そして歩き出す。
やっと静かになった。そう思い、壁に背中を預け直したヴァルは頭を掻いた後に目を閉じた。
大した虐めもないなら目的は金かそれとも自分の権威を誇示する為か、何にしろ心からどうでも良い。ガキが小山の大将を気取りたいだけのお遊びに自分まで巻き込まれたくはない。
弱者をいびるという形こそ下級層と変わらないとも思うが、今のところ裏側でも彼にとっては大した騒動もない校内はヴァルには充分平和に思えた。下級層の人間も集まっている筈だが、それにしては界隈のような手荒い動きもない。
少なくとも自分の目や耳が届く範囲では、大手を振ってやらかす馬鹿はもういない。殆どがさっきのように裏側でコソコソ偉そうにふんぞり返る小物ばかりだ。殴る度胸すらない。
自分が初日に突き落とした男もそれからは一度も学校に現れず、復讐にすらこない。いた筈の仲間達すら報復しようとしないところから考えても、全員が大した悪さもできない生温い〝半端者〟にしか思えなかった。下級層で弱者に石を投げてくる子どもの方がずっと悪意を蓄えているとすら思う。
「……クソガキ共が。もっとバレねぇところでやりやがれ」
探るつもりでもない自分に何度も聞かれる時点で詰めが甘すぎるとヴァルは舌を打った。
敢えて人前でも見せびらかすようにやるならわかるが、空き教室や校舎裏に隠れてそして見つかっているというのがあまりにも間抜け過ぎる。そしてああいう輩にもプライドは教育だの将来の機会を与えるだのというつもりだろうと思えば、呆れて言葉も出ない。が、……
「…………」
めんどくせぇ、と大分時間が経ってから口の中だけで呟いて、目を閉じる。
騎士達をレオンがさっさと連れて帰るのを待ち、身を隠す。暫くの間セフェクとケメトを待たすことになるのが少し気になったが、やはり今の十八の姿を騎士にまで見せるのは吐き気を覚えるほど嫌だった。経験の長い騎士には覚えられていることも多い。何よりガキの姿を騎士に晒すなどそれこそ胸糞悪いの一言である。
待ち合わせ場所に行った時、セフェクにまた怒鳴られるのだろうと今から諦めながら窓の外の気配に耳を済ませた。
……
「もう‼︎一時間も待たせるなんて‼︎‼︎私もケメトも置いてかれちゃったと思ったじゃない‼︎」
もう!と、予想通りセフェクにポカポカと背中を殴られながらヴァルはうんざりと息を吐く。
結局あれから暫く待ってもレオン達は出て行かず、騎士もずっと校舎の周りに入り浸ったままだった。やっとレオン達が去り、急ぎ校門を出てから特殊能力で待ち合わせ場所まで急いだ。が、当然ながら普通に授業が終わった後に校門から出たセフェク達の方が早かった。
「折角!折角今日もちゃんと一緒に急いだのに!走る途中で変な奴に呼び止められかけるしケメトだって変な子に校門で呼ばれ」
「ヴァルが無事で良かったです!置いてかれてなくてほっとしました」
もう!もうもう‼︎と牛のように唸るセフェクに反し、ヴァルの腕にしっかりと掴まるケメトは嬉しそうに力の抜けた笑顔を向けた。
いつもは自分達より先に待ち合わせ場所にいるヴァルが時間通りに着いたのに居ないことにケメトもセフェクも不安で仕方がなかった。ヴァルが能力で駆け付けてくれたのを見た時は待たされたことよりもヴァルが急いで来てくれたことの方が嬉しかった。
セフェクとケメトの言葉にうるせぇ、今更置いていくかよと面倒そうに返すヴァルはフードを深く被ったまま早足で城下を抜ける。国門の方に向かわないんですか、とケメトが気がついたように尋ねれば、ヴァルは先に野暮用だと簡単に答えた。その途端「あ!」とすぐセフェクが気が付いて頬を膨らます。
「ま!た!私達置いていった後も配達に出たんでしょ‼︎私達がいないとヴァルが危ないくせに‼︎」
「アァ?テメェらが明日は早いだ言ってたんだろうが」
「あの後ってちゃんと寝たんですか⁇眠くないですか⁇」
さっきまで怒っていたセフェクがまだ別の理由で騒ぎ出す。
ヴァルが城に向かうということは、既に配達を終わらせて書状をプライドに届けるだけなのだと。そう確信した二人は昨晩に彼が仕事を断行したと理解した。
残す配達先を知っていたケメトも、いつもの往復から考えて夜遅くまでヴァルが仕事をしていたのだろうと心配する。だが、実際はその後にも酒場で朝まで飲んだくれた結果の寝不足である。そして学校で済ませている仮眠も大分今回は細切れだった。
今日は主から貰ったらベイルさんのところに行きたいです!とケメトが言ったが、今の姿をベイルに見せれば自分が若返ったことも確実に気づかれてしまう。基本的に極秘任務である自分の状況をあまり知られるわけにはいかないヴァルは、ケメトの案も一言で却下した。
ぎゃあぎゃあきゃんきゃんっと子犬の喧嘩のように交互に騒ぐ二人に顔を顰める。二日酔いになったことのない彼だが、寝不足の頭には甲高い声はなかなか響く。
苛々と歯を剥いた頃、とうとう王都までたどり着いて広場まで差し掛かった。するとケメトは「あ!」と思い出したように声を上げ足を止めた。
自分の腕から手を離すケメトにヴァルも眉を寄せながら振り返る。セフェクも小首を傾げてみたが、ケメトが服の中を探り出したところで彼女も思い出したように「あ」と服のポケットを手探りした。
治安の良い王都だから良いが、下級層や裏通りだったら確実にすられるか、ナイフや銃を出す仕草も間違われるところだと思いながらヴァルは棒立ちで二人を見返す。すると、殆ど同時に二人は一枚の紙を広げて見せた。
「見て‼︎私学年で十位だったの‼︎」
「僕!特待生でした!二位でした‼︎」
最終成績が書かれている答案用紙の一枚を誇らしげに掲げる二人に、ヴァルは僅かに目を丸くする。
そういえば、だから今日は朝から騒がしかったんだったかと思いながら二人も特待生試験を受けていたことを思い出した。
もともと興味がなかった上、二人の結果に関してもどうでも良かった為完全に頭から抜け落ちていた。二枚答案用紙を適当に眺めながら生返事を返すが、ケメトもセフェクもまっすぐに自分から視線を注いだまま離さない。二人が自分に何を訴えたいかは、経験上すぐにわかったが敢えて口を噤んだ。その間も二人の話は止まらない。
待ち合わせに遅れたヴァルに文句から始まった為、言うタイミングを逃した二人はここぞとばかりに話し続ける。
「ケメトすごいでしょ!二位よ!二位‼︎やっぱりティアラから勉強教えて貰ってたから‼︎」
「セフェクだってすごいです!三年なら頭良い人もっと大勢居ますし、その中で十位なら」
「!そ、そうよ!友達にだって褒められたんだから!……その子は、一位だったけど」
ぼそっ、と最後だけ気まずそうに呟くセフェクは一気に勢いが削げていた。
笑った顔のまま固まり、目を逸らす。今回の特待生試験内容は授業内容からという全員が同条件。その中で友達になれた子と自分との差が明らかになってしまったことに、セフェクは若干の恥ずかしさがあった。
彼女の反応に、セフェクのことだからいつもは自分が偉そうにしているのに負けたのが恥ずかしかったのだろうと一瞬でケメトもヴァルも察する。嫉妬や劣等感とまではいかないが、「私はこんなにすごいのよ!」という口調の多い彼女が、ドヤ顔で十位をとって友人に一位を取られた時の様子まで鮮明に思い浮かんだ。自分で言いながら少し気恥ずかしさで頬が染まるセフェクの顔を見れば、自分達の想像が間違いないと確信までできてしまう。
「そっ、それでもすごいことに変わりはないですよ‼︎流石セフェクです!お友達も頭が良いなんて!」
「そもそもなんで特待生試験なんざ受けてやがる。受けても大して意味ねぇだろ」
励ますケメトに続き、ヴァルがめんどうそうに話を変える。
実際、特待生試験の時も受けると聞いた時はどうでも良かったが、ケメトが特待生になれば疑問も浮かぶ。特待生の特典を全て把握はしていないヴァルだが、どんな特典があっても大して得にならない。
特にケメトのいる初等部は、最初から寮を含める衣食住は保証されている。奨学金や資料庫の閲覧などの特典はもちろん真面目なケメトには嬉しいものだろうが、それでもそこまで必死になるものでもない。彼自身、金銭の管理こそヴァルに委託しているだけで〝配達人〟として同年代の子どもよりも稼いでいるのだから。
すると、目を逸らしたセフェクが今度は小さく俯いた。恥じらった顔色のまま、唇を僅かに尖らせた彼女は膨れるような声で呟いた。
「だって、良い点とったらケメトとヴァルがびっくりするかなと思ったんだもの……」
むぅ、とまるで叱られた言い訳のような口調で言うセフェクに、ヴァルは頭の中で「やっぱりか」と呟いた。
肩で一度だけ息を吐き、旋毛を見せるセフェクを見下ろせばケメトが今度が「僕も‼︎」と元気よく声を上げた。
「僕も!特待生になったらヴァルとセフェクが褒めてくれるかなって思いました‼︎二人をびっくりさせたかったですしセフェクが十位取れたのもすっごいびっくりしましたし自慢です‼︎」
一生懸命セフェクを励ましながら素直な気持ちを大声で言うケメトは、そのまま目を輝かせた。
ヴァル自身、二人がきらきらした目で答案用紙を見せつけてきた時から「褒めて‼︎」と全身で訴えられていたのはわかっていた。二人を学校へ行かせることを望んだヴァルだったが、彼本人は大して知識についての重要性は感じない。もし二人が0点を取っても百点を取ってもどうとも思わなかった程度には。しかし、
「………………」
無言のまま、二人の頭にそれぞれ手を乗せる。
すぐに輝いた眼差しでヴァルを見上げたケメトと違い、俯き気味だったセフェクは少し反応が遅れた。頭に乗せられた大きな手の感触に目を丸くして見上げれば、ちょうどヴァルが自分に視線を落としているところだった。
「……俺の百倍は出来が良い」
低い声でそう言ったヴァルのその表情に、セフェクの丸い瞳が輝いた。
その笑顔のままケメトへ振り返れば、ケメトもセフェクが褒められたことに嬉しそうに満面の笑顔を彼女に向けた。
声を漏らして嬉しそうに笑う二人の頭から、そっと手を離したヴァルはついでのような口調で「ケメトは千倍だがな」と溢す。その瞬間褒められたことにケメトはピッと背筋を伸ばして喜んだが、セフェクは「何よ‼︎」と手を構え、……るのを止め、代わりに彼の手の甲をべチンと叩いた。
放水攻撃よりも地味に痛い攻撃だったが、叩いた後は両手でぎゅっとその大きい手を掴んだ。更に反対の腕にはケメトがしがみつく。えへへっとはにかみながら笑うケメトと目をつり上げながらも離れないセフェクも無視し、ヴァルはひっつかれた歩きにくさを感じながら城へ向かった。
「王女に自慢すりゃあ褒美ぐらいあるかもな」
「えっ、ケーキ⁈」
「あと!きっと主も褒めてくれますよね!僕、主にも報告したいです!」
私も‼︎と声を上げるセフェクに続き、「勝手にしろ」と頭を掻きながら息を吐く。
また城で足止めを食らえば、今日もまた二人が居なくなってから配達だなと考える。運良くプライドからの書状がなければ、今日は各国へ書状の受け取りに行かずに休もうかとすらも検討する。いっそ今日の面倒ごとを考えれば、それを引き換えに一時的に姿を戻せと交渉も鑑みた。
遅い歩みで、先ほど空き教室で考えたことを思い出す。
下級層と同じように、弱い相手から搾取し、自分の権威を振りかざす小物達。ああいう輩にもプライドは教育だの将来の機会を与えるだのというつもりだろうと思えば、呆れて言葉も出ない。が、
その最たる例が自分であることを、誰よりも自覚している彼は腹の底からうんざりと鉛のような息を吐いた。




