Ⅱ143.騎士隊長は回り、
「さて。……次は高等部から見回るか……」
タン、タンと歩きながら、カラムは指先で前髪を押さえる。
いつものように自身が講師する二限三限の開始時刻より早めに学校に到着した彼は、職員室で挨拶後に早速校内を見回っていた。前日に教師達へ進言した通りの校内見回りである。
取り敢えずは下から順々に中等部から見回りを終え、次は高等部へと考えながら足を動かす彼は今はいくらか気楽だった。今日の学校には護衛対象であるプライド達がいない為、近衛騎士としてよりも学校講師としての意識に集中できた。
明日に控える第一王子であるステイルの誕生祭。
その為に主役であるステイルだけでなく、プライドも少なからず前日準備や確認、そして学校についての進捗報告の打ち合わせがある。その為今日と明日は学校での潜入は控え、城内に留まっている。
単純に王族としての準備もあるが、ステイルの誕生祭の為に城内のみならず王居でも人の出入りが増える状況で、第一王女がいつものように姿を見せなければ不審に思われる可能性もある。王居内で働く関係者と上層部の極一部の人間以外、プライド達の極秘視察は知られていない。
ただでさえ数ヶ月前にプライドがラジヤ帝国に襲われたという事件があった今、少しでも彼女への噂に波を立てるわけにはいかない。まさか貴族どころか平民に紛れて学校に潜入視察をしているなど言えるわけもない。
万が一にも他の上層部や貴族に知られれば、今こそお近づきになる機会と言わんばかりに正体を隠す彼女を捜し回ることは目に見えている。髪型や年齢を誤魔化しても第一王女が隠れているという事実さえ知られれば、プライドの外見は黙って座っているだけでもすぐに気付かれてしまう。
「!これは騎士様……いえ、カラム隊長。時間前にありがとうございます」
下の階から見回りを再開する為に階段を一階まで降りきったところで、二限の授業準備の為に担当教室へ向かう講師がカラムに頭を下げた。
今でこそ〝講師〟として所属している為、教師とも打ち解けているカラムだが本来は騎士である。〝騎士様〟と敬われる存在でもある騎士、しかも隊長格である彼はやはり同僚である教師講師にも腰を低くされることが多い。
畏れ多そうに頭を下げてくる女講師にカラムは手を軽く上げると「おはようございます」と言葉も返した。
「いつもお疲れ様です、エイダ先生。何かご心配や気になることなどはありませんでしたか」
「ええ、お陰様で。教師の方から聞きました。カラム隊長自ら見回りを名乗り出て下さったと」
警備のお仕事でもないのに。と続けながら深々と頭を下げる教師にカラムは一言で返した。
職員室で明言した彼の自主的な見回りは、既に教師間で評判になっていた。元々自分達と違い城から直々に特別講師としてひと月だけ呼ばれている彼が、わざわざ雑用に近いそれを無償でやってくれることはありがたい。更にはそれを全く鼻にもかけず「民を守る騎士として当然のことです」と断る彼は、まさに民の理想の騎士像そのものだった。
いえいえそんな、本当に、と。畏れ多そうに頭を何度も下げてくる講師にカラムは「これから調理室でしょうか」と話題を変えた。頭を上げる講師も、両手に抱える料理本と調理室の鍵を握りしめたまま言葉を返す。
「やはり調理室が一番私には落ち着きますから。以前のように空き教室を無断で生徒に使われでもしたら大変ですし、………………来月からは救済すべき強敵が選択授業に現れるかもしれませんので」
最後は僅かに歯切れを悪く呟く講師はそのまま掴む手に力を込めた。
一体どういう意味かとカラムは瞬きを繰り返したが、それ以上は追求しなかった。あまりにも意味深な言い方ではあるが、〝強敵〟と良いながら〝救済〟ということは悪い生徒ではないのだろうと考える。
ただ、それを語る講師の表情はまるで戦へ出陣が決まった騎士達とも重なるものがあると思う。そうですか……と返しながら、宜しければ調理室まで荷物を運びに付き合おうかと進言したカラムだが、講師は方角が違うからと丁重に断った。
彼女だけではなく己が授業専用の担当教室を保つ講師は職員室ではなく、空き時間に籠もることも多い。単純に次の授業準備の為と自分の大切な教室を荒らされないようにする防止策であると同時に、生徒が訪れるまでは自分だけの個室になるそこは彼らの聖域でもあった。
そして今講師であるエイダは、先日自分の授業で出現した怪物級の料理下手少女が再び調理室に足を踏み入れた時を鑑み、調理室に籠もっては戦略を立てる日々が続いていた。
彼女の為だけではなく、彼女をまともに一人で料理をさせることができる指導方法を見つけ出せれば確実にどんな生徒でも完璧に教えられる筈だという確信が彼女にはあった。今まで料理が好きで当然のように携わり生きてきた彼女にとって〝料理をしたことがない〟程度は想定の内でも、料理で食材惨殺事件を起こす生徒の存在は色々な意味で衝撃だった。
それでは、と礼をして足早に去っている講師の背中を見送ってからカラムは再び見回りを再開する。やはり教師講師は誰もが大変だと思いながら、彼らに頭が下がる思いになる。
家庭教師などの経験者ならまだしも、専門授業を担当する講師は一度で大勢の生徒に教えるという経験が無い者も多い。その中で毎日試行錯誤を繰り返しては自身の授業を展開している。自分のように先代騎士隊長、副隊長という素晴らしい見本に恵まれたのとは全く違うと思う。
─ 彼らがより万全の体制で働く為にも少しでも力になれれば良いのだが。
そう思いながら、カラムは中等部と同じように教室を一つ一つ確認する。
授業で使用中の教室は窓から安全だけ確認し、次へと向かう。使われていない教室であれば施錠されているか手を掛けて確認し、耳を当てて中の安全も確かめる。万が一にもプライドの事件のように内側から施錠してとんでもない行為が行われていれば見逃せない。
今のところ中等部は全て問題なかった。少なくともプライドが過ごす中等部では治安がある程度確保されているらしいことにカラムは胸をなで下ろしたが、それでも完全には気は抜けない。高等部や他の棟で治安が悪化されていればそれは自分達が守るべき民にも被害があるということなのだから。騎士である自分が守るべき生徒はプライドたった一人ではない。
二階へ上がり、また確かめる。高等部の一年の教室になると、使用されている教室数も一教室における生徒数も中等部より少ないなと目で確認する。中等部と違い、今年十六から十八歳になる彼らの場合はやはり仕事を優先される者も多いと考える。勿論より良い職場斡旋を得る為や見識を広げる為に通う生徒や、中には社交や出会いの為に同年代が集まる学校に通うことを決めた生徒もいるが、女性であれば十六になり成人として早々に結婚して家庭に入る者も多い。
男性も結婚すれば家庭を顧みる為に一日中仕事に従事しなければならない。成人してから身を固めた者ほど学校に通うことは難しい。ある意味、特定の相手がいない同年代且つ妙齢の男女が集まる高等部はそういう意味でも計らず機能している場だった。
以前、ヴァルやステイル達からも聞いた通りに出逢い目的の輩が増してしまうことも当然かもしれないとカラムは考える。そこでどのような振る舞いをするかも本人達の責任だ。
本来は学びの場である学校で、もし秩序を乱す行為を犯せばその時は許されない。
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