そして行き詰まる。
「私の考えの……甘さもありました。彼らにとって、〝特待生〟導入の重さを測り損ねた結果です」
膝の上の裾を掴みながら肩が自然と強張る。
元々ファーナム姉弟の為があったとはいえ、他の生徒にとってもそれだけで充分過ぎるほど魔が差してしまった。
奨学金とか権利悪用を防ぐ為の人数制限だったけれどそうした結果が、裏での蹴落としだ。そういう意味でも、彼らに道を踏み外させかけた責任の一端は私にある。私の言わんとしたことがわかったであろうジルベール宰相達も、それには一度口を噤んだ。
前世で庶民感覚をわかっていたつもりだったけれどまだ違った。この世界で、そして我が国には王族である私達が思っていた以上に生活に困窮している民がまだまだいる。それぞれの物差しは違えど、やっぱり生活を今から少しでも楽にしたいという民も、……その為なら少々踏み外しても良いと考える民もいる。それが現実だ。
「ですが、特待生自体は正しい処置だったと考えます。各学年に三名ずつとはいえ、確かに将来有望な人材が生活面と勉強体制を保証されたのですから」
実際それによって授業への集中度も増していますと語るジルベール宰相の話に頷きながら、まだ頭は重い。
私も特待生自体は後悔していない。ただ、正直ファーナム姉弟に全力バックアップし過ぎた部分もある。彼らの今後や同調への依存を防ぐ為にも特待生は必要な処置だった、それは間違いない。
ただ、今回〝ジャンヌ〟への特待生試験は誤解だったけれど、つまりはそういうことだ。
遥か優位な立場にいる人間を蹴落とす。そうしないと自分への可能性が減ってしまう。……下手をすれば、次回の特待生試験では現特待生の彼らが似たような足の引っ張り合いの標的にされる可能性もある。実際、もしジャンヌではなくて元から頭も良くて更には最強家庭教師の指導も受けた双子がいると聞いたら今回の彼らが標的にしようとしたのはファーナム姉弟だったかもしれない。今後同じような間違いを起こさせない為にもなんらかの対策は必要だ。
いっそ特待生の枠を増やした方が良いだろうかとも考えるけれど、もともと学費も無料にしているのにお金まで大盤振る舞いは難しい。それに今回の特待生試験にだって殆どの生徒が応募していた。彼ら全員が特待生になれば、単純に国が十八歳未満にお金も食事も住処も提供するだけだ。今度は働き手が一気に減って経済が回らなくなる。
なら学校の寮に身寄りのない子ども全員は年齢関わず無料で……、……そうすると一気に資金繰りが凄まじくなる。将来的展望は各国に学校一つじゃないのだから。
我が国は財源に余裕があるけれど、他国では真似もしにくくなる。プラデストは特に他国への学校導入のモデルケースだし、なんでも大盤振る舞いすれば良いわけじゃない。学校はそれこそ税金から賄われていて、国の補助を必要としているのは十八歳未満だけじゃない。
それに学校の本来の目的は自活できない幼い孤児の死亡を減らす事と学力を増進させることだ。前世と今世では就労事情が違う。だから学校の時間帯も午後までにしている。
同じような思考でぐるぐると考えてしまえば、ジルベール宰相達も難しい顔をし始めた。
こういう経済と国家補償バランスを世界情勢に合わせて構築するのは難しい。いっそ父上にも相談して、上層部で会議を開くべきかとも考えたその時。
「……いっそ、〝先行投資〟という形で有志生徒のみに現物支給をしてみるのはいかがでしょうか」
ステイルが静かな声が部屋に落ちた。
さっきまでジルベール宰相と同じように眼鏡の黒縁を押さえて考えてくれていたステイルからの提案だ。
俯きかけていた視線を上げ、彼に向ければ全員の注目を受けたことを確認してから更に言葉が続けられた。
特待生のように金銭や居住地まで与えれば、国の負担が大き過ぎる。今後学校を国内に増やすことにも承認が難しくなると、そのデメリットを挙げた上でステイルは新たな案を作り上げてくれた。
「なので、食事や勉強道具を学校から提供するのはどうかと。例えば〝奨学生〟と銘打ち、その生徒にはひと月後から毎月必修授業の試験を行い、一定以上の成績を義務付けるのです」
もし二回落ちることがあれば奨学生から外されてひと月分の経費は請求される。一度外されたら二度ともしくは一年は戻れない。特待生との併用はできない、もしくは特待生試験自体を受けられない。無償保証されていない中等部と高等部だけで実施する。そう規定もしっかり導入した上で、希望者全員がその日から〝先行投資〟を受けられる。
確かにそれなら学力維持への意識も高められるし、少なくとも退学や犯罪歴までかけた特待生の蹴落とし合いは防止できるかもしれない。奨学生になれば、試験に受からなくても食事と勉強道具には苦しまなくて済むのだから。
そう考えていると、ステイルを見るジルベール宰相の眼差しが緩やかに光った。楽しげな笑みにも見えたその表情でステイルに「ひとつ宜しいでしょうか?」と尋ねだす。
「因みに何故、〝先行投資〟型にされるので?規定の一定成績を確認できた生徒から奨学生にした方が、負債の可能性も減りますが」
「ファーナム姉弟の件で考えてみろ。彼らが姉君やお前の指導だけで賄われたか?」
どうせわかっているだろう、とジルベール宰相の異議をばっさりと綺麗にステイルが切り落とす。それでも質問側は楽しげだ。
ジルベール宰相の言うことも尤もだ。悪用……といったら、聞こえは悪いけれど、奨学生を継続できなくてもひと月分は紙やペンを無料で貰えたりタダ食いできるならと最初から奨学生に落ちる気で取り敢えず希望する生徒もきっと出てくる。それではただの与え損だ。
それなら最初に学力向上の意思を結果で見せて貰った方が、数も絞れるし本来の目的である学力維持も守られる。上位制にしなくても、規定点数で合否が決まれば蹴落とし合いもなくなる。
でも今回のファーナム姉弟を思い出せば確かにステイルの言う通りだった。
どれだけ勉強したい、奨学生になりたいと思っても、最初の試練を超えられる為の装備が整っていないとどうしようもない。だから今回だって私達もジルベール宰相も彼らに紙だけは無償提供した。
微笑ましいように「なるほど」と頷くジルベール宰相にひと睨み返したステイルは、一日一食はまともな食事や紙とペンの必要性。逆を言えばそれさえあれば、彼らのように家への負担無く学力向上にも努められると補足するように話した。
「まともな食事」という時に若干眉を寄せて目を向けたから、きっとジルベール宰相特製スープの一件で学んだ部分もあるのだろうなと思う。
「資金ではなく現物支給であれば費用も抑えられますし、学校で纏めて卸させれば文具業者や製紙業も活性化します。食糧についても元々なるべく近辺の村町農耕から纏めて発注していますし、注文量が増えれば経済も回るかと」
すらすらと経済活性化まで考えてくれるステイルに視界が明るくなる。
おおぉ……と感嘆の声が出そうなほど、口が開いたまま穴が空くほどステイルを注視してしまう。流石は天才策士且つ次期摂政。
今の話し合いだけでそこまで考えてくれるなんて。思わず背中が前のめりになりながら見つめれば、こちらに目を向けたステイルがはにかんだ。ちょっと誇らしげな笑みに、私の賛成の意思は伝わったのだなと理解する。
更にパチパチと今度はジルベール宰相から拍手が軽く上がった。首ごと動かせば、とても機嫌が良さそうに顔を綻ばせている。
「流石はステイル様、私にはない発想でした。是非とも早速王配殿下に提案しましょう。ヴェスト摂政殿下もお喜びになられることでしょう」
「世辞など良い。姉君やお前だって時間の問題だった」
ジルベール宰相からの称賛にフンと鼻息で返すステイルは眼鏡の位置を指先で軽く直した。
つれないステイルからの反応にも上機嫌のままのジルベール宰相は、そのまま「いかがでしょうか」と私に尋ねる。勿論大賛成よと返しながら、目だけでちらりとステイルを見れば顔ごとプイとジルベール宰相から逸らしていた。
確かに会議で時間をかければ私はともかく父上やジルベール宰相も導き出せたかもしれないけれど、今この場ですぐにそこまで提案できたのはステイルだ。奨学金を前世で知っていた私だって思い至らなかったのにやっぱり今の彼は私よりずっと優秀なゲームと同じ……いやそれ以上に国一番の頭脳の持ち主だと改めて思う。
背後を振り返れば、アーサーもカラム隊長も感心するように丸い視線でステイルを見つめている。それでもステイルは当然のように今は表情を整えたままだ。
腹黒計画を口にする時と違い、正攻法の策だとジルベール宰相の前で慢心するのは嫌なのかもしれない。……慢心、ではなく本当に素晴らしいことなのだけれど。
私が頷いたことでジルベール宰相も早速と声を穏やかにしてくれる中、ステイルは勝手にしろと言わんばかりに眼鏡の黒縁を押さえてそっぽを向いたままだ。
「ステイル」と呼んでみると、ぴくりと小さく肩を揺らしてからすぐに振り返ってくれた。心なしか敢えてのような無表情に、私から感謝を込めて笑い掛ける。
「本当にありがとう、お陰ですごく安心できたわ。流石は未来の摂政ね」
フフッと私の方が自慢に思えてしまい、笑みが溢れた口元を手で隠さず見せる。
その途端、顔どころか肩まで強張ったように力が入ったステイルは口を一文字に結んでしまった。僅かに火照った顔色に、褒められて照れてるのかなと思う。
近衛騎士からの羨望の眼差しだけでなく、ジルベール宰相に続いて姉からも褒められてとうとう照れ隠しができなくなったらしい。チリも積もればと言うけれど、タイミング悪く私が最後のひと押しをしてしまった。
それでも、緩みそうな口元を手の甲で押さえるステイルは可愛らしい。
「……お役に立てたならば、……何よりです」
そう言って一度手を離して少しはにかんだ後、とうとう耐えられないようにまた顔ごと私から背けたステイルは消え入りそうな声だった。振り返り、アーサーへ目を向けるとやっぱり親友の照れ隠しがわかる彼も小さく笑っていた。私と目を合わせると、無言のまま少し肩をすくめて見せてくれる。
「では、次は学校についての話にも移りましょうか。ティアラ様がレオン王子と共に城に到着する頃合いかと思います。今日は学校見学の第一回目ということもあり、何かお気付きになられたことなどもありましたら」
私達を微笑ましい眼差しで見ていたジルベール宰相が、そこで静かに話を切り替えた。
それに私も頷き言葉を返せば、ステイルも切り替えがついたようにこちらへまた向き直った。まだ少し耳が赤いけれど、気付かないことにしておく。
そうだ、私達が話す事はそれだけじゃない。ジルベール宰相に今夜の事でお願いしたいこともあるし、ティアラとレオンの来訪での生徒の反応とか、そもそもファーナム姉弟が無事に特待生になれたこともまだちゃんとは話していな
「……申し訳ありません。一つ、私から宜しいでしょうか……?」
私が口を開こうとするより先に、背後から言葉がかけられた。
顔を向ければ、カラム隊長だ。まさか彼が私とジルベール宰相との話に入ってくるなんて珍しい。アーサーも驚いたらしく目を丸くして彼に視線を注いだ。
カラム隊長もここで立ち入るのは憚られたのか、片手を顔の横まで上げたまま礼儀正しく「お話中に大変申し訳ありません」と険しい表情で言ってくれた。……何だろう。いつも護衛中は話を振られない限りは黙しているカラム隊長が自分から発言なんて滅多にないことだ。
私は頷いた後、確認をとるようにジルベール宰相に目を向ける。ジルベール宰相も意外だったらしく少し目を見開いていたけれど、すぐに手で譲ってくれた。
「ちょうどお聞きしたいとも思っていたので」と言われ、次に一応ステイルも見ると彼も気になるように眼鏡の黒縁を押さえながらカラム隊長を見つめていた。
この場に異議を唱える人がいないことを確認してから、改めて私はカラム隊長へ身体ごと向き直る。ソファーに掛けたまま「どうかなさいましたか」と尋ねれば、カラム隊長は苦々しそうに再び頭を下げた。
「ありがとうございます」と礼儀正しく断ってから、重そうな口を開いた。
「非常に、大変申し上げにくいことなのですが……」
そこで語ってくれたカラム隊長の話に、私とアーサーはもちろんのことステイルとジルベール宰相までもが言葉を失った。
監禁スキャンダルの次に投げられた新たな問題に、第二作目の設定が嫌なほど駆け巡った。
……カラム隊長。本当に潜入してくれていて良かった。




