そして痛む。
ロバート先生も手で払うように私達に退場を促してくれ、頷いた私達は一度職員室の方角へ逃げるように下がった。
角を曲がって来たのとは反対側の階段まで退がり、壁に背中をつける。息を殺してそのまま昇降口から彼らが去るのを待つと、教師達が彼らに家へ帰るよう声を掛けるのがうっすらと聞こえてきた。
「さぁ、君達ももう帰りなさい」
「チェスター、アン。お前らまで退学にはさせないから兄達の分勉強を頑張りなさい」
「そうよ。今日は試験もあって疲れたでしょう?辛いとは思うけど先ずは休んで」
「大丈夫よ。未遂だったのだから、きっと貴方達の元に帰ってくるわ」
気遣う声と、萎んだ声が交互に聞こえる。
先生達は全員講師と違って学問全般に優秀な教師達だから、当然我が国の刑罰についてもわかっている。その上で二人を追い詰めないように言葉を選んでいるようだった。
そのまま昇降口の方へ二人分の足音がゆっくり、本当にゆっくりと遠のいて行った。連れ去られた兄達を追うでもなく、……反射だけで歩いているような足取りで。
先生達もそれを見送ってからか、しばらくしてからぞろぞろと足並みがこちらに近付き途中で消えて行った。手前の職員室へ入って行ったのだろう。
背中をつけた先の廊下から何の気配も感じなくなった私は、壁の冷たさを感じながら俯く。
彼ら二人がやったことは間違いなく我が国でも犯罪だ。
しかも被害者が私でなく無差別だった場合、あれ以上酷い目に遭っていた場合もある。アラン隊長がついていてくれなかったら、私だって怪我ぐらいはしたかもしれない。だけどこのままでは……
「……おい、フィリップ。どォした」
不意に横からアーサーが投げ掛けた。
壁から背中を起こして少しだけ前屈みになったアーサーは、隣に並ぶステイルを覗き込んでいる。私も一緒に視線を向ければ、ステイルは眼鏡の黒縁を人差し指で押さえたまま私よりも深く俯いていた。はっきりとは顔が見えないけれど、首筋にたらりと汗が伝っている。やはり厳しいステイルも彼らの様子に思うところがあったのだろうか。
フィリップ?と彼を呼べば、ステイルは少しだけ顎を上げた。「すみません……」と掠めるような声で呟いた後、僅かに顔色の悪い彼は小さくその唇を動かす。
「……今回の真相が、……読めてきました……」
えっ、あっ?と私とアーサーの声が重なった。
まるで名探偵みたいなことを言うステイルに、どういうこと?と尋ねればまだ俯いた視線のまままた少しだけ更に顔を上げて声を潜めた。
「まだカラム隊長や、奴から詳しく聞いてはいないので、確実にとは言えませんが……」
「テメェの読みが外れるほうが少ねぇだろォが」
良いから言えよ、と戸惑い気味のステイルをアーサーがバッサリと切って促す。
私も同意見だ。私よりずっと頭の良い策士ステイルの推理なら間違いない。校門で待ってくれているエリック副隊長と合流してからにすべきかとも考えたけれど、今は早く聞きたい。
私からもお願い、とこの場での推理お披露目を希望すると、ちょっと眉を寄せるように痙攣させたステイルは「先にこれだけは言っておきますが」と低めた声で私に顔を向けた。
「ジャンヌ、貴方は被害者です。そして彼らが退学なのも今後必要な罰を受けることも正当な結果であり、覆すべきではありません」
良いですね?と念を押すように言われ、よくわからないままただただ頷く。それくらいは流石に私もわかっている。
それでも頷いた後のステイルはまだ少し心配するような面持ちでハァ……と大きく息を吐いた。同時にさっきまで上がっていた肩を落とすと、眉を中心に寄せたまま一つ一つ答え合わせのように潜めた声で話してくれた。
「……先ず、良くも悪くも今回彼らに狙われたのは〝ジャンヌ〟です」
つまり生徒や女子なら誰でも良かったわけでもなく、私個人が狙われた。
同時に〝第一王女〟として正体が気づかれたのではなく、あくまで一般生徒である〝ジャンヌ〟が狙われたということだ。
うん、とそれに少しだけほっとしながら私は次を促した。つまりは人身売買やアダム達の可能性が低いのは良いことだ。
「そして彼らの狙いは恐らく、……貴方を昼休みの間だけ拘束することだったのではないかと」
昼休みだけ⁇
なんとも短い監禁時間だ。
ステイルが続けてちょっぴり黒い覇気を混じえながら「勿論、それ以上の害を与えるつもりだった疑いもありますが」と目だけで彼らの連行された先を睨んだ。まぁ昼休みの時間だけでも年下且つ女性に被害を与えようとすればやりようはいくらでもある。二人がかりなら尚更だ。
「なンで昼休みだけなんだよ?顔も見られてンだぞ」
「彼らからすれば、昼休みで充分だったからだ。普通の女子生徒なら男二人で脅せば充分誤魔化せる」
確かに、彼らに捕まった時も言葉でとにかく脅している印象だった。……普通の子だったらトラウマレベルで怖かっただろうし、やっぱりそう思うと見過ごせないけれど。
「目的は、ジャンヌを特待生試験に行かせないことだったのだからな」
……え?
さらりと続けて言ったステイルの言葉に私は目を見開く。
何故ピンポイントでそこ⁇確かに、私はディオスとクロイに会うつもりだった。だけどそんなの高等部の彼らが知るわけもないし、どうしてあの道を通るとわかったのかとか、大体なんでそこまでされて二人の応援を邪魔されるのかわからない。
乾き切った目でそのままステイルを見つめれば、アーサーに向けていた目をステイルはバツが悪そうに私へ戻した。
「……恐らく、彼らは妹と弟の為にやったのでしょう。さっきの教師の話から聞いても、二人も特待生試験は受けたようです」
それはわかる。
というか大体の生徒は受けている筈だ。試験を受けるのは無料だし、運良く受かれば多くの特典を与えられるのだから。
「彼らの学力は知りませんが、中級階級の人間なら少なくとも下級層の生徒よりは有利です。庶民でもこの年頃なら文字の読み書き程度はできる人間もいますし、それだけでも上位に滑り込める可能性はあるかと」
試験範囲も授業の内容だけですし、と続けるステイルにアーサーが「あ」の口で絶句した。
どうやら私より先にステイルのヒントでわかったらしい。ステイルが振り向かずにアーサーの一音だけで彼が察したであろうことを理解すると「そういうことだ」と先に言葉を投げた。
その途端、アーサーが開いたままの口も片手で覆って視線を泳がせてしまう。
「そして彼らは、ジャンヌを特待生試験から外すことで少しでも弟妹の合格の可能性を上げたかったのでしょう。彼らは僕らと同学年ですから」
「?どうして私なの⁇?合格の可能性を上げたいなら、ディオスとクロイだって……」
「昼休みに女子が言っていたことを思い出してみてください」
昼休み……に女子と話したというと、クラスに戻ってきた後のことだろうか。
ステイルに言われた通りに記憶を遡れば、すぐに思い出せた。私が特待生試験を受けると誤解をされていてすごく心配をかけてしまった。つまりは彼ら兄二人も私が受けると誤解していて邪魔をしたということか。いやでも同年代の妹弟ならわかるけれど、どうして彼らがそんなことを……
はっっっ!!
……声も出なかった。
出るよりも先に誰も聞いていない筈なのに両手で口を押さえてしまう。両肩が思い切り上がり、息が止まる。ステイルの漆黒の眼差しがまっすぐに私を写して「そういうことです」と大きく頷いた。
うん、わかった。寧ろ気付くのが遅すぎた。もう完全に私の頭の中ではファーナム兄弟へ会いに行く途中で捕まったという認識しかなかった。
頭の中でまるで鐘の音のようにガンゴンガンゴンとあの時に言われた言葉が頭を殴る。
『ジャンヌが特待生を狙っているって学校中で有名だよ』
「しかも、ジャンヌが実力試験で満点を取ったことは俺達の学級なら誰でも知っています。そこから同年代同士で他クラスにまで噂が回っても何らおかしくありません」
同年代。しかも元々は全員この城下に住んでいる子が殆どだ。私達が最初にクラスに入った時だって既に知り合い同士でグループができあがっていた。なら、他クラスにだって知り合い同士がいるに決まっている。
『極一部には、満点を取った者もいるが』
ロバート先生の発言なんて、当然良い話題だ。
満点を取った生徒が同年代にいる、と聞いてしかもその子が特待生試験を狙う気満々なのだと学校中で噂になっている。
当然それは高等部にいる兄二人の耳にも届く。
「高等部の生徒であれば、彼ら二人は実力試験で出された自分達の問題と妹弟達の答案を照らし合わせることもできたでしょう。……同じ試験内容だったこともわかる筈です」
中等部の問題だけじゃない。高等部の自分達と同じ問題を出されて、それで全て満点を取った生徒。つまりは中等部内でトップではなく、全校生徒でトップの成績を取った生徒ということになる。……そんな生徒が妹や弟と同じ中等部二年生で、しかも特待生試験を取りにきていると。
普通に考えて、事実上中等部二年の特待生枠だけが三つから二つに減らされたようなものだ。
「単に頭が良いや優秀程度であれば、ここまでの愚行に及ばなかったのかもしれませんが……。他にも動機や要因の可能性も勿論あります。しかし確実に貴方が特待生試験を受ければ、満点を取ることは周知の事実だったわけですから」
勝ち負けではなく、確実に一枠を奪われると。
そう思われたから狙われた。あまりにも単純明快シンプルな動機だ。弟や妹が戦える相手ではなかったのだから。……つまり。
「私、が……」
ぐらっ、と本気で目眩がした。
私がうっかり実力試験で満点取っちゃって、紛らわしい発言を何度もしたから妹と弟のことも想った二人は凶行に走ってしまったと‼︎
頭が理解しきった途端、自分で自分を指差しながらサァー……と血の気が引いていく。肩がヒク、と震え、おかしくもないのに顔が笑いそうな口で強張る。
「ですが、たとえそうだとしても彼らの所行は許されることではありません。どんな理由であろうとも、女生徒を監禁して特待生の機会を奪おうとしたのに変わりはないのですから」
きっぱりと言い切る口調はヴェスト叔父様にそっくりだった。
アーサーが前のめりに「そうですよ‼︎」とフォローに応戦してくれるけれど、もうなんだか頭が十倍重い。片手で額を押さえるようにして頭を抱えたものの、ふらりとした勢いのまま思いっきりゴッツンと壁に頭を打ち付けてしまう。もの凄く痛い。
ジャンヌ⁈と二人に声を合わせて叫ばれる中私は考える。
最悪過ぎる。大事な我が民であり学校生徒の身内を苦しめる元凶とか、行き道を示すどころか真っ当な道から踏み外させる元凶になってどうする、と。こんなのまるで第二作目のラスボスじゃない!
まだ名前は思い出せないラスボスの顔だけを思い出し、まさかゲーム補正で私がラスボス引き継ぎとかじゃないわよね⁈と行き場のない叫びを脳内で繰り返す。
打ったことと関係なく痛む頭を押さえる私の手をステイルとアーサーが引き、押さえる頭に手を添えながら校門まで連れて行ってくれたのはそれから十五分後のことだった。
エリック副隊長との帰り道も、頭が打身とは別の意味で痛み続けた。
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