11.小さな世界
がやがやと声の響く酒場に、アンとライムの姿がある。
「剣の必要な仕事?」と、ライム。少し驚いたような表情をしている。本当に依頼に来るとは思っていなかった様子だ。
「ライムさんは、エイデール国の人ですよね」と、アンはまず確かめる。
彼女は「そうだけど」と答え、目の前に持ち上げた指先に、自分の妖精を浮かべてみせる。
アンは頷き、通貨用の翡翠を取り出した。石の両端を指で挟み、中央を魔力で砕く。「割印です。仕事を受けるなら、三日後のこの時刻に、また此処に来て下さい」
「仕事の内容は教えてもらえないのか?」と、ライムは聞いてくる。
「場所が悪いですね」と、酔っ払った者達の人声の渦の中で、アンは辺りを見回す。
「場所を変えよう」
そう言って、ライムはカップに入った葡萄酒を飲み干すと、席を立った。
町の辻を行き止まりのほうに歩いて、地面に結界を敷いてからアンはライムに事情を話した。
「蜂蜘蛛? クオリムファルンで騒がれてた、あれか?」
そうライムに言われ、アンは「どのような話をご存知ですか?」と聞き返した。
ライムが知っていたのは、博物館に寄贈された蜂蜘蛛の亡骸が、命を取り戻したように動き出した件だった。
アンも、ライムの情報に合わせて説明した。
「その蜂蜘蛛達は、何等かの魔術的実験によって生み出されたものです。彼等は蜂としての本能に従って子孫を残しています。一部の人間達の力を借りて。その人間達は、主に親に捨てられた子供達です」
そう聞いて、ライムは難しい表情をした。
「それなら、子供達を蜂蜘蛛から解放するほうが良いんじゃ……」と言うので、アンは「『守護幻覚』と言う現象をご存知ですか?」と問う。
死にかけている魔力を持った人間が、自分の身を護るために発現する「他人にも見える幻覚」で、親に殺されかけた子供達はその幻覚達の力を借りて生きている。そんな彼等を、親元に戻るような状況に追い込むのは、彼等に死を選ばせるのと同じだと。
「なるほど」と、ライムは頷いた。「私は、守護幻覚を起こしている子供達を、具体的にどう扱えば良いんだ?」
「彼等を外敵から守って下さい。蜂蜘蛛達と共に居れる環境を変えないように」と、アン。
「外敵って言うのは、確実に襲ってくるのか?」と、ライム。
「はい。一ヶ月もしないうちに、軍が蜂蜘蛛殲滅のために動きます」
「軍……」と呟いて、ライムは思案顔に成った。「私一人の力じゃ、難が多すぎるな」
「応戦の戦力は、エイデールの各地から集めています。ですが、私達の望んでいる事は、戦争じゃありません。対話です」
「話を聞いてもらえる状態に持って行くって事?」
「そうなるように尽力します」
アンがそう言って朱色の瞳を頷かせると、ライムは「分かった」と応じ、割印の石を握った。
蜂蜘蛛の巣穴では、子供達が夕食を用意している。水を張った大鍋を火にかけ、ジャガイモと野草と肉と岩塩を入れ、山羊の乳を混ぜる。
成虫になったばかりの若い蜂蜘蛛が、それに興味を示した。
「なんで、おにく、ふやかすの?」と聞いてきた。
「ふやかすんじゃなくて、煮てるんだよ」と、料理係の子供が言う。「一緒に煮たものと味が混ざって、美味しくなるんだよ」
別の、少しだけ成長した若い蜂蜘蛛が、「だから、あの白いの、食べちゃダメなの?」と聞いてくる。
その蜂蜘蛛の、前から二つ目の両生類のような肢が、洞穴の出入り口に繋がれている山羊の親子を指さす。
「うん。あの子はエヌちゃんって言うんだよ。ちっちゃい子は、クルミちゃん。みんなと同じ家族なんだ」
若い蜂蜘蛛はそれを聞いて納得したようだ。
「家族。食べない」と復唱し、「新しい子にも、教える」と言って、ゆりかごの部屋に入って行った。
「ただいま」と言う声が、蜂蜘蛛と子供達の住んでいる洞穴に響く。
白い髪の、朱色の瞳の女性が、笑顔で洞穴に入ってくる。
「アン。お帰り」と、子供達は迎えた。
「ノリス! アンが帰ってきたよ!」と、ある子が呼ぶ。
洞穴の奥から、亜麻色の髪を結っている、灰色の瞳の女性が現れた。
「アン。どのくらい集められそう?」と、彼女は声をかける。
「今日は七人声をかけました」と、アンは手指で数を示す。「『応戦力』があることを示すには、後どのくらい必要でしょう?」
「子供達の中でも、戦力に成りそうな力を使える子が増えて来てる。大人の数は二十も要れば十分」
雇った大人達の存在は、この蜂蜘蛛の住処が無秩序でないと示すための、お飾りと言っても良い。
子供と魔獣しかいない住処が「外部の大人」にみつかったら、彼等は魔獣を殲滅して、子供達を解放しようとするだろう。それが当然だと錯覚して。
何度かの山の清掃の時に、アンは数回子供達と遭遇した。子供達は、「お礼がしたいからおうちに来て」と言って、アンを自分達の住処に連れて行った。
霊媒は、「知らない人を連れて来ちゃダメって言いたいけど」と、前置きをしてから、「この子達にとっては、貴女は『知ってる人』だったね」と続けた。
そして、彼等の住処で、治癒師として働いていたノリスに出会った。
ノリスは、良い意味での「間者」であった。子供達と蜂蜘蛛の様子を観察し、子供達が人間らしく生きるために必要な道具や、乳をくれる動物を提供していた。
夕食の時、人間の子供達と若い蜂蜘蛛達が行き交う住処を、少し離れた場所で眺めながら、ノリスはアンに言う。
「不思議な光景でしょ?」
アンは言葉の意味を捉えかね、「何がですか?」と訊ねた。
「子供達は邪気を発して、蜂蜘蛛達は霊気を発してる。それなのに、誰も苦しんでない」
ノリスがそう言うので、アンも頷いた。「確かに」と。
「カオンが彼等に選ばれたのは、この世界を作るためかもね」と、ノリス。
「世界?」と、アンは復唱した。
「ええ。小さな世界」と、ノリスは言う。「憎しみの無い、小さな世界。大人が握りつぶそうとしたら、あっと言う間に壊されてしまう世界。それを維持するには、カオンの存在はどうしても必要」
アンは、ノリスの言葉を遮らなかった。
ノリスは続ける。
「セラには諦めてもらう事にする。彼が人間としての執着に支配されてる間は、この世界の事なんて理解できないでしょうから」
「ノリス。あの……」と、アンは言いかけた。
「邪気に侵食されてないかって?」と、ノリスは先に言う。「意識は大丈夫。唯ね、情って言うものはあるかも。私は、此処に居る人間の子供達も、蜂蜘蛛の子供達も、可愛くて仕方ないの」
「親心ですか」と、アンは変な言い方をした。
「うん。まぁ、七つの子供がいる年じゃないけど」と言って、ノリスは苦笑を浮かべ、洞穴から漏れる光の中に踏み出した。「ヴァン。膝は大丈夫?」
声をかけられた男の子は、ノリスに似た灰色の瞳を瞬かせて、「うん。全然平気」と答えた。
アンは考える。
人間の邪気が漂っていても、魔獣の霊気が漂っていても、誰にも害を及ぼさない。掃除をする必要もない。この邪気と霊気は、彼等が生きるために必要なものなのだ。人間の子供達の邪気と、蜂蜘蛛達の霊気。それが入り混じり調和するのが当前の環境。
それが、ノリスの言いたかった「小さな世界」かも知れない、と。




