Ⅱ122.宰相は見計らう。
「さて、と。……そろそろ私も出ようかな」
仕事に一区切りをつけ、纏めた書類を自身の執務室へ持ち帰るべく小脇に抱える。
独り言まじりに告げた言葉を受け取った王配のアルバートは、書類に目を落としたまま「もうそんな時間か」と呟いた。自身の予定のみならず補佐である私の予定も彼は把握している。本来ならば彼の予定を把握して告げるのも含めて私の役割なのだが。
ひと仕事かかる前に女王であるローザ様と王配である彼の代理として見送りを行い、書類を片付けた私はこれからまだ別件で城下に降りる予定があった。急遽予定を入れ込んでしまったがあくまで公務内の為、すんなりアルバートからも許可は降りた。
基本的に彼は宰相業務の範囲内であれば私の予定を優先してくれる。上司としては理想的な人間だ。……生まれつきの眼つきの悪さを抜けば。昔からその所為で彼は睨んでいると誤解されることが多々ある。今でこそもう城の人間も慣れたものだが、外交を担うのが女王であるローザ様で幸いだったと思う。
「今日は外出が多いなジルベール。先ほどの見送りは私達の代理だが、そちらは他の上層部に任せても良いだろう」
「こういうのは最初が肝心だからね。私の耳で直接確認したいんだ。すまないアルバート、戻ったらすぐ手伝うよ」
「お前の負担の話をしている。マリアンヌに心配をかけるようなことをするな」
溜息まじりに私の言葉を切る彼は、そこでやっと視線を私へ上げた。
彼の補佐をする時間が短くなったことを謝罪したつもりが、どうやら私の身体のことを気遣ってくれていたらしい。私よりも年上の彼が身を粉にしているというのにと思えば、つい「そこまで年じゃないよ」と笑んでしまう。直後には鋭い眼光で正真正銘睨まれてしまうが、肩を竦めて流した。やはりこういう嗜め方はステイル様が着々と継承されている。血は繋がらずとも親子だ。
「今月はただでさえプライド達が〝ああ〟なのだから。気にかかるだろうが、決して視察はバレないようにしろ。お前は時にやり過ぎることがある」
「……大丈夫だ」
……思わず正直に数拍躊躇ってしまう。やはり彼は私以上に私を知っている。
だが、もちろんやり過ぎるつもりはない。何よりプライド様の予知した未来を探る為にも、視察を邪魔するなど許されない。あの御方が悲劇へ向かおうとする民を救いたいと望まれるならば、私には協力以外の選択肢などありはしない。
今回はとくにローザ様達にも公認だ。ならば余計にあの御方の妨げになるような真似は許されない。ステイル様やアーサー殿を始めとする近衛騎士もいるのだから問題はないだろうが、それでも。
「学校制度は失敗できない。先日の特待生制度も既に貴族間で噂は広がっている。次の式典では他国にも知られることになるだろう」
その通りだ。
アルバートの言葉に私は返事と共に深く頷いた。まだ一週間程度だが、既にプラデストに興味を持つ貴族は多い。もともと同盟共同政策の為の試作でもあった為、我が国の貴族の中には領地内に私営の学校を作ろうと早くも取り組みを始める者や、他国でも同じ試みを行おうとプラデストの体験入学や見学を望む王族もいる。今はまだ試作段階だが、体制が整い定着をすれば次にはと先見に優れた者は動いている。他から一手遅れれば、それはそのまま時代に取り残されると同様だ。
実際、プラデストが定着すれば、早々に城下だけでなく国内各地に設立することになるだろう。一刻も早く国内の民全てに提供する為にならば、決まり次第即刻「既に準備はできている」と名を挙げた学校設備や体制を整えた領主貴族に任せるか、もしくは急遽処置として私営を望む貴族や富裕層に認可を下ろすことにもなるだろう。
先進国機関とされる学校を司る立場を大なり小なり得れば、次代の権威もある程度が約束される。その為にも既に国内ではプラデストに己が子を送り込み、体制や設備などを学び盗もうと躍起になっている。既にプラデスト創立に携わった上層部には、自身や他貴族と結託して動いている者も少なくない。
そして異国。……我が国としても、発案者のプライド様もローザ様もフリージア王国の独自機関である〝学校〟を独占するつもりはない。発案し、それが同盟国や和平国に広まり〝学校〟が作られれば単に各国の生活や教育水準が上がるだけではない。同盟共同政策と同様の効果も見込まれる。我が国にとって未だに隔たりの大きい問題の解消、……それこそ
〝特殊能力者の国〟への理解をも。
奇異や偏見の目でも見られる我らがフリージア王国が、他国と同じ普通の人間の国だと理解されるきっかけにもなる。
我が国の独自機関を真似るということは、我が国の政策が優れていると認めることになる。先進国としての名が高まれば高まるほど、世界から我が国への見方も変わってくる。同盟共同政策の学校も同様だ。
我が国に直接足を踏み入れ、次世代を担う若き貴族王族の社交の場を増やすことで理解を得る。我が国は先進国で大国であるのだと印象付けることができる。
プライド様が作り上げた学校制度は私にとっても悲願の一つだ。下級層の人間や中級層の貧困に苦しむ民の救い。彼らが学問を得られれば間違いなくそれは生涯の武器になる。それこそ特殊能力によれば、我が国の上層部に食い込むことすら可能だ。
アルバートも知っての通り、既に体験入学中の貴族生徒から特待生制度の噂も広がっている。彼ら自身には無縁の制度だが、それを打ち出した効果は絶大だった。
貴族に対しては〝体験入学〟という学校制度の実体験と理解、社交の場提供を主軸として短期間を定めて入学者の回転率を上げているのに対し、平民には齢十八までは一度入学を済ませれば無償の教育が提供される。そしてこの特待生制度により、一層この学校が何者の為の機関かを明らかにすることができた。あくまで学校は〝学業に従事する者〟の為の機関であると。……本当に、あの御方には頭が下がる。
富裕層ではない民へより良い未来を。その為にこそ民の税は使われるべきであり、私も努力を惜しまない。
既に学校からと潜入中のプライド様からの報告で、ある程度の問題は見えている。その対策について学校だけでなく上層部でも対策会議を行う予定も立てた。
一応裏稼業が関わっていないか、情報屋のベイルからもそろそろ情報を回収するか。今日明日にでもヴァルに依頼するとしよう。ベイルならば裏稼業の人間が動けばある程度掴んでもいる筈だ。
「あとは、……そろそろ学校関係者かな。特に教師は一番大変な頃だろう。現場の声はなかなか上には届かないからね」
「そうだな。一応〝あくまで順調〟と届いているが、実際に動いているのは彼らだ。プライド達のように生徒としての目線でしか内部は探れない。……だから今回もあの子には教師の様子に関してよく声を聞いておくようにと言ってある」
そうだね、と。私も数時間前のことを思い出し、思わず頬が綻ぶ。
学校の行く末を握る教師、講師達。今日のことが彼らに良い労いと我々からも見直す良い機会になれば良いのだが。
折角ならば、いま丁度プライド様の件で講師として潜入して下さっているカラム隊長を尋ねてみるのも良いかもしれない。プライド様の婚約者候補でもある彼は非常に聡く、そして視野が広く人を見る目にも長けている。彼ならば講師とプライド様の護衛としてだけでなく、それ以上の収穫をも与えてくれるかもしれない。
「まだまだ……学校もこれからだね、アルバート」
「暫く私もお前も忙しいままだ。覚悟しておけ」
望むところだよ、と。そう告げて私は扉に手をかける。
これからのひと仕事へ向かう為、アルバートにその場を任せて廊下へ出た。私の代わりに従者と衛兵を彼の部屋の前に増やすように指示を出し、先ずは私の執務室へ向かう。衛兵に馬車の手配が既に出来ているか確認し、服の中から取り出した銀時計で改めて時間を確認した。
……そろそろ着いている頃だろうか。
予定通りであればそろそろだろうと思えば、想像するだけで口端が上がる。フッ、と溢れながら私は自室の扉を開いた。
学校制度は着実に進んでいる。そして、真似る者も便乗する者も拒みはしない。国内、そして国外でも恵まれない民に未来を掴む機会は与えるべきだ。
次の式典を終えれば、正式に王侯貴族からの学校見学も受け付けるだろう。既に国際郵便機関の統括役として我が国の民となったセドリック王弟が、優先的に王族で唯一体験入学の永栄を得ている。……ならば。
最初の学校〝見学〟を得られる国は当然──
……
ざわっ、と。
三限目が始まってから間もなく、校内はざわめいた。
教室の外からまるで浸水のように次々と騒ぎが伝染して侵食していく。生徒達だけじゃない、教師も講師も学校関係者の誰もが落ち着けずに窓の外や廊下に飛び出し互いに情報交換を交わしていた。
私もアーサー越しに窓の外を覗いたけれど、残念ながら私達の教室から見えない。廊下や五組の教室からは位置的に見えるから、さっきは選択授業の講師が飛び出してしまったほどだった。
今はもう戻ってきた講師もフラフラと片手で頭を抱えながら動揺を露わにしている。噂が本当なら無理もない。正直それを聞いた私は今すぐにでも窓から逃げたい心境になっていた。それこそ津波レベルの危機感だ。
キャアアアアアアアアアアアアアッッ‼︎‼︎
「うわぁ……」
悲鳴が、上がる。もうそれだけで私の苦笑いが余計に引き攣る。更には震源が近付いているからか、阿鼻叫喚まで聞こえてきた。
「医務室に‼︎」「保険医を呼んでこい‼︎」「大丈夫か⁈!」とここまで声が聞こえてくれば、今度はさっきまでは何処だ何処だと廊下に出ていた生徒の一部が、逃げるように廊下から再び教室の遠い窓際まで逃げ出した。私でなくても窓から飛び降りる生徒が出そうだ。
窓際の席にいた私達の方に生徒が集中してきて、もう授業どころじゃない。ステイルとアーサーが私を守るように隣同士の距離を狭めてくれるけれど、二人とも危機感とは別の表情だ。アーサーは目をまん丸くしてぽっかり口が空いたまま廊下の方向を見ているし、ステイルに至っては口元だけこっそり笑んでいる。……悪い笑みを敢えて抑えている笑顔だなとすぐに分かった。
もう人前じゃなかったらダイレクトにステイルを問いただしたいけれど、今のこの人前では無理だろう。目だけで訴え続ければ、視線に気付いたステイルが私の方を見て一度だけにっこり笑った。……うん、間違いない。だって
「レオン王子っ!こちらですよ。こちらがちょうど男女の選択授業を行っている教室らしいです!」
ですよねっ、と鈴の音のような声が跳ねた。
その声へ返すように教師が「はい、こちらが……‼︎」と若干喉を震わせながら教室の扉を開いた。もう扉が動いた時点で女子の悲鳴がすごい。叫声というより断末魔のような悲鳴だ。声だけで聞いたら殺人鬼が殴り込んできたか勘違いされても仕方がないレベルの叫びにとうとう私は耳を押さえた。
甲高い悲鳴の中、私よりも耐性がない筈の男子達は耳を押さえる余裕もないように席から立ち上がって前のめる。一部「おおおおぉ⁈」と声を上げる面々もいるけれど、殆どは食い縛った歯を剥いたまま目を見開いている。文字通り声も出ないのだろう。そしてとうとう、講師が深々と頭を下げる中で彼女らが姿を現した。
きらきらと金色のウェーブがかった髪を揺らす美少女と蒼玉みたいに高貴な蒼い髪と滑らかな微笑を浮かべる美青年。
フリージア王国第二王女ティアラ・ロイヤル・アイビー
アネモネ王国第一王子レオン・アドニス・コロナリア
「失礼致しますっ」
「授業中に申し訳ありません。御協力感謝します」
強烈過ぎる王族美男美女の登場に、教室中が舞い上がった。




