Ⅱ141.双子は付いて行く。
「「おはようございますセドリック様!」」
姉さんと別れた後、教室に鞄を置いた僕らはいつものようにセドリック様を高等部の玄関口で待った。
……〝いつものように〟なんて。妙な感覚だなと思う。二人で行けるわけのない学校の中を並んで歩いて、高等部で王族を待っているんだから。ひと月前までの生活からは想像もできない。
待っている間にまたディオスが今日で十回目以上の同じ言葉をぼやいたから、溜息を吐きながら指摘して口喧嘩すれば時間なんてあっという間だった。特別教室や高等部の人達の視線も二人だと特に気にならないし、顔を見られたり振り返られても少し鼻が高くなるだけだ。肩身が狭かった筈の指定位置に今は当然のように立てている。
そしてやっぱり生徒の登校数が増えてきたところでセドリック様は現れた。もう本当にそれこそいつものように、大勢の生徒の注目と黄色い悲鳴を独り占めしたその人は二人の騎士を率いて僕らに軽く手を振る。
今日は背後にいる騎士が違った。いつもの黒髪の騎士と、あとあのアラン隊長とかいう騎士がいないことだけ不思議だったけれど、背中で手を結んで頭をディオスと一緒に下げれば「待たせたなディオス、クロイ」と明るい声で呼んでくれた。未だにその姿や覇気の煌びやかさには目がチカつくけど、存在自体には少し慣れたかもしれないことに自分で驚く。
今日も天気が良いなと笑ってくれたセドリック様の鞄を騎士から受け取ろうとすれば、先に飛び出したディオスが受け取った。……昨日も自分が持ったくせに。
「昨晩はどうだった?良い夜になったか?」
はい!と、また言葉が重なった。
そのままディオスが「すごいんです!家が」と堂々と言いそうになったから横から口に手で蓋をする。モガッと声を漏らしたディオスに文句を言われる前に「なに言おうとしちゃってるの」と耳打ちすれば、ビクリと肩が上下した。本当にディオスはこれだから。
ただでさえ、セドリック様とジャンヌ達の関係は秘密の約束だ。それにジャンヌ達から自分達が関わったこととか、昨夜のフードの男とか特殊能力とか、それに家を直してもらったなんて意味不明なことは秘密にするように言われている。まぁ言っても信じてもらえないとも思ったけれど。
でもこの前の授業で特殊能力者は正体を隠している人も多いと聞いた。ディオスもそうだけど、あのフードの男みたいな能力だったら余計に色々狙われて大変なんだろうなと思う。
僕の言葉でやっと止めた理由を理解したディオスが落ち込むように肩を落としたから、それに合わせて手を離す。セドリック様が「なに、軽い世間話だ気にするな」と追及することなく察してくれた。
僕らが頭を下げて肯定すると、片手で受けてくれたセドリック様は言葉を続ける。
「いや、謝る必要はない。是非、今度機会があった時にでも聞かせてくれ」
ここでは人目があるからな、と言いながらセドリック様は高等部の階段を登り始めた。
王侯貴族の一年から三年まで所属する高等部専用の特別教室はこの五階にある。最初は息を切らせることも多かった僕らだけど今はこれも慣れてきた。王族の人達にこんな昇らせて良いのかなと思ったけれど、安全性の高さと身分の高い家の人達を僕ら平民より下の階の部屋を使わせることの方がずっと問題になりやすいと、前に選択授業の講師が話していた。確か、貴族や富裕層階級の使用人をする上での授業だ。
僕らの知らなかった上級層の常識は、結構楽なものばかりじゃないんだなと思った。僕だったら絶対誰が上の階でも良いから楽して疲れず通える一階が良い。大体、帰りだけじゃなく学食だって一階だし、その度に降りるのも疲れ……、いや。普通は貴族とか上級層の人達は学食使わないんだった。
庶民と同じ空間で食べるとか、同じ品質の物を食べるとかも倦厭する家柄もあるらしい。それに身分がある人だと毒殺とかの危険もあるとか、庶民の舌に合う料理を美味しいと思っても恥だとか。だから特別教室の人は普通は学食じゃなくて持参が多いらしい。
確かに学食に現れる特別教室の人も持参が多いし、来ているのも学食じゃなくてセドリック様目当てが多かった気がする。……そのセドリック様は普通に学食を僕らと一緒に食べて美味しいと言っているけれど。
学校とかフリージア王国に許可は取っているらしいし、その為の僕ら毒味役だけど、……やっぱりセドリック様は普通の王族とは違うのかなと思った。いくら許可を取っているからってああいうのに躊躇いがないって王族としては変わっている気がする。まぁ、僕らがお近付きになれた王族なんてセドリック様くらいだけれど。
「あのっ、でも、今度……って、ええと……」
僕と並んで階段を登りながらディオスが小さく口籠る。
フードの特殊能力者のことは隠しても家が綺麗になったことは話したくて仕方がないディオスは、いつなら言えるか考えているんだろう。でも、正直無理な話だなと思う。
だって僕らがセドリック様と一緒にいるのは朝の時間と昼休みだけ。その間は話し掛けてこそこないけれど、いつも大勢の生徒がこっちに注目して聞き耳を立てている。そんな中でこっそり僕らとセドリック様とだけで話す機会なんてない。しかもセドリック様はあとひと月もしない内に
「なに、焦ることはない。〝ひと月後ならば〟聞ける機会はいくらでもある」
……あれ?
先を登りながら、ハハッと笑って言いのけるセドリック様に僕は首を傾ける。聞き違い?
セドリック様を見上げた後にディオスを見れば、ちょうどお互いに顔を見合わせる形になった。
え?え⁇と、僕もディオスも一音ばかりが零れちゃう中、踊り場まで階段を登り切ったところでセドリック様は振り返った。僕らが返事をしなかったから不思議だったのかもしれない。
首を傾げ、僕らを見るなり「どうした」と両眉を上げるセドリック様に段差の途中で足が止まってしまう。セドリック様の傍にいる騎士も続けて二人足を止める中、僕はなんとか頭を整理しながら確認をとる。
「あの、セドリック様。確か、セドリック様はひと月で学校には来られなくなるんじゃ……」
そしたら一生もう話せない。
その前に話してくれという意味かなとも思ったけれど、どっちにしろ会う機会は人前だ。
問いかけた僕にディオスもコクコクを頷き続ける中、セドリック様は気が付いたように「!あぁ」と視線を浮かすと「すまんすまん」と苦笑するようにして僕らを見直した。
階段の段差で元々背が高いセドリック様が更に高い位置で僕らを眩く見下ろす。窓からの光が黄金色の髪に反射して、本当にセドリック様自身が僕らを照らしているかのようだった。思わず眩しくて目を絞る僕らに、何でもないことのように言葉を続ける。
「俺としたことが、つい話を先に進めてしまった。先ずは返事を聞かせて貰わねばならないというのに」
すまない、とまた僕らに謝ったセドリック様は、その場で二段下にいる僕らへ手を差し出した。
黄金色と太陽光が合わさって逆光しているようにセドリック様の姿が影になる中、はっきりとその声だけは明確に僕らの耳へ降り注ぐ。ディオス、クロイと改めて名前を呼ばれた僕らは、差し出された手へ意図を考えるより前に見つめてしまう。
逆光から逃れたその手は大きく、はっきりと僕らの視界に広がった。
「プラデスト卒業後、俺の元に来ないか?」
……頭が、真っ白になった。
言葉の意味が、表面上だけは理解できたのに飲み込めない。ぽかんと口が空いたまま差し出された手だけをただ見つめることしかできなかった。
手摺りがなかったら、うっかり頭から転げ落ちてしまいようなほどクラクラと目眩までした。どういう意味ですか、と聞こうとしても口が動かない。
「どういう……意味ですか……?」
ディオスの方が先だった。
穴の開いたような声で言うディオスは、多分まだ僕と一緒で飲み込み切れていない。それでもセドリック様の誘いの意味を早とちりせずに確認しようとするディオスに、また小石のような気軽さで思ってもみなかった返事が投げられる。
「?すまない。説明不足だったか。実は俺がこの国に移住したのは、元はと言えば国際郵便機関という新機関の統括役を任されたからなのだが。その国際郵便機関というものが先ず……」
いえそこじゃありません。
そうは思うけれど、口が動かないまま国際郵便機関がどういう機関でどういう形態でどういう人員配置や役職を考えているかとか聞かされても殆ど頭に入ってこない。その名前はセドリック様から聞かされる前にも聞いたことはあったけれど、僕らが確認したいのはそこじゃない。
茫然とする僕らは、話を遮ってまで言及することができない。それより先にセドリック様の話が核心まで進んだ。
「……それで、近々人材募集も始めることになっている。お前達は卒業後で構わん。共に国際郵便機関で働いてはくれないか?職務内容はその時のお前達の能力によるが、要望は出来る限り考慮しよう。俺としては事務等の書類仕事を補佐してくれれば助かるが」
国際郵便機関。
世界初の新機関。学校と同じ、同盟国がどこも注目する機関。フリージア王国が運営する新機関。上司がセドリック様で、僕とディオスがそこで働ける?学校を卒業したら、そんなすごいところで働ける?
「流石に四年以上後の進路など、口約束では不安だろうとも思う。だから勉学の妨げにならなければ、俺の体験入学後からは休日だけでも月に数度、宮殿で俺個人の〝使用人〟という形で働いてみるのはどうだろうか」
……ちょっと待って。やっぱりまだ頭が追い付かない。
いま、セドリック様〝宮殿〟って言った?宮殿ってあれでしょ、王族とか国の上層部が住む、城内にある専用の屋敷みたいなもので。つまりは僕達が月に何回かあの城で
「給料は少ないが、相応の額は約束しよう。〝実績〟という形でも将来的に国際郵便機関で働く上で悪くはない。何より定期的に会えれば、お前達も俺に約束を忘れられる不安もないだろう?」
当然忘れはせんが、と続けながらセドリック様は逆光の中で笑っていた。
髪ごと頭を振った拍子で、太陽が逸れたセドリック様の笑顔は朝焼けよりも眩しかった。不安もなにもセドリック様が僕らを騙すわけがない。……もうこの数日で、怖いくらいそう確信できてしまう。
その後も「お前達も勉強があるだろう」「フリージアの民であるお前達の意見も聞きたい」「使用人といっても大した仕事ではない」「俺からも丁寧に教えるように言っておこう」と続けてくれる中、もうセドリック様の言葉が次から次へとぐるぐる回って本当に卒倒しそうだった。
だって僕らは庶民で。何の技術も知識も何もない、王族の使用人なんてそんなことができるような特別なものは何も
「昨日、ローザ女王と学校創設者であるプライド第一王女にも確認と許可を得た。学校の〝特待生〟であるのならば今から期待もできる。将来的に郵便機関でと見通しならば、今のうちに俺の元で働くのも悪くないと了承してくれた」
特別……。
それを、いつの間にかもう得ていたことに呼吸も忘れた。
〝生徒〟〝特待生〟……それが、僕らの今持つ〝身分証明〟だ。身体もひょろひょろで、格好良い仕事もしたことなくて、身分もお金もない筈の僕らが手に入れた与られた〝証明〟と、……〝信用〟だ。
頭が、視界がぐらぐら揺れる。お腹がぽっかり空いたようで足元がふわふわおかしい。心臓を意識するとその途端に収縮が大きくなりそうで服越しに鷲掴んで押さえた。
特待生という言葉がここまで大きな強みを持つなんて想像もしなかった。
「返事はすぐにとは言わん。だが、俺がプラデストを去る前に聞かせてくれ。そして前向きに検討してくれれば嬉しい。……お前達とここで終わるのはあまりに惜しい」
そう言って眉を寄せながら笑うセドリック様に、本気で込み上げた。
中心から熱が広がってくるみたいで、指先がはっきりと震えたのがわかった。セドリック様がそんなことを言ってくれるのが身に余りすぎて、大きな感情しか機能してくれない。
学校にいられて特待生になるだけでも終わらない。僕らの未来がその先も続いていくのだと、光を注がれ示される。
息を引く音がディオスから聞こえた。僕も口の中を噛んでから手摺りを握る手に力を込める。ディオスと目を見合わせる必要もない。お互いの意思はちゃんと知っている。だって僕らは双子なんだから。
やります、と。
その声が、一つの声みたいに重なった。
上擦り方も、声量の抑揚も全く一緒。感情の勢いのまま差し出されたセドリック様の手を僕らは同時に掴み、握り返した。躊躇っていた段差に足を掛け、一段先に登れば今度は逆光にならずはっきりとセドリック様の顔が見えた。
少し驚いたように目を丸くしたセドリック様が、僕らが近付くとすぐにその顔を緩め出した。
そうかそうか、と。本当に嬉しそうに笑うセドリック様は一度強く僕らを握り返すとすぐまた離した。並んで低い位置に居る僕らへ両手を広げると、片腕ずつ回すように肩を抱き締めてきた。
パンパンッ。
回した手だけで背中を叩いてくれたセドリック様は「感謝する」と、こっちがお礼を言う筈なのに逆にそう言った。そして言葉が出ない僕らを置いて、腕ごと身を引き背中を向けてまた振り返る。
「期待しているぞ、ファーナム兄弟」
その言葉が、まるで勲章でも与えられたように誇らしかった。
この人にこの先ずっと付いて行けるんだという幸福に、階段を登る足が羽根が生えたかみたいに軽くなる。胃の中が浮くように気持ち悪いようで、それ以上にもう今なら空でも飛べるんじゃないかと思う気持ちになる。
僕らは約束された。この先の未来を王族に。学校に行けるのが今は当たり前のようになってる僕らは、いつかは城に通うのまで当たり前になるのかな。
ディオスと一緒に、この国で最も立派な場所で、セドリック様の元で働けてそして、……もしかして、と。
はい‼︎と喉を張った階段中に響く声は、きっとディオスよりも僕の方が煩かった。
Ⅰ324
Ⅱ120.130




