Ⅱ105.キョウダイはバレた。
「クロイ!待たせて済まない。今日も早いな」
次の日の朝。高等部棟の玄関口で僕はセドリック様に頭を下げた。
おはようございます、と挨拶をすれば昨日と変わらない様子で気さくに返してくれる。
今のところは全く変わらない。昨日のディオスと同じように僕も反応できている。同調の要素が強まったお陰で余計に僕は〝クロイを演じるディオス〟のふりすら上手くなっていた。
挨拶を交わし、鞄を持たせてもらう。そのまま昨日のディオスと同じようにセドリック様の背中へ続
「ん?なんだ、やはり別人ではないか。昨日と今日、どちらがクロイだ?」
「へ……?」
また、だ。
昨日と同じ、全く何の前兆もなくだ。表情筋が強張って上手く動かなかった。僕だったらもう少し平然とできた筈なのに、ディオスが引っ張ってできた。
〝どうしよう〟〝ばれた〟と感情が襲ってきて、数秒だけど何も言えなくなった。数拍後に頭が追いついて、止まっていた呼吸と一緒に僕は取り繕う。
「……いえ。昨日も今日も僕ですし、僕がクロイです」
「お前は今日と二日前だろう。ならばやはり昨日の彼はディオスか……。なるほど、よく似ている」
昨日は受け流したのに今日は納得してくれない。
まるで最初から知っていたかのようにセドリック様の目には確信があった。燃える瞳にこれ以上言葉を澱ませることすらできず炙られ尽きた。今ここでどんな嘘をついても、きっと隠し通せない。一度否定したのに、二度嘘をつく度胸も僕にはなかった。
しかも昨日と別人どころか、二日前と僕が同一人物かも知られている。なんで、どこでわかったのと疑問ばかりが沸き続けるのに口から出ない。当然だ、言ったらそれが最後で僕は騙していたことを認めることになる。もしバレたら……
〝法律〟〝王族〟〝詐称〟〝刑罰〟
退学以上の恐怖に身の毛がよだつ。
王族を騙して、学校を違反して、しかも僕はあくまで〝共犯〟で一番罪を被せられるのは生徒じゃないディオスだ。
今この場で逃げ出したい欲を足の先に力を込めて堪える。駄目だ、まだ今日の分の仕事もしてないのに逃げたりしたらそれこそ不敬罪になりかねない。まだ、まだ昼休みだって残ってる。
それにセドリック様だってこの場で僕を捕らえようとも罰しようともしていない。ならやっぱり当てずっぽうかもしれない。
「まぁ良い。行くぞクロイ。今日もお前達の話を聞かせてくれ!」
はい、と。
セドリック様の背中に今度こそ続く。騎士様もいるここで僕が逃げられるわけがない。まるで処刑台にでも連れられていく気分で黄金の背中を追いかけた。
今は何も気にしない様子のセドリック様だけど、いつ気が変わるかもわからない。もしかしたら昨日と同じからかっているだけの可能性もあると少しだけ希望を持つ。今だってこれ以上深く聞いてこないし、このまま惚けるより流した方が良い。
そう自分に言い聞かせながら僕は歩く。セドリック様がこれ以上僕らのことを追求して来ないようにと願い続ける。
必要以上話そうとしない僕に、セドリック様もその後は大したことは聞いてこなかった。今朝は良い天気だったなとか、授業はどれが気に入ったかとか、姉さんは元気かとか。本当に二日前とも昨日とも変わらない日常会話だ。予鈴が鳴るまでセドリック様と話し続けた僕は、ほっと胸を撫で下ろして教室に戻った。
昨日のディオスもそうだったけれど、本当に他に気になる事ばかりが多過ぎて人の視線が気にならなくなったなと自覚する。昨日の朝までは特別教室の貴族の視線で背が縮むくらいの思いだったのに。……いや、昨日の朝は僕じゃなくディオスか。
とにかく、やっぱりセドリック様もさっきのは単なる冗談だったん
「そうだ、クロイ。昨日ディオスもオムライスを食べていたぞ。聞いたか?」
……冗談じゃ、なかった。
昼休みになってメニューを眺めながらセドリック様は当然のようにそう言った。
今朝の発言がそこで終わらず、もう完全にディオスとクロイに分けられた上で僕に話しかけていた。しかも、試すような言い方ですらなくメニュー表を凝視しながら世間話でもしてるかのようだった。引っ掛けですらなく、ただただ当然のことみたいに言うセドリック様に言葉も最初は見つからなかった。
口を開けたまま何も言えずに固まる僕に、セドリック様は「今日はこれにするか」と呟いてから振り返る。燃える瞳が嘘つきの僕を真っ赤に照らした。
「兄弟揃って好物だとは知らなかった。今日はどうする?またオムライスでも良いぞ」
「いえっ、……その、…………」
眩い笑顔に、自分の汚さや愚かさが明らかにされる。
見窄らしくて嘘付きで、今も自白も告白もできない。言わないと、謝らないとと思いながら決定打を叩き込まれるまで何も言えない僕は間違いなくディオスじゃなくてクロイだ。弱くて狡くて謝る勇気も許しを求める清廉さもないクロイだ。
─ どうしよう、謝らないとっ……
頭の中のディオスが言って、自分の声と同じそれに従おうと口が開いた。
僕が話すまで力強い笑顔を向けて待つセドリック様に、先に視線が落ちて逸らしてしまう。あの、その、ごめんなさいと言いたくて、今にも泣きそうに喉から苦しいものが込み上げる。こんなの僕じゃない、ディオスだ。
そう思うと余計にこの衝動を拒みたくて、逆らいたくて口の中を飲み込んだ。爪が食い込むほど強く握って、舌を無理やり捻り捻じ曲げる。
「いえっ、…………僕は、セドリック様と同じものが食べたいです……」
無理やり捻り出した僕の言葉に、やっぱりセドリック様は明るく一言で相槌を打った。
ならば揃いで、と自分から同じ皿を二人分注文してくれると暫く待たずに料理のトレーが出された。僕が、僕らが今まで食べたことのない料理で、運ぶ為に近づくだけで唾液が口の中に溢れて飲み込んだ。そのまま固く口を閉じ、あまり息をしないように意識しながら二枚のトレーを持ち運ぶ。
いつも運ぶ荷物よりずっと軽いけどそれ以上に緊張して、昨日より……いや二日前よりすごく運ぶのが怖かった。
怖い。朝から時間を追うごとに間違いなくディオスが僕の中に混ざってる。僕がどんな人間だったか、ディオスがどういう奴だったかもわからなくなる。だってどちらの記憶も思考もあるんだから、区別がつくわけがない。
─ クロイでも良い……!ディオスじゃなくなっても良い……‼︎
また頭の中でディオスが呻く。
そして今は、……気味が悪いことに、昨晩よりずっとそれを受け入れようとしている僕がいる。まぁ良いか、その代わりに学校にいけるならと。
ディオスじゃなくなっても、クロイじゃなくなっても、どうせ僕らはもう全て同調して共有してしまってる。一人分で二人の身体になるだけだ。クロイはディオスが羨ましくてディオスはクロイが羨ましかった。なら一緒になれば、もう苦しくだってなくなるし今朝みたいに怪しまれることもない。
自分の中でディオスを受け入れ始めた瞬間、本気で僕がクロイなのか、クロイの振りをしたディオスなのかわからなくなる。
テーブルについて、セドリック様の次に腰掛ける。美味しそうな料理に目を奪われるふりをして王族と騎士から目を逸らす。気付くなバレるなと念じながら、毒味の後に料理へフォークを向ける。セドリック様が「うん、良い味だ」と言ってからそれを合図に僕もそれを口に運んだ。
美味しくて、二日ぶりの美味しい食事に一瞬舌が反応して目が覚めた。すると「お前も気に入ったか」と楽しそうにセドリック様から声が掛けられた。
「フリージア王国は料理の種類にも富んでいるな。大国ゆえに様々な地域の料理が発展したこともあるだろうが、隣国の存在も大きいだろう。特にアネモネ王国は貿易最大手でありながら……」
他国のことは、……まだあまりわからない。
その内授業でもあるかもしれないけれど、僕らにとっては未知の世界だ。今まで一度も国を出た事すら無いんだから。
けれどセドリック様が話すと、本当に異国も旅したら楽しいんだろうなと思えるようになってくる。特にフリージア王国にとって隣国の代名詞ともいえるアネモネ王国。そして遠い遠い地にあるというハナズオ連合王国。……セドリック様の、生まれ育った国だ。
『故郷であるハナズオ連合王国のサーシスと並ぶ片翼、チャイネンシス王国の─……』
昨日のディオスの記憶を思い出す。
あの時の、セドリック様の目は郷愁や懐かしさも浮かんでいたけど何よりも誇らしげだった。わざわざフリージア王国に移住したということは、そんなに元の国は住み心地が良くなかったんじゃとも思ったけど聞いてみればそうでもないらしい。むしろ聞けば聞くほど自分の国をこの人は誇っている。
「ところでクロイ。ディオスは」
「ッ‼︎せっ……セドリック様は!何故お国を離れたのですか……⁈」
声を上げた後、すぐにしまったと思った。
ディオスの話題を振られるのが怖くて、思わず下手に話を逸らそうとしてしまった。〝クロイだったら〟もっと上手く逸らせたのに!
王族の言葉を最後まで聞かずに遮っちゃったし、不敬罪かもと慌てて側にいた騎士様に目を向けた。騎士様は目を少し丸くしてはいたけれど、僕を捕まえようとかはしてこない。怒っているというよりも、きょとんとしたディオスの驚いた顔に似た印象だ。
それからセドリック様にもすぐ目を向けると、セドリック様も口を結んだまま丸い目で僕を見返していた。丸く開いた奥で炎の瞳だけが光っている。今度こそこれは謝らないとと、フォークを置いた僕はまだ文章にもならないまま先に舌を動かして頭を下げる。
「申し訳ありません……‼︎大変、失礼致しました……!」
頭を下げるだけでも足りないと思って席から立つ。
そのままなるべく背中が伸びて見えるようにと意識しながらもっと頭を下げる。目を見開いたまま何も言わないセドリック様に、やっぱり王族相手に今のは不敬過ぎたんだと後から後から次第に冷たさが背中や首筋を撫でては引っ付いた。
僕が頭を下げた動きに、食堂全体の注目まで凍りついたのを肌で理解する。王族に何かやらかしたと遠目でもわかったんだろう。クロイをまた目立たせることになっちゃうけどしょうがない。それよりセドリック様に嫌われる方が怖いし王族に不敬で殺されたら大変なことになる。
喉が急にカラついて、セドリック様の沈黙が一秒続くごとに心臓がバクバク身体を揺らした。死ぬ、死ぬ、この場で殺されると先走った嫌なことまで考える。額まで湿ってきて、顔を上げるどころかこのまま平伏すべきかとも考えた時
「フッ……ハハッ!ははははっ……ははははははっ……‼︎」
鎮まりかけた食堂に、先にセドリック様の笑い声が響き渡った。
乾いても嘲るのでもない。何か、本当に楽しいことがあったような笑い声は響かせるほどの大きなものではなかったけど、それでも響いた。それくらい軽快で、腹の底からのような笑い声だった。
意味が分からなくて顔を上げて、自分でも息どころか瞬きの仕方すら忘れてしまう。顔の強張り切っていた筋肉が緩んでいくのを感じながら、恐る恐る僕は顔を上げた。
そんなに僕が怯えて頭を下げるのが楽しかったのか、ならやっぱり僕を怯えさせたりからかうのが最初から目的だったのか。顔を上げるまでの数秒に嫌なことばかり考えた僕を燃える瞳がはっきり映した。
「すまんすまん、……ははっ。……いや、お前もなかなかディオスに似て大袈裟というか、……慌てることもあるのだなと思ってな……」
……そういって、まだ上げきらない僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。
今の言葉が衝撃過ぎて放心する僕に、さらにセドリック様は言葉を明るく笑いながら言葉を続ける。
あれ。僕、いま〝どっち〟のつもりでいたっけ……?
「やはり兄弟だな。しかしその真面目さはクロイ、お前らしい。ハハッ、たかが遮った程度でそこまで改まることもないだろう。ほら、席につけ」
料理が冷めるぞ、と。そう言って僕の頭から肩に触れたセドリック様は、ぐっとゆっくり力を込めて僕を……〝クロイ・ファーナム〟を椅子に座らせた。
言葉も出ずに固まる僕に、セドリック様は「すまない、また髪を乱してしまった」と頭を撫でながら揃えてくれた。髪飾りは無事か?と声を掛けてくれて、フォークを握らせると「先に食べてから話そう」と言って力強く背中を叩いた。……きっとこの人は、今僕がどれだけ衝撃を受けているのかもわかっていない。
まともに返事もできないまま、フォークを動かしてまた一つ口に運ぶ。塩を振っただけじゃない豊かな味がそれだけで口いっぱいに広がった。遅い手で黙々と食べる僕より、セドリック様の方が食べるのも早くて、僕に食べながら聞いてくれと言いながら一方的に語り始めた。
「何故国を離れたのか、だったな。すぐに返さないですまなかった。少々、色々と思い出す話だったものでな。長くはなるが、適当に聞き流してくれ」
言われた途端、そもそもその問いかけ自体が王族のセドリック様に立ち入り過ぎた問いだったと気がついた。
喉を通った料理は味すらわからなくなった。それでも気にせず話してくれるセドリック様の話は、普通は僕みたいな平民が聞けるはずのない話ばかりだった。
約二年前からフリージア王国に恩があるとか、ハナズオ連合王国がそれまで閉ざされていてアネモネ王国くらいしか交易相手もいなかったとか、自分が居なくてもハナズオ連合王国は問題なく素晴らしい国王二人が司っているとか、国を繋ぐ国際郵便機関がどれほど良い機関なのかとか、ハナズオとフリージアの繋がりの為と大事な人の為にもこの道を選びたかったとか。本当に、僕相手にしかも庶民がごった返した語る必要のないことをつらつらと。僕が食べ終わった後もずっと目を輝かせて語ってくれるセドリック様は、本当に現実ではないようで。
……僕じゃない、泣きそうなのはきっとディオスだ。
そう自分に言い聞かせながら、僕は何度も細かく口の中を飲み込んでは息を止めた。
こんなところで泣くなんて、ディオスじゃないんだから。
セドリック様の話に聞き入りながら、気がつけば嘘のように時間が過ぎた。予鈴の直後、「すまん、話し過ぎたな」と笑うセドリック様は今までと同じように悠然とした足取りで去っていった。その間、僕も何か色々返した気がするけどあまり覚えていない。とんでもありません、とか聞けて嬉しかったです、とか僕らしくない言葉も色々返してしまった気がする。その度に「ディオスみたいなことを言うな」と嬉しそうに言うセドリック様にまた込み上げた。
去る背中が見えなくなるまで頭を下げ続け、そしてやっと上げたその直後。……僕はすぐに正門へと駆け出した。
まだ授業があるのに、今からじゃどうせ変わらないのに、姉さんにバレちゃうかもしれないし、迷惑だってかけるし、家まで送ることもできないのに。
それでも迫りくる衝動のままに歯を食い縛った僕は逃げ出した。焦燥と恐怖が入り混じり、逃げる以外ができなかった。
今すぐディオスのところに行こうと、ディオスにもう完全にバレていると、もう入れ替わりなんて一秒でも早く止めようと、僕が仕事で良いからもう二度とと、そう言わないとと思った。
退学が怖い、処罰が怖い、姉さんに迷惑をかけるのが怖い、ディオスが罪を問われるのが怖い、セドリック様に幻滅されるのが怖い。だけど一番は
やっぱり僕は、〝僕〟で居たい。
ディオスは、ディオスが良い。
僕らなんかが個々として誇れるとは思えない。けれどセドリック様に間違いなく僕らは見分けられた、見分けて貰えた。
僕の中だけで混ざりかけた僕とディオスが、セドリック様のあの言葉を皮切りに間違いなく二つに裂けた。僕がどんな人間で、ディオスがどんな人間なのか思い出せた。
僕は僕だ。ディオスはディオスだ。違って、どっちかが駄目で、どっちかが良いで、そう言われながら僕らは姉さんと三人で生きていたい。
見分けてしまえる人がいるなら、これからも見分けて欲しい。僕と全然違うディオスが良い。ディオスと違う僕が良い。その事を僕らは誇りながら一緒に居たい。
見分けて貰えた事が嬉しくて、これから一つになるかもしれないことが死ぬほど怖くなった。僕が消えるのもディオスが消えるのも途方もなく怖い。
セドリック様にバレているなら、もう同調しても意味がない。
これだけ僕らが一つになっても、殆ど初対面のセドリック様に見分けられたなら他の人に気づかれるのも時間の問題だ。セドリック様だけが特別じゃない。きっといつかは皆にバレる、皆に見分けられる。ならもう同調も無意味だ。入れ替わってもきっと駄目だ。だからもう止めよう、引き返せる内に今止めよう。
必死にその方向で納得できるように無理やり頭を回して、頭の中のディオスも説得する。学校にはディオスが行って良い。けど、もう同調は駄目だ。もうセドリック様にはバレたし、このまま学校にも知らされるかもしれないし退学させされるかもしれない。ならその前に一人だけが学校を通うようにすれば良い。
僕は逃げた、学校からもセドリック様からも。
もうこれ以上恥じる自分を晒したくない、セドリック様を騙したくない裏切りたくない。もう二度と
僕とディオスが消えるのを、享受なんかしたくない。




