二人の時間
泣くな……ジュジュ……
そんな悲しそうな顔で、一人で泣かないでくれ
ジュジュ、ごめんな……
俺は本当に情けないやつだ……
ジュジュ……
「ジュジュっ……痛……」
夢の中のジュジュに伸ばした手に、激しい痛みを感じたクラムが目を覚ました。
目の前には包帯を巻いた自分の手が見える。
どうやら夢の中だけでなく実際に手を伸ばしていたようだ。
痛む腕をそっと下ろし、鉛が詰まったかのように重い上半身を起こすと、洗面器を抱えて部屋の入り口に立つジュジュの姿が目に飛び込んで来た。
「……ジュジュ……?」
まだぼぅっとする頭で彼女の名を呼ぶと、ジュジュは必死な形相でクラムの元に駆け寄った。
「クラムっ……クラム、目が覚めたのねっ、良かった……本当に良かった……」
ほっとして脱力したようにベッドに突っ伏すジュジュの後頭部をぼんやりと見つめながら、クラムが訊ねた。
「ジュジュ……ここは……?」
「私の家の寝室よ……クラムは怪我と森の魔力に当てられたせいで高熱を出してしまっていたの……覚えてる……?」
ジュジュがクラムの様子を伺うように見上げる。
「森、の……?」
白く靄がかかったような頭の中で考えを巡らせてゆくとあの時の記憶がだんだんと呼び覚まされてきた。
「あぁ……そうだ……森の結界を破ろうとして……じゃあそのまま……」
クラムがそう言うとジュジュは頷いた。
クラムはあれから四日間、高熱に魘され昏睡状態にあったという。
怪我は魔女の家に伝わる薬で比較的早くに治癒出来た。
森の魔力は独特で、普通の治癒魔法は効きが悪い。
なので直接結界に触れていた腕の治療はもう少しかかりそうだ。
そして森の高純度で特殊な魔力に当てられ、いわば魔力中毒による発熱はなかなか下がらなかったらしい。
だけど昨日からはようやく熱が下がり、あとは意識が戻ってくれればと思っていた矢先にクラムが目を覚ましたようだ。
「あ、騎士団に連絡っ……」
しばらく寝込んでいたと知りクラムは慌てた。
「それは……私が…連絡しておいたわ……あなたの上官さんにニヤニヤされちゃったけど……しっかり静養するようにと言って貰えたわ……それから……あなたの従弟のロアンさんにも……」
ジュジュはクラムのために王都へ飛び、騎士団に休みの申請を入れた後に従弟のロアンと会ったそうだ。
誤解して突然消えた詫びをして、クラムの現状を伝えたという。
そしてそこであの日ロアンの身に起きた事とプロポーズの経緯を聞いたそうだ。
「その……あの……ごめんなさい……」
ジュジュが小さくなってクラムに謝罪する。
ベッドサイドに座り膝の上に置かれた彼女の小さな手に、クラムは自身の大きな手を重ねた。
「謝るのは……俺の方だ」
その言葉を聞き、ジュジュはふるふると首を振る。
「私がっ……勘違いをして、一人で勝手に怒ったから……」
言いながら居た堪れなくなったジュジュがゆっくりと項垂れてゆく。
「誤解させるような事をしたのは俺だ」
「違うわ、私が勝手に……!」
「本当にジュジュは悪くない。全ては言葉足らずでここまできた俺のせいだ。……だが、手紙が届いたと言っていたな?その手紙を見せてくれないか」
「う、うん……わかった」
ジュジュはあの密告の手紙をクラムに渡す。
その時に、それまでも届いていた「クラムと別れろ」関係の手紙も一緒に見つかってしまった。
彼はそれらの手紙と写真、両方を見て何やら思案している。
クラムからドス黒いオーラを感じるのは気の所為だろうか……。
そして手紙に書かれた文字を差し示し、ジュジュに告げた。
「これは女性の文章に見せかけた男の筆跡だ。しかも全て同一人物。ご丁寧に筆跡や投函場所を変えているが、同じ犯人と見ていいだろう。食堂付近や騎士団敷地内で写真を撮ったとなると、日常的に見張られていた事になるな。普通の人間でないのは確かだ。俺はもちろん、気配に敏感なロアンに気取られずにこの写真を撮ったとなると……」
クラムはそこでまた顎に手を当て考えを巡らせる。
ジュジュは黙ってそれを見守った。
「犯人は魔術師、か……?」
「え?」
「俺の婚約者が古の魔女であるということを知る者は限られた人間だけだ。家族、近しい親戚、直属の上官、そして魔術師協会の職員だけだ」
「そんな、まさか……」
今まで届いていた嫌がらせの手紙が全て同一人物から寄せられたものだという事も驚いたが、まさか協会の魔術師がそんな嫌がらせめいた事をするなんて思わず耳を疑ってしまう。
これをどう対処するべきなのかと思いあぐねるジュジュに、クラムは優しく微笑む。
「この件は俺に任せておいてくれ。ジュジュは何も気にせず、むしろ森に居た方がいい。森にいる限り、ジュジュの身は安全だからからな」
「クラム……」
「大丈夫だ。すぐに犯人を見つけて……っ痛っ……」
クラムはこうしちゃいられないと言わんばかりに身を起こそうとするが、完治していない傷が痛むのか腕を押えて辛そうにしている。
それを見てジュジュは慌ててクラムに言った。
「まだ安静にしていなくては駄目よっ。傷口が開いてしまうかもしれないし、ようやく熱が下がったばかりで体が極端に弱っているのだから」
ジュジュはクラムを再び横にならせた。
上掛けを肩に掛けながらクラムに告げる。
「傷口が完全に塞がるまで最低あと三日はベッドから出ては駄目よ」
「三日……これまでも散々迷惑をかけただろうにこれ以上世話になるわけにはいかない」
そう言って起き上がろうとするクラムの肩をジュジュは押えて睨みつけた。
「駄目っ!この傷を負う事になったのは私のせいでもあるのに迷惑だなんて思うわけないでしょう?……それともクラムは私にお世話なんてされたくない?」
「そんなはずがない」
「……私のこと、嫌いになってない……?」
「なぜ俺がジュジュを嫌う」
「だって……変に誤解をしてあなたをこんな目に……」
「嫌いになんかなるわけがない。言っただろ?俺はジュジュを…あ、愛していると……」
「う、うん……言ってくれた」
「ああそうだ、だから……」
「うん……」
うぶうぶな二人は互いに照れながらも、
重ねた手を強く握りあった。
こうして今しばらく、ジュジュによるクラムへの手厚い看護は続いた。
食事は消化に良く、栄養が沢山摂れるようにを心がける。
今日はさいの目状に細かく切ったゴロゴロかぼちゃのチャウダーを作った。
腕が不自由なクラムのためにスプーンを口まで運んで食べさせてあげると、クラムは顔を赤らめながらも嬉しそうに食べてくれた。
清浄魔法で体を清め、薬を塗り包帯を変える。
秘伝の頓服は良薬だがとても口に苦しなので口直しにかぼちゃのきんとんを拵える。
かぼちゃのきんとんは蒸したかぼちゃをペースト状にして砂糖とバターと生クリーム、そしてバニラエッセンスとシナモンを入れて混ぜ、布巾で茶巾の形に絞るのだ。
きんとんをひと口サイズに作って、薬を服用した後のクラムの口に放りこんでやる。
「美味い」
クラムはもぐもぐと嬉しそうにきんとんを食べた。
非番の日以外で初めてすごす、二人だけの密な日々。
合間に家に戻ってくる黒猫のネロも混じえ、優しくて穏やかな、いずれ訪れる二人の新婚生活のプレ体験のような時間だった。
そして怪我をしてから十一日目、クラムは全快宣言をし、王都に戻る事になった。
ジュジュはクラムの快気を嬉しく思うも、ずっと一緒にいたクラムと離れるのに一抹の寂しさを覚えた。
それはクラムも同じだったらしく、ジュジュに優しくこう告げた。
「犯人を捕まえ、諸々を片付けてくるよ。そうしたらジュジュ、聞いて欲しいことがあるんだ」
「聞いて欲しいこと?それはなに?」
「今は言えない。ちゃんと、ちゃんとしたいんだ。だからジュジュ、待っててくれ。すぐに戻ってくるから」
「……うん、わかった」
クラムが“戻ってるくる”と、“また来る”ではなく“戻ってくる”と言ってくれた。
そのことがジュジュにはとても嬉しかったのだ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
転移魔法により王都へ戻ったクラムを、
今までとは明らかに違う感情で見送ったジュジュであった。
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補足です。
クラムは、というより騎士は筆跡や文脈から相手の事を推測する訓練も受けております。
だから手紙を見て犯人像を浮かび上がらせたのですね。
ジュジュ…早くにちゃんとクラムに手紙を見せていれば……。
はい、次回最終話です。




