Ⅱ13.崩壊少女は怒鳴り散らす。
「で、す、か、ら!貴方の為にも言っているのです‼︎」
始業前。
私は早速渡り廊下でヴァル相手に説教することになってしまった。
せめて目立たないようにと声こそ潜めてみたけれど、それでも荒げてしまう。生徒達に見られる心配さえなかったら、地団駄踏んで怒鳴っていた。
私からの説教に命令通り渡り廊下まで来たヴァルは面倒そうに「あー?」と適当な声だけを漏らしている。頭をボリボリ掻き、退屈そうに欠伸する様子は確実に反省していない。
ステイル達が私の護衛の一人として潜入させてくれたヴァルは体格こそ微妙に変わったものの、身長は殆ど変わらず高等部三年生の容姿で私の前に立っていた。お陰で十四の姿になった私どころかやっと身長が近付いていたアーサーまで昔みたいに見下ろされている。
セフェクとケメトの送迎後、ステイルの瞬間移動でジルベール宰相に年齢を若返らせて貰ったヴァルは、特殊能力を受ける前から既に御立腹だったらしい。……まぁ当然だ。今日からヴァルは私の潜入視察が終わるまで基本的には十八の姿で過ごしてもらうことになったのだから。
ヴァルはもともと自分の顔を隠したがっていたお陰で、配達中もフードを被ったり口布や伏していることが多い。更には、配達人としての仕事も国外の王族との配達物ばかりだから、我が国の上層部にも殆ど顔や正体は知られていない。身長さえ変わらなければ、彼の年齢が少しくらい若返っても気に止める人はいないというジルベール宰相とステイルの案だった。
もちろん、必要な時は応相談で元の姿に戻すけれど、正体を隠している私達と違って毎回毎回放課後に消えたり現れたりしたら流石に怪しまれてしまう。彼もアラン隊長の親戚として私達と一緒に紛れる案もあったのだけれど、それだと今度はセフェクとケメトにも顔を合わせてしまって私達の正体が知られてしまう。私達の潜入自体は知っている彼らだけれど、なるべく彼らに四年前のやらかしやジルベール宰相の正体は隠したい。
二人とも最初はヴァルも学校行くのかと喜んでいたけれど、ヴァル本人から学校の敷地付近からは関わってくるなと強く釘を刺されていた。あくまで他人の振りをしろと。
ヴァルとしてはなるべく学校内で二人からのべったりは避けたいらしい。それが彼の発言通りの「うざってぇ」が理由なのか、別なのかまでは確信も持てない。ただそれでもヴァルが校内にいるというだけで二人は嬉しそうだった。やっぱり安心できる人が近くにいるのはそれだけで心強いんだろうなと思う。……なんか、保護者と一緒の体験教室みたいだけれど。
王族でもなければ、知り合いがいる恐れもないヴァルは特にこれといってそれらしい変装もしていない。ただ、校内までフードで顔を隠すと流石に目立つので、校内にいる時はフード禁止にさせてもらった。今も背負っている荷袋にいつもの上着は詰め込まれている。あとは後ろ姿を誤魔化す為に、バサバサと伸び散らかった後ろ髪を雑破に括っているだけだ。正直、変装どころかイメチェンとしても雑過ぎる。いっそジルベール宰相が用意させてくれた服の方がずっと私達の目には印象が変わって見えた。
ずっと年上だったヴァルだから、この年で改めて私の実年齢より年下になったのを見ると顔つきからしてなんというか「若いなー」と失礼ながら思ってしまう。……初日からやってることもなかなかも若気の至りっぷりだけれども。
私からもいくつか潜入に関して許可とかは与えて、開校式の手続きもこちらでやると断ったし、授業に関しても真面目に受けなくても良いとは言った。
だけど、まさか入学初日から禁止区域に入るとは思わなかった。授業中に寝るとか、授業を抜け出すとか、教師の注意を無視するぐらいなら覚悟していたし、それくらいなら目立つ恐れもない。だけど今回彼がやったのは、単に抜け出したどころか未だ解放されていない筈の屋上侵入だ。
恐らくは特殊能力で壁から上がったのだろう。せめて木の上とかぐらいにしてくれれば平和だったのに!
何も知らない教師に必要以上迷惑をかけたくないし、何よりただでさえこちらの都合で素顔を晒させているヴァルを悪目立ちさせたくもなかった。何故なら彼は
「不良とかいじめっ子に目をつけられたらどうするの⁈貴方は反撃できないでしょう⁈」
声を潜め、荒げ、怒鳴る。
まさか自分よりずっと大人のヴァルにこんな発言をすることになるとは思わなかった。
彼は、隷属の契約で他者に暴力は振るえないし反撃もできない。だけど、こういう風に目立ったり反感を買うようなことをすれば、標的にされるのは学校ではよくあることだ。
彼らは学校という概念自体初めてだけど、私からすればもう避けられない人災といっても過言ではない。ただでさえ褐色の肌で目立ってしまうヴァルがそういう相手に目をつけられたら厄介だ。しかも下級層の住民は手荒な人間が多いらしいのに!
私の説教に、ここまできてやっとヴァルが舌打ちを鳴らして反応した。私から逸らした顔が不快そうに歪んでいて、本人もやっぱり何かそういう覚えがあるのかなと思う。なら余計に目立つ行動は避けて欲しい。
怒りすぎて鏡を見なくても顔に血が回っているのはよくわかる。もう!もう‼︎と怒りながらも、中等部の女子に説教されているこの状態も他の生徒に見られたら悪目立ちさせてしまうと思えば、もうどうすればいいのかもわからなくなる。
若干、ここまで巻き込んでおいて「やっぱり彼まで潜入させるのは止めれば良かった」と後悔しかける。ヴァルが居てくれて私としても心強いし頼れるとは思ったけれど、彼がいじめの標的に遭うんじゃないかと思ったら考えるだけで落ち着かない。少なくともケメトとセフェクに他人のふりをしろと彼が判断したのは英断だったと思ってしまう。もし、ヴァルの悪目立ちが広まったら関係する彼らまでクラスで浮いてしまう。ヴァルは私に付き合っての一時的な入学だけど、セフェクとケメトはこの先もずっと通うのだから。
一頻り怒った私は熱を放出するべく意識的に深呼吸を繰り返した。ステイルがどうどうと落ち着けるように背中を摩ってくれながら、低いトーンで言葉を放つ。
「もうそこまでは自己責任ですから。ジャンヌがそこまで気を揉む必要はありませんよ。これでヴァルが被害を受けても、それは自業自得です」
ステイルの容赦ない言葉にヴァルが「ハッ」と鼻で笑った。
アーサーがその態度に呆れたように「テメェ、歳下にボコられても良いのかよ……」と言ったけど、ヴァルは「知らねぇな」の一言で流した。もうこの人のことだから自分が被害に遭うことを全く考えていないわけではないのだろうけれど……。
「……仕方ありませんね」
もう今回はしょうがない。
元はと言えば私の所為で通いたくもない学校に、なりたくもない姿で通わされているのだから。最初に教師の言うことを聞かなくても居眠りしても良いと不良行動を彼に公認したのも私だ。ならば、もうこれくらいは私が責任取ろう。
溜息を漏らしながら肩を落とす私に、ヴァルがアァ?と唸った。ステイルが呼んでくれた後、私は顔を上げる。ヴァル、と彼を呼び私は主として真っ直ぐと凶悪なその顔を見上げた。
「一つ。緊急時でもない限り、施錠された部屋や区域に入ってはいけません、教師の迷惑です。二つ。緊急事態や自分か他者の身を守る為以外で校内では特殊能力は禁止です」
ケッ、と私の言葉にヴァルが吐き捨てる。
契約の主である私がはっきりと命令すれば、彼はそれを従うしかなくなる。特に特殊能力禁止は結構本人の中でも痛手だったらしく、イライラと歯を剥き出しにして怒っていた。
苦情こそ言わないけれど、腕を組んで片足で貧乏揺すりをする彼は明らかに不満の塊だった。でもこうしないと、彼はまた容易に屋上や禁止区域に登って侵入してしまう。それこそ理事長室に呼び出されるレベルの大問題だ。彼自身だって人目を引くことは避けたい筈だ。……それとも仮の姿だから特殊能力を知られても良いと思っていたのか。
「……代わりに」
声を、さらに潜める。
耳打ちしようと爪先を上げて手招きすれば、片眉を上げた彼が背中を丸めた。
そして耳打ちしたその言葉に、ヴァルはみるみると目を丸くしていった。更には続けてニヤァァ、と悪い笑みが引き上がる。もう予想通りの彼の反応に、ステイルとアーサーが一体何をと止めに入るけれど、私は目を閉じて首を振る。今回ばかりは本当に本当に仕方ない。前世で学校というものの恐ろしさを知っている私だからこそそう言える。校内どころか校外で不良漫画バトルみたいに裏稼業のアニキに待ち構えられるなんてイベントがあったら大変だもの。
「そして万が一にもその姿で……校内外関わらず、裏稼業の人間と相対することになった場合、特殊能力を隠す為ならその倍程度も許可します」
「随分と羽振りがいいじゃねぇか主?」
「校内でその呼び方は禁止。前に説明した通り、私達はジャンヌ、フィリップ、ジャックです。もうここまで譲歩したのですから貴方も譲歩してください」
良いですね?と敢えて強めに低めた声で彼を睨む。至近距離まで立って上から私の顔を目だけで見下ろしながらニヤニヤと圧をかけてくる彼は上機嫌だ。「仰せのままに」と返してくれた彼は、そこで視線を浮かせた。ちょうどさっきまで誰も通らなかった渡り廊下に、高等部の生徒がやってきたのに気付き、一歩私から距離を取った。
まだ開校して間もないし、中等部と高等部を繋ぐこの渡り廊下は人通りもなかったけれど、やはり通る生徒もゼロではない。中等部の棟から高等部へ戻っていくということは、兄弟にでも会いに行った帰りか。ちょうど話もついたことだし、妙に思われる前にとステイルとアーサーからも教室に戻りましょうと声をかけられる。
私も頷き、ヴァルに目だけで教室へ戻るようにと指示を出す。一般生徒が私達の横をすれ違う中で、ヴァルはこの上なく悪い笑みのまま手をヒラヒラと私達に振って見せた。
「じゃあな。テメェらもせいぜい浮かねぇようにしろよ?ジャンヌ、フィリップ、ジャック」
からかうように敢えて名指しで呼ぶヴァルは、そのままケラケラと笑いながら私達から背中を向けた。
荷袋を背負い直し、ここに来た時とは正反対にご機嫌で去っていく彼を見送った後、私達は溜息を吐いて
「…………フィリップ……?」
呼び、止められた。
ついさっき、中等部から高等部へと移動する為に私達を横切った、その生徒に。
ヴァルが私達を呼んでから、歩みをずっと止めていたその生徒に。
ヴァルが去って行って尚、その場から動かなかったその生徒に。
中等部へ戻ろうと身体を捻らせかけた私達は、ピタリと動きを止めた。見れば、生徒がその場で固まったまま目だけを真っ直ぐに私達……いや、ステイルに向けていた。
私とアーサーもその視線を追うように目を向ければ、目を丸く見開いたステイルがそこにいた。
「……パウエル……?」
その言葉に、心臓がこの上なく跳ね上がった。