そして願う。
「ごめん姉さん、もう少し早く起こせば良かった」
「まだ予鈴まで時間あるし、姉さん今日はあまり眠れなかったって言ってたから起こさない方が良いと思って……!」
ううん、お姉ちゃんこそと謝りながら私はやっと二人から腕を解く。
また目元に溜まっていた涙を指先で拭いながら笑って見せる。すると二人も気遣うよう優しく摩る手からそのまま私の背中を起こしてくれた。
ベッドから身体を起こして見上げれば、ディオスちゃんもクロイちゃんもまだ眉を垂らしたままだった。
「ごめんなさい、寝ぼけちゃったみたい。……本当に大丈夫よ。二人の顔を見たら落ち着いたわ」
「ごめん、姉さん。そのっ……せ、セドリック様は実は、僕ら!ッじゃなくてクロイは……ううん!僕も‼︎実は姉さんに秘密でちょっと仕事をしていてっ……あと、僕実は……」
セドリック?
一生懸命話してくれようとするディオスちゃんに、思わず首を捻ってしまう。そういえばどうして私はベッドにいるのかしらとそこでやっとここがいつものベッドでも家の中でもないと気がついた。
口籠るディオスちゃんを見つめながら記憶を遡れば、今日が特待生試験の発表日だったことを思い出す。そうだわ、それでディオスちゃんとクロイちゃんと一緒に校門で朝一番に待って、それで特待生にもなれて、落ち着いていられなくて待てずに中等部まで行って、二人も特待生になってくれていて……!
そこまで思い出した途端、一瞬どこまでが現実で夢かわからなくなる。こんなにも夢のような状況が、三人ともなんて本当にあるかしらと思うと、もしかしてこれがさっきまで見ていた夢だったのかしらと本気で考えてしまう。
だけど、それなら全然怖くも悪い夢でもない筈なのに
『ハナズオ連合王国が王弟、セドリック・シルバ・ローウェルと申します』
くらっ、と。
記憶を追い過ぎた途端に、金色の光に頭が眩んだ。
頭を片手で押さえながらまたフラついてしまう私に二人が「姉さん⁈」と声を揃えた。……なんだったかしら、今の人。
今まで見たことのない端正な男性的顔立ちで、息もつかせないくらい綺麗で金色の光が頭の中を何度も光らせる。くらくらと目眩に襲われ始める中、ディオスちゃんが「ごごごごめんなさい!」と慌てるように声を上げた。
「ね、姉さんが知ったら絶対驚くと思って!その、悪い仕事とかじゃなくて、お金は貰えるし食事は食べれるしただ一緒にお話しするくらいで本当に本当に変な仕事じゃっ……」
「ディオス。それじゃあ逆に怪しいから。……でも、本当に悪い仕事じゃないよ。ハナズオの王弟殿下がひと月だけ学校に通っているのは姉さんも知っているでしょ?あの人が従者付けられない代わりに僕らがちょっと手伝いしてるだけ」
あたふたと言葉を続けたディオスちゃんに変わって、クロイちゃんが教えてくれる。
言葉も出ないままクロイちゃんの話を聞いてやっと思い出す。目の前に王族の方が現れて、しかもディオスちゃんとクロイちゃんに親しげなのに驚いて、目が回ってしまった。今まで見たどんな人とも違う大きな雰囲気に圧倒されてしまった。こんな人がこの世にいたんだと気を失う間際に思った。
お話を聞くと、王弟殿下の気まぐれでお誘いを受けたクロイちゃんが友人兼従者役として始業前の朝とお昼休みにセドリック様に付いていたらしい。もうそのお話だけで色々信じられなかったけれど、更には三人で学校に通うまでにも既に何度かディオスちゃんがクロイちゃんと入れ替わっていたこともまた驚いた。そんなに本当は行きたいと思ってくれていたことと、……私に気を遣わせないように無理をさせてしまっていたことに胸が痛んだ。
私の所為で、優しいディオスちゃんはずっと嘘をつき続けてくれていた。思わず胸を押さえると、次の瞬間にはその手をディオスちゃんが両手で包むように掴んでくれる。
「だけど‼︎もう!もう‼︎大丈夫だから‼︎」
僅かに跳ね上がった声が耳に響く。
俯きかけてしまっていた顔を上げると、ディオスちゃんが若葉色の目を力いっぱい輝かせて私を映した。隣に並ぶクロイちゃんも頷いて、私をじっと強い眼差しで見つめてくれる。
「隠していたのも騙していたのもごめんなさい!けど、もう大丈夫だから‼︎僕もディオスも姉さんも特待生になれたし!これで三人で学校に行ける‼︎…………これからも、一緒に勉強できるよ……」
私に言い聞かせるように力いっぱい言ってくれたディオスちゃんの声が、最後だけ震えて萎んだ。
大きく開いていた若葉色の目が潤み出して、笑った顔のまま口端が歪んでいく。
その途端、クロイちゃんまで下唇を噛んで何かを堪えるように両肩が上がった。若葉色の瞳を持った目が僅かに赤く染まっていく。そういえば結果発表を聞いた時も二人で同じような顔をしていたわと思い出して、……夢じゃなかったのねとやっと実感する。
「……良かった」
ぽつり、と安堵が最初に口から零れた。
さっきまで力の入らなかった顔が一気に綻んで、小さな安堵が身体を中心に広がっていく。まるで冬から春を今迎えたように張り詰めていたものが溶けていく。ずっと、ずっとずっと望んでいた白の光に目を凝らす。
「良かった……。本当に、良かった。お姉ちゃんね、ずっと、……ずっと二人の重荷じゃないかしらって辛かったの。もう今は何もできなくて、……二人に迷惑ばかりかけちゃって。だから学校で何か一つでも役に立てることや仕事を見つけれればって」
不思議なくらい、飲み込み続けていた言葉が雪解けのように言えてしまう。
口にしてもどうにもならなくて、余計に二人に気負わせることになると思って言えなくて、誰にも相談できなくて雪が積もるようにどんどん重くなっていた。
口にしても二人を苦しめる。謝ればそれだけ私の気が楽になるだけだから。せめてそれはわかっていても、胸の中にしまっておこうと消していた。なのにそれが今はこんなに簡単に言えるのは、……きっともうこれからはそれが変わるのだと理解できたから。
「何言ってるの。姉さんが重荷なんて僕らが思うわけないでしょ」
すとん、と優しくクロイちゃんが言葉を切り落とす。
躊躇いもなく、むしろちょっぴり怒っているような表情が、素直なクロイちゃんの答えだと知っている。
「姉さんは子どもの頃から僕らの為に働いてくれたし、僕らが働けるようになるまで生きてこれたのだって姉さんのお陰でしょ」
そう続けて優しく私の肩に手を添えてくれる。
指一本一本まで気を払って触れてくれているのが伝わった。目を覗けば赤くなった目がまた潤み始めちゃっている。そっと手を伸ばして髪を撫でれば、指先が引っかかるように二本の髪留めにぶつかった。
年頃になってからは特にディオスちゃんと違って恥ずかしがるようにもなったのに、私がいくら嫌なら外しても良いわと言っても取らないでいてくれた。同い年のお友達に見られて、女の子みたいと言われて怒って喧嘩になったこともあるのに「姉さんがくれた物を嫌がるわけないでしょ」と言ってずっとずっと身につけてくれた優しい子。
二本の髪留めが外れないように三度撫でると今度はディオスちゃんだった。「クロイの言う通りだよ!」と声を張り上げ、握ったままの私の手に力を込める。
「辛かったんなら話してよ……!どんなことがあっても姉さんのことを重荷とか嫌だとか……僕らが嫌いになるわけないよ!」
潤みきった涙が見開いた目から溢れて伝っていた。
私の手が痛くないように、それでも熱を込めてぎゅっと握り締めてくれるディオスちゃんは、弾けるように今度は両腕で私を抱きしめてくれた。私の胸に飛び込むようなディオスちゃんにクロイちゃんも静かに続く。ディオスちゃんの上から、そっと腕を回して私の背中を支えてくれた。
「っ……僕ら……っ、たった三人の家族じゃんかっ……‼︎」
まるで、ずっと待ち望み続けていたみたいに救われる。
私の胸の中でくぐもらせた声を放つディオスちゃんに、また涙が溢れて視界がぼやけた。白い光が二つ、ぽわりぽわりと目に映る。
〝どんなことがあっても嫌いにならない〟〝三人の家族〟
優しいディオスちゃんお言葉はそのものが光のよう。私の甘えだとわかってるけれど、……涙が出るくらいに嬉しいの。
世界で一番優しくて純粋なディオスちゃん。とてもとても優しくて、嬉しい言葉を恥ずかしがらずに言ってくれる。無邪気な笑顔に今まで何度救われたのかわからない。
ディオスちゃんが希望のある言葉を笑顔で言ってくれると、本当にそれが希望で嬉しいことなのだと思えるから。私も、そしてクロイちゃんもそんなディオスちゃんのお陰でここまで来れた。
ベッドまで上がって抱き締めてくれるディオスちゃんと、支えてくれるクロイちゃん。二人に包まれながら私は胸の前に引いていた手を二人の肩へ添えた。狭くて指先だけひっかけるようにして抱き締め返す。
この子達が居てくれて良かった。
お父さんとお母さんが、私にこの子達を遺してくれて本当に良かった。
私一人でも弟一人でもなく、三人の家族にしてくれて本当に良かった。
「ありがとう……」
肩からそっと腕を回して二人の髪を同時に撫でる。
今この瞬間が何にも勝るくらいに幸せで、温かい。煙突掃除や染色のお仕事も大変で、身体を壊すまで働き続けるのも辛かったけれど後悔はない。そう思えるのもきっと、この子達が居てくれたお陰。
頭の形に合わせて撫でれば、今度は殆ど同時に両指の先が二人の髪留めにぶつかった。表面を撫でればもう随分古びてザラついていて、それでも大事に使ってくれていたそれは今も陽の光に反射して白とは違う色で瞬いた。
昔から今も変わらず身につけてくれるピンを、薄く開いた目で眺めながら遠い昔のことを思い出す。
『でも姉さん、なんでこの飾りなの。……いや、別に良いんだけど』
『これも姉さんが作ったの⁈すごいね!』
今思えばもうあの時からクロイちゃんは恥ずかしかったのかもしれない。そしてディオスちゃんの輝かせてくれた笑顔はずっと私の誇りだった。
私の答えに目の奥を光らせたクロイちゃんも、嬉しそうに空を見上げたディオスちゃんも、あの時の全部が全部私の一生の宝物。
『お空にはね、私達と同じ名前のお星様がいるの』
ディオスと、クロイ。
お母さんとお父さんが二人が産まれた時も、私が産まれた時と同じくらいに夜空が綺麗でそう名付けたと昔に話してくれた。
真っ暗な闇を照らしてくれる小さな光。お父さんとお母さんが亡くなる前から、産まれた時からずっと二人は私にとっての光だった。
『ずっとお空で一緒に輝いているお星様みたいに、ずっと仲良しでいたいから』
その願いを込めて。だから全部で三つのお星様の髪留めを二人にあげたかった。
あの日、まだ太陽が登ったままのお空を見上げた二人は夜はずっと家の外から戻らなかった。お空の星を指差して、どれが自分の星か一生懸命探し続けていた。
『姉さん!あれ?あれが〝僕ら〟⁈』
『いやあれは北極星でしょ。それより姉さん、〝ヘレネ〟はどこ?僕らの星と距離は近いの⁇』
ディオス、クロイ、ヘレネ。
お父さんとお母さんがくれた私達の名前。その名を想う度、亡くなってもお父さんもお母さんも傍にいてくれているような気がした。
この名に誇れるように、今度こそ三人で一緒に頑張って歩んでいきたい。
あの日の見上げた夜空みたいに。
古びた髪留めに付けられた星の飾りに触れながら、天の向こうへそう願った。
Ⅱ21.40




