Ⅱ139.次席生徒は考える。
「ディオス。……もうそれ何回目?」
隣でずっと同じ事をいうディオスに、僕はわざと溜息を混じらせる。
呆れてるのをわかるようにしてみれば、ディオスはすぐに僕へと顔ごと振り向いた。「そんなに言ってない!」と唇を尖らせるけど、絶対もう覚えているだけで八回は言ってる。まだ学校にも着いていないのにこれじゃあこの後はもっとだと思うと今から疲れる。
姉さんもディオスの向こうでクスクス笑ってるし、認めてないのは本人だけだ。その後も違うと言い訳ばっか言うディオスを無視して姉さんに投げかける。
「姉さんは本当に僕が鞄持たなくて平気?いつもみたいに持つのに」
「ううん、平気よ。昨夜もぐっすり眠れたし、少しずつできることも増やしたいの」
本当に少しずつだけどね、と肩を竦める姉さんは確かに顔色も良かった。
生活が良くなった事もあるけれど、最近は色々あって本当に姉さんが調子の良い日が増えたなと思う。今朝もスープは飲めたしパンも一口囓れてた。しかも昨夜のお陰で、……寝る時は本当に静かだった。
どこもパキパキ言わないし、隙間風も入らない家は本当に室内なんだなと実感できた。もう、音がする度に強盗が来たんじゃないかとか姉さんが起きたのかなとか雨が降ったのかなとかまた壊れたとか心配する必要がないのは本当にすごい。
快適、ってこういうことを言うんだなと思った。その所為で雨の日とか風の日とかが今は少しだけ楽しみで、まだ暖かい季節だからこれくらいだけど冬になったら凍えることもなくなるのかなとか考えると嫌だった季節まで楽しみになった。
生活が変わるとそれだけで世界も変わる。
目が覚めて、家の中を歩き回る度に昨夜のことが夢じゃなかったんだなと何度も思った。
扉は全部閉まるし床は音が鳴らないし窓の外を眺めたら井戸まで開けた庭がある。今度の休みには植えるようの花を摘もうと約束した。
今日は取り敢えず勉強が終わったら屋根の塗り替えか井戸の汲み上げ掃除だ。次の奨学金が出たら今度こそ自分達用のノートとペンも買いたいけれど、それまでは先ず勉強の方も優先しなきゃいけない。いつまでもジャンヌに頼るわけにいかないし、他の子だって僕ら以上に勉強する子はたくさん居る。今の状況をたった半年だけの生活にしたくない。
「ディオス。今日も授業終わったら復習するから。ちゃんと起きててよ」
「当たり前だろ!昨日だってちゃんとぐっすり眠れたし、朝だって……」
「嘘。昨日ジャンヌ達が帰った後もずっと部屋で煩かったし。次やったら部屋移るから」
しないけど。
今までだって雨漏りしてない部屋が他にあっても別段変えなかった。だけど、そう言ってみればムキになったようにディオスが言葉を詰まらせた。
だって昨日は色々あったしと言うディオスだけど、それは僕も姉さんも同じだし、ずっと「すごい静か!」「なぁ他の部屋は何に使う?!」「壁は何色にする?!」とベッドの上で足をバタつかせていたのもディオスだけだ。ベッドは新しくなってないのに暴れるから、下段の僕は良い迷惑だった。お陰でぐっすりは寝れたのに寝付くのはすごく遅くなった。
ディオスと言い合いながら歩いていると、いつのまにか校門に着いた。門は開いていたけれど、僕ら以外に生徒はいない。
ディオスと三人で学校を行来するようになってから、驚くくらい時間が経つのが早い。姉さんと一緒の時は騒ぐ人がいなかったからこんな話も続かなかったし、大体僕も姉さんもあまり話さない。それに歩くだけで体調が心配になる姉さんにあまり会話もさせたくなかった。
「今日も二人はセドリック様を待つの?」
高等部の棟に別れる前、そう聞かれて僕らは頷いた。
昨日セドリック様がこの先も従者役をして良いと言ってくれたお陰で、この先も僕らは仕事をさせてもらえることになった。元々は僕らを見分けて貰う為にジャンヌが頼んだらしいし、もう同調しないならわざわざ庶民の僕らをお傍に置く必要もないかなと思ったけど。
『セドリック様!……僕ら、まだお仕事させて頂いていてもいいですか……⁈』
そう言ったディオスにセドリック様は快諾だった。
あまりにも思い切り過ぎたことを言ったと最初は思ったけれど、そのまま「お給料はいりませんから!」と続けるディオスに僕も止める気は湧かなかった。
ディオスがそれを言う前にセドリック様から「もう俺に構う必要もないぞ。姉君のことも心配なのだろう」と言われた時、多分僕もディオスと思ったことは一緒だったから。……そこでディオスは行動に移しちゃうからすごいけど。
セドリック・シル……なんとか王子。そういえばまだちゃんとセドリック様の名前を覚えていない。ハナズオの王族なんて殆ど聞いたことなかったし、いつも僕もディオスも周りの生徒もセドリック様とかセドリック王弟殿下って呼んでいた。
どうせ王族相手に名前を全部呼ぶ機会なんてないから良いやと思った。でも今は、……ちゃんとセドリック様の名前も知っておきたいと思う。結局ジャンヌと本当はどんな関係なのかはわからないけれど、庶民の僕達の為にあんなに手を煩わせてくれたんだから。それに……
「うん、待つよ!姉さんも慣れたらセドリック様に会ってよ!」
ディオスの言葉にええそうねと返す姉さんの声が、今度はちょっと小さかった。
昨日セドリック様と学食に行った時、姉さんも学食のどこかに居たらしい。特待生になれて学食が無料になったから初めて食べに来たらしいけれど、遠巻きでもやっぱりセドリック様は目立ってたらしい。
僕らまでは人混みに紛れて見えなかったらしいけれど、それでも声はちょっと聞こえたと話していた。セドリック様に恋はしていないと言っていた姉さんだけど、やっぱりセドリック様は遠目でも心臓に悪いらしい。僕らだって最初お会いした時にはたじろいだし気持ちはわかる。
でも、本当に姉さんのそれが恋じゃないのかは結構まだ心配だ。セドリック様は女性に凄く人気があるし、同性の僕らから見ても格好良いし、王族で尚且つ性格も良い。こういう人を女性は皆好きになるんだろうなと思ったし、何でも手に入る人っていうのはこういう人なんだろうなとも思った。
セドリック様が本気になったらどんな女の人でも落とすことができるだろうし、姉さんに照準が当たったらすぐに姉さんも恋に落ちると思う。だから、正直僕はまだ姉さんとセドリック様は会って欲しいとは思えない。ディオスみたいに素直に信じて「大丈夫」とは思えないから。
昼休みと朝一緒に居るだけでもセドリック様の人気はすごいし、それに何より僕もディオスもセドリック様を……まぁ、慕ってる。僕も、多分どうせ結局は。だから姉弟である姉さんもセドリック様のことを知ったら好きになると思ってしまう。
「……ほらディオス、さっさと鞄置きに行くよ。じゃあね姉さん。もし何かあったら遠慮無く中等部に来て良いから」
「ええ、またねクロイちゃん、ディオスちゃん。お勉強も頑張ってね」
高等部と別れる区切りになって、ディオスの腕を引く。
姉さんが手を振ってくれたから引っ張られてよろめいたディオスと一緒に僕も振り返した。
僕らが背中を向ける前に「お友達にも頼るから大丈夫」と姉さんが言ったのを聞いてまたちょっと心配になった。昨日は少し女の友達も出来たと話していた姉さんだけど、基本的にまだ一番に上がるのはあのパウエルっていう奴だ。あの人もジャンヌ達が姉さんのことを頼んでくれていたらしいし、一応好きな人が居るみたいなことを言ってたけどどうにもまだ気は抜けない。
「なんだよクロイ!セドリック様は良い人じゃんか!姉さんだって絶対」
「好きになると思うから嫌なの。ディオスだって知ってるでしょ」
「それは!でも姉さん昨日はそんな風には思ってないって」
「そんなのこの先どうなるかまではわからないでしょ。セドリック様を嫌いになる人なんていると思う?」
「思、わない……けど」
でも、と口籠るディオスの声がしょげた。
目だけで振り返れば顔を俯けてわかりやすく落ち込んでいる。やっぱりディオスはそのまま姉さんが言うことを信じてたんだなと思う。まぁわかってたけど。
ディオスがセドリック様に懐いてるのは同調する前から想像できたくらいだし、セドリック様を姉さんに会わせても良いと思えたディオスが引き合わせたい気持ちもわかる。同調の影響はもう殆ど残っていない僕らだけど、お互いの記憶はまだ丸々残ったままだ。だから懐いた理由もよくわかるし、僕だって同じ気持ちになった。
だってあの人は同調した僕らを見分けてくれただけじゃない。面倒を見てくれただけでも、ご飯を奢ってくれただけでもない。あの人は
初めて僕らに共感してくれた人だったんだから。




