Ⅱ95.支配少女は肩を揺らし、
2months ago.
「おい」と。
その声は、ガラガラと濁りきった喉から掠れて放たれた。
地下深いその抜け穴で、彼は目を覚ましたばかりだった。高所から落下し、背中を打ちつけ骨を何本も纏めて折った彼は一人ではまともに歩くことも叶わない。少し筋肉を動かせようとするだけで内側から骨が肉を引っ掻き抉った。
でこぼことした土と岩肌が歩くだけで靴の裏が押し上げる低い天井と狭い通路。それだけでも男の息が詰まった。
「……プライドは。……なん……で、俺は助がッた……?お前、何し……だ……?」
歪な声で尋ねる男の声は微かに通路に反響した。
爆弾に火をつけ破裂する瞬間で男の記憶は途切れている。何故自分が死なずにこんなところで泥を被って歩かされているのかもわからない。
男に肩を貸したまま歩き続ける女性は、彼の問いに己が知る答えだけを細い喉から並べ立てた。
「プライド王女がどうなったかはわかりません。爆発後、我々は崩落する塔ごと地下の隠し通路まで落下しました」
アダムの問いに淡々と平らな声で答える彼女は、湧き上がる主人の殺気すらものともしない。
だがその言葉だけでは説明も不十分だった。塔の下に自分達が通ってきた隠し通路があることはアダムも知っている。しかし自分達は爆破を直接受け、地下への梯子を降りるどころか手を掛ける暇もなかった。もし運良く足場が地下まで崩壊して隠し通路まで着地できたとしても瓦礫もろともだ。生き埋めの間もなく一瞬で潰され、跡形も残らないに決まっている。
しかしそれを主人が疑問に思う前に続ける彼女の言葉はシンプルだった。
「私の特殊能力で衝撃と瓦礫を〝通り抜け〟ました」
ペッと。直後にアダムはその顔へ唾を吐きかけた。
嘘吐くんじゃねぇと枯れた喉で浴びせ、睨む。彼女にそんなことが出来る訳がない。
彼女の特殊能力はあくまで〝透明化〟だけ。今まで彼女を使い様々な暗躍をしてきたアダムだが、そのようなことができるなど聞いても見てもいない。
自分に従順な秘密道具だが、それでもアダムは信じない。どうせ頭を打った拍子に螺子が数本抜けたんだろうと考える。
血の混じった唾を吐きかけられた彼女はそれでも表情をぴくりとすら変えなかった。ただただ己の知る事実として「本当です」と淡々とした口調で返す。
「じゃあぁああ見せてみろグゾガズがぁああ‼︎通り抜けれんだったらこっちも苦労しねぇんだよ馬鹿のカスのウスノロドブスのガラグだ道具がァ‼︎今すぐぅ証拠をみせろ証拠をぉおお‼︎プライドを見失ったどころが俺様に嘘つくとかこの不良品の壊れもんがぁあああああ」
苛立ちを隠せず水の足りない喉で掠れ途切れながら吐き捨てる。
自分が何故助かったかもプライドがどうなったかも全てがわからない焦燥と、理解できない状況への気持ち悪さが彼を荒ぶらせた。
耳の横で壊れたレコードのように喚き続けるアダムにティペットの足がぴたりと止まる。
さっきまで殆ど自分の細い両足だけで進ませていた退路を止め、一人では動けない主を土壁に背中を預けるように座らせる。自身も腰を下ろし、怒鳴っただけで肩が上下するほど息の荒い主人を無感情な目で正面から見据えた。
血走った目と赤い瞳で、眼球全てが血に濡れたように真っ赤な主人の睨みを受け止める。細く白い左手をヒュウヒュウと荒い息のアダムへ肩に添えれば、弾けるような罵詈雑言が彼の口から放たれた。それを受けながらティペットの右手は躊躇いなく
彼の中心を貫いた。
「……ハ…………?」
流石のアダムも、これには眼を向いた。
細いティペットの腕が、何の躊躇い衝撃もなく自身の身体の中心に埋まる。首ごと目蓋のなくなった目で貫かれた中心を見れば、彼女の肘から下は自分の中だ。
殺ラレタ、と。反射的に思ったが貫かれた感覚どころか痛みもない。喉から血が込み上げることもなく、ただまるで幻覚のようにティペットの腕が自分に埋まり、消えている。
「証拠です」
その一時だけ、アダムはプライドのことすら頭から消えた。
間違いなく自分の身体を通過した腕を穴が空くほど凝視し、そしてまたするりと抜かれるまで瞬きどころか息もできなかった。
開きすぎた目蓋が眼球の乾きに痙攣する中、口を開いたままアダムは何も言わない。彼女が自分の命令通り証拠を見せただけだと頭が理解できたのにも時間が必要だった。痛みも、感触も、温度もなく、目を閉じていれば何も気付かずに彼女の身体が自分を通り抜けていたであろう事実に頭が割れんばかりに揺らされる。
「詳細はわかりません。私自身初めて知りました。私と触れている間はアダム様も同様に透過していました」
彼が爆弾に火を付ける瞬間も彼女は変わらずアダムに触れていた。
もし万が一騎士が駆け付けても、透明化している間は見つからずに時間を稼げる。そして自爆と道連れをされるとわかった上で彼女はアダムも止めようとも自分だけ逃げようともしなかった。
爆発し、そのまま最期だと理解した瞬間に特殊能力が開花した。火薬の閃光で意識を手放したアダムと違い、その背後に控えていた彼女は幸いにもその光だけでは意識を失わなかった。
爆破の衝撃も、降ってくる瓦礫も透過し、足場まで透過し落下しながらも崩れ落ちる奈落の先が地下通路だと理解した瞬間、〝止まりたい〟と望んだ彼女の意思通りにそれ以上通過しなかった。背中や肩を酷く打ち付け更には半分主人を下敷きにしてしまいながらも命を拾った彼女は、降ってくる瓦礫も透過し、崩れ落ちた瓦礫の中で出口を探しアダムを引き摺り歩き続けた。
そうして今やっと瓦礫の中ではない通路へ出た先こそが、プライドと塔へ移る際に選ばなかった、二本の内の一つ。国外へ出る為の通路だった。
「ハ……ハハハ……ッ」
あんぐり開いた口が、邪悪に引き上がる。
ティペットが腕を抜いた後も自分の腹に風穴が空いていないことを確認する余裕も余力もないアダムから乾いた音が漏れ出した。
彼女の証言が事実であり、彼女はまだまだ〝使える〟モノなのだと理解する。透明になるだけではない、全てを通り抜け彼女に触れた者すら同様になるのだとすれば、ティペットの存在だけでアダムの世界はまた変わる。
「御理解頂けましたでしょうか、アダム様」
淡々と、主人からの反応に説明の是非のみを尋ねる彼女にアダムは答えない。
代わりに喉が引き攣り、痛みを叫ぶのも構わない彼は大きく笑い出した。
ハハハ、ハハハハハハハハハハハハハッッ‼︎ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ⁈‼︎と、途中からは自分でも制御できない笑い声が通路内に響く。笑い過ぎて喉から血を吐き、それでも可笑しくておかしくて堪らない。
ハハハハハハハハハハハと壊れた笑いを続ける主に、ティペットは納得はして貰えたとだけ判断し、再び彼に肩を貸した。耳のすぐ横で大笑いを響かされながら、先ほどと変わらないようにまた一歩一歩進み出す。
激痛の走る身体を酷使させられながらアダムは、それ以上は文句も殆ど言わなかった。プライドがどうなったかはわからない。しかし、今自分の片腕にはそれを〝知る方法〟も〝奪う方法〟もあるのだと。
最悪の場合は彼女の死体だけでも葬儀前に奪えるのだと思いながら、喉を枯らしてアダムは歩く。
「ぅ〜……アぁ、いィどぉ……」
この上ない生きる希望を、醜く宿しながら。
……
「……姉君。御準備は宜しいでしょうか」
いつも通り、ジルベール宰相により子どもの姿に変えて貰ったあと。
変装を終えた私は、鏡を確認したところで扉の向こうから呼びかけられた。返事を返せば、十四歳のステイルとアーサーがカラム隊長と一緒に並んで部屋に入ってきてくれる。
今日カラム隊長は早めの朝食前に近衛で来てくれたけど、アーサーには今日会うのは今が始めてだ。
カラム隊長は学校へ単独で向かってくれるけれど、アーサーはステイルや私と一緒にエリック副隊長のお家から向かうことになる。いつも通りの流れだ。ただし、いつもより遥かに早いけれども。ファーナム兄弟の指定の時間だとどうしても早朝になってしまった。少なくとも一時間は余裕を持っておかないと、試験で緊張する彼らを待たせてしまうかもしれない。
アーサー達は早朝演習の時間と大して変わらないらしいけれど、ステイルはただでさえ毎日忙しいのに余計早起きさせてしまった。その所為か今日は朝から顔色が優れない。
「ごめんなさいね、ステイル。まだ疲れが抜けていないのでしょう?もし辛かったら授業中こっそりなら寝ても平気よ」
「いえ……ちゃんと睡眠は取れました。…………本当に」
そう言いながら、声の抑揚はいつもより更に平坦だ。
取れた、といっても昨夜は私の為にわざわざ通達してからの睡眠だっただろうし、いつもより眠りも浅い筈だ。朝会った時も、身体中重そうだったし、背筋も丸くて項垂れているかのようだった。
体調が悪いわけじゃないらしいけれど、ぐったりとした声で「少し寝坊……いえ、まだ目が覚めきってないだけです」と言ってたからやはり寝不足なのだろう。ステイルが寝坊なんて珍しい。専属侍女に起こされても起きなかったということか。昨夜はアーサーと話したいこともあると言ってたし、もしかしたら予定より少し話が弾んだのかもしれない。
今こうして見てもぐったりしたステイルに、アーサーが少し労るような眼差しを投げている。アーサーの方はしゃっきりしていて偉いなと思う。カラム隊長もそうだったけど、やっぱり騎士はすごい。私だって昨晩早めに寝てもまだ眠いのに。昼休みは、皆でお昼寝タイムにでもしようかなと今から考えてしまう。
「少しまだ早いけれど、平気かしら」
時計を確認して投げかける。
早め早めに行動したから、三十分近く早く準備ができてしまった。専属侍女達ももうこの格好に着替えさせるのは手慣れてくれた。まぁ、いつものドレスや化粧と比べたら軽装備だし、何より彼女らはプロだから当然だろう。
ステイルが返すよりもカラム隊長が「大丈夫だと思います」と答えてくれる。エリック副隊長はもともと早め行動の人だからきっともう待っていると。それに私から頷いたその時。
「プライド様。……もう、せっかくのお召し物に〝刺繍〟はご遠慮下さい」
ぎくっ。
見送ってくれる専属侍女のマリーの言葉に肩が上下する。振り返れば、マリーだけでなく同じ専属侍女のロッテも曖昧な笑みを私に向けていた。
言うまでもなく、この変装用の服を針と糸で弄られること自体は別段問題ではない。庶民に見えるように敢えて洗って着回しはするけれど、基本的に代わりの服はいくらでもあるのだから。
ドレスすら一回来たら終わりなのも普通な身分の王族で問題なのはそこではない。これはマリーからの遠回しな警告だ。
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