Ⅱ109.キョウダイは見据える。
「ふぁっ……、……ねむ」
うっすら上がった朝陽が眩しい。
開いた口を軽く押さえてそう呟けば、その途端隣から肩で突かれた。目だけを向ければディオスが顔を諫めて僕を睨んでる。
その奥には姉さんも並んでいて、僕の欠伸に肩を竦めて笑っていた。無言で何でもないように見返せば、沈黙を破るように二人は口を開く。
「なんでクロイはそんなに落ち着いてるんだよ。今日、これからっ……なのに」
「クロイちゃんは凄いわ。お姉ちゃんなんてもう今から心臓がうるさくて」
さっきからきょろきょろ視線を顔ごと泳がせ続けるディオスと胸を押さえた姉さん。二人とも緊張してる。……僕も。
いつもよりずっと早く家を出た僕らは誰よりも先に学校に着いた。門もまだ閉ざされていて中には入れないし、入る気もない。門の横にある壁に背中を預けた僕らは、今は開門よりもジャンヌ達を待っている。
今日、僕らの運命が決まる。
大げさじゃなく、本当に。
特待生試験の結果がこれから出る。各学生棟の昇降口前に張り出されるから中等部の僕らと高等部の姉さんは場所は少し別だけど、それでも僕らに付き合って姉さんも一緒に家を出てくれた。
もし特待生に僕らが、……いやせめて僕らの中から一人でも合格すれば、生活は大分楽になる。姉さんが特待生になれば姉さんだけ寮に住んでも良いし、僕かディオスが合格しても一人分の生活費が浮く。
「緊張してるよちゃんと。…………昨日は、眠れなかったし」
一睡もできなかった。
今日のことを考えると、不安で仕方なくて結局瞼の裏で朝陽を迎える前に起きることになった。上のベッドからも何度も寝返りの音がしたし、どうせディオスも眠れていない。姉さんも今朝はまた顔色が悪くなっていた。
試験の時はずっと頭を動かして働かせてまくったから眠気もきたけど、試験の後はだめだ。ぐるぐるとあの問いはこれで良かったのかとか、綴りはあってたのかとか、計算を足し引き間違ってなかったかとか無駄に不安なことばかり考えた。
僕の言葉にディオスも姉さんも返さなかった。またさっきみたいに校門に背中を向けたまま空や地面に視線を置く。僕も適当に正面へと視線を投げて口を結んだ。さっさとジャンヌが来れば良いのにと思いながら、今が何時かもわからない。だいぶ約束より早く着いちゃったし、まだ待たされるんだろうなと思う。……ちゃんと、来ればだけど。
『頑張りましょう、二人とも。昼休みは私達も応援に行くから』
昨日、試験直前にジャンヌは来なかった。
試験当日二限目前までは面倒見てくれたけど、試験の時には会場にも来なかった。……まぁ僕が来ないでって言ったんだけど。
教室には筆記用具すら配布型の持参不可だったから僕らは本当に暇で、落ち着かなくて、会場になる教室の外でギリギリまで往生際悪くジャンヌを待ち続けた。教室の中は僕でもわかるくらいに殺気立っていて、確認する紙もノートも本も全て持ち込み禁止にされたから頭の中の知識を溢さないように誰も一言も話さず水底みたいに静まりかえっていた。仲良く入ってきた生徒すら、持ってきたノートを試験終了までと没収された途端に並んで着席したまま無言だった。そんな教室の異様な空気の所為で、僕らだけじゃなく他にも何人か結構な人数が教室の外に避難していたほどだ。
廊下でジャンヌ達を待ってる間、ボソボソとディオスは僕の隣で「クロイの所為でジャンヌを怒らせた」「今朝約束したのに」「嫌われた」「あんなこというから」「試験前にお礼言いたかったのに」とかずっとぐちぐち泣き言言うし、僕も僕でジャンヌだけじゃなく取り巻きのフィリップやジャックまで来ないのが嫌に不安で、気分も調子も最悪だった。
だってジャンヌなら、僕の言葉をそのまま受け止めてもそれはそれで自分の代わりにジャックやフィリップを来させそうなのに。それが三人とも来ないということはディオスの言う通り、本当にジャンヌを怒らせたか嫌われたことになる。ディオスはわからないけど、少なくとも僕は愛想を尽かされたと思った。
ジャンヌが僕の言葉で怒ったならあの二人にも言ってるだろうし、ジャンヌが怒るか泣けばすれば絶対フィリップもジャックも僕らのことなんて見切りをつける。そうじゃなくてもジャンヌが行っちゃ駄目とか言えば聞くだろうし。もしくは……
〝裏切り〟
それも、考えた。
例えば、試験の内容がやっぱり全然違って僕らの勉強は全部無駄だった。それで更に試験のこの時にわざと僕らの前に来ないで動揺させて、最後の最後に僕らが駄目になるのを期待していたとか。
ジャンヌもジャックもフィリップも来なければ来ないほど、試験前なのにそんなことばかりぐちゃぐちゃ考えて落ち着かなかった。そんなことより、ジャンヌ達なんかより今は試験範囲こと考えなきゃと思っても、……ジャンヌがもしそのつもりなら、どうせ覚えたことも全部試験には出ない。そう考えれば、身体中が鈍りみたいに重くなって地面に引かれた。
そんなことない、少なくとも勉強した範囲は間違いなく試験範囲内だったと思っても、僕ら三人だけの為に王族や騎士まで動かせたジャンヌなら、僕らに嘘の試験範囲情報を流すことも簡単だろうなとも思った。試験範囲だって特待生の張り出しに記載されていただけだし、もしかしたら途中で変更になったのかも。それか本当は試験範囲なんて本当は嘘で、全く別の問題が出てきて、ジャンヌはそれを最初から知っていたとか。
姉さんに付き添ってくれた騎士だって確か学校の特別講師だって聞いたし、あの人がジャンヌに情報を流したとかも考えた。ていうかセドリック様が本物の王族なら、簡単になんでもできちゃう気がする。確かセドリック様がフリージアに移住したのも自国との共同機関運営の為とからしいし。あれだけ人心掌握とかもできる人なら、うちの王族も上手く利用できるとかもありそうだし。
……そんな、被害妄想ばかりをぶくぶく膨らませていたら試験開始まであっという間だった。
教師が来て、試験を始めるから席に着けと言われた僕とディオスは急いで空いている席に座った。ディオスは涙目だし、しかもギリギリまで廊下にいた僕らは二人分空いている席がないから離れて座ることになった。筆記用具が配られて、問題用紙と解答用紙が配られて、裏返しのまま合図を待つ間もまるで死刑執行の瞬間みたいに不気味で怖かった。
開いて、もしどれも僕やディオスが解けるような問題じゃなかったら、試験範囲じゃなかったらって。覚えてきた知識がそれに塗りつぶされそうなのを抑えて待って、ペンより心臓を鷲掴んだ。
とうとう「始め」の声で試験用紙を裏返した途端、僕はうっかり数秒固まった。
全部、ちゃんと覚えた範囲だったから。
悪い想像ばかりしていた所為で、逆に信じられなくて頭が飲み込みきらなかった。
目で追った問いの文字羅列全部ちゃんと理解できた自分がわからなかった。カリカリとペンを走らせる音がいくつも重なって響いてからやっと書かなきゃと気がついた。ペンを握って、問いを一つ一つ確認しては解いて、解いて、解いて、……解けて。信じられないくらいスラスラ解けて、夢の中なのかさえ疑った。
ディオスの方を振り向きたかったけど、不正を疑われるのが怖くて堪えて代わりにペンを握り直す手に力を込めた。書いても書いてもその問題も解けるし、しまいにはジャンヌが念の為にと僕らに教えた実力試験の範囲まで問題に入ってた。他の生徒より僕は問題に入るのが遅れたはずなのに、全部解き終わった後も周りのペンの音は止まなくて逆に不安になった。何度も何度も見直しして、他に問題を見落としていないかも確認して、解答欄がずれてないかも確かめて、余った時間はひたすらもう一度問題を解き直し続けた。
〝できた〟と思った瞬間、目の奥からツンとするものが込み上げた。
無理やり飲み込んで、歯を食い縛って、まだ終わってないと何度も何度も言い聞かせながら解き直した。まだわからない、まだ受かるかどうかは別だと二十は自分に釘刺した。
〝やっぱりジャンヌはもしかして〟とか、……少しだけ期待とかしたりして。
試験が終わった後は、席から飛び上がってディオスに駆け寄った。ディオスも一緒で、生徒に囲まれた中で口には言えなかったけど、目が「できた」「書けた」と叫んでた。多分、僕もおんなじくらい。
教室から飛び出した後は、早速ジャンヌ達を探した。廊下にもいないし、本当に試験中一度もこっちに来なかったのかなとか思ったら、今度は無性に……ムカついた。
なんで。騙したんじゃなかったのに、どうしてきてくれなかったのとか。
自分で来なくて良いとかいった癖に、見当違いだとわかっているのにムカついたし苛々した。ディオスがまた「終わった後もきてくれなかった」「どこにいるんだよ」「せっかくお礼言いたかったのに」とかぶつぶつ言い出だしたけど、今度は僕も同じ気分で何も言う気になれなかった。
中等部二年の教室どこを探してもいないし、仕方ないから戻ってくるまでジャンヌ達の教室で待つことになって、その間もずっとディオスは文句をぼやき続けていた。
戻ってこないと不安で、僕ら以外にも試験や昼休みから戻ってきた生徒もジャンヌの教室に入っては「ジャンヌは?」「なんで試験にいなかったんだろうな」とか話してて、行方を誰も知らないのがすごく気持ち悪くて。
まさかこのままいなくなっちゃうんじゃないかとか、ここまで僕らにやっといて結果も見届けずに消えるとか、なんかもうジャンヌが人間じゃなかったんじゃないかとすら思えてきた。……今思うとありえないけど。
でも、あのジャンヌなら「私のできることはここまでだから!」とか言って透けて消えちゃいそうな気がした。それくらい、現実味がなかった。僕らにここまでしてくれた意味がわからない。結局試験が全部解けたのは事実だし。
このまま最後に対価を持ってかれるくらいなら、その前にジャンヌが消えちゃった方が僕らも美味しい思いできて良いじゃんかとも思ったけど。……このままジャンヌ達に会えない方が嫌だった。
結局、昼休みも終わりそうな時間になったらケロっとした顔でジャンヌは現れるし、怒鳴ってもやつ当たってもヘラヘラするし、寧ろ何でか僕にまで謝ってくるし余計意味わかんなかったけど。でも
『……本当に、試験範囲合ってた。君達が居なかったら絶対どれも解けなかった。…………ごめん』
初めて謝れた。その途端、胸の蟠りがホロっと解れた。
少なくとも間違いなくジャンヌのお陰で試験が解けたから、それを疑っていた分だけ謝れた。それだけでも言えた途端、胸がスッとした。
まだ、ジャンヌが最後の最後に僕らを裏切る可能性もお金請求したり騙している可能性もあるし、信じられない。けれど、ここまでこれたのはジャンヌのお陰だから。
本当はそれだけでも別の言葉を言わなきゃなと思ったけど、やめた。まだ結果は出てないし、それまで言えない。最後の最後に本当にそうなるまで、絶対言ってやんないってそう決めた。
「……人、集まってきたね」
ふと、気づけば結構な人数がばらばらと門前に集まっていた。
僕ら以外にも結果が気になる生徒は多いみたい。皆、門の前で止まっては爪先立ちで自分の棟の方にもう張り出しはされているか確認しようとしてる。ディオスも最初にやったけど、当然ながら全然見えない。
僕らも開門前に着くのは初めてだったけれど、こんなに生徒がこの時間帯に集まるのを見るの自体始めてだ。いつもはこれより遅い時間に来ても、学校には僕らが一番乗りのこともあったくらいだったのに。
でも、ディオス達に声をかけてから軽く顎を上げてみてみれば少し教師らしき大人が行き交いしてるのが遠くに見えた。そろそろ開門かな、と人ごとみたいに思った途端、心臓が馬鹿正直に跳ね上がる。
手のひらまで湿り出して、誤魔化すように拳を握る。喉まで乾いてきて、鞄から水を出そうかと思ったら先に飲んでいたディオスが無言で僕に突き出してきた。
ざわざわと次第に人が増え出すのも早くなって、皆考えることは同じだったんだと思う。そりゃあそうだ、誰だって特待生の結果が気になるに決まっている。
姉さんが人の波に壁際ぎりぎりまで背中をつけて、ディオスが目に見えて狼狽えた。首ごとぐるぐる動かして、人並みの端から端まで探している。誰を探しているのかは聞かなくてもわかってる。学校の時計もここからじゃ見えないし、ジャンヌ達はあとどれくらいでくるのかなと思った時。
「あっ!」
ディオスの上擦った声が強く上がった。
見れば目を猫みたいに見開いて、遠く人並みの向こうを僕に指差した。追うようにその先に顔を向ければ、人並みの向こうから騎士様が見える。休日にジャンヌ達と一緒に家に来た人だ。爪先を立てて目を凝らせば、ちらちら銀色の頭が見えてあそこにジャンヌ達もいると僕にもわかった。
もう大分列ができていて、最前列の僕らとジャンヌ達だと声が届くほどの距離じゃない。仕方ないから僕らの方が後列に下がろうかと思ったその時
ざわり、と人垣の声が盛り上がった。
異様な空気の畝りに振り向けば、丁度守衛の騎士が門の内側に出てきたところだった。
来月からは普通の守衛が警備として就くらしいけれど、王族の護衛で特別に守衛として付いている騎士の姿に誰もが門越しに一歩引いた。毎日門を通る時にみているけれど、こうして現れるとやっぱり纏っている空気からして違う。
しかも、守衛が現れたと言うことは
「これから開門を始めます。学校より試験結果の張り出しについては聞いていますが、門を開ききっても決して押しのけ走らないように」
騎士の言葉に、門前が静まり返る。
静かなのに響いたその声はきっと僕らだけじゃなくジャンヌ達のところまで届いている。押しのけないようにという注意に少しほっとする。こんな人数が一気に走り出したら僕らは未だしも姉さんは絶対飲まれる。下手すれば転んで踏みつけられるかもしれないし、これで開門すぐ横へ避難しないで済む。
「……姉さんは、先行っててよ。どうせ掲示場所は違うし、僕らはジャンヌ達と合流してから見に行くから」
「僕もそれが良いと思う。だから姉さんはゆっくり見に行って。結果わかったら掲示から離れた場所でゆっくり待ってて!僕とクロイが迎えにいくから」
僕の言葉にディオスも続く。
目の前で騎士が施錠した門をガチャンッガチャンッ、と落ち着いた手で開けていくのを前に姉さんは指を組んだまま頷いた。僕らは後からでも人混みに入って掲示を見にいけるけど、姉さんは出出しが遅れたらずっと人並みに阻まれて見れないかもしれない。「ジャンヌちゃん達によろしくね」と少し喉を震わせながら笑う姉さんの言葉に僕らは同時に頷いた。
鈍い音を引き摺りながら開かれる門に、息を飲む音がいくつも聞こえる。僕らのだけじゃない、門前に集まった全員だ。
「……クロイ。門潜ったら一度脇に逸れよう」
「わかってる。流石にこのままじゃ邪魔だし」
顰めたディオスの声になるべく落ち付けた声で返す。
首の後ろを摩り、気づかれないように深呼吸しようと素早く息を吸っては吐いた。
互いに正面を見据えながら、目を合わせられない。見合わせれば絶対同じ色に緊張で染まっているとわかってる。ばくばくと心臓がまた煩いし、吐き気まで込み上げて何度も何度も無駄に口の中を飲み込んだ。
どうせまだ見ない。傍に逸れて、ジャンヌ達を待って、それから行く。
自分を落ち付ける為に頭を整理しても、やっぱり吐き気も心臓も落ち着かない。扉が開かれる一ミリ一ミリの隙間がもう焦ったい。
時間で言ったら六十秒もない。僕らとは比べようもない騎士の力強い太い腕でとうとう
閉ざされた門が、開かれた。




