Ⅱ145.男は再会した。
A month ago.
「こちらになります……!!」
張り詰めた空気の中、領主は自ら先導する形で部屋に案内した。
ザッザッザッ、といくつもの足音が重なり連なり、広い廊下を埋め尽くす。先祖代々その地の統治を任されていた彼だが、これほどまでに落ち着かない日々は初めてだった。
今まではその地での収入を定期的に献上するだけで許されていた彼の地位が、いま一歩でも間違えば瞬時に崩壊する。そんな綱渡りのような日々が始まったのもひと月ほど前からだった。
領主に先導される男は、何も言わない。口を閉じ目だけをかっ開き、この足が目的まで辿り着くのを今か今かと待ちわびる。〝あの〟通達が届いてから、他のことなど些事とも思うほど彼の頭は埋め尽くされていた。
とうとう辿り突いた先は、最上階の一際飾り付けられた扉の前だった。既に大勢の護衛として衛兵達が並ぶ中、領主の来訪に誰もが礼を尽くし言われる前に扉を開けた。元は玉座の間とされていたその部屋が、今ではたった一人の来客の為だけの用途を変えられていた。
部屋の主である筈の〝領主〟により、たった一つの無礼にもならぬよう配慮を尽くされた結果である。
どうぞ、こちらですと。案内をする領主の言葉に被せるように、部屋の中から別の声が放たれた。
「あ゛あ゛~~……やぁっと来ましたがぁ゛」
ケラケラとせせら笑う声は濁っていた。
大きな部屋の真ん中に置かれたベッドは、彼をこの部屋へと移すことが決まった時に用意された新品だった。しかし今では、消毒液や自らの膿や汗等の体液で汚れたそれは何度シーツを変えようと臭いも消えない。
ベッドから自力で起き上がることも叶わない彼は、それでも圧倒的優位を飾るように口端を引き上げ笑った。ベッドで寝たきりの身であることにも関わらず、身嗜みだけは毎日整えられた男は天井を向いたまま音だけで誰が来たのかを悟っていた。深紫の畝った髪が右に流され、掻き乱したくても今の自分の身体ではそれも叶わない。
全身に包帯を巻かれ、領主の手で集められる限りの優秀な医者の手により治療を施された。今の彼は、薬と時間をかけるだけである。
骨が折れ、更には応急処置が遅れた為に全身の傷が腫れて膿み、完治こそ約束されても今は自身だけの力で水を飲むことすらままならない。
「お会いしだがっだですよ゛ォァ……父上」
重傷を負った彼のベッドへと、案内した男は早足で歩み寄る。
ベッドの横には同じく包帯に巻かれた女性もいた。ベッドの彼と比べれば傷も浅くはあるものの、フードの下の片腕は骨が折れ一時は関節も外れた彼女も包帯を巻かれた姿は痛々しい。しかし、彼のようにベッドで休まされることもなければ本人もそれを求めなかった。
〝属州〟とはいえ、弱り切った彼を警護するべく単身でナイフを構え警戒を続けていた彼女は睡眠すらまともにとっていない。他に休息を命じる権限を持つ者も、彼女を想ってそう命じてくれる者もここにはいなかった。治療が許されたことだけでも、いつもの主人の言動を考えれば信じられない程の譲歩である。それほどまでに、今の彼女は主人にとって手放し難い。今まで都合の良い使い捨ての秘密道具だった筈の彼女はひと月前から
崩壊する塔と爆破から生きたまま主人を回収し連れ帰った功労者となった。
「アダム……‼︎」
ラジヤ帝国皇帝アルフは、腹の底から噛み締めるようにその名を呼びつけた。
第一皇子にして、第一王位継承者であることも認められた皇太子。彼がラジヤ帝国の属州であるその地へティペットにより連れられたのは、ひと月ほど前のことだった。
傷を負い、肩を借りなければ歩くことすらできない彼を連れ、地下の抜け道で国外へと逃走を果たすことができたのも全ては彼が連れ歩いた女性の功績である。
塔とプライドと共に果てることを覚悟した彼だが、爆破の衝撃も崩落する瓦礫も全て彼女の手により透過された。落下の衝撃こそ双方を打ち付けたが、その後地下を歩き逃走するまでに降ってきた瓦礫も崩壊により塞がれた筈の地下道を通ることができたのも、彼女の能力があってこそだ。
何十時間も掛けてフリージア王国秘蔵の道を歩き続け、温度感知の特殊能力を持つ騎士を含む追手もすら躱し国外から見事主人をフリージア王国から近いラジヤ帝国の属州へ連れ帰った。ラジヤ帝国のどれほど優秀な戦士でも叶わない芸当である。
フリージア王国に近接したその属州は、百年以上遥か昔から〝国〟の概念を失ったラジヤ帝国の支配下である。ティペットの能力により領地内へすんなり侵入を果たし、気を失ったアダムの代わりに彼女が彼の持つラジヤ帝国皇太子の証を示した。それさえ見せつければ保護に行き着くのも簡単である。
王族の馬車でもひと月以上掛かるとはいえ、〝自国〟の皇太子の顔を知らないわけがなかった。特に、つい最近フリージア王国とラジヤでの和平違反行為があったことは当然広まっていた。
大した国力もなく、遠い昔から本国へ定期的な資源と資金の供給だけの為に飼い慣らされていた彼らはフリージア強襲の戦力にすら数えられなかったが、今のアダムが身を隠すにはこれ以上ない地だった。後は皇太子保護の知らせを領主の命でラジヤ帝国本国へと使者を走らせるだけだった。
フリージア王国からラジヤ帝国敗北と条約再締結の為の即来訪命令を送りつけられ急ぎ国を立ったラジヤ帝国軍と合流することも難しくはなかった。……そして、それがなくとも
「会いたかったぞ‼︎我が最愛なる息子よ……‼︎」
皇帝アルフは、フリージア王国近辺自国を総動員してでもアダムの生存の可能性に盲進するつもりだったのだから。
先ほどまで氷のような冷静さを保っていた皇帝は、両手を広げてアダムの生存に声を響かせた。目をぎらぎらと輝かせ、喜びのあまり涙で湿らせ水浸しの顔を露わにし感激に肌を紅潮させる。これが純粋な親子の再会であれば間違いなく感動の一幕であったが、この場でそう感じているのは皇帝ただ一人だけだった。
化け物の国と囁かれた絶対的不可侵であるフリージア王国を敵に回し、大国の名を貶め、フリージア王国へ膨大な賠償を誓約させられた原因でもある皇太子は本来であればこの場で処分されてもおかしくない立場である。
フリージア王国を支配下に置くことは長年のラジヤ帝国の悲願ではある。いつかはフリージア王国の民を手中に収めるべく本国が動いていたことも事実。その為に第二王女の誕生祭と共にアダムがまた秘密裏に暗躍することも事前に皇帝や上層部は把握していた。しかし、フリージア王国の近隣にある支配下国を動かし、急遽侵攻に動いたことを本国が知らされたのは全てが終わった後だった。
ラジヤ帝国歴史に残る大敗北と恥を知らしめた皇太子。
これが、アダムではなく他の子ども達であればどれほど可愛がっていようとも皇帝は躊躇いなく粛清をしていた。冷酷且つ残忍な皇帝は今までも、自分の側室公室も血が繋がる我が子も関係なく処分し、水面下での殺し合いも黙認していたのだから。
しかし、この世でたった一人アダムだけは誰の目から見ても異常と呼べるほど唯一の寵愛を受けていた。
こうして自国の地位も国力も貶められたにも関わらず、アダムの生存を知った皇帝はそれ以外はどうでも良くなっていた。
フリージア王国の女王に和平反故の罰則を突きつけられた時ですら、今すぐフリージアに勘付かれることなくアダムの元へ帰る為ならばと躊躇いなく条件に頷いた。全ては可愛い可愛い我が子との再会と安全の為である。
「嗚呼っ……可哀想なアダムよ。さぞ痛むだろう⁇すぐに本国へ連れ帰ってやろう。安心しろあの化け物共はお前は死んだと思っている。生存を隠し、機会を図って傀儡を立てよう。ラジヤ帝国を担えるのはお前しかいないのだから」
「……。感謝致じます、父上゛。ですが、その必要はありまぜん」
劇中かのように大袈裟に自分を労り、涙を流しながら笑顔を向ける父親にアダムの頭は静かに冷える。
十年以上前から自分の父親となった権力者に、彼自身は親子の情など欠片もない。今も言葉こそ親で皇帝である相手に形を保っているが、実際は彼もまた自分の傀儡でしかない。
特殊能力を受けて狂気に墜ち、血の繋がっていない自分に何でも与え言うがままに動く男に成りはてた皇帝に、情を持つわけもなかった。
本来自分は、亡き本物の〝アダム〟に使い潰される為だけの〝教材〟でしかなかったのだから。そこで自分へ情が移ったわけでも、助けてくれという命乞いを聞き届けてくれたわけでもない。ただ、自身の特殊能力で都合の良い存在に墜ちぶれただけの権力者である。自分が実権を握り、その上でラジヤの国力も落とさず好きにできる為に生かされているだけの人形でしかない。
今すぐにでも寵愛する我が子を国へ連れ帰ろうとする皇帝の誘いを断るアダムは、天井を見上げたまますぐそこにいる父親へ目も向けなかった。視界に入れる価値もない存在に、ただただ自身の望みを告げていく。
濁り痛んだ声に、皇帝だけでなくその場にいる全員が息も潜めて音を消した。一音でも皇太子の声を遮れば首を跳ねられることは全員が知っていた。目の前で信じられない目的を語っていくアダムにさえ、誰も異議を唱えるどころか表情に出すことすら許されない。
「わかった、わかった。お前が望むならばそうしよう。欲しい物があれば何でも言うが良い。お前が戻ってくるのをラジヤ帝国はいつでも歓迎するぞ」
感謝致します、と。言葉を返したアダムは、壊れた顔でニタリと笑った。
フリージア王国に気付かれないように細心の注意を払い、定期的に行き交う〝資源〟に彼への救援物資を何でも用意させることを約束した皇帝はその後も我が子を労り続けた。
その様子を異常だと、政治面では冷静で残虐ではあっても間違いない判断を下す皇帝が、何故アダムに対してだけはそこまで許すのか。誰もが疑問に思うが、口にはしない。
今回のアダムの失態は大きいが、同時に彼の功績も嫌と言うほど彼らも知っている。
大国の皇太子として特別な教育を受けた彼は、素行以外間違いなく皇太子に相応しい実力を併せ持っている。頭脳もそして戦闘での技術も申し分ない彼が、政治や侵略、奴隷産業に関わるようになってからは〝何故か〟短期間で全てが自国へ優位に進むようになったのだから。
支配下も増えれば奴隷も増え、ラジヤに反抗する国は全て属州へと落とされ領土も世界中で増え続けている。そんな彼を皇帝が手放したくないのは無理もない話だと、各々が頭を納得させた。そうでなくとも、今ではアダムは皇族〝唯一〟の皇子だと思えばそれも納得を手伝った。彼が皇帝と血も繋がらないフリージアの民であることを知るのは、ラジヤ帝国の上層部だけである。
その後も父親自らアダムから尋ねられるままに、フリージア王国との条約再締結から最新の情勢をこと細かに語り尽くした。
本来ならば補佐である者に任せることだが、今は生憎補佐となる立場の席が〝空席〟であることと、皇帝自身がアダムとの時間を欲しがった。
このひと月でプライドの生存はティペットを使って情報だけは手に入れた今、条約反故による自国の損失はどうでも良いが想定以上にふっかけてきやがったなとアダムは思考する。
プライドを奪いかけた自分の首を晒せなかった分かと見当づけながら、最も引っかかったのはフリージア王国民の奴隷返還だった。
今まで少しずつ高値で掻き集めてきた奴隷を、表向きは全てフリージア王国へ返還しなければならない。
勿論、それを全て馬鹿正直に守るつもりはアダムにも皇帝にもない。しかし、これで表立っての所有や大手の売買ができなくなったことは奴隷国家であるラジヤには大きな痛手だった。しかも本国だけではなく、ラジヤの支配下国全てである。
アダムの望みが済むまで付き添い続けたい皇帝ではあったが、彼は本国へ帰らなければならない。これから〝表向き〟は、フリージア王国出身の奴隷全員返還の命を下し、準備を進めるのも皇帝である彼の仕事の一つである。
出国するまで、皇帝は殆ど一日中アダムの元で付き添い続けた。皇太子の思いつきも望みも全て叶えられるように耳を立て、本国に戻れば全て実行できるようにと企てる。
予定通り国を去る時でさえ、他国の密偵にも気付かれないように厳選した主力兵士達を彼への護衛として置いていった。そして本国へと帰るまでの長い道のりにいくつもの自国を経由しながら
〝身を潜め療養に努める我が国の皇太子の手足となれ〟と、皇帝自ら命じ巡った。
愛しい愛しいアダムの力となり、相応しく後継者として仕立て続けること。
それこそが皇帝の全ての原動力であり、アダムが〝後継者〟として不足であると認めた瞬間、己自身が壊れるのだから。
ただ、傀儡となるしか道はない。
Ⅰ622.626.517-幕
Ⅱ80.95




