Ⅱ92.義弟は思考に負ける。
「畏まりました。では、そのようにさせて頂きます」
深々と頭を下げたジルベールにプライドが「ありがとうございます」と感謝を伝える。
学校から帰城しいつものように服を着替えた俺は、プライドとジルベールとのやり取りを眺めていた。休息時間も兼ねてプライドの部屋で寛ぎながら、今日あったことを頭で思い返す。
プライドの隣に座るティアラが、何度も両手で口を覆っては目を丸くしていた。気持ちはわかる、俺も最初カラム隊長から聞いた時は目眩すら覚えた。何せ、十四歳の姿のプライドが成人男性に襲われたのだから。
着替えを終えたプライドは、気持ちも大分落ち着いたのか自分から今日あったことを話すと言い出した。いつものように俺からジルベールに話そうとしたが、……彼女の口から言えるのならばその方が良いだろう。俺はアラン隊長と違って現場を知らない。
あのジルベールですら、プライドから話を聞いた時は顔色を変えた。こいつのことだからアダムの可能性やラジヤの陰謀、正体を知られた誘拐や生徒を狙う人身売買などいくつも可能性を鑑みたのだろう。俺だって真相を理解するまでは、本気でプライドの極秘視察を中止すべきかと考えた。
俺が彼女に話した推測を含め、最後まで聞いてからやっとジルベールも状況を正しく理解して顔色を取り戻した。
プライドの専属侍女であるマリーが淹れた紅茶を一口飲んだ後、音もなく受け皿に置いたジルベールは「それで」と話を促し、やっと本題を彼女は話し終えた。
一日での学校内部の様子、教師の対応と能力、高等部の治安の悪さ、そして今日あったこの事件がどれほどの時間差でジルベールへ届くかの確認も含めて報告を終えれば、プライドも一息ついたかのようにソファーに背中を預けた。
……本当に、近衛騎士を増やしておいて正解だった。
今まで何度もプライドの窮地を近衛騎士に救われているが、今回はつくづく人数の重要性を思い知った。
同級生としてプライドの一番近くに居られた俺とアーサーですら届かなかった。更には近衛騎士とはいえ、関係を隠したままでの護衛。距離を取っての護衛だった所為で一度はプライドを見失ってしまったアラン隊長が、そこで冷静に対処してすぐプライドを見つけてくれたのは流石としか言いようがない。並の護衛ではそのまま見失っていてもおかしくなかった。やはり優秀で信頼できる人材は一人でも多く傍に付けておくに限る。もしこれで万が一にも無体やプライドの肌や衣服に傷や乱れ一つでもあったら、正体を知っていようがいまいが確実に俺が処分しかねなかった。
……大体、どういう理由があろうとも女性を拘束、監禁するなど許されない。標的がプライドであったことも腹立たしくて仕方ないが、何の後ろ盾も力も味方もいない人間や、たとえどのような辛い目に遭おうとも身内に心配をかけまいと隠し通すような人間だったらどれほど残酷な結果を招いたか。過去のパウエルや或る人物を思い出せば嫌でも胸が軋んだ。むしろ近衛騎士がついているプライドでなければ、発覚すらしなかった可能性もあると思えば余計に腹立たしい。
アラン隊長は少し手加減を違えたと行っていたが、外傷も無いだけマシだ。俺がその場で発見したら、それこそ問答無用で校舎の屋上から落としている。……しまった。これではヴァルのことを言えない。
思い出せば思い出すほど苛立ちが募り、腕を組み口の中を噛んで堪える。別に奴らの罰を無罪放免にしてやる訳でもなく法に則っている。プライドもジルベールも、護衛中のカラム隊長とアラン隊長も、そしてティアラも冷静に客観的な視点で意見を合わせているのに俺だけが納得せずにいてどうする?!
自分の心の狭さが恥ずかしくなり、余計臓腑が煮えくりかえる。このままだと今夜も就寝時間は着替えず侍女には帰ってもらうことになりそうだ。
アーサーが部屋に戻る時間まで待っていられそうにもない。確実にまた家主よりも先に部屋で寛ぐことになるだろう。
今は早くヴェスト叔父様の手伝いに戻り、仕事で思考を埋めて落ち着きたい。このままだとうっかり殺意まで込み上げそうだと危機感すら覚える。この場でそんなことになれば部屋から出た途端、ジルベールにからかわれる気すらする。いやもう奴のことだし気付いているのかもしれない。
「ステイル?」
堪えていれば、まさかの一番気付かれたくない人に声を掛けられた。
力を抜けず顔を上げるだけで反応すれば、プライドだけでなくティアラまで揃って心配そうに俺を見ていた。どうかした?と尋ねられ、一言で返す。
俺も、反論がしたいわけではない。俺だってプライド達と意見は一緒だ。ただ、社会的弱者の立場を考えると余計に私情が入ってしまうだけだ。大丈夫、ちゃんと理解はしている。もう感情だけで屁理屈を捏ねる子どもではないのだから。
自分に自分で言い聞かせ、落ち着ける。その間も俺から視線を逸らさないプライドとティアラに、ジルベールの視線まで入る。心配そうな二人と違い、ジルベールは察しがついているような労わるような眼差しを注いでくる。反射的に睨んで返してやれば、まだ睨む程度の余裕はあるらしいと判断されたかにっこりと笑顔を返された。お陰で落ち着けた筈の内側がまた煮えたぎ始め
「ごめんなさいね。ステイル」
……急に、謝罪が入った。
何故そこで貴方が謝るのか。何か勘違いでもしているのではないかとまで考え、鋭かった筈の自分の目が丸くなってしまうのを感じる。
見れば、心配そうに顔をしぼめていたプライドの顔が、今は眉を垂らして笑っている。その顔を見た瞬間、一気に内側の淀みが溶けていく。腹立たしさよりも、プライドがそんな表情をする理由の方が優先的に気になってしまう。
手を伸ばされ、頭を撫でられる。もうこの面面の前で撫でられることも慣れて見られることに恥じらいもそこまでないが、プライドにまでむくれていることがバレたのだなと確信して悔しくなる。これでは一番子どもなのは俺じゃないか。年下でプライドと同じ女性のティアラすら、今は納得しているというのに。
「……別に、プライドが謝ることはありません。俺個人が単純に腹立たしく思っているだけですから」
「ううん、そうじゃなくて」
断ろうとした言葉が、真っ二つに切られる。
予想をしていなかった返答に、絞ろうとした口が力なく開いた。え?と間の抜けた声まで一緒に出てしまい、見返せば柔らかな笑みでまた俺の髪を撫でた。頭の輪郭を追うように撫でてくれる彼女の手の感覚が、恐ろしいほど胸を落ち着ける。苦笑したまま一度結んだ彼女の唇が再び開かれるのを待てば、すぐにそれは放たれた。
「私だってもしステイルやアーサーが酷い目に遭わされたら、どんな理由があっても許せなくなると思うのに。自分のこと棚にあげちゃってごめんなさい」
……この人は。
本当に、本当にどうしてこういう時に俺の予想を斜め上に飛んで発言するのか。
さっきまで心地よかっただけの撫でられる頭は急激にくすぐったくなる。平然とそんな台詞を発しているプライドの手は全くぶれが無い。落ち着き、俺の髪の流れに合わせて繰り返しゆっくりゆっくりと撫でてくれる。
まるで当然のことを、当たり前のことを話すような口ぶりで語る彼女の姿が段々と視界からぼやけていく。自分の熱で眼鏡がぼやけた所為だとすぐに理解したが、それまでだ。
「でもね、自分のことだからこれで良いと思ってそうしたいわけじゃないの。……これが本当に正しいと思うから」
そんな柔らかな声で言わないで下さい。
どんな顔をすれば良いかわからなくなる。頭だけでなく耳までくすぐったいし、息が内側から熱くなる。曇った眼鏡の隙間から花のように笑う眼差しがちらりと見えてそれだけで息も止まる。
もう「わかってます」「言われなくてもちゃんとわかっていますから」と、俺が折れてそれしか言えなくなった。顔ごと逸らし、熱を持った顔を隠すように眼鏡の黒縁を押さえつけた手で隠すがそれでもプライドは撫でる手をやめてくれない。本当に、本当に本当に本当に本当にこの人は
どうした一体?!
心の叫びだけが、脳内で絶叫に近い音で放たれる。
もう、最近のプライドが絶対におかしい。昔から人の気持ちを汲んで掬い取ってくれたし、俺達のことも理解してくれた。これ以上ない言葉だってくれたし、そうやって数え切れないほど俺は救われてきた。今回のことだって彼女が俺の気持ちを理解して察して心配して謝って説得して慰めてくれることなどいつものことだ。それ自体はもうとっくの昔に諦めている。だがそうじゃない、問題はそこじゃない!!もう、ここ最近ずっとプライドはこの調子だ。妙に抜けているところも次期女王として若干心配になるが、それを置いても本当にプライドなのかと言いたくなるほどの彼女に頭を抱えたくなる。というかもう何度か抱えている。いや、良い!良いんだが!!しかしどうにもこうにも、近頃の彼女はっ……
「~~~~っっ……もう、……良いですから。……わかって下さっているなら、それで……」
助けてくれ。
このままでは本気でプライドに殺される。
プライドが「ありがとう」と嬉しそうな声を俺に返してくる。その言葉だけで一人手の甲を口に押しつけ、唇の内側を僅かに噛みきった。血の味に意識を逸らしつつ、彼女の手が早く離れて欲しいと願う。俺からはどうしようもなくふりほどけない。
眼鏡が曇って見えない所為か、余計に触覚に敏感になって撫でられるくすぐったさを感じてしまう。白い視界の中で俯き固まってしまうと、笑いを堪えた声でジルベールが「それではプライド様、私は早速」と切り出した。
その途端、プライドの手が止まり、やっとくすぐったさから開放される。しかし、まだ撫でるつもりなのか俺の頭に手を置いたままジルベールに言葉を返すプライドにまさか狙ってやっているのかとさえ思う。
「ステイル様。私は今からヴェスト摂政の元へ窺いますが、どうなさいますか?ちょうど〝例の件〟についても使者から通達が届いたそうですよ」
くそ。ジルベールに救われるとは。
そうは思いながら、この機会は逃せない。話が本当なら今すぐにでも詳細を聞きたいし進めたい。そして今はこの場から一刻も早く逃げ出したい。プライドの手から逃げないと心臓が破裂して死ぬ。
ソファーから立ち上がればそのままするりとプライドの手が退けられる。勿体ない気もしたが、今は命を優先させる。若干ふらつく足と、白くぼやけた視界で息を整える。眼鏡を外し、レンズの曇りを拭きながらプライドより更に向こうへと呼びかける。
「今、行く。……ティアラ、お前も付き合え」
そろそろ休息時間が終わる筈のティアラに。
俺の危機をこの上なくにこにこと満面の笑顔で眺めていたティアラは、自分が話を振られたことに目を丸くした。「私⁇」と首を傾げ、それでもすぐにソファーから立ち上がった。ふらつく俺を気遣うように歩み寄り、腕にしがみついてくる。プライドよりも背の低いティアラは眼鏡をかけ直す俺を下から覗きこむ。
「兄様、また悪い事考えているの?」
「安心しろ、お前にとってもいい話だ」
敢えて俺の顔色には触れず、楽しそうに笑い掛けてくるティアラに俺も真っ直ぐ視線で返す。
すると「じゃあ行くわっ」と悪戯っぽく声を弾ませたティアラは俺の腕を引いて扉へ向かう。
ジルベールと俺を促すように足を進ませ、プライドに挨拶した。俺もティアラに続いたが、まだまともに彼女の顔が見れなかった。せっかく落ち着いてきた顔色をこれ以上濃くしたくない。
ティアラに引っ張ってもらう形で部屋を退出すれば、ジルベールも後に続いた。取り敢えずヴェスト叔父様の元に着くまでにはこの顔色を何とかしなければと考える。そして早く夜になってこのことをアーサーに日が昇るまで愚痴りたいと、情けないことを考えてしまう。
……この時の思いのせいで、まさかこの俺までやらかすことになるなど想像もしなかった。




