Ⅱ89.支配少女は約束し、
「ちゃんと全部埋めたよ‼︎‼︎何度も文章確認したし書き間違い確認したし名前も確認したし見直し十回したし裏面確認したし名前確認したし回答欄ずれてないかとかっ……」
「自意識過剰過ぎ。君がいないくらいで調子崩すわけないでしょ。どんだけ勉強したと思ってるの」
涙目のまま滝のように声を荒げ続けるディオスに続き、クロイから手痛い突きが来る。
仰る通りです、と思いながら取り敢えず二人ともちゃんと回答欄は埋められたようで安心する。しかも十回も見直しということはそれだけ時間が余ったということだ。問題なく解答できたのだと思うと力が抜ける。でも、名前確認まで二回もしたということは少なくともディオスの方は緊張していたのだろう。クロイの方もディオスの発言に関しては否定しないし、きっとそれなりに余裕を持って解けたのかなと思う。調子崩すわけないという発言も今はただただ頼もしい。
「良かった。じゃあ全部解けたのね。あとは結果を待つだけだわ」
いつ出るの?と尋ねてみれば、結果は明日の朝に各棟前に張り出されると教えてくれた。特待生制度発表の時と一緒だ。
希望者もきっと多かったのだろうし、今日中に採点と順位付けは不可能だろう。今日は先生達もきっと凄まじく忙しくなる。
結果発表の話になった途端、二人の顔色が少しだけ暗くなった。やっぱり不安ではあるのだろう。結果がわかるまで自分達がどんなミスをしたか確証も持てないし、何より自分達以外がどれくらいできたかもわからないのだから。
「それで、……用事って何」
ぼそっ、とまた独り言のような声でクロイが尋ねる。
そういえばまだそれは言ってなかった。ディオスも今気が付いたようにクロイへ振り返ると、真っ直ぐに私へ視線を送った。二人の視線がチクチクと痛く感じながら私は頬を掻く。
まさか男子生徒二名に監禁されかかったなんて言えないし、だからといってあまりに間抜けな理由だと二人を差し置いてまでそんなことを優先させたのかとそれはそれで怒られそうだ。
視線を二人からの逸らし、泳がせながらステイルへと逃げてしまう。すると私の「助けて」が無事伝わったらしく、ステイルが溜息混じりに肩を落とした後、口を開いた。
「ジャンヌは先生に手伝いを頼まれたそうです。すぐに片付けて戻ろうとしたそうですが、そのまま流れるように服へ刺繍の練習をさせて欲しいと望まれ、断り方を考えている間に布に針を通されてしまったと」
スラスラと言い訳を上手く構成してくれる、流石策士ステイル。
被服自体もステイルとアーサーへ誤魔化すための嘘だったけれど、それを再利用してなるべく真実に近いようにしてくれた。最後に「僕とジャックも心配で探し回っていました」と付け足した時だけ、若干声に深みが増していた。
ステイルからの言い分に二人は「ふーん」と音を揃える。クロイの方は何となく「まぁ納得してやらなくもないけど」といった表情だ。それに対しディオスは自分の胸を片手で押さえながら大きく息を吐いた。
「……本当に怒ったわけじゃないんだ……」
まだ私が怒って会いに来なかったと誤解していたらしい。
そんなわけないじゃない、と言おうとすればそれより先にクロイから「さっきそう言ってたろ」と言葉で刺されていた。
それにディオスはちょっぴりだけ顔を諫めた後、涙が止まって潤んだ目を今度はきらりと輝かせて私に向けてくれた。
「試験問題、本当にジャンヌ達が作ってくれた問題に似てるの出たし、前の実力試験の内容もあった。本当に、ちゃんと、ジャンヌとフィリップの言った通りで書けた!そのっ……だから、……ほ、本当は試験前に言おうと思ったんだけど……」
ぽつぽつとした口調から次第にまた熱が入ったように流暢になってきた。
後半からは勢いこそ増したものの、たどたどしさが戻ってきたかのように声がガタついていた。首を捻りながら続きを待てば、ピクピクと震える両手でディオスが私の手をそっと包んでくれた。恐る恐る触れる指が、振動するように私の肌を叩くようだった。今までみたいに拳ではなく手を取られたことにびっくりする。
掴まれたまま視線を落としてしまえば、こくっと喉を鳴らす音が聞こえた。ディオスのか細い喉の音だとわかり、顔をあげれば何か意を決したような様子のディオスは凄く顔に力がはいっていた。ぱくぱくとした口から糸のような声が放たれる。
「ぁっ……、えと、……あ、ありが…………、りが……~~~っっ」
「ディオス。……それは明日で良いでしょ。ほら、もうジャンヌが怒ってないのはわかったんだから戻ろうよ」
途中でぷるぷると口を噤んでしまったディオスを、クロイが見ていられなくなったかのように低い声で止めた。
私の手を握ってくれているディオスの腕を鷲掴み、引っ張る。あまりにも脆く私の手から離れたディオスが「あっ」と声を洩らしたけれど、今度はクロイを睨まなかった。ただ中途半端に赤くなった顔が訴えかけるように私を見ている。……うん、今どう考えても私に勉強のお礼を言ってくれようとしたわよね。しかもあとちょっとで言い切れるところで止まってしまった。
なんだか思春期らしい照れとか恥らいもあるのだろうけれど、なんだかすごく私の方が罪悪感が残る。ここは察して言ってあげた方がいいのか、それとも気付かなかった振りをしてこのままリトライを待ってあげるべきなのか。
同い年の女の子にお礼を言うって、勇気がいる行為だったのかもしれない。なのにクロイがあまりに容赦ない。そのまま反対のディオスの手も私から離れさせるクロイは、小さく呟いたと思えば私に横目を向けてきた。
「……本当に、試験範囲合ってた。君達が居なかったら絶対どれも解けなかった。…………ごめん」
不満そうにも聞こえる淡々としたクロイの言葉に私は「え?」と聞き返してしまう。
何故そこで最後に謝るのだろう。どこか反省しているように眉を萎れさせたクロイは、そのまま視線を私よりも下げて落としてしまった。
落ち込んでいる、……ように見えるのだけれども。
ここで落ち込む理由がわからない。きゅっと絞った唇がまだ何かを言いにくそういしているのを物語っている。
ディオスみたいに勉強をみたことにお礼を言ってくれようとしたのはわかるし嬉しいけれど、謝られると寧ろ不吉に感じてしまう。
私に覚えのないことで何か彼がやらかしてしまったのか、まさかさっきの高等部の二人が彼の差し金なのかとか変なことまで一瞬考えてしまう。いやここで一番不吉な「ごめん」の理由は、クロイが試験結果に全く自信がないことだ。もしかして名前を書き間違えちゃったのに今気が付いたとか。
続きを言ってくれないかと見つめ続ける私に、クロイは視線を落としたまま自分達の教室の方向へと身体ごと翻ってしまった。
「……明日は。ちゃんと来てくれるよね?結果発表」
「!え、ええ勿論よ。朝よね?」
言い捨てるように背中で私に投げるクロイに慌てて了承する。
今回の汚名返上の為にも今度こそ二人に付き添わないと。試験結果こそ二人の人生を左右するのだから一緒に見届けてあげたい。もし合格でも不合格でもその責任は完全に私にある。
すると今度はディオスが目を見開いて私をみた。さっきのごにょごにょしていた子と同一人物とは思えないくらいにはっきりした滑舌で叫ぶ。
「なら朝一番‼僕とクロイは校門で待ってるから!」
「今度は待たせないでよ」
朝一番、って……一体何時を指しているのだろう。
待たせない為にも具体的には何時?と恥を忍んで訪ねてみる。腕を引っ張られたままのディオスが大きく開いた口で時間を指定してくれる。なかなかけっこうな早起きだ。
本当に開門と同時ぐらいの時間じゃないのだろうか。お姉様も含めて三人とも本当に何時に朝起きているのだろう。学校から家までだって決して近くはないのに。
わかったわ、とそれでもひと言で了承すると、クロイはディオスを引っ張って教室に去っていった。ディオスが「絶対だよ!」と後ろ歩きのまま叫んでくれる。一回も振り向かないクロイと、教室に入る瞬間までこっちを見てくれたディオスに手を振りながら彼らを見送った。
三限と四限の間は私達も一年のクラスを覗きにいかないといけないし、帰りは二人はお姉様を迎えに高等部に急がないといけない。きっと次に二人に会うのは明日の朝だろう。
とにかく二人とも試験で最悪の事態は免れたということがわかって良かった。
私のことなんか関係なく、最善を尽くしてくれた。あとは明日に全てを任せよう。
二人が教室に消えてから、私達も入りましょうかとステイルとアーサーに声掛ける。足を踏み入れようとしたところで切りがよく昼休み終了の予鈴が鳴った。結局お昼ご飯は食べれなかったなと、二人に申し訳なく思いながら謝ろうとした時
「!ジャンヌ‼‼何処に行ってたの?!」
「ジャンヌ!特待生の試験どうした⁈」
……またもや、廊下と同様もしくはそれ以上の注目を浴びてしまった。




