Ⅱ132.首席生徒は小夜を越える。
「ッだから言ったんだ僕は‼︎‼︎あれだけ、あれだけ言ったのにっ……‼︎」
……ここ、は?
「ディオスだって……わかってたくせに‼︎‼︎あの時にやめとけばこんなことにはならなかったんだ‼︎」
クロイ……?
クロイが、怒ってる。目も顔も真っ赤にして僕を睨むクロイは、……きっと僕を、恨んでる。
ごめん、ごめん、と頭では言えても声に出ない。嗚咽ばかりでどうにもできない。
顔を両手で覆い、俯いて怖い顔のクロイから床へと目を逸らす。頭を抱える手が指先まで震えて息もできない。気持ち悪い、怖い、わからない。頭の中が壊れたみたいにぐちゃぐちゃで、僕が悪いということしかわからない。
そうだ、悪いのは僕で、僕のせいでクロイは、ディオスを止めれなかったせいで、ディオスが…………ディオス⁇あれ、じゃあ僕は
「ッごめん、ごめん……‼︎クロイ、ごめん‼︎僕、でも、どうしても、もう〝ディオス〟なのは嫌でっ……」
打って変わって弱々しく震えた僕の声がする。
そうだ、僕はもう〝ディオス〟でいるのが嫌だった。姉さんにも避けられて、悲しませて苦しませてとうとう僕を見るだけで泣いてしまう。毎日毎日三人分のお金を稼ぐ為に一日中仕事をして、少し寝て食べたらまた一日中仕事で稼がなくちゃいけなくて。なのに姉さんには触りたくないくらいに嫌われて。……もう、何の為に生きてるのかもわからないくらいに辛かった。
双子の兄弟で僕と見かけは一緒なのに、姉さんに愛されて笑いかけられて頼られるクロイが、ずっとずっと羨ましかった。
『ディオス。…………分け合おう』
夜に家の外で泣いていた僕に、クロイがそう言ってくれた。
姉さんに拒絶され続けて、視界に入るだけで顔を覆って泣かれるようになって、もう辛くて限界で、死にたいと思った時にクロイが手を差し伸べてくれた。
僕らは双子で、一緒なんだから辛いのも嬉しいのも分け合おうと言ってくれた。姉さんが僕のことを嫌うなら、二人で〝クロイ〟になろうと。
たとえ何があっても、僕らが姉さんの弟であることに変わりはないって。いっそ姉さんに会うのはもうやめようとすら思った僕に、〝クロイ〟としての居場所を半分分けてくれた。お陰で姉さんに触れる勇気はなくても、二日に一回は姉さんといられて、笑いかけてもらえて、父さんと母さんとの思い出があるこの家で過ごすこともできた。……あの時は、それで上手くいってる筈だった。
『ねぇ、ディオス。……もうこれ以上〝同調〟は……』
『なんでだよ⁈良いじゃんか記憶くらい!どうせ僕たちは殆ど一緒なんだから!』
限界を口にするクロイに、僕はいつからか無理矢理同調を繰り返してた。
わかってた、頭の中では同調してるのがただの記憶だけじゃなくなってることも。僕の中にクロイが入ってきて、過去の思考も、そして今の思考すらクロイの色に染まってる。
もう同調せずにお互い〝クロイ〟の振りで姉さんをやり過ごそうとクロイが言っても、……頷けなかった。
もし、今の入れ替わる生活に少しでも綻びができたら、その瞬間にもう二度と僕らは同じことができなくなる。だからって弟のクロイにずっと毎日仕事漬けになんてさせたくもなかった。あくまで交代だったから僕も〝クロイ〟を半分貰う提案に頷けた。それにクロイじゃいられなくなるのも嫌だった。
僕は、クロイになりたかった。
クロイみたいに、姉さんに愛されて頼られて、冷静で、僕みたいに馬鹿なことなんてしない大人で、ずっと兄らしいクロイがずっっと羨ましかった。
特殊能力者なんていう化け物で、人身売買の連中に怯えることもなくて、能力を隠す必要もなくて、普通の人間のクロイが羨ましくてクロイになりたかった。あんなに優しい姉さんにまで嫌われて、触れても貰えなくなって、こんなに心まで病ませた僕なんか嫌いだった。
……違う。姉さんが心を病んだのは〝ディオス〟のせいなんかじゃ、ない。全ての元凶は
あの、女王だ。
『さぁ、選びなさい?隷属を取るか、それともこの場で死を選ぶか』
〝特殊能力申請義務令〟〝上位特殊能力者統制令〟
突然、衛兵に城まで連行された僕以外にも大勢の特殊能力者が城の大広間に集められた。
姉さんが特殊能力の申請をしてくれて暫くしない内だったから、もしかしたら城で働けるのかなと期待した。城で上層部になれるのは特殊能力が重視されると聞いたことがあるから、きっとそれだと。僕の特殊能力を知って、城で働かないかと言ってもらえるんだって。そうすれば、姉さんにもクロイにももっといい生活をさせてあげられるって思った。
なのに城まで入ってみればまるで捕虜みたいに武器を構えた衛兵や騎士団に囲まれて、そこであの女の横に並んだ摂政に告げられた言葉に僕らは耳を疑った。
希少か、優秀な特殊能力者は全員が女王の〝力〟として隷属の契約を交わすことが義務付けられたと。〝特別〟に生まれた僕らは〝特別〟な力を王族に献上することが義務なんだと。
特殊能力申請義務令も、そしてその法律も、制定から実施までは本当にすぐだった。
僕でもわかった。数日前に行われた特殊能力申請義務令、あれは僕らを見つけ出すための罠だったんだと。
茫然として暫くは言葉も出なかった僕らに、血みたいな髪を払ってみせた女王は楽しそうにニヤニヤ笑っていた。誰一人喜んでなんていない筈なのに、それでも僕らが絶望に染まるのが楽しくて仕方がないみたいだった。
「ふざけるな」と、一人の大人が叫んだ。罪人でもないのにそんな契約をしてたまるかといって、大広間から出ようとしたらすぐに衛兵に阻まれた。それでも無理矢理押し通ろうとして、他の人も触発されるみたいにその人の背中に続いて衛兵を押し退けようとして、段々と大広間中が暴動が起きそうにもなって僕もどうにかこの騒ぎに紛れて逃げられないかと思った時。
パァンッ、と。銃声が響き、先陣を切っていたその人は二度と何も言えなくなった。
男も女も関係なく悲鳴が混ざったあの音と、血の匂いは今でもこびりついている。
頭を撃ち抜かれた男の人を避けるように人が割れて、その途端に玉座の方からアッハハハハハ‼︎と人が死んだとは思えない笑い声まで轟いた。振り向けばさっきまで足を組んで座っていた女王が、玉座の上に立って煙を吐いた銃を携えていた。誰が撃ったのか一目でわかった。
『さっきステイルが言ったでしょう?隷属を拒む者は反逆者とみなし、処刑とす。……別に今からでも良いわよね?今殺すか処刑台に立たせるかの違いだもの』
何もおかしいことはないわ、と笑う女王は口の端が裂けているようだった。
アッハハハハハ‼︎と、座り直した後も怯える僕らを見て両足をバタつかせて笑う姿は、どう見ても女王どころか僕らより年上にも見えなかった。気持ち悪くて怖くて息もできなくなった僕も他の人達と同じように膝をついたまま立てなくなった。
嗤う女王と、無表情で僕らを見下ろす摂政の顔は一生忘れられない。
『ッ女王陛下。どうか、民の抑えは我々にお任せ下さい。…………陛下が自ら腕を振るう必要はありません。これは我々騎士団の役目です』
『あらぁ?貴方まで私に逆らうの騎士団長。せぇっかく煩いジルベールが〝体調不良〟で居ないのに』
後ろ髪の上半分だけを結んだ騎士が、女王に進言した。
銀色の目を鋭くさせたその騎士が騎士団長だと知って、本当にこの国に僕らの味方はいないのだと理解した。騎士団長の言葉で女王は銃を下ろしたけど、……僕らをここから助けてくれるつもりもなかった。
血の匂いに噎せ返る中、騎士団長も騎士も衛兵も摂政も誰一人隷属の契約書を書かされる僕らを助けてくれようとはしなかった。
『ステイル。その死体をさっさと片付けてちょうだい。いつものー……いえ、王都の広場が良いわ。良い見せしめになるもの』
良いことを思いついたと、邪気の塊の笑顔で女王は言った。
何も悪いことはしてない筈の男の人は、次の瞬間には血溜まりだけを残して消えた。女王の命令を顔色一つ変えずに完了させた黒髪の摂政は、……まるでもう一人の悪魔みたいだった。
『さぁ命令よ。全員、この場で平伏なさい』
サインを書き終えた後、女王のそのたった一言で躊躇う暇もなく僕らは床に額を付けた。
死体があった場所の近くに偶然立っていた人が何人か血が額や服についたらしく、直後に悲鳴を上げていた。隷属の契約で何一つ逆らえなくなった身体にされた僕らを女王は腹を抱えて嘲笑い続けた。
アッハハハハハハハハ!アハハハハッアッハハハハハハハハ‼︎‼︎
女王の絶え間ない笑い声に、僕は怖くてそれ以上は直視もできずにひたすら磨かれた大理石の床を見つめ続けた。
僕らは女王の武器で、玩具で、道具で、奴隷になった。人より秀でた特殊能力を得た僕らは、人以下の存在に一瞬で堕とされた。
僕らが城から出された後も、また何十もの人が次を待たされていた。きっとこれからもっと集められる。皆がきっと僕らと同じ運命だとわかった。
広場の死体が表出したことと、正式に特殊能力者の隷属の契約を義務化する法令は城下中に広まって、……姉さんとクロイにも、知られた。
僕の代わりに城へ申請に言ってくれた姉さんは自分のせいだと酷く取り乱して、それから目に見えて衰弱していった。僕に謝ってばかりで、僕が視界に入る度に苦しそうに泣き出してごめんなさいと言いながら、……それでも一度すら僕に触れてくれなかった。
もともと僕の特殊能力を知ってから触りたくもないくらい姉さんに拒絶されていた僕は、姉さんに責任を負わせる存在にまでなってそしてとうとう視界にすら入れて貰えなくなった。
見て欲しかった。触れて欲しかった。昔みたいに笑いかけて欲しかった。
でもその全部は〝ディオス〟じゃ、たった一つも叶わなくて。
「ディオスなんて嫌だっ……クロイが良い……‼︎ずっと、クロイで、……っこんな、こんな化物で、奴隷になった僕じゃ‼︎…………誰にも好きになってもらえるわけないよ……っ」
……ディオスの言いたいことも、わかる。この特殊能力も、〝隷属の契約〟も一生消えない呪いだ。
女王は死んだ。あの時の奇跡は今も覚えてる。ティアラ様が戴冠して、やっと地獄は終わったんだって思った。ディオスが女王の命令で酷い目に遭わなくて済むと知った時は泣くほど嬉しかった。けど、……実際は僕らの生活は大して変わらない。
女王に命じられる心配はなくなったけど、隷属に堕ちた事実は一生消えない。あの時にディオス達が無慈悲に隷属へ堕ちるのを見ていた摂政は、処刑どころか降格すらされずにまだ城にいる。騎士団だって結局は王族の言いなりだ。今だってまだ騎士団を怖がったり恨んでる人はいる。
下級層や裏通りに行けば当たり前みたいに奴隷狩りや人攫いだって居るし、売られてる。革命から大規模な掃討はされたけど、ただ裏稼業が前より大手を振れなくなっただけだ。
男手の僕らすら仕事は少ないし、国外はフリージア王国出身ってだけで化物扱いされるから結局国内にしか居場所がない。女王の命令で城下に集められていた特殊能力者やその家族も、ティアラ女王が城下を解放して移住を許した途端にお金があれば田舎へ移住した。都市とはいっても女王のいたこんな怖い街に住みたいと思う筈がない。
僕らだって、お金があれば父さんと母さんと住んだ田舎の村に帰りたい。それに、女王が死んだところで姉さんの心もまだ取り戻せないままだ。……ッだけど!
「ッディオスは化け物でも奴隷でもないでしょ‼︎ティアラ様も宰相様も戴冠式で言ってた‼︎特殊能力は恥ずべきものじゃない!隷属に墜とされた能力者を縛るものも今はない!」
いつも、僕の為に怒ってくれるのは世界でたった一人クロイだけだった。
もう特殊能力申請義務令も上位特殊能力者統制令も僕らが特殊能力者だった記録も、隷属の契約書も全て処分された。それでも、……事実は消えない。
僕は変わらず特殊能力者で、そして隷属の契約の効果だって残ってる。証拠が消えただけで、僕もあの時の人達も隷属の契約は魂まで刻まれて逃れられない。
「なのにディオスがいつもいつも無理やり同調してっ……‼︎これで満足⁈僕から僕を奪って……僕がディオスにでもなれば満足なの⁈!」
ああもう。
なんで僕はこういう言い方しかできないの。
ディオスが傷ついてる。また、僕が傷つけた。ディオスが辛いのも縋りたかったのもあんな方法じゃ誰も救われないことも最初から僕がずっとわかっていた筈なのに。
自分から言って怖くなって拒絶して、無理やり同調されても強くは止められなくて、それで〝こんなこと〟になった途端ここぞとばかりにディオスを責めて。たった一人の兄弟なのに、大事な僕の弟なのに。なのに、僕は、ディオス、クロイは、僕っ………………あれ?さっきから僕、ずっと
一言も喋っていない筈なのに。
「……ごめん、ディオス。言いすぎた」
ずっと、ずっと僕は黙ってる。ディオス……クロイに怒鳴られてからずっと。
〝同調〟して、お互いの記憶も感情も、そして今の思考までお互いのものが混ざってとうとう何もわからなくなったから。
お互いに顔を見て、髪留めの数を確認するまで僕がどっちかもわからなかった。
「ううんっ……、僕こそ、ごめんっ……ごめん、クロイ……僕の、せいでクロイまでっ……」
嗚咽の混ざった弱々しい声は間違いなく僕の声だ。
だけど僕はずっと両手で顔を覆ったまま何も言えてない。嗚咽ばかりで、声を喉が形成できなかった。なのに、なのにずっと思ってたことや考えていたことを、ディオスの思考もクロイの思考も、全部〝両方〟喋っていたのはー……。
顔を始めて上げる。過った瞬間息が出来なくて、顔を上げるのが女王の前に平伏された時より怖かった。身の毛がよだって気持ち悪くて、まるで僕自身がこの世の存在じゃないみたいな気分になりながら前を見る。覆った手で自分の口が動いていないことを確かめ、押さえつける。
「一番辛かったのはディオスでしょ」
クロイだ。
指の隙間からそれを確認した時、心臓が動きを止めた。
僕の目の前にいるのは間違いなくクロイで、髪留めも二本ついている。ぐしゃぐしゃに頭を抱えて背中を丸くして、顔色が髪と同じくらいに真っ白のクロイはずっと、ずっと一人で喋っていた。クロイの分も、僕の分も、ずっと一人で。
まるで一人で二役の道化みたいに、表情も、声色も、全部が僕みたいになって、クロイ〝みたいに〟なった。
僕と揃いの若葉色の目が真っ赤に充血して焦点が合っていない。まるで何かに取り憑かれたみたいだと思えば、どうしようもなくその亡霊が〝ディオス〟なんだと思い知る。
「ごめん、ごめん、クロイっ……こんな、こんなことになるなんて……」
〝クロイ〟と。枯れた喉で呼ぼうと思ったら、恐怖が勝って言えなかった。
目の前で僕そっくりに話して頭を抱えて震える人は、見開いた目から涙を溢れさせながら一人で二人分話し続けてる。道端なら道化だけど、僕しかいない部屋の中じゃただの頭がおかしな
「酷すぎ。良いから早く止めてよ」
っ⁈
突然動いた口を押さえつける。
顔ごとじゃなくて口にだけ押さえつければ、それ以上は口走らなくなった。
けど、……思考は止まらない。目の前で一人でペラペラ喋って苦しんで格好悪く泣いているのは間違いなくクロイで、……間違いなく〝僕〟だ。
さっきも、もう、何度も何度も僕一人でディオスのつもりになったりクロイのつもりになったりしながら考えていた。まるで目の前の〝彼〟に呼応するみたいに思考が切り替わる。
もう、僕がどっちか自信がない。ただ、僕の中に〝ディオス〟も〝クロイ〟も居ることは変えられない事実だ。
「……ねぇ。〝君〟は誰?」
一人で謝って自分を責めて弁護し続ける人に、口を押さえる両手を解いて問いかける。
すると、ずっとぶつぶつ言っていた彼はやっと一人で喋るのを止めた。涙を枯れるんじゃないかと思うくらい流しながら、呆然と自分と同じ姿の僕を見た。髪飾りだけ見れば目の前にいるのはクロイで、今クロイのつもりの僕がディオスだ。
混乱している様子のクロイと、そして僕の中のディオスに僕は投げかける。
「もう、……これがあってもわかんないでしょ」
指先で示すように一本の髪飾りを引っ掛ける。
枯れた笑みをしてるのが、鏡を見なくてもわかる。ディオスの同調で自分がどっちかわからなくなった時は、今までも何度かある。だけどその度に、僕らの記憶と姉さんがくれた星の髪留めだけが僕らの道標になってくれた。でも今は、……髪留めで〝自分〟を確かめたところで違和感しかない。今、僕は間違いなく〝クロイ〟の意識なんだから。
それでもせめて、目の前の〝僕〟がこれ以上一人で喋らないように声に出して投げかける。
「……ねぇ」
「「混ざっちゃったね」」
……言葉が、綺麗に重なった。
諦めがついたみたいに気持ち悪いくらい冷静な僕も、目の前で涙を流したまま表情が死んだ彼も、同時に口を開いて言葉を紡ぐ。
「〝クロイ〟は言ったよ」「〝ディオス〟にさ」「このままじゃ僕らは」「おかしくなるって」
二人で、二人分の言葉を交互に話す。
示し合わせたわけでも、わざとでもない。ただ、僕の頭の中でも〝二人〟が会話をしててそれを声に出してるだけ。きっと目の前の〝彼〟も同じだろう。
「……うん」「言った」
一緒に尋ね、そして同時にまた顔が歪む。
もうどっちがどっちを責めているかもわからない、頭が壊れていく。二人分の意識と感情にどちらを選べば良いか選ぶ暇もない。たとえ今、口を閉じても僕らは互いに同じ会話を頭でするだろう。ディオスの特殊能力は本当にすごい力だと思う。そして同時に、……双子の〝クロイ〟には絶対使っちゃいけなかったんだと思い知る。
「……ねぇ」「クロイ」「僕らは」「一体どうすれば」「良かったのかな」
「「わからない」」
絶望だけに声が重なる。
……クロイにも、わからないという答えに絶望が蓋をした。もう僕らの道は完全に閉ざされたんだと思い知る。
同調をやめる?いや遅いでしょ。もう僕らは混ざりきっている。
本当はわかってた。ディオスが〝同調〟をクロイの意思を無視してまで続けたのはただディオスでいることが嫌だっただけじゃない。クロイがディオスからの同調に拒みきれなかったのは、ディオスだけが悪いんじゃない。まるで麻薬みたいにディオスは、僕らはもうとっくに〝同調〟に
依存しきっていた。
たったひと時の〝クロイ〟の時間という快楽に飲まれてた。
〝ディオス〟でいることが辛ければ辛いほど、感情も記憶も意識も全てが同調すればするほど、〝クロイ〟としての時間は蜜の味がした。
〝同調〟できない一分一秒が、互いの記憶を両方持てない空白が気持ち悪くて怖くて不安で自分だけじゃどうにもならないくらいに僕らは互いの〝全て〟を求め続けてた。
「クロイ」「ディオス」「僕らは」
だから戻れない。
こんなになって、頭も身体もボロボロになっても僕らはまだ〝同調〟を止められない。
冷静なクロイが既にそう理解した。
互いに視線を合わす。僕と同じ顔で、髪留め以外服も髪も全部が一緒で、中身が全く違った筈の僕らが今は全てが一緒になった。心も、思考も、意識も、互いの中に互いがいる。
目の前で鏡のように僕と同じ茫然とした表情をしたもう一人が、……僕と同時に顔を歪に歪ませていった。怒りも、悲しみもわからずただただ互いの姿に落ちきった自分を見る。
互いに僕らは理解した。僕の中のディオスもクロイも同じ結論に行き着いた。目の前にいるのが兄弟なのか鏡なのかわからないくらい、自分と口の動きまで同調する彼は僕と同じ言葉を最後に落とす。
「「もう、どちらでもないんだね」」
あれだけ羨ましかったお互いを、僕らは同時に失った。
ディオスでもクロイでもないただの〝モドキ〟が、そこに居た。
……
…
「……オス……、ディオ……、……ぇ、……ねえ。ちょっと。……っもう、仕方ないなぁ……ディオス!ねぇ、起きてって!ジャンヌ達来るよ⁈」
「っ……⁈」
クロイの声で、目が覚める。
ぼんやりと耳に入ってきていたクロイの声が、遅れて頭に届いた。聞こえていた筈なのに反応できなくて、そのまま自分の声か何かもわからなくなっていた。
テーブルに突っ伏して寝ていた僕をクロイが思い切り肩を揺らして起こした。顔を上げて、何度も声のした方に瞬きを繰り返したけれど視界がぼやけてクロイの白い輪郭しか見えない。
「もう、……寝ながら泣かないでよ。姉さんに見られたら心配されるでしょ。ほら、顔拭いて」
「…………ん。ごめん……」
喉がカラカラだ。
クロイが頭の上に落としてくれたタオルに顔を押し付けて、痙攣する喉を押さえつけるように呼吸を止める。ひっく、ひっくと嗚咽が溢れて、なんでこんな泣いているんだろうと思う。
「なに。今度はどんな夢みたの。ていうか、荷物まとめ終わった途端に爆睡とかどうなの。僕、ずっと暇してるんだけど」
「ごめん……、夢は、……わかんない」
フィリップに言われた通りに家中の荷物を纏めた後、疲れた僕はそのまま眠ったらしい。家に帰った後はハーマンの家でパン貰ってお腹もいっぱいで、その後は家中動き回るついでに掃除もして、しかも昨日はよく眠れなかったから落ち着いた途端に睡魔に襲われちゃった。……いつもなら、この時間まで僕もクロイもまだ仕事をしてた時間なのに。
夢も、見たかどうかすら覚えていない。ただ、すごく行き場がないくらいに悲しくて、本当に本当に井戸に落とされたみたいな感覚が今も胸に残っている。改めてその感覚に思考を向けたら、ぶるりと寒くもないのに身体中が震え上がった。
その途端、クロイがすぐに気づいて「なに、寒いの?風邪⁇」と聞いてくる。返事も待たずに姉さん用の毛布を一枚僕の方に投げてきた。別に寒くないはずなのに縋るようにその毛布に包まる。
「もうそろそろジャンヌ達来ちゃうよ。泣いてたのバレても僕助けてあげないから」
「…………顔、洗ってくる……」
ズビズビと鼻まで垂れた顔を擦りながら、毛布を包まったまま流し場へ向かう。家の中に運んだ水を使うのも勿体ない。
姉さんは今朝のことがあるしさっきまで僕らと一緒に忙しくしてたから、ジャンヌ達が来るまでは寝室で休んで貰っている。そんな中、ずっと僕まで寝ていてクロイだけがジャンヌ達を待つ番をさせていたと思うと、悪い気がして俯けた顔を上げれずに歩いた。
ギシ、ギシとヒビの入った床が僕の足に合わせて鳴る。するとすぐに背後からまた同じようなギシギシと音が聞こえてきた。振り返ると、クロイがぶすっとした顔で僕の背後についていた。
「暇だって言ったでしょ。僕もついでに顔洗いたいし。帰ってから埃まみれで疲れた」
いつも、仕事でもっとボロボロになって泥みたい寝てたくせに。
そう思いながらも、僕を心配して付いてきてくれるクロイに「ありがとう」と消えそうな声だけで返す。別にクロイとは喧嘩もしてない筈なのに、寝て泣いたのまで見られた所為か変に気まずい。
すると、引きずる僕の毛布を無言でクロイが引っ張ってくる。「外、風冷たいかもだし僕もいれて」と、結局二人でマントみたいに被って歩くことになる。
「……良い夢見てたんなら、あのまま起こさないであげたのに」
あーあ。と、わざと責めるような口調で言ったクロイと一緒に流し場まで歩く。
外に出るとクロイの言った通り夜風は結構強くて、薄着だった僕らは毛布を羽織っていて正解だったと思う。暗くて、明かりも持たない僕らは目を凝らして流し場へ進む。顔を洗ったらジャンヌ達に会う前にちゃんと着替えよう。そう思ったら、こんな夜に僕らの家まで来るジャンヌ達が心配になって……少し、わくわくした。
「……ジャンヌ達、はやく来ると良いね」
「別に学校でも会えるでしょ。……ま、どうせ来るなら早くして欲しいけど」
クロイと並んで歩いて、姉さんのいる家でジャンヌ達を待つ。
そんな今が、言いようもなく贅沢な時間だと思えた。
Ⅰ-50幕.70




