Ⅱ138.騎士達は墜落し、
ゴンッ。
「……お〜い……」
ガンッ、ゴン。
「……ステイル様、アーサー?」
ゴン。
「………………いや、だからさぁ……」
ドンッ‼︎‼︎
「どおしたんだよお前ら皆して‼︎‼︎」
どこかで既視感を覚える状況に、アランは頭の代わりにテーブルへジョッキを叩きつけた。
ファーナム家修繕後。当初の予定通りにアランの部屋へ飲みに来ていた彼らは、ジョッキに酒を注いだ時から既にぐったり力尽きていた。
本来であれば一番テンションを上げていたいアランも今は馬鹿騒ぎをする気にはなれない。それほどに空気が重く、彼らの疲労が酷い。エリックが頭をテーブルに打ち付け、部屋へアーサーと一緒に現れたステイルも既に肩が丸く眼鏡が曇り、自分達より大分遅れて合流したカラムはその時からずっと顔に熱が帯びている。
「さっきまであんなに機嫌良かっただろ?!」
ほら、飲め飲め。と手近にいるエリックへ先ずアランが酒を零さんばかりに注ぐ。
まだ三分の一程度しか飲んでいなかったにも関わらず更に足されたエリックは「ありがとうございます……」と力なく返すが脱力しきっていた。アランの部屋に入るまではいつもの調子のエリックだったが、席に腰を下ろし乾杯後に一口分飲み切ったところで一気に気が抜けた。
それでも深い溜息だけで誤魔化していた彼だが、アラン以外の全員が力尽きれば自分も引きずられるようにそのまま額をテーブルに沈めてしまった。
アランに肩へ腕を回され、どうしたんだよ?と吐き出すように促されればエリックはまた一口でジョッキの三分の一を減らしてから息を吐く。
「……もう、今日は今朝から色々有り過ぎまして。……こうして思い出してみても、心臓にも悪くて」
ハァ……、とまた息を吐き出すエリックは酒とは関係なく顔が上気する。
そのままアランに、言っちまえとせっつかれればとうとう語る口が開いた。いつもは止めに入るカラムも今は完全に戦闘不能の為、止める人間がどこにもいない。
エリックは目の前にステイルとアーサーがいることを悪いとは思いながらも、自分を口止めしようとせず頭を沈ませる二人の誠意に甘えることにした。
「……末の弟が、またプライド様にやらかしまして」
ハァァァァァ……、と長い溜息を吐くエリックは同時に顔が赤くなる。
簡単にだけ、弟のキースがプライドを寝ている自分の部屋へけしかけてしまった。あろうことか第一王女に起こして貰ってしまったという大事故を語る。エリックの憔悴ぶりと語り口に、それ以外の詳細は語られずともアランもカラムも大体は察せた。
うわぁ、それはっ……とそれぞれ言葉を零せば、アーサーとステイルが改まるように謝罪を返し出す。首を横に振って応えるエリックに、アランも同情して肩に手を置いた。
彼の性格上プライドに手は出さなかったのだろうということは聞かなくともわかるが、寝起きに自分の部屋どころか視界にプライドが飛び込むなど奇襲以上に違いなかっただろうと思う。アラン自身は本心で言えば軽く「良かったじゃねぇか!」と突っついてやりたい程度には羨ましい状況だったが、そのドッキリを仕掛けられたのが他でもないエリックのような善良な人間だった思うと発言を躊躇った。
自分であれば寝起きにプライドが居たら抱き締めるくらいはしそうだなと頭の隅で思いながら、発言は自重する。そんなことを言ってカラムに怒られる程度は良いが、確実にエリックの発熱を煽ることになる。可愛い部下をこれ以上追い詰めたくはない。
「弟さんはジャンヌの正体を知らないからな……」
カラムからもエリックもキースも悪くはないと、やんわりフォローが入る。キースがプライドに対してどんな勘違いをしているかは知らないが、エリックの弟で且つその語り口から考えても悪気があったわけではないのだろうということまで推察できた。
しかもアーサーとステイルまで交互になって「いや本当にあれは止められなかった俺らが悪いンで!」「元はといえば僕が連絡に不備が」と弁護をすれば、エリックとキースの無実は明白だった。
「!そうだ、エリック副隊長……これ、キースさんのです」
全身を火照らすアーサーはふと大事なことを思い出すと、上着の中に入れていた分厚い手帳を取り出した。エリックもそこでやっと思い出し「ああ、ありがとうな」と手を伸ばして受け取った。そのまま、中身は見ていないかとアーサーに確認した後自分の上着に仕舞い込む。
「?なんだそれ」
「弟の私物です。今後同じようなことをやらかしたら二度と返さないと言っておいたので、もう二度目はないと思います」
興味深そうにエリックの懐に目を向けるアランにエリックは肩を竦めて笑った。
今朝、家を出てからステイルの特殊能力で騎士団演習場にあるアーサーの部屋へ瞬間移動させた手帳だ。弟の大事な宝物でもあるそれを無くさないようにする為と、気が付いたキースが取り返しに来る前に手の届かない場所へと没収した。
案の定、プライド達を学校へ送り届けた後には帰路で、家へ忘れ物を取りに戻り宝物の消息が絶たれたことに気付いたキースに返せと詰め寄られた。
もうここには無い、部下に預けた、今度ジャンヌに変なことをさせたら二度と返さないからなと。多少の口喧嘩を混じえてやっとキースも了承と謝罪をした。自分にとって命の次に大事なそれを人質に取られてはどうしようもない。
「絶対部下にも見せるなよ⁈」と言われた通り、エリックも誰に見せるつもりも話すつもりもなかった。アーサーなら人の物を勝手に見たりはしないという信頼もあったからこそ預けたのだから。これで相手がアランであれば、私室に瞬間移動などステイルに頼めなかった。
「へぇ〜、何が書いてあるんだ?」
「それは……。まぁ、彼の好きなものといったところでしょうか」
「キースさん、それ無くて大丈夫っすか……?仕事に支障とか」
「大丈夫大丈夫。仕事とは関係ないから」
アランに続き、分厚い手帳がキースの仕事道具ではないかと危惧するアーサーにエリックは手を振って笑った。
兄である彼はその手帳の中身もよくわかっている。そして弟の為にも絶対に口にはできないとも思う。
ははは、と笑うエリックは少しだけ気が紛れたようにジョッキの中身残りも全て飲み切った。
それ以上は話せないと言わんばかりに酒と一緒に答えを飲み込んでしまうエリックに、アランとアーサーもそれ以上は聞かなかった。
ステイルも、アーサーの部屋で一度合流した際に彼が手帳を手に取った時にも中身を改めようとはせず無言を貫いた。自分にも人に見られたくない書物がいくつもある為、多少気になっても他人のものを覗こうと思わない。
カラムも重い頭を上げ、喧嘩しながらも弟のプライバシーを守ろうとするエリックを正しいと考える。自分はまだエリックの家族と会ったことはないが、良い兄弟なのだろうなと小さく思った。
穏やかなエリックの話し方にやっと部屋全体の空気も和んだ。グビッ、グビッとそれぞれが喉を鳴らし、酒を味わう彼らはやっと安堵の息を吐く。
「そういやぁよ、カラム。さっきなんであんなに騎士団長への報告が遅れたんだ?」
ガン‼︎ゴン!ゴン‼︎と、せっかく浮上しかけていた三人が再び頭を、そしてジョッキを叩きつけた。
てっきり軽く流される程度かと思っていたアランは、あまりにも正直なカラム達の反応に口端が引き攣る。あちゃー、と呟きながらまたカラムが酔い潰れないか少し心配になった。ついこの間酔い潰れて部屋を半壊させた時と同じようなカラムの項垂れように、首筋の汗がひんやりと冷たくなる。
カラムが遅れて瞬間移動されてきた際、その顔色を見たアランもエリックも原因が何かだけは察せられた。しかも飲み会でアーサーと共に現れたステイル、そしてそのステイルから話を聞いたであろうアーサーまで顔が沸騰していれば証拠過多である。
いや話したくねぇなら良いんだけど。そうアランが笑いながらカラムの潰れた背中を叩く。しかしそれでもカラムは何も言えない。上手く受け流したい欲求もあれば、今度こそアラン達に愚痴ってしまいたい欲求にも駆られた。
既にプライドの婚約者候補の立場という窮地に立たされているだけでもいっぱいいっぱいだというのに、その上プライドから追撃を喰らってしまったのだから。
『もう、貰ってくれる人はちゃんといるもの』
何故!それを‼︎よりにもよって自分やステイルの前ですんなりと言ってしまうのか‼︎‼︎と、カラムにしては珍しくプライドへ嗜めたくてたまらない心境だった。
既にプライドの婚約者候補が誰なのかは、三人お互いがわかっている。そして白日の元に晒してしまったのはプライド本人だ。にも関わらず彼女は自分達の前でそれを言いのけてしまった。
もしあそこで誰が本命なのか……、いっそあの場には居なかったアーサーを指名して「アーサーがもらってくれるもの」の一言に言い換えてくれれば、ここまで心臓が危ぶまれなかったとカラムもそしてステイルも思う。しかし実際は固有名詞を呼ばずのあの笑顔だ。
ふわり、と絹のような柔らかな笑顔を浮かべるプライドに、ほんの一瞬だが告白をされてしまったような錯覚にまで襲われた。よりにもよって婚約者候補二人の前で且つ深夜に何故あんな発言をしてしまったのかと思えば、カラムはジョッキから手を離して頭を抱えてしまう。ステイルも同じだろうとテーブルに突っ伏したまま目を向ければ、ステイルどころかアーサーまで顔を真っ赤にして頭を打ち付けているのに今気が付いた。
きっとアーサーもここに来る前にステイルから聞いたのだろうと予想はできたが、人伝てに聞いてもプライドのあの発言はやはり致命打になるのだなとカラムは分析する。しかもアーサーであれば余計にだ。
ぷすぷすと頭から湯気どころか煙を放っているようにも見えるアーサーは、肩までピクついていた。
その様子にエリックも、いっそ手にあるジョッキの中身を頭にかけてやった方がいいのではないかと心配した。アランも、もう質問への返答を忘れてしまうほど脳が茹だっているカラムに笑いながら早々に別のグラスへ水を注いで差し出す。突っ伏す頬に冷たい硝子を押し付けられ、カラムは無言でそれを掴み受け取った。
エリックもアーサーとステイルにそれぞれ水の入ったグラスを配れば、二人も大人しくそれを受け取った。最初にアーサーが括られた長髪を払いながら顔を上げグラスの中身を飲み干す。それから誤魔化すようにその倍量以上あるジョッキの中身を傾けた。
「っっとに、……プライド様ずりぃ……」
まだ、プライドが関係していると誰も言っていないにも関わらずついアーサーは本音が溢れてしまう。
それにアランとエリックはおかしそうに笑うと、数拍遅れてからアーサーも気付きハッと息を飲んで口を押さえた。
エリックが「いやバレてるから」軽く返すと、一文字に結んだ顔がまたみるみるうちに紅潮していく。すると、今度はアーサーに触発されるようにステイルが僅かに顔を上げた。やつ当たるように一度軽く浮かせたジョッキをまたテーブルに叩きつけ、ゴンッという音とともに自分へ注目が集まったことを視線の熱で感じてから口を開く。
「…………最近。……姉君は、おかしいんです…………」




