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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第三章~魔女の庭の片隅に~
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5.庭の香りに誘われて

 紙を焼いているにおいがした。霧深い森の家々の中で一軒、白い煙を上げながら橙色の小さな火をちらつかせている庭がある。

 地図の絵にそっくりな、黒い木組みと白壁を見せる一軒家の前の庭。

 そこで焚火をしている者が居た。脱色した髪を染めたような、理想的なブロンドの女性。昔風の襞の多い青いドレスを着て、表情は何処かぼんやりとしている。目の前の焚火に見とれているようにも、上の空で何かを考えているようにも見えた。

 その女性が、自分の傍らに置いていた本の山から、一冊を取った。

 装丁を見ただけで、それが一級品の魔導書であると分かった。術を込めた宝珠を埋め込み、鋼鉄製の鍵が取り付けられている、装丁だけで目が飛び出るような価格の付けられる物だ。

「ちょ、ちょっと待って、くーださーい!」と、変な調子に成りながら、アンは庭の主に声をかけて、庭の柵の外から手を振った。

 女性は、本を火にくべる手を止め、アンの方を見て不思議そうな顔をする。

「そ、そそそれ、すごく高い本です。焼くより、絶対、古書店に売ったほうが良いです」と、アンは怯えるように肩を震わせながら言う。

 女性はアクアマリンの瞳を面白そうに笑ませ、アンを手招いた。

「じゃぁ、私が『貴重品』を焼いてしまわないように、見張っていてくれる?」と言って。

 アンは「はぁ……」と答えて、柵の開いている庭の入り口まで回り込むと、再び手招かれて庭の主に近づいた。

「実はね、引っ越そうと思ってるの」と、聞いていないのに女性は話し始める。「白霧森に『鬼』の相が近づいているから。もっと遠くの外国に行くつもり」

「それで……大掃除を?」と、アンが庭に置いてある燃えるごみを眺めながら聞くと、女性は愉快そうに「ええ」と頷いた。


 鉄の火掻き棒で、燃えにくい紙の束に上手く火を通しながら、女性は炎の中を見つめて呟く。

「ティーズソーナの、山の中の森の奥に、子供達の楽園がある。人間からも魔物からも、神様からも見捨てられた子供達。彼等を壊すための『鬼』が近づいている」

 アンは耳をそばだて、女性の声に聞き入った。特別な魔力が籠っているわけでもないが、やけに注意を惹かせる声だ。

 女性はしばらく黙ってから、「貴女はとても良い香りがするわね」と言い出した。火から目を離し、アンのほうに顔を向けて「とても強い力と、強い美の香り。美しい香りを纏った者には、惹かれるものが集うの」と続けた。

 アンは自分の腕や髪の匂いを嗅いでみたが、「理髪店のシャンプーの良い香り」以外、匂いはないように思う。

 そんな事をしているうちに、ふわふわとした緋色の光の粒が、アンの周りに集まってきた。

「鬼灯よ」と、女性は言う。「貴女の国でなんて言うかは分からないけど」

 鬼灯と言う植物があるのは知っているが、女性が言っているのは、どうやらこの光の粒の事らしい。

「そう言う妖精の名前は、初めて聞きました」と、アンが言うと、「妖精と言えば妖精ね」と、女性は返す。

 様々な色をした光の粒は、少しずつアンの周りを浮遊し始めた。緋色、紫、薄紅、白。

鬼灯(ほおずき)竜胆(りんどう)合歓木(ねむのき)黄連(おうれん)」と、女性はアンの心を読み取っているように、「妖精」の名前を挙げる。「全部は命。全部は妖精。みんな、良い香りが好きなの。火と煙を熾してるのに集まって来るなんて」

 女性はそう言い、自分の肩にとまった薄紅色の光に口づける。すると、薄紅色の光はアンのほうに寄ってきた。まるで、とまる花を間違えた蝶のように。


 しばらく話をしてみると、この女性はアンが探していた「占い師さん」で間違いないらしい。名前はローズマリーと言う。

 焚火の煙を浴びて、こんがりしたにおいを纏ったアンとローズマリーは、「盗まれるともったいないもの」を、燃えるごみの山の中から引っ張り出して、家に持って行った。

「しばらく、仕事は休もうと思ってたんだけど……」と言いながら、女性は艶のある木製のデスクの上に、紙製品をドサッと置く。アンも、その隣に貴重な古書の類を置く。

「お手伝いしてもらったし、妖精達が気に入る程『良い香り』のお客さんのお願いを、聞かないわけに行かないわね」

 そう言いながら、ローズマリーはアンに椅子をすすめ、何故かベッドに近づく。白いシーツに覆われたベッドに座り込み、「遠くを見る? 近くを見る?」と言い出す。

 アンは、「どっちとも……とは言えませんよね」と、言って、気まずさからへらっと笑ったが、「もう言ってるわ。よろしい。両方見ましょう」と言って、占い師はマッチでサイドテーブルの香を焚き、ベッドに横たわった。


 目を閉じてリラックスしているローズマリーの体の周りから、無数の魔力波が飛んで行く。それの一端が、アンの胸元に流れて来た。

 妖精達は、邪魔をしないようにアンの肩から少し離れた。

「滅びゆく龍が二つ児を産んだ」と、虚ろな声で占い師は告げる。「新緑の中に蜂が飛んでいる。蜜を集めに花を巡る。一つ、夢のように素晴らしい花が咲いている。蜂はその蜜を取ろうとしない。花は、蜂を守るために居るの。それが遠くの景色」

 そこまで、つらつらと呪文を唱えるように呟いてから、深く息を吐いたローズマリーは「近くの景色」と言って、少し唇を動かしかけ、瞼を開けた。

「ああ。そうね……」と、納得したように声を漏らす。「龍の子は、目を覚ました時から、ずっと彼等を脅かしていた。だから、彼等は貴女に付き纏うの。

 近くクオリムファルンでは異変が起こる。その時、貴女が何を選ぶかで、世界は様変わりする。もし、あなた達の選ぶ世界に、私の意見を入れてくれる余地があったら……。貴女は、決して、悪魔でも、天使でもない事を、心に刻んでおいて。貴女は、信じることができるだけの、人間で良いの。朱緋眼(しゅひがん)。その瞳は、貴女が信じている印」

「私は……」と、アンは目を見張り、わずかに首を振り、頬に触れようとした手を下げた。それから視線をローズマリーのほうに戻し、「何を信じているの?」と疑問を投げた。

「例えば」と、占い師は続ける。「今、私の言った言葉。それを信じられたのは、貴女の中に眠っている人達が、みんな信じてくれるから。そうでしょ?」

 アンは声を落とし、言う。「中々、全員一致はないですけどね……」

「今は一致してる」と、ローズマリーは励ますように言い聞かせ、問う。「あなた達が、他人と距離を置く理由は?」

 アンはそれを聞いて、困ったように笑み、「食べないため、です」と答えた。西の国の者には珍しい、目立つ八重歯を覗かせて。

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