そして急ぐ。
「キャァアアアアアアッ‼︎‼︎」
何重にも放たれた黄色い悲鳴に、もう振り返る前から理解した。
歓声だけならまだしも女生徒の黄色い悲鳴も込みならもう間違いない。確認するより先に肩で溜息を吐いちゃえば、ステイルとアーサーも察しているように目が合った。うん、やっぱりわかるわよね。
お姉様だけが一人キョトンとした顔で悲鳴の方向を振り向いたけれど、ディオスとクロイはピンッと跳ねるように背筋を伸ばした。二人にもまた今やなれた歓声だろう。だって
「あれが噂の……⁈」
「えっ⁈噂の王族って確か高等部だったんじゃ……⁉︎」
「あ!見えた‼︎きゃああああ‼︎目がっ、目が合っちゃった‼︎」
「セドリック王子殿下だろ⁈なんでそんな人がここにっ……」
三日以上この渦の中心で過ごしていたのだから。
張り出しから離れたとはいえ、中等部の生徒が大勢散らばった中で今度は別の方向に人集りが出来始める。お陰で私達の位置からではまだ彼の姿はよく見えない。ただ、悲鳴の震源地から察しても確実にあの辺だろうなと察しはついた。
中等部の生徒が驚くのも当然だ。ただでさえ王族というだけでも注目度は桁違いなのに、あの男性的に整った顔立ちとファンサービスと騎士二名の護衛。そして普通なら高等部の特別教室にいる筈の彼が中等部に現れれば驚くなという方が無理な話だ。
しかも震源地は確実にこちらへ近付いている。まだ始業からは早過ぎる時間だし、いつもの登校より二時間以上早いのを見てもきっと彼も早起きしてきたんだろう。
ファーナム兄弟から流石に彼まで呼び出しを受けたわけじゃないだろうけれど、特待生試験のことは知っているのだから。
「セドッ……‼︎」
ぽそっ、と声が漏れた。
聞こえた方角に顔ごと目を向ければディオスが半歩よろりと足を前に出している。赤くなったままの若葉色の目が潤んだままきらりと光った。すると隣に並ぶクロイがハッとした顔で「ちょっとディオス」と彼の肩に触れようと手を上げた。けど、その手が着地するよりもディオスが地面を蹴った方が早かった。まずい。
「セドリック様っ‼︎‼︎」
ビュゥッ‼︎と次の瞬間には風を切るような速さでディオスがセドリックの方へ突撃していく。
あまりにも迷いのない全力疾走のディオスに、唖然としてしまう私達を置いてクロイが続いた。「馬鹿ディオス‼︎‼︎」と叫び、手を伸ばしながら兄を追い掛ける彼に今度は苦笑いが溢れる。だけどスタートが違う上に、パッと見たところ二人とも足の速さは殆ど一緒だ。
どうやらクロイの方はちゃんと現状を正しく把握しているらしい。やっぱり視野が広いというか冷静なのはクロイの方だ。さっき特待生発表に手を引いた時は、ディオスの方がずっとお兄ちゃんらしくて格好良かったのに。
人混みに突進する勢いで飛び込んでいく二人を眺めながら、私は引き攣った口のまま目だけをギギギッと動かした。ステイルでもアーサーでもなく、ファーナム兄弟が置いて行った
「⁇……どうして、ディオスちゃん……王族の方に……⁈」
ごめんなさいお姉様。
ぽかりと口を開き、大きな目を丸くしたまま穴が空くほどディオス達を見つめるお姉様にもう何とも言えなくなる。私達と違い、お姉様は二人の学校での仕事は知らされていない。可愛い弟が突然王族へ猪突猛進していったら驚かない方が無理な話だろう。
取り敢えずクロイが語っていたように、びっくりしてお姉様が卒倒してしまわないようにだけ思った私はそ〜っと彼女の隣に控えた。私に合わせてアーサーとステイルもお姉様の傍についてくれる。
未だに口が開いたままのお姉様は「えっ、……ええっ……⁈」と可愛らしいか細い声で言葉にもならない様子だ。私も並んでディオス達の方をみれば、他の生徒達が猛進ディオスとそれを追うクロイに次々と道を開け……というか引いて避けていく。
彼らとセドリックの関係を学食で知ってるかディオスの迫力に押されたか、もしくは王族相手にぶつかっていく彼にドン引いたかのどれかだろう。しかも、ディオスの声かそれとも人の波が動いていく様子に気が付いたのか、セドリックも「おぉ‼︎」と嬉しそうな声を上げたのが聞こえてくる。あの子もあの子で全く周りを気にしない。
人並みが真っ二つに避けたことで私の位置からもセドリック達の姿が見える。傍には護衛としてアラン隊長とハリソン副隊長も控えている。二人にまで早朝出勤させてしまって申し訳ない。
駆け込んでくるディオスに、ハリソン副隊長が軽く身構えかけるところをアラン隊長が肩を掴んで押し留めてくれた。良かった、またディオスが壁に叩き付けられてしまうところだった。
そしてとうとうクロイの制止も追走も虚しく、ディオスは真正面からセドリックに駆け込んだ。
「セドリック様っ‼︎‼︎」
「ディオス‼︎それにクロイ!どうだった⁈今日が特待生の発表日だったのだろう⁈」
流石に王弟相手に飛び付くディオスじゃなかったけれど、それでも超至近距離まで滑り込む。自分のタイミングで急停止した兄と違い、追っていたクロイが勢いのままその背中にぶつかった。
わっ⁈とどちらからともなくディオスとクロイが声を上げる。前のめりに倒れ込む双子をセドリックが両腕で肩を掴んで受け止めた。細い身体の男子二人程度優に支えられたセドリックは、「大丈夫か?」と返しながら楽しそうに笑っている。なんか遠目からみるとゴールデンレトリバーにチワワが戯れついているように見えてしまう。
ディオスの背中に捕まったままクロイが慌てるように「す、すみません!」と謝るけれど、セドリックは全く気にしない。体勢を立て直して二人が自力で立ち上がると「今日はクロイも朝から元気だな」と手を伸ばしてクロイの頭、そしてディオスの頭を撫でた。二人が女の子だったら完全にときめき案件だ。
兄だけでなく自分まではしゃいでいるように見られたのか恥ずかしかったのか、撫でられたクロイの両肩が目に見えて上がって強張った。ディオスの方は真っ直ぐセドリックに顔を上げて足りない身長差に踵までぴょこりとあげたけれど。
この前初めて二人の家に行った時もそうだけど、本当にディオスはセドリックに懐いたなと思う。クロイもセドリックの前になった途端に借りてきた猫みたいに大人しくなってるし、ちょっぴり羨ましい。仕方ないとはいえ、私は二人を怒らせる率が高過ぎる。
「なれましたセドリック様‼︎僕もクロイも特待生になれました‼︎‼︎そのっ、だから、これからも‼︎」
「おぉ素晴らしいぞディオス!クロイ‼︎勉学に励んだ甲斐があったというものだな‼︎」
大興奮のディオスにセドリックが負けず大喜びで応戦する。
はい‼︎と声を上げるディオスの肩と、殊勝に小さくなるクロイの背中をバンバンと叩いては惜しみない称賛を送るセドリックの姿はどこからどう見ても仲良しだ。
「各学年にたった三人のみなのだろう⁈」と尋ねるセドリックに「はい三人です‼︎」と元気よく声を跳ねさせるディオスは元気いっぱいだ。こっちに正面を向けているセドリックと違い、二人は背中しか見えないけれど間違いなくディオスは目を輝かせているだろう。それこそセドリックが王族じゃなかったらお姉様の時みたいに抱き付いていたに違いない。
そのまま興奮が冷めないようにセドリックとディオスがここまで聞こえるほどの大声で話に花を咲かせたけれど、途中からディオスが顔を俯けてゴシゴシと腕で目を擦り始めた。それを見たセドリックがわしゃわしゃと優しい眼差しで彼の頭を撫でれば、そのままディオスまで肩が丸くなって大人しくなってしまう。
まだ一週間程度しか二人のことを知らない私だけど、心なしかディオスはクロイや実のお姉様よりもセドリックの前での方が弱々しい自分を出せている気がする。王族ということを抜いてもセドリックは彼らより年上の男性だし、頼れる存在なのかもいれない。
熱した頭が冷めた様子のディオスに、クロイがちょいちょいっと下ろした腕で小さくその裾を引っ張った。ディオスもそれに気が付いて目を擦ったまま振り向くと、そこでやっと気が付いたように赤くした目を見開いた。
こちらに身体ごと振り返れば、セドリックも私達に目を向ける。私の傍ではファーナムお姉様が今も茫然と立ち尽くしたままだ。王族と明らかに親しげに関わる弟に理解が追いつかないのだろう。
「ディオス……ちゃん?クロイちゃん……、その、御方は、……。……ええと」
胸の前で指を組んだまま固まるお姉様はぽつぽつと声を漏らす。
多分この声の大きさではディオス達のところまで届いてはいないだろうけれども、クロイは勿論ディオスも現状を理解してしまったように「やってしまった」顔になった。
みるみるうちに顔の筋肉を強張せながらお姉様と背後にいるセドリックを見比べる。次第にお姉様自身もふらふらとセドリック達の元へ肩を狭めながらも近付いていくからもう止められない。
完全にセドリックもお姉様もお互いの視界に捉え合ってしまった今、ディオスもクロイもこれ以上の隠し立ては不可能だった。私達もお姉様に寄り添うように付いていけば、五歩ほど手前で彼女は足を止めた。改めて現実か確かめるかのように弟達と、様付けで呼ばれた容姿の目立つ青年を見比べている。仮に王弟であるセドリックの名前も知らなくても、着ている衣服や身嗜みから明らかに上流階級の人間だとわかるだろう。
目の前で佇んでしまう女性と固まる双子。その中で先に動いたのはセドリックだった。「!ああ」と声も漏らし、そのままディオスとクロイの肩へそれぞれ腕を回しながらズンズンと自分から歩み寄る。
私達のことはちゃんと見ず知らずの他人として振る舞ってくれているけれど、お姉様は違う。兄弟と同じ白い髪と、似た顔立ちの女性が私達と一緒に並んでいたら簡単に察しはつく。
「貴殿がディオスとクロイの姉君でしょうか。お初にお目に掛かります。ハナズオ連合王国が王弟、セドリック・シルバ・ローウェルと申します。弟君には学内でお世話になっております」
お姉様を卒倒させないようにか一応落ち着かせた声色で語りかけてくれるセドリックだけど、引き摺られるディオスとクロイは完全に泡を食っている。
パクパクと口を動かしながらもセドリックを遮られないように何度も彼とお姉様を見比べる姿に、背後に控えるアラン隊長が少しおかしそうに笑っていた。そしてお姉様は
「……ぁ……っ、…………でぃおっ……くろ、……⁈…おせわ……⁈」
完全に目を回していらっしゃる。
まん丸の目を開けすぎて目蓋は痙攣するし、口は空いているのに息はちゃんと吸い上げていないようだった。しかも至近距離に超絶イケメン王子セドリックが近づいてきたことに顔がみるみるうちに紅潮している。もうきっと何がなんだかわからないのだろう。
そのままセドリックへまともに返事もできない様子のお姉様は段々と酸欠のように顔色を赤から白に褪せさせ、ふらりと頭から全身の軸が傾いた。
「おおっ⁈」と正面にいたセドリックがお姉様を抱き留める。私達も慌てて顔を覗き込めば、完全に気を失っていた。見事に容量を超えてしまったらしい。
心の中でセドリックに「何やってるの‼︎」と叫びたかったけれど、人前で言えるわけもない。
「すまない。折角姉君から足を運んで下さったからと思ったのだが。この機会に是非俺からもしっかりと挨拶をしておこうかと」
いや今はそんなの良いから‼︎
お姉様を両腕に抱き抱えながら、悠長に話をするセドリックは萎んだ表情でディオスとクロイに謝っている。二人からすればお姉様が卒倒した大事件だけれども、セドリックにとっては自分を見た女性が倒れるなんて日常茶飯事だ。
アラン隊長が苦笑いを痙攣らせながらお姉様を覗き込んで「大丈夫です、気を失っているだけです」とファーナム兄弟にも聞こえるように言ってくれる。そのまま抱き抱えるセドリックからお姉様を受け取ると、今度はアーサーが「ッじ、自分が運びます‼︎‼︎騎士様には申し訳ないンで‼︎」と駆け寄ってくれた。十四歳の身体でも軽々とファーナムお姉様を抱えるアーサーに私とステイルも続く。
「とっ、取り敢えず医務室に運びましょうか……!」
「賛成です。ディオス、クロイ、お二人もどうぞ御一緒に。ここでは目立ちます」
同意してくれるステイルの言葉に、ディオスとクロイもすぐ声を合わせた。
校舎の外とはいえ、校内で次々と生徒が登校してきている中だ。セドリックの登場で余計注目度が上がっているし、先ずは場所を変えて寝かせた方が良いだろう。ディオスとクロイがそれぞれ大慌てで、今朝は御付きができないことだけ謝るとセドリックも声をひっくり返しながら頷いてくれた。小さく「俺も……」と呟いたけれど、今度こそ私から口パクで「お留守番!」と伝えると目で読んでくれたらしくムギュリと口を結んで顎を引いた。王族兼ギラギライケメンのセドリックはお姉様に刺激が強過ぎる。
表向きに私達からも王族であるセドリックに失礼致しますと挨拶を済ませ、大急ぎで医務室へ向かった。気を失うお姉様に衝撃を与えないように走るアーサーとその両脇で駆けるファーナム兄弟。そして私とステイルも続きながら、軽くセドリックの方へと振り返る。その場に佇んだまま私達を見送ってくれた彼の傍に今はアラン隊長だけだ。
セドリックもこれから自分の目で掲示された特待生結果を確認してから高等部の校舎へ向かうのだろう。
そこまで考えてふと、私はさっき張り出されていた中等部特待生の名前を思い出す。一年、そして三年には少なくとも文字だけでは攻略対象者としてピンとくる名前はやはりなかった。だけど、一位の主席合格ディオスと二位の次席合格クロイに続いて書かれていたもう一人の特待生合格者は
アムレット・エフロン
流石主人公。
キミヒカ第二作目の設定をぼんやり思い返しながら、私達は中等部棟へと飛び込んだ。




