そして向かう。
渡り廊下を通って中等部まで黙々と進めば、もう中等部の方にも人の話し声が広がっていた。
殆ど階段を降りてきた生徒ばかりだし、やっぱり試験終わったところらしい。……ファーナム姉弟に会うのが気が重い。
アラン隊長が正面を向いたまま抑えた声で「俺はそろそろ戻った方が良さそうだなぁ」と私達に投げかけるように呟いた。確かに騎士であるアラン隊長が理由もなく私達と一緒にいるのは嫌でも目立つ。
一応親族ということになっているから言い訳は立つけれど、今は保護者じゃなくセドリックの護衛だし。アラン隊長の言葉にステイルも頷くと「アランさんはどうぞセドリック王弟殿下の元へ戻って下さい」と許可を出した。それにアラン隊長が敢えて振り向かず頷けば、「あと」と今度は少し大きめの声で続ける。人に聞かれてもいい声量で放つステイルはそのまま背後を歩くアラン隊長に振り返り、立ち止まった。
「……ありがとうございました、アランさん。お陰で助かりました」
恐らく私のことでお礼を言ってくれているのであろうステイルに、すぐアーサーも続いた。
「ありがとうございました!」と深々頭を下げた拍子に編み込んだ長い銀髪の束が勢い良く肩の前に飛び出た。それを受けて「いやいや」と手を軽く上げたアラン隊長は、下げたままのアーサーの頭をわしゃわしゃ撫でる。編み込みが崩れてしまうのも構わず撫でたアラン隊長はパッと手を離すと、歯を見せて笑ってくれた。
「その為の俺らだから」
じゃ、と。
全く後を引く様子もなく手を振ってくれ、背中を向けた。多分このままセドリックのところに戻るつもりなのだろう。
食堂ではなく特別教室の方向へ戻るべく来た道を戻っていく。白の団服を小脇に抱えたままのアラン隊長は、鎧姿だからか余計に男前に見える。本当にこの昼休みの間、凄くお世話になってしまった。
護衛は確かにその為の近衛騎士だけれども、服のこともそうだし、後始末からステイルとアーサーへの説明まで全部やって貰ってしまった。これからハリソン副隊長に交代しなかった理由とかも聞かれちゃうのかなぁとか、扉壊したこととか、手加減少し誤ったこととかカラム隊長にも既に怒られたのかなとか思うとじわじわと申し訳なさが増していく。
渡り廊下を渡って去っていくアラン隊長に、私からも何かお礼を最後にと思ったけれどパっと出てくるのが団服の一件ばかりだ。貸してくれたのも黙ってくれていたのもありがとうございますとしか言いようがない。
でもここでそれを言ったらステイルとアーサーにも知られちゃうし……。
ええと、ええとと繰り返し考えてしまう中でアラン隊長の背中が小さくなる。もうさっき助けて貰った時にも言ったから良いと言えば良いのだけれども取り敢えず
「アランさんお疲れ様でした!この後もお仕事頑張ってくださいね!」
両手を口の左右に添えて声を張った直後、小さくなったアラン隊長の影が一瞬つんのめったように見えた。足でもつっかえたのだろうか。
突然背後から第一王女に叫ばれたからびっくりさせたのかもしれない。もしかして段差か何かあるところで話しかけちゃったのかなと思ったけれど、多分あそこには何もない。
小さかったアラン隊長の影は転びこそしなかったけれど、足を一度止めた後こちらに向けて一回だけ小さく合図程度の傾きで頭を下げてくれた。よく考えたら遠巻きで他生徒にばれちゃいけない且つ親族設定の王族に無言で返すのってすごく対応を投げてしまったなと気付く。そのまま角を曲がって見えなくなったアラン隊長を見届けてから私達も背中を向けた。
「アランさん、居てくれて本ッ当に良かったです」
「そうだな」
「そうね。すっごく格好良かったわ」
ですよね!と、返事をした私達にアーサーが更に嬉しそうに目を輝かせた。
やっぱりアラン隊長のことも自慢の先輩なのだなと思う。今の十四歳の姿で目を輝かされると年上の筈のアーサーが可愛く見えてしまう。思わず私からも「ジャックも格好良いわよ」と笑みを返す。
途端、唇を結んだアーサーの顔色がぽわっと火照った。自慢の先輩と同列に並べられるのはやっぱり嬉しいらしい。
後で放課後エリック副隊長と帰る時にでもアラン隊長の武勇伝を話してあげたい。本当に一瞬で倒しちゃったし、きっとアーサーも好きな話題だろう。……なるべく私の被害は割愛して話そう。
本当は被服の先生を呼んできてくれたカラム隊長の手際の良さも話したいのだけれど、それを話すと芋づる式でもっと拙いことを知られてしまう。申し訳ないけれどそれは私の心の中だけで仕舞わせてもらう。
「!……あれ。そんな模様ありましたっけ」
そう思っているとちょうどアーサーが気がついたように私の服に目を向けた。さっきまで背後に控えていたアラン隊長の代わりに私の背後について気付いたらしい。
あぁ、と振り返れば隣を並ぶステイルも気になったようにアーサーの横に下がった。可愛らしくリフォームされたアップリケと刺繍はやっぱり気付かれない。本当に可愛くアレンジして貰えたなと思うと、嬉しくなってフフッと声に出して笑ってしまう。
「素敵でしょう?」
本当に可愛くて破れてしまったことを誤魔化すのに全く戸惑わない。
むしろ「気付いてくれてありがとう」とアーサーに返す余裕もあった。ステイルからも「可愛らしいですね」と好評だ。
いつものドレスとは系統が違うし、こういう愛らしいのは今世では初めてかもしれない。それも全く子どもっぽくない。
「専用教室から戻る途中で、偶然会った被服の先生がお試しにってやってくれたの。本当にあっという間だったわ」
「そういえば、二限目はどこの教室におられたのですか」
ぎくっ。
そうだ、まだそれが残っていたとステイルの言葉でやっと気付く。顔が一瞬ご機嫌顔のまま固まってしまったけれど、すぐにそのまま継続して「育児の授業よ」と返した。選択授業で移動教室になる科目は全部頭に入っている。
言い切れた途端、今度はステイルではなくアーサーが不思議そうな顔で私を見た。もうこのまま調理の授業は闇に葬りたい。
今日の補習に関してもどうやって言い訳しようかしらと考えてしまう。仕事を言い訳に逃げるのも良いけれど、これからもファーナム兄弟の時みたいに放課後に残ることもあるかもしれないし、大人しく受けた方が良いだろう。
「そうそう、今日ちょっと放課後に調理の先生に手伝いをお願いされていて。ちょっとまた遅くなっても良いかしら?」
「手伝い、……ですか?」
「……すんません、もしかして何か隠してます⁇」
聞き返すステイルに続き、更にアーサーが核心をついてくる。
待ってなんであっさりバレたの⁈ばっちり誤魔化せた気がしたのに‼︎
ステイルの問いだけなら、途中で話しかけられてとかたまたま偶然会ってとか色々言いようがあったのにアーサーに見事に叩き折られる。笑顔のままパキッと固まる私をステイルもアーサーと交互に見比べてくる。ステイルなんてそのまま「本当か?」と私ではなくアーサーに尋ねる始末だ。駄目だ完全に信用されていない。そんなに私ってわかりやすいのだろうか。
アーサーが私に視線を注ぐだけで無言を貫くけれど、それが完全にステイルへの返事になっている。引き上げた口角がピクピクしながら、必死に私は私で隠蔽を図る。
「だ、大丈夫。本当にこっちは問題とかではないわ。さっきの彼らとも全く関係ないし、安心安全な用事だから安心して」
なんだか詐欺のバイトに引っ掛かっているような言い訳だなと思いながら、それでもちゃんと誤解は避けられるようにする。
嘘ではないし、何より本当に身の安全は保証されている。そのまま二人に調理室の前で待っていて欲しいとお願いする。これで私の黒魔術は見られず済む。せめて料理を焦がしたり放火しないようにだけ祈っておこう。
ここまで言ってやっとアーサーも一応は納得してくれたように頷いてくれた。調理室前までは一緒だからか、ステイルも渋々了承してくれる。「何かあったら今度こそ呼んで下さい」と言ってくれたけれど、今度は講師の先生も女性だし凄く優しい人ではあったから大丈夫だ。
「まだ少し猶予はあるかしら。二人ともお腹空いてない?ディオスとクロイにだけでも会いに行きたいのだけれど……」
「俺は大丈夫です。今日はもともとパウエルにも会えないと話してありますから」
「俺もです」
良かった。と返しながら私は前を向く。
まだ時間は少しだけどあるし、やっぱり二人の様子が気になる。結果発表は多分明日の朝とかになるだろうし、きっとそれまで二人とも気が気でないだろう。私の所為で調子を落としてないかも含めてちゃんと手答えを聞いておきたい。……調子を落としていたら、私が二限前に怒らせた所為か約束破って会いに来なかった所為であり得そうで怖い。どうか、どうか二人とも実力を発揮できていますようにと今から願う。
私の所為で、二人の勉強を見てくれたステイルもアーサーと一緒に彼らと会えなかったのだろうし、余計に申し訳なくなる。
「……あ」
そこまで思ってから、ふと大事なことを思い出して足を止める。
どうしました?とそれぞれステイルとアーサーから尋ねられる中、私はちゃんと二人の方へくるりと振り返る。そうだ、一番大事なことを言ってないじゃない。
きょとんとした顔で目を丸くする二人を身体ごと正面で捉え、順々に目を合わせてから私はちゃんと通るように滑舌良く笑いかける。
「迷惑かけてごめんなさい。でも心配してくれてありがとう」
お詫びなのに、二人が心配してくれたのだろうなと素直に思えた瞬間ちょっぴり嬉しくなってしまう。
私が帰らなくて心配してくれたのかなとか探してくれたのかなとか、カラム隊長に呼ばれて色々考えてくれたのかなとか。自惚れだろうけれど、それでもそう思える自分が今は誇らしい。
ビビッと電気でも走ったかのように背筋が伸びる二人は揃って唇を結んでしまった。目が猫みたいにくわりと開いて固まっている。
その反応にやっぱり図星だったのかしらとだけ考える。逆にアラン隊長が護衛中且つ戦闘力チートの私を全く心配してなかった可能性もあるはあるけれど。
私が後ろ歩きで進みながら返事を待てば、二人は固まった表情のままぽつぽつと少しずつ口を動かしてくれた。
「……いえ、迷惑ではっ……ありません」
「俺もです!…………すっっっげぇ、心配でしたけど」
何故か目が丸いままの二人は、ポカンとしているようにも見えた。私にお礼を言われるとは思わなかったのか。いつもお礼と謝罪には意識できてるつもりだったけれど、まだ配慮が足りていないんだなと思い直す。
ありがとう、ごめんなさいと二人にそれぞれもう一度お礼と謝罪をする。心配の方ではなく迷惑の方を否定してくれるなんて、本当に二人は優しい。最後にぽつりと呟いたアーサーの言葉にステイルも無言のまま思い切り頷いてくれた。
今になって私のことで心配したことを思い出したのか、二人とも顔が僅かに紅潮して緊張気味だ。そんなに心配かけてたんだなと思うとやっぱり申し訳ない。……だけど。
「ごめんなさい、心配してもらう事を喜んでしまって。……何だか、今は少し擽ったくて」
心配して貰えることが、幸せなことだと思えるから。
そう思いながら力の抜けた顔で笑ってしまえば紅潮していた二人の顔が突然発火した。ぶわっっ、とリトマス紙みたいに色が濃くなってびっくりする。
えっ⁈と思わず私まで目を丸くして見返せば、二人が背ける顔だけで風を切る。手の甲で口元を隠すステイルと、片腕ごと使って顔を隠そうと銀縁眼鏡にまでぶつけるアーサーに、今度は怒らせたのかと思う。私の為に心配してくれたのにそんなこと言われたら流石の二人も怒る。
「あのっ、ご、ごめんなさ」
「いえ。…………なにか、……と違っ……ので」
「……〜〜っ。…………ずりぃ」
一言断った後ステイルもそしてアーサーも何か押さえた口の中で呟いたけれど、潰されて聞こえない。聞き返したけれどやっぱり言い直しては貰えなかった。
それどころか早く行きましょうと目を逸らしたままのステイルに促され、何度も背後の二人を振り返りながら私はファーナム兄弟の教室へ向かった。
すぐ背後に並んだ二人からの熱が、髪を纏めた首筋をうっすらと撫でるかのようだった。




