Ⅱ85.騎士隊長は迅速に対応する。
「ありがとうございました‼︎」
高等部の生徒に勢い良く頭を下げられたカラムは、それに一言で返した。
直後には他の男子生徒もバラバラとではあるが、同じように頭を下げ「ありがとうございました」とカラムに喉を張る。既に二限の授業が終わって時間が経っていたが、カラムは未だに生徒への指導に応えていた。
騎士の授業。選択授業の一科目であるそれは、男子生徒限定の実技授業だった。既に一度選択授業で受けたクラスの男子生徒は殆どがその授業を取りたいと思うほど好評ではあるが、中には既にカラム個人へのファンも出ている。
初等部以上は実技での剣術や素手での格闘術を指導するその授業で、ひと月だけ特別講師として任ずることになったカラムはあくまで本当の任務の〝隠れ蓑〟としての役割だったが一切手は抜かない。
あくまで〝指導者〟〝講師〟として対応する。
選択授業として騎士の授業自体はひと月後も続く。その時には自分のような本物の騎士ではなく、格闘術の教師と剣技の教師をそれぞれ呼ばれての指導になるだろうかと思う。だが、年齢問わず彼らの中に騎士を志す者がいるなら、もしくはそのきっかけになるならば全力で努めるべきだとカラムは考える。
そうでなくても、実技であれば護身術として自分の身を守るのにも使える。そして国の未来を担う彼らに騎士について理解して貰うにも大事な機会でもある。フリージア王国で騎士の人気は高いが、見回り以外は城内にいることが多い騎士団のことを詳しくは知らない民は多い。
ひと月の間、二限と三限だけに限定して全クラスを見なければならないカラムに教えを請えるのは、各クラス一回だけである。時には二クラス合同で行うなどして、纏めてみることでなんとか全クラスを一周できる。その為、一度憧れの騎士に教えを受けられた男子生徒から「もう少し見てもらって良いですか?!」「騎士様のお話を聞かせて頂けないでしょうか!」と詰め寄られるのは殆ど毎回のことだった。その為、カラムの二限三限前後の休憩時間は普通の教師や講師よりも明らかに短い。
「また、気になることがあれば遠慮なく尋ねて欲しい。三限後には城に戻らなければならないが、それまでなら指導も質問にも応えよう」
はい‼︎と輝かせた目をカラムに向ける生徒達は、高等部三年の男子だった。
特待生の試験は良いのか、とカラムも尋ねたが彼らは最初から学には自信がないと即答した。それよりも折角の騎士に直接教えを請え、頼めば生で騎士の実力を見せてもらえる機会の方が大事だった。
彼らの指導と質疑応答を終え、早々に教室へと去っていく背中を見送ったカラムは軽く息を吐く。昼休みになれば中庭だけでなく校庭にも食事や身体を動かしに出てくる生徒がいるが、今日はかなり少ない方だと思う。
特待生試験の為、どこの棟でも殆どの生徒が試験会場である校舎の最上階に集まっていた。そろそろ始まる時間だろうかと校舎に取り付けられた一際大きな時計台を見上げた、その時。
「おーい‼︎カラムー!」
気軽な、伸びやかな大声が降らされた。
一瞬どこからか分からず見回したが、すぐに高等部の校舎へと目が止まる。その三階の窓から自分に向けて手を振っている騎士に、カラムは一度だけ呆れたように眉を寄せた。
お前は生徒か、といいたくなるほどに気楽な声に溜息すら漏れてしまう。自分からも大声を放つ気にはならず、それでも視線を顔ごと向けてアランに返した。あまりにも呑気な様子のアランだが、まさか本当に任務中に自分を見かけたというだけで声を掛けてくるほど非常識な人間ではないこともわかっている。
高等部の三階となると二年のクラスだろうか、と見当をつければそこはプライド達のクラスでもセドリックのクラスでもない。一体何があったのかと彼の反応を待てば、カラムの視線を受けてすぐアランは一つ一つ手の動きでサインを送り始めた。
戦闘中にも使われる騎士団だけのサインを読み取れば、最初こそ呆れていたカラムの目がみるみる内に身開かれていく。
〝第一王女〟〝一緒〟〝無事〟〝緊急事態〟〝応援要請〟
「……⁈」
カラムが慌てないようにプライドが無事であることを最初に伝えたアランだが、それでもその後のサインを投げればカラムの肩が微弱に上がった。
緊急事態、しかもアランが応援まで必要とするとはどういうことなのかと。そう考える間にもアランからのサインは続く。窓から見せるその姿こそいつもの陽気な姿だが、サインには全くの迷いもなかった。
〝報告要請〟〝第一王子〟〝八番隊隊長〟
つまりは今傍にステイルとアーサーはいないのだと。
そして彼らにも報告をして欲しいという意味だとすぐ理解したカラムは喉を鳴らす。プライドの身に何が、と。まさか本当にラジヤ帝国の皇太子が侵入したのではないかとまで考える。アランが表面上こそ平然としても、周囲に気付かれない為に取り繕っている可能性は充分ある。
カラム自身も、内心こそ穏やかではないものの今こうしてアランのサインを読み取る間は周囲の生徒に見かけられてもいつも通りの様子にしか見えない。冷静そのものの彼は、頭の中では現状を正しく把握するべく思考を巡らし続けていた。
サインを投げ終わったアランは、最後にニカッといつもの笑顔で笑いかけた。言葉にせずともその笑顔でヒラヒラと手を振られれば「いや本当に大丈夫だから」と彼が伝えようとしているのがわかる。
その反応にほっと胸を撫で下ろすと、アランはとうとう声を張り上げた。
「わりぃけどさー!女性教師と針と糸持ってきてくんねぇー⁈」
その言葉だけで、全てとは言わずともカラムは理解した。
よく見れば、窓から顔を覗かせるアランはいつもの団服を着ていない。これは、やはり、と確信すれば血の気が引いた。
ひやりと背筋を冷やし、寧ろどうしてアランはあんなに平然としているのかと思う。プライドに怪我がないことは良いが、全く何事もなくそんなことになるわけがない。単なる事故だけだったならばアランがわざわざ動くのは不自然過ぎる。それにアーサーはともかくステイルならば緊急事態ならアランは口笛で呼べる。それをわざわざ呼ばないということはステイルに瞬間移動されたら困る理由があるということだ。
もし、今プライドが自分の予想通りであればと思えば、そんな彼女の傍にいながら落ち着き払っているアランに対し、カラムは頭の中で〝鍛錬バカ〟と叫んだ。彼は昔からそういうことに関して微動だにしなさ過ぎる。
アランの態度に目眩を覚えながら、顔色を変えたカラムは「待っていろ‼︎」ととうとう声を張り上げた。突然のカラムの叫び声に周囲にいた生徒もビクリと跳ね上がって振り返る。
前髪を指先で払い、歩幅を広げ早足で校舎へ急ぐ。目立たないようにと駆けずとも全速力で移動する。先ずは女性教師、それからステイルとアーサーを探さなければいけない。職員室へ向かうか、いやそれよりも確実なのは……と講師として潜入中の知識を回し、そして間違いない行き先を最初に決めた。
……
「すみません、本当にジャンヌを知りませんか……⁈」
中等部三階。
教室に取り残されたステイルとアーサーは困惑していた。
いつものように授業を終えてから誰よりも先に教室に戻ってきたステイルとアーサーだが、授業の終わりが少し遅くなったこともあり到着が遅れた。彼らが戻った時には既に女子は教室に戻り、その多くが特待生の試験会場へ向かう準備を始めていた。
まさか移動教室があったとは知らない二人からすれば、プライドが消えたとしか思えない。最初は手洗いかとも思いそのまま待ったが、いつまで経っても戻って来ない。更には女子の殆どが試験会場へと消え、後から男子達が移動教室から戻ってきてもまだプライドは現れない。そして男子も多くが試験会場へ向かい、再び教室の人口が激減してもまだ来ない。
流石におかしいと思い、教室に残った女子にも何度か尋ねた。ジャンヌを知らないか、と。しかし、どの女子も反応は全く同じだった。
「え、……その、……さぁ?」
「知らないー。試験会場に向かったんじゃないかな」
言葉を濁らすか、もしくは試験会場と推測を投げるだけ。
後者に関してはあり得ない。プライドにはしっかりと教室で待つようにと言ったのだから。彼女が自分達の約束を破って消えるとは思えない。少なくとも言付けか手紙くらいは残しても良い筈だった。
また一人、答えてくれた女子に礼を言ったステイルはアーサーと共に彼女達から数歩離れる。いくら尋ねても二種類の返事しかない状況にステイルは業を煮やす。そして更に不安まで過ぎるのは
「……どうだった?」
「いや、やっぱ違和感すげぇよ」
声を潜めて尋ねるステイルにアーサーが低めた声で返した。
ステイルの目から見ても何かを隠しているように見える女子だったが、人の取り繕いに敏感なアーサーからすれば余計にだった。何故、プライドのことを尋ねて女子達がそんな態度を取るのかわからない。
まさか彼女達がグルになってプライドに危害でも加えているのではないかともステイルは考えた。男子に圧倒的な人気を誇っているプライドに嫉妬ややっかみで嫌がらせの可能性、もしくはその現場を見てしまい巻き込まれたくなくて口を噤んでいる可能性もある。いっそ一人くらい少々強引に問い詰めてみようかともステイルは思ったが、アーサーがそれを止めた。少なくとも彼の目には、女子の誰からもそういう嫌な取り繕いも怯えも感じられなかった。
そして、実際に彼女達は彼女達で確かにステイルとアーサーに全員が敢えて口を噤んでいた。誰もが知りながら、プライドの身に何が起こったか見当がついていながらもそれを教えようとはしなかった。
ジャンヌが、料理の授業で補習を命じられたなどと。
彼女本人に、そう頼まれたのだから。
ジャンヌが一人だけ調理室に居残りさせられたなどと言えば、それだけで察せられてしまう。何があったのか聞かれたら誤魔化せない。
今日が調理実習だったと。今日は移動教室があったからその途中じゃないかしら?と誰か一人でも証言すれば、ステイルもアーサーも急ぎ道を辿った。しかし誰一人としてそれを教えてすらくれなかった。言ってしまえば、どこからジャンヌの恥ずかしい秘密が二人に気付かれるかわからない。
しかもステイルとアーサーの問いに一人が言葉を濁せば、当然ながら女子全員は一丸となって隠す方向に意思を固めてしまった。ここで全員の意思を無視してジャンヌの恥を明らかにするなど、その後に白い目で見られるのは目に見えている。人当たりもさることながら、クラスで人気の高い彼女を敵に回したくもない。
結果、ステイルとアーサーは疎かクラスの男子にすらプライドの起こした調理室の惨劇は授業の内容ごと秘匿されたままだった。
教室にはもう殆ど生徒がいない。特待生試験を受けに行ったか、食事に出たかのどちらかである。ファーナム兄弟に試験前も会いに行くと意気込んでいた彼女がそれを忘れるわけがない。しかし、時計を見ればもう試験開始時刻を過ぎていた。
もう何度もプライドの元へ瞬間移動しようかと思ったステイルだが、踏み止まった。自分の特殊能力は校内では隠している。
場所さえ変えれば自分が瞬間移動する瞬間が見られないようにはできる。だが瞬間移動した先で生徒や教師に目撃されないとは限らない。
苛々と顔が険しくなるステイルから、殺気まで僅かに溢れ出す。プライドに何かあったのではないかと考えればその犯人に思い当たるのはたった一人の仇敵だった。
それを受け、宥めるようにアーサーが無言でステイルの背中を叩く。パァンッ!と弾けた音が響き、叩かれた拍子に背筋が反った。苛立ちのままに叩いた本人をステイルが睨めば、アーサーから逆に落ち着いた眼差しで睨み返される。直後には耳に顔を近づけ、低めた声で言い聞かされた。
「アランさんもいねぇってことは一緒の証拠だ。ハリソンさんが付いてるかもしんねぇし」
その途端、ステイルから殺気が霧散する。
アーサーが言うならばそうなのだろうと思えば、いくぶんかは落ち着いた。彼の言う通り、今彼女の傍には確実に近衛騎士が一人は付いている筈なのはステイルもわかっている。ここでこれ以上自分が取り乱せば、それは近衛騎士達を信用していないのと同義になってしまう。
授業中に護衛を担うアランは、アーサーが合流するまではハリソンと交代もせずにプライドに付いている。そしてまだアーサーは合流しておらず、更にはアランからプライドの所在を聞かれにも来ない。
自分達が教室にいる以上、何か問題があれば必ず異常に気付いた近衛騎士がここに来る筈だった。プライドを探しにか、もしくは
「ジャック、フィリップ!」
突然放たれた聞き覚えのある声に、二人は同時に振り返る。
見開いた目で開かれた扉を映せば、白の団服が最初に目に入った。それからすぐにその騎士を確認した二人は、焦燥を抑えながらも急ぎ駆け寄った。
「どうか致しましたか、カラム隊長」
それでも早口になってしまうステイルに、今度はアーサーも余裕はない。
カラムが迎えに来たということはと考えれば、さっきまで落ち着いていたのが嘘のように心臓がばくついた。カラムは息こそ切らせていないものの、顔色も悪く眉間を寄せて二人を見返していた。呼んだ後は口を噤み、目の動きだけで周囲を確認してから二人に背中を向ける。
「……ジャンヌが君達を呼んでいる。一緒に来てくれ」
あくまで講師として彼らに振る舞うカラムは、ゆっくりとした口調でそう告げた。
ジャンヌ、という言葉にとうとう二人は息が止まる。カラムに続くべく足を動かしながら遅れて返事を返した。
それ以上説明をしないカラムに胃の中を気持ち悪く揺らしながら、手のひらを湿らせる。一体何が、と聞きたかったが生徒達の視線の中で安易に聞けない。少なくともプライドが見つかったのだということだけが唯一の希望だった。
一歩一歩、早足にならないようにゆっくり歩むカラムの背中が何故こんなにも遅いのか。
不安に喉を枯らしながらも、それに続いた。




