Ⅱ121.双子は言い合う。
「それでクロイ。なんでジャンヌに近づいちゃ駄目なんだよ!」
ジャンヌ、もといプライド達と分かれた後。教室に戻ったクロイを隣の席からディオスが覗き込む。
授業が始まるまでに納得いく答えが欲しいと眼差しだけで訴える兄に、クロイは鼻で溜息を吐ききった。「別にそこまでは言ってないでしょ」と軽く返しながら、兄の座る方とは反対側の手で頰杖を突く。
「姉さん以外のって言ったでしょ。ディオスは昔っからそういうことするから女の子に勘違いされるんだよ。その所為で村にいた頃も」
「ジャっジャジャジャンヌだから駄目とも言ったろ!ッあとそんな昔の頃のこと蒸し返すなよ!」
クロイの馬鹿!と真っ赤な顔で声を荒らげるディオスにクロイは軽く喉を反らす。うるさい、と至近距離で怒鳴る兄を嗜めるが、それに関して今度は謝罪もない。それよりも答えてよと睨むディオスに、しかたなくクロイは口を開いた。言えば兄がどんな反応をするかも知りながら。
「ジャンヌに馴れ馴れしくし過ぎしたら、フィリップとジャックに嫌われるでしょ。あの二人敵に回して勝てると思うの?」
「へ……?」
鈍すぎ。と、ぽかんとした顔のまま若葉色の目をくりくりさせるディオスにクロイは肩を落とす。
絶対にディオスはあの三人の関係どころか自分の気持ちにすら気付いていないと確信してクロイは言葉を続けた。
「あの二人。絶対ジャンヌのこと好きでしょ。そうじゃなかったらあそこまで過保護にするわけないし。好きだからあんなお姫様みたいにジャンヌの言うこと何でも聞いちゃうんでしょ」
え、え、え⁇と、あまりに予想外の話題にディオスの頭が追いつかない。
今までの特待生試験の為に勉強したどのような教科よりもクロイの言っていることは難解だった。いやだって三人は親戚だから……とそのままの情報を提示してみれば、クロイは「親戚でも結婚はできるでしょ」と一言で切った。
その途端、あまりに先を見据えすぎたクロイの発言にディオスの顔が僅かに火照る。
「フィリップは怒ると絶対怖いし、ジャックは大人に勝てるくらい強いし。少なくとも今のディオスじゃ百年経っても無理」
「え、いや、僕は別にジャンヌのことそういう風には……」
自分ではあの二人に劣ると断言されたことよりも、〝まるで〟自分がジャンヌのことが好きなことを前提のように話し始めるクロイに惑う。
なんとか誤解を解こうと小声で返すが、自分でもわからない内に口籠る。何故だか否定するのも気恥ずかしい気がするそれに、自分の耳が熱くなってきているのだけ自覚し、クロイから目を逸らした。
「あっそ、じゃあそれで良いけど。ディオスって昔からああいう優しい子に弱いし。同調した時の記憶は残ってるんだから僕に隠し事は無駄だよ」
「っ。……くっ、クロイだってそんなこといったら」
「僕がなに。言っておくけどソレ、誰かに言ったら絶交だから。姉さんに言っても駄目。大体、僕のとディオスのとを一緒にしないで」
ビシッ。と、頬杖を付いたまま反対の手でディオスを指差したクロイは強い口調で口止めする。
絶交、という言葉に意識的に唇を結んだディオスだったが、息ごと言葉を止めながら心の中では「クロイだって僕の恥ずかしい話をいま言ったくせに!」と訴える。
言うなと言われれば余計にここで、同調した時に知ったクロイの初恋について赤裸々に言ってやりたいと思う。だが、クロイが絶交と言った以上本当に言ったらひと月は口をきいて貰えなくなることもディオスは知っている。折角こうして一緒に学校に通えるようになったのに、早速クロイとケンカなんてしたくない。
ぷるぷると唇を結んで堪えるディオスに、容赦なくクロイは「それより」と話を変えて追撃した。
「とにかくジャンヌにあんまくっつかないでよ。ディオスだってジャック達に嫌われるのもいやでしょ?」
「……っそ、そんなこと言って!本当はクロイがジャンヌのこと好きなんじゃっ……」
「無いから。優しくされたくらいで好きにならないよ。僕はディオスみたいに子どもじゃないし」
さらっと否定した上で小馬鹿にされたディオスはムカムカッと顔が怒りで次第に赤くなる。
クロイなんて、といくつも言い返したくなったが、クロイの場合は導火線に火が付いたら自分より面倒なことをよく知っている。
唇を固く結んで怒りを露わにしていると、次第に周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。それに気づき、周囲を二人で見回すとクラスの半分以上が二人の様子を見物していた。独り言程度のクロイに反し、感情のままに声が大きすぎたディオスの台詞は全てクラス中に筒抜けどころか響き渡っていた。
はっ!!とディオスが遅れて気付き、息を飲むと既に彼らの視線が集まっていることに気付いていたクロイは「あ~あ」と責任の行き場がどこにあるか明確にするように他人事のような声を漏らす。途端にディオスはあたふたと怒りとは別の理由で顔を真っ赤にして視線を泳がせた。
どこを見ても、誰もが楽しそうな笑みやからかうように笑って自分達を見ている。そしてとうとう、中でも近くの席に座っていた男子が彼らにニヤニヤと口を開いた。
「なぁー、ディオス。ジャンヌってどの子だよ?」
「あの子だろ。この前教室に来てた赤毛の」
「あ、俺のダチ同じクラスだけど。かなりモテるって話だろ?」
既に話が聞こえていたこと前提で語りかける彼らの言葉にディオスは息が止まった。
顔が熱くなるだけではなく、頭までくらくらし、喉が恐ろしく干上がった。下唇を血が出そうなほど噛み締めて震わせるとその間にも彼らの投げかけは止まらない。
「なんだ?クロイと取り合い?」
「クロイの勝ちに銅貨一枚」
「ディオスが付き合って途中でクロイに奪われるに三票」
「いや、ジャンヌの取り巻きどっちかが付き合ってるに十票」
完全にディオスをからかう流れで彼らが話を進める。
自分の名前が出たことにクロイは平坦な声で「僕を巻き込まないでくれる?」と返したが、それ以上は何も言い返さない。むしろ、もうディオスとの話は終わったと言わんばかりに頬杖を突いたまま窓の外を眺め出した。もうここから先は自分の話す幕ではない。何故なら
「ぼっっ、僕は別にジャンヌのことなんてっ……!!」
上擦った声が見事にまた教室に響いた。
火が付いたように顔を真っ赤にしたディオスはそこまで言うと、自分をからかってきた彼らのところへ大股で歩み寄る。「違うから!!」と必死の形相で異議を唱えるディオスに彼らはまた笑う。
「いや。バレバレだろ。っていうか絶対ジャンヌも気付いているよな?」
「バレるバレる。何なら俺らが取り持ってやろうか?」
「信じられねぇよなぁ……コイツ、これで特待生なんだぜ?しかも主席」
「ジャンヌに勉強教えて貰ったんだろ?なぁ、キスくらいできなかったのか?」
ち・が・う!!!!と顔を真っ赤に塗って怒鳴るディオスだが、それでも彼らはやめない。それどころかディオスの反応に大爆笑する始末だった。
過剰に囃し立てるまではいかないが、十四歳らしく突いて楽しむ彼らから悪意はない。
「~~!!ライジェルもハーマンもジェイコブもうるさい!!お前らだってジャンヌが来た途端にずっと見てたくせに!!マヌエルなんてサラと今朝手繋いでたの知ってるからな!!」
げっ!バカ言うな!!と、直後には爆笑とマヌエルの叫びが重なる。
げらげらと笑い、ライジェルが「あー、俺もみた」と続いて便乗し、ハーマンが怒るディオスを宥め、ジェイコブが「お前はからかいやすいから」と反省せずに油を注ぐ。
学校を〝ディオス〟として通うようになってから、今まで距離を取っていた〝クロイ〟の時と違い、ディオスはすんなりと友人を作ってしまっていた。休息時間は勉学に集中し、昼休みはセドリックやプライド達と過ごしていたディオスだが、それでもだ。
途中入学初日から双子である彼らに興味を抱くクラスメイトは多かった。特にいつもそっけないクロイと違い、初めてのクラスでの挨拶の時から顔を真っ赤に染めて「宜しくお願いします……」と肩を狭めるディオスはクロイとの印象の違いもあり、余計にクラス中の興味を引いた。
しかも話しかければニコニコと嬉しそうに言葉を返し、気さくにやり取りをするディオスの印象は誰の目にも良好だった。更には自分達よりも子どもっぽいところはあるが、中性的な顔立ちと性格の良さ。そして人懐こい様子にすぐクラスとも溶け込んだ。
遠巻きに見るしかできなかったクロイと違い、ディオスは話しかければ大概のことは嬉嬉として話してくれる。学校中の注目の的でもある王弟セドリックの話や、どういういきさつで共に学食を食べるようになったのかと、今までクロイに聞きたくても聞けなかった問いにすんなり答えてくれるディオスとの会話は話題に尽きなかった。
入学早々特待生という、遠巻きにも嫉妬ややっかみの対象にすらされてもおかしくない立場にもかかわらず、誰もがディオスの真っ直ぐな性格と社交性に悪く思う者はいなかった。すげぇな、すっごい!と褒められこそしても、嫌われる要因をディオスは持ち合わせていない。それくらい、クロイとは違って誰とでも仲良くなり、人の輪の中にすんなり入ってしまう。
── 昔みたいだ。
フ、と。ディオスが友人達と仲良く喧嘩しているのを耳だけ傾けながら、クロイは小さく笑った。
両親と共に城下に来るまでの村では、ディオスはずっとそういう存在だった。人の輪に自然と入り、可愛がられて遊ばれる。そんな彼の姿を見るのも何年ぶりだろうと思うと口元がどうしても緩んでしまう。
一人笑んでしまうのを誤魔化すようにクロイは頬杖をついた手で口を押さえつけた。本当に昔のディオスのまんまだ、成長しないんだから。と頭では思いながら、胸が嬉しくて締まる感覚を誤魔化した。
自分はディオスと違い、自分から人に関わろうとは思わない。同年代の子はだれも煩いし子どもだし、女子も面倒だと思う。だが、兄の友人である彼らを悪くは思わない。話しかけられたら一言二言返すぐらいに対応もする。これくらいの距離感がクロイには丁度良い。
特待生に二人でなれたと知られた時もお祝いしようと言われたが、目を輝かせて喜ぶディオスと違いクロイは「え、良いよめんどくさいし」と一言で切ってしまった。しかし最終的にはディオスが怒り、クロイが「折角言ってくれたのに、……ごめん」と誘いに折れた。お陰で放課後には待ち合わせして皆でハーマンの親が経営しているパン屋に行くことになった。
お祝いに父さんが美味しいパンを焼いてくれるように頼むよと言った彼に、誰もが喜んだ。そして、今はクロイも心の底では少しむずがゆくて落ち着かない。早く放課後にならないかな、と期待してしまうのが恥ずかしく、一人で言葉を飲みこんだ。
── お祝い、か。
ふと、そこまで考えてクロイは思い出す。
先ほど教室に戻る間際、自分達を呼び止めたフィリップに言われた言葉だ。今夜の予定はと聞かれ、その後に語った彼から最後に発せられたのは
『帰ったら今夜までに大事な物を全て纏めておいて下さい。全て、ですよ』
念を押すように言った彼の真意はクロイにも計りしれない。
まさかとは思うけれど、と。一つの予想は浮かんだが、その場合は丁重に断らないとなと考える。
だた、放課後のクラスのお祝いを終えたらディオスと急いで家中を整理しなきゃなと思う。勉強は必須だが、代わりに仕事の必要がなくなった今、フィリップの指示ついでに家を隅から隅まで掃除するのも良いと思う。
家庭教師をしてくれたジルにも家中の埃を許すなときつく言われたことも思い出せば、余計に。
そこまで考えたところで、教室の扉が開いた。教師が入って来て、授業を始めるぞと声を掛ける。ばらばらと誰もが席に戻る中、クロイも視線を窓の外から教師の方へと向けようとした、その時。
「……え?」
窓の外の信じられない光景に、クロイは一瞬だけ心臓が止まった。




