〈コミカライズ九話更新・感謝話〉騎士団長は帰還し、
本日、コミカライズ第九話更新致しました。
感謝を込めて特別エピソードを書き下ろさせて頂きました。
時間軸は「外道王女と騎士団」です。
本編に繋がっております。
「どうだったロデリック。アーサーの様子は?」
早朝演習前に馬で戻ってきた私を、最初に迎えたのは副団長のクラークだった。
くっくっ、と喉を鳴らしながら機嫌良さそうに笑うクラークは、今日は副団長室に泊まったらしい。昨晩、酒場で飲んだ後に私を一度騎士団演習場まで連れ帰ってくれたクラークに先ずは礼をする。私もついとはいえ飲み過ぎてしまった。仮眠後にアーサーとの稽古には間に会えたものの、あのままでは時間まで酒場で一晩過ごした可能性もある。
良いんだ、と一言笑って返す友は機嫌が良い。私よりは比較的眠れただろうかと思いながら、問いにこちらからも言葉を返す。
「我が家に帰った時には既に身体を温めて待っていた。……それに」
以前からアーサーのことを気に掛けてくれていたことは知っている。
今朝の様子を話そうと、まだ人の気配も少ない演習場を歩きながら思い出す。今朝、我が息子が一体どんな様子が待っていたか。それを頭に浮かばせた瞬間、……思わず口を手で覆ったまま顔を背けてしまう。
口を突然閉ざした私にクラークも察しがついたように「なんだなんだ」と楽しそうに笑う。パンパンと背中を叩かれ先を促され、私も一呼吸置いてから今度こそ続きを口にした。
「…………髪を、括っていた。息子の顔をちゃんと見たのも久々だ」
次の瞬間には一際明るいクラークの笑い声が響いた。
良かったじゃないか‼︎と声を弾ませながら、私の肩を叩く。いま顔を背けた理由もきっと彼はわかっているだろう。
今までずっと髪を伸ばし顔を隠していた息子が、前髪も全て一纏めに括っていた。今まで私と目すら合わせなかったというのに、ここ数日が夢のようだともう何度も思う。
しかも久しく剣の稽古などしてこなかったにも関わらず、反射神経も身のこなしも昔から衰えてはいなかった。鍛錬をしてこなかったにも関わらずだ。
むしろ、以前より研ぎ澄まされている。まだ課題は山のようにあるが、才だけでいえば私よりも遥かに優れているだろう。これなら十年と言わず、鍛え直せばと。……そう思うままにクラークへ話し続ければ、途中からくっくっと喉を鳴らして笑われた。まだ人前ではないとはいえ、思わず熱が入ってしまったと思い直す。
アーサーに慢心させられない分、ついクラークにこぼし過ぎてしまった。まだ酒が残っているのかもしれないと反省する。
「アーサーの才は間違いなくお前譲りだよ。どうする、今夜も飲むか?友よ」
「……考えておこう」
昨日もつい飲み過ぎたというのに、今朝のことを思い出すとつい断ることも躊躇う。
アーサーがいくら腕が鈍っていようと一から鍛え直すつもりはあった分、正直あの技量は喜ばしかった。あれなら私が騎士団長でいる間に息子が騎士団に入団することも夢ではないとまで思わせられた。それこそ本当に
『次はその戦場に、親父の隣に俺も居っから』
「どうした、まだ酔っているのか?思い出したくらいでうっかり顔が緩むなら部屋で休んでいろ」
「いや……奥で良い。何かあったら呼んでくれ」
緩んだ顔を手で隠したが遅かった。
また私の頭の中を覗いたであろうクラークが、笑いながら押し出すように騎士団長室へ私の背中へ手を添える。
もともと崖崩落の一件で暫くは安静にしなければならない。せめて演習の様子だけでも見れられればと思ったが、確かにまだ少し休んだ方が良いのかもしれない。どの演習所からも離れた騎士団長室まで戻る気にもなれず、近くの演習所の一室を借りることにする。
クラークから家で休んでいても良いくらいだと言われるが、騎士団長である私がいつまでものんびりしているわけにもいかない。身体が無理出来ずともできることはある。そう思いながら、取り敢えず早朝演習中は身を休めるべく足を向かうことにする。
「?ロデリック、剣はどうした」
「!…………。しまった……」
クラークに指摘されるまま顔を向ける前に手を置けば、いつもあるそこで空を切った。
あまりの間抜けさに自身で額に拳を打ち付ける。今朝、アーサーと最後に手合わせをしたまま我が家に置いてきてしまったらしい。
手合わせ直後に妻に尋ねられる前に逃げてきた所為だ。我ながら思っていた以上に慌てていたのだと痛感する。
指摘したクラークも私の反応にすぐ察しがついたのか、おかしそうに笑いながら肩を叩いた。「早朝演習後も起こしにはいかないぞ」と遠回しにもっと休めと言われる。こう目に見えてしまうと言い訳もできない。はははっ!と私が無抵抗に揺らされるのにクラークの笑い声がさらに楽しげに響く。
「剣を忘れたなんて、それこそハリソンに」
「お呼びでしょうか」
……突然の声と気配と、同時に短く風が吹いた。
振り返るよりも先に誰かがわかり、長く深い溜息が自然に溢れた。私の肩を叩いていたクラークから一度笑い声が止まったと思ったが、またすぐに続く。
なんだもう起きていたのかと、それだけを意外そうにするがハリソンが突然現れたことには全く疑問にも思っていない。この数ヶ月で完全に日常だ。
教育係を担ってから、入隊後のハリソンは演習以外クラークと行動を共にすることが殆どになった。……というよりも、クラークが呼べばすぐ現れるようになった。
「また鍛錬していたのか。いつも感心だが、きちんと眠れているか?」
「問題ありません」
振り返れば、名前を呼ばれただけで駆けつけたハリソンにクラークは楽しげに肩へ手を置いていた。
短く切られた黒髪の下にある目は、私とクラークを交互に見比べている。まだ呼ばれたわけではないことに気付いていないのか、返事をした後は指示を待つように黙したままだ。
新兵の頃から鍛錬に余念がなかったハリソンは、本隊に入隊後もそれは変わらない。……本隊騎士へ所構わず手合わせを挑みにかかり始めたが。
クラーク、と。早く訂正してやれの意味を込めて名を呼べば、ハリソンより先に私へ笑みを返してきた。ハリソンの背後に回ってまた肩を叩き、そしてこちらへ押しやっては私にだけ見えるように悪戯めいた笑みを浮かべ出す。
「ロデリックが自宅に剣を忘れてな。どうだハリソン?お前から何か言いたいことはあるか?」
「ご命令とあらば今すぐ取りに伺います」
間髪入れないハリソンの提言にクラークがとうとう腹を抱えて笑った。
いや良い、と断るがハリソンの目は本気で今からでも私の家へ剣を取りに行く意志が込められていた。
剣を忘れたこと自体は騎士としてあるまじき失態だが、……どちらにせよ今日は任務も演習にも加われない。どうせ明日の朝にはアーサーの稽古でまた我が家に戻るのだからその時に回収すれば良いだろう。
「騎士としての自覚がないと斬りかからないのか?」
「……。騎士団長に限ってあり得ません」
「そうだな、誰でも間違いはある。なら今度はグウィンや他の騎士達も大目に見てやれ」
承知致しました、と。クラークからの指導にハリソンが頷いた。
グウィンと、突然出た八番隊の騎士の名にまたハリソンが手合わせに挑みかかったのかと考える。ハリソンの教育係を買ってから、いくらか問題はあってもクラークの指導は順調そうだ。むしろ互いに上手くいっているようにも見える。
クラークもよく気が回り、昔から部下のことについては私の方が助けられることも多い。彼以上にハリソンを動かせる人間も先ず居ないだろう。
「そうだハリソン。ロデリックはまだ回復していなくてな、ちゃんと演習所の空き部屋で休むまで付いていてやってくれるか」
「承知致しました」
……本当に、クラーク以上に動かせる人間はいない。
私がちゃんと休むかの監視も込みだろう。ハリソンは一度受けた命令は必ず遂行する。特に慕うクラークからの命令は絶対に逸しない。
クラークからの依頼に姿勢を正し、「騎士団長室でなくて宜しいのですか」と言いながらも指示通りに奥の部屋へ私を誘導する。更にはクラークが「ロデリックが何と言ってもしっかり休ませてくれ」と続けられればもう騎士団長である私の言葉も聞くかわからない。
最後にクラークから肩を叩かれ、とうとう本腰を入れて早朝演習が始まる前に奥へと下がる。演習所の一室を選べば、扉に手をかける前にハリソンが瞬時に扉を開いて見せた。風がふわりと顔に触れ、一言掛けた後に開かれた扉を潜る。
「どうぞお水です。上着をお預かり致します」
テキパキと私が長椅子に腰掛ける間にも別室から持ってきた水差しとグラス、更には上着を預ければ皺がつかないように物干しへ掛ける。
その動作を高速の足と持ち前の手際で動くことは感心するが、……残念ながらそれがハリソン自身へと顧みられることはない。今まででも、彼がここまで配慮に動くのは私かクラークに対してのみだ。本当にこうして動く分は他の騎士達とも変わらないのだが、それを自身や他の騎士にまで及ぶことがない。
当時、除名する予定だった彼を留めたことに関して恩に感じているのか。それとも私達に手合わせで敗北したことがきっかけか。……できることならば、その配慮を自身と他の者にも回すようになってくれれば良いのだが。
彼は放っておけば食事も睡眠もまともに取らない。年に一度は体調を崩し、倒れて寝込む。新兵時代は他の新兵と同じ共有部屋で体調不良者を過ごさせるわけにもいかず、しかも帰る家がないという彼はそのまま救護棟送りにされていた。本隊に上がり今は個室を割り当てられたが、今度は自室で人知れず倒れている図しか想像もつかない。
「騎士団長。他に必要なものがあればなんなりとお申し付け下さい」
「ああ、大丈夫だ。すまないな、ハリソン。また何かあれば呼びに来てくれ」
私が横になるまではクラークの命令通りこの部屋からも動かないだろうハリソンに、長椅子をベッド代わりにして仕方なく身を休める。
ベッドやソファーを運んでこようかとも提案されたが断る。下手にベッドやソファーの上で寝ればそれこそ熟睡しかねない。それでは演習所まで出た意味がない。
私のその姿を見てから、返事と共に深々と頭を下げたハリソンは今度は高速の足もつかわず一歩一歩慎重に部屋を出て行った。足音から無音に近く、気配まで消す彼は扉を閉める音だけを小さく残していった。
ハリソンが居なくなり、無人となったと確信した瞬間に深く長く息を吐き出してしまう。目を閉じ、黒になる視界の中で全身が思い出したように重くなる。改めてまだ重傷者に変わりないのだと思い知る。
「……つい力が入り過ぎたな」
ハァ……と誰へともなく一人呟き、息を吐く。
横になったまま目を閉じれば、鮮明に頭に思い出されるのは今朝のアーサーだった。あれだけ何があっても束ねようとしなかった髪を前髪まで括り、しかも剣までちゃんと磨いていた。
もともと早朝や深夜に畑仕事で起きていることは多かったから遅れるとは思わなかったが、……正直待たれていたことすら嬉しかった。私が帰ることを知っていた時は、敢えて部屋に引っ込んでいるか裏の畑に出ている息子に待たれたことなどもう久しくなかった。寧ろ避けられていたことも自覚している。
稽古を始めれば、昔と変わらず真面目に取り組んだ。文句も言わず、手を抜こうとしない姿は以前の騎士を目指していた頃と全く同じだった。いくら畑仕事で身体を動かすことになれていたとはいえ、数年振りの稽古にどれだけついてこれるかと思ったが根を上げようともせず最後までついてきた。
そのどれもが喜ばし過ぎたあまり、私も些か時間を忘れてしまった。最後の手合わせではあれだけの才を見せたのだから。
直後には妻に言及されたからと慌てて出て剣も忘れてしまっていたが、……それ以上に、無自覚に浮かれ過ぎていたのだろう。いつもなら疲労や飲み過ぎても、慌てた程度で大事な剣を忘れたりしない。
フ、と。最後まで思い出せば反省すべきなのに笑みまで溢れてしまう。息子のことでこんな緩んだ顔などクラークはともかく他の騎士達には見せられない。親バカと言われても文句が言えない。薄く目を開き、眉間に皺を寄せながら頭上の棚底を意味もなく睨み付ける。
去った筈のハリソンがまだ気配を消して佇んでいないかと、つい薄目のまま確認してしまう。
やはり居ない。もう暫くしたら早朝演習か、もしくは既にクラークへ報告に向かったか。
そう考えてから今度は意識的に呼吸を深め、整えた。目を閉じ、本格的に身を休めることへ集中する。可能であれば午後からの演習だけでも監督に戻れれば良いのだが。
……また、明日の朝も楽しみだ。
また思考が重い巡りかけたところで、瞼に力を込める。
仮眠、と頭へと自身で命じながら、眠りに身を沈めた。
Ⅱ50-感謝




