Ⅱ83.支配少女は茫然とし、
─ ……逃げたい。
「……と、いう流れになります。今日は簡単な料理ですので、わかる人もいるでしょう。今教えた手順通りでなくても構いませんが、後で味だけは確認させてもらいます」
講師であるエイダ先生が、簡単に料理の段取りを説明し終える。
高等部一階にある調理室。中高共有で利用できる特別な専用教室の一つだ。前世の学校のように電磁調理器や水道とかの電子家電はないけれど、この日の為に買い付けられた食材とともに、一般家庭レベルの調理器具は揃えられている。
調理室というよりも、同じように区切られた大食堂の厨房といった方がイメージは近い。水も樽に蛇口が付けられただけの状態だし、前世で言えば室内キャンプのような状態だ。
そこで数人ずつのグループに分けられた私は、女生徒の中に紛れながら肩がガクガクと強張っていく。淡々と話を聞いていた女の子達は殆どが「あ、美味しかったら良いんだ」と安心したように息を吐いた。
私のグループは中級層の子が多いからか、やはりこの年になれば料理慣れしている子が殆どらしい。十四歳にもなれば、お嫁さんになれるまでもう一歩の年齢だし当然だろう。男の胃袋を掴むにも料理は必須だし、何よりやはり家庭を守るという意識の強い彼女らにとって将来の仕事の一種でもあるのだから。そして私は
─ 逃げたい……‼︎
「じゃあ私から野菜切るね」
すっごく、逃げたい。
生徒達が早々と支給された水で軽く手を洗う中、私だけはこのままずっと手を引っ込めていたい欲求に駆られていた。
手を洗いたくないわけではない。ただそれ以上にその作業を更に進ませたら、それこそ彼女ら全員を食中毒で再起不能にしてしまうのではないかという不安が過ぎる。
顔を痙攣らせてしまう私に、女子の一人が「ジャンヌ大丈夫?」「刃物怖いとか?」と心配してくれる。大丈夫、と反射的に笑って誤魔化した直後にいっそこのまま体調不良の振りをすれば良かったと後悔する。だけど今更撤回なんてできない。
「……その、私山育ちで料理はテーブル拭いたり食器並べるのが専門であまり調理は慣れてなくて……。……そっち担当でも良いかしら……?」
「良いけど、むしろそれ以外を練習するなら今じゃない?その為の調理実習でしょ」
先生が教えてくれるし。と、女子の一人が至極最もな正論で切りつけてくる。
苦しい言い訳で逆に窮地に立たされかけ、私は全力で首を横に振る。順番が回ってきて仕方なく手をジャブジャブ洗うけれど、本音を言えば食材に指先すら触れたくない。
調理実習。とうとう、この時がやってきた。
そろそろ実習系も入るだろうと思ってはいたけど、まさか最初から調理が来るとは。学校入学初の窮地に立たされた私の傍にはステイルもアーサーもいない。だけどこの時間だけはそれで良かったと心から思う。
学校での履修科目をジルベール宰相や上層部と相談した時、女子の選択授業に調理をいれようと提案したのは当然ながらこの私だ。
本当なら男女共有の科目にしたかったけれど、やはりまだ男が働き女子が料理の印象が強い所為で駄目だった。我が国は女王制だし、他国と比べたらかなり男女平等の意識の強い国なのだけれど、女が料理の意識は変わらない。確かに第二作目のキミヒカでも調理実習のイベントなんてなかった気がする。でも実際は男女関係なく必要な技術だ。独り身で生きていく男の人の節約生活の為にも料理は教えておいて良いと思うのだけれど。
料理は親から教わるもの、という意識が強かったせいもあるかもしれない。実際は親のいない且つ男性のジルベール宰相だって料理も家事もできる人なのに。……いや、一般人相手にあの人を引き合いに出すのは間違っているかもしれないけれど。
それでも、女子の選択授業としては無理にでも私がねじ込んだ。下級層の子の為の学校でもあるし、母親の居ない子だって大勢いるのだから覚えていて困るものではない筈ですと断行した。上級層の人間でも夫にしない限り、男の胃袋を掴める技能は女性の武器だ。そして
この武器。私が使うと凶器になる。
『確か通常教室の方では男子が剣技や身を守る格闘術、身体能力向上や土木などに対して女子は』
『そんなに料理が上手いなら、ジャンヌの班は大成功だろうな』
数日前のセドリックとパウエルの言葉を思い出す。
あの時も両方冷や汗が止まらなかった。特に大ファンでもあるキミヒカ三作目のパウエルに至ってはバレたくないという焦りが凄まじかった。
勿論セドリック相手にも知られたくはないけれど。……あの子の場合、そんなのを目のあたりにしても確実に優しさ百パーセントでフォローしようとしてくれると思う。もうその図を想像すると、今度は別の意味で申し訳ないし居たたまれない。……というか
ステイルとアーサーにも知られたくない。
だって二人とも私が一人でも料理ができると思ってるのだもの‼︎‼︎
そう思えば、ぐっと握り拳に力が入ってしまう。できることなら二人にも私の惨状を知られたくない。
講師の指示通りに食材を切り始めたり、鍋に火をつけ始めた女の子達の背後に控えながら、取り敢えず食材の配置や皿の配置に専念する。できるだけさぼってませんよとアピールしながら手を動かす中、各調理テーブルを回る講師がとうとう私達の班の元へやってくる。
野菜を慣れた手つきで次々と切っていく女の子に「上手ですね」と声を掛け、穏やかな笑顔のまま去って行
「今回は、得意な人よりも調理経験の少ない人を優先で進めていって下さい。料理は女性が誰も必要とする技術です。苦手な人ほど是非選択授業に選んで下さい」
ッかない‼︎⁈
きゃああああああああああ!と心の中で絶叫しながら私は肩が上下する。
講師の言葉に、素直に班の女子達が私へ目を向けた。ちょうどある分の野菜を切り終えて次に肉を切るところだ。あと少し!あと少し先生が言うの遅かったら免れたのに‼︎
心の中で嘆く間にも首筋に汗が伝っていく。ゴクリと喉を鳴らしながら、彼女たちの視線に笑みで返せばやはり予想通りの言葉が放たれた。
「ジャンヌもやってみたら……?確かあまり慣れてないって」
はい確かにそう言いました。
本当に本当に言い訳が裏目にでてしまった。やっぱり教室を出たその時に理由をつけて逃亡すれば良かった!
女子達が場所を開け、野菜を切ってくれていた女の子が包丁を私に手渡してくれる。私ももう逃げられないと確信して恐る恐る微妙に震える手で受け取った。前世では全然怖くもなかった包丁が今は本気で怖い。
そうね、とお礼を伝えた私は目の前に置かれた鶏肉に手を取る。すでにボウルには綺麗に刻まれた野菜がこんもりと詰まれ、視線の先では火番の女の子が鍋に火をかけて沸騰するのを待っている。味付けをと調味料を確認している子もいる。
全員が私に注目しているわけでもない。大丈夫、少なくとも味付け役よりは救いがあると自分を奮い立たせ、私はとうとう目の前の鶏肉へ一刀を入れ
見事に四散した。
「せ……先生。すみません、その、ジャンヌが……」
私の班が騒然とする中、女子の一人が離れていた講師を呼び戻す。
呼ばないで‼︎とも思ったけれど、この惨状を前に教師を呼ばない方が普通に考えたら不親切だろう。別の班から「ごめん焦げちゃった!」と別の声が聞こえた気がするけれど、私の方が確実に深刻だ。ぷるぷると右手の包丁を震わせながら、硬直する私は講師が来てくれるまで殺人の現行犯のような気分でそれを眺めた。
四散……というよりも、爆散といった方が相応しいと私は思う。
……この、惨殺死体は。
講師が来た途端、「え……⁉︎」と声を漏らす。
驚くのも当然だ。私が切った鶏肉がまな板の上でぐっちゃぐちゃに散らばっているのだから。
最初に手に取った時こそ、単なる鶏肉の塊だった。それをただ一口大に切るだけの簡単な作業だった筈なのに、気がつけば駒肉なのかバラ肉なのかミンチなのかわからない状態だ。
単純に数刀いれただけなのに、肉が生きているかのようにまな板の上をずるりと滑るし、いくら猫の手で押さえても意味がない。しかも上手く垂直に力が入らず、数ミリ刃が入ったところでずれ、潰れてぐちゃりと削げた。
真っ直ぐに力を入れないとと思い直して、今度こそ真っ直ぐ振るえば切り口がえげつないくらいにバラバラガタガタになった。しかも包丁に肉がくっついて、切れたと思ったら今度は抜けなくて、よいしょっと引くように抜いたらその度に細切れになった破片が周囲に飛んだ。
まな板からこぼれただけで無駄にはならなかったことと、女の子達の顔や衣服に飛ばなかったことだけが不幸中の幸いだ。一口大ではなく、大塊と爆散肉の二極端に分かれたところで流石に私も手を止め、こうしている。もうここまで来れば待てが入るのも時間の問題だった。
「ごめんなさい……」
同じ班の女の子達にか、料理壊滅生徒を担当させられた講師にか、それともこんな変わり果てた姿にしてしまった鶏肉さんにか。
もう自分でも誰に言えば良いかわからないまま、総じて謝るしかない。
私に包丁を譲ってくれた女子が「だっ、大丈夫!まだ食べれるから‼︎」と慌てて他の子と一緒に肉塊を集めてひき肉団子のような状態でまとめてくれる。もう一人の子が「食べやすくなったよね?」と一生懸命笑いながら同意を求めるように他の子に言ってくれて、本当にこのクラスは善人しかいないんじゃないかと思う。
第二作目のゲームでも主人公の周りのモブ生徒は悪役以外は全員被害者役の親切な子だったし、もしかしたらアムレットと同じクラスのお陰で善人しかこのクラスにはいないのかしらとまた逃避しかける。実際はただただ目の前のこの子達が優しい良い子なだけだ。……なんだか六年前を思い出す状況だ。
Ⅱ27-2.43-2




