速度を落とし、灯りの灯った部屋を見上げるだけで胸が詰まり、そして今日も幸運にも手を取られた彼女とのダンスに想いを馳せていた。その時、まさかの一瞬だけカーテンが小さく開いた。
あそこがティアラの部屋だと知らなければ、もしくはじっと凝視といって良いほどに見上げてなどいなければ誰も気づかなかった。しかし、ティアラの部屋だけを注視していたセドリックはそこで胸が高鳴った。息を止めてしまう間にも、まさかの一瞬だけ本当に彼女がカーテンの隙間から姿を現し、こちらを見たのだから。
闇夜に、馬車の中と宮殿の上階。普通ならそんなわけがない。視力で拾えるかどうかの距離を離しているのだから。しかし、照らされた部屋の中から揺らめく金色を流した彼女と、ほんの一瞬だけ目が合った〝気がした。〟奇跡的に一目見れた事が嬉しく、胸を強く高鳴らせた直後。……彼女は勢い良くカーテンを閉め切ってしまった。
馬車で宮殿を横切る程度は不敬に入らない。自分以外にも多くの来賓が遠回りをしていると理解しながらも、カーテンを閉めきれられたセドリックは馬車の底に沈みかねない勢いで膝に突っ伏した。
疾しい気持ちはない。覗こうと思ったわけではないし、侵入を試みようと思ったわけでも、馬車を宮殿の前で長々と停止させたわけでもない。しかし彼女の部屋前で自分が人知れず見上げていたのを、よりにもよってティアラ本人に気付かれてしまった。しかも、勢い良くカーテンを閉められた。これではまるで
「………………………………〜〜っ……またティアラに嫌われた……」
まるで、付き纏いのようではないかと。
そう思った瞬間、羞恥からセドリックの天才的頭脳は致死レベルで茹で上がった。
そんなつもりはなかった、ただ灯りの灯った部屋を見上げるだけで、思いを馳せるだけで幸福だったと今すぐにでも弁解に行きたいが確実に言い訳にしか思われないだろう。式典中も満足に話せなかった自分が、ここに来て流暢に自分を守る言葉ばかりを並べたてれば、ティアラに幻滅すらされてしまうかもしれない。そう考えれば、部屋に戻った後も着替えず打ち拉がれたくすらなった。
挨拶すら顔色を抑えるのに必死で、ティアラにダンスで手を取られた時も彼女に不敬がないようにそして一秒一瞬でも彼女との時を胸に刻んでいたく、何より胸が苦しすぎて緊張で声も出なかった。腕の中に彼女がいる一時は、流暢に語る口を縫いとめるほどに愛しく強烈だった。彼女が至近距離で笑んで自分の腕の中で踊ってくれるだけで満たされる。何度踊ろうと、セドリックにとっても〝今〟その瞬間のティアラが最も美しく、瞬きを惜しむほどだった。
宮殿に戻り、薬師や医者を呼ぼうとする従者に断りながら早々に着替えを済ませたセドリックは就寝時間が二時間近く遅れた。
絶対的記憶力を持つ彼は、カーテンの隙間から一瞬だけでも彼女と目が合ったような〝錯覚〟と、そして直後にカーテンを閉められた自己嫌悪に鬩ぎられ続けながらゆっくりと時間をかけて眠りに落ちた。
せめて、夢の中でだけでも彼女に弁解できればと願いながら。




