ノリスと少年~おうちを探す子供達3~
夢を見るような目をしたまま、夜間の街灯沿いを小さな子供が歩ている。
歩を進める度に、長い髪の間からチラチラと目が覗く。男の子か女の子かはよく分からない。膝を隠すくらいの丈がある大きなシャツとコートを着ていて、そこから出ている手足の長さから、五歳児ほどに見える。
その子供は、左耳に補聴器を付けていた。同じく左の目は眼帯に覆われている。
子供は、呟くように歌っていた。歌詞の無い歌だ。拙いメロディーラインが、闇夜の中に途切れ途切れに紡がれる。
子供の正面から歩いて来た、仕事帰りと言う風な労働者の男性が、ひっと息を飲む。ひどく気味の悪いものでも見たように。
実際に、男性は心の中で、落ち着けと自分に言い聞かせた。胸の奥で心臓が早鐘を打つ。一刻も早く、この場から逃れたほうが良い。そう本能が騒ぎ始める。しかし、歩いてくるのは唯の子供だ。貧民街から来たような服装の子供だが、胃の腑が縮み上がるほど恐れる意味が分からない。
息を殺しながら、男性は子供とすれ違った。
すれ違ってから、何故その子が気味悪く見えるのかを理解した。子供の周りには、明かりが射しても消えない闇があり、その闇の中から一本の、青白い手が伸びている。
子供はその青白い手と、右の手をつないでいて、闇の中から伸びる青白い手の方からも、歌声が聞こえたからだ。
男性は、叫ばないように注意しながら足早に距離を取り、街灯を三つも越える頃になると、走り出した。そうして、近くの交番に辿り着くと、「化物を見た」と訴えた。
セラ・リルケは、ノリスに新しい任務に関する情報を伝えた。ヴァンと同じ様相を見せている子供が、育児施設に保護されている。ジュノと言う名の男の子で、赤色鳳眼を持っていた。彼は、ジャネットと言う女の子を探していた。
ジャネットは、警察がジュノを保護する直前まで、ジュノと一緒にいたが、突然「怖い人が来る」と言って、居なくなってしまったのだと言う。
ノリスは、ジュノ少年に会いに行った。
発見当時の少年の写真を見ると、前髪と後ろ髪が同じくらいの長さまでざんばらに伸び、両手の爪も齧って短くしていた。サイズの合わない大人用の衣服を着ており、足元は裸足だった。
ジュノは、保護施設にいる間に身なりを整えられたようだ。こざっぱりとした子供服を着て、髪と爪は切り揃えられていた。
前髪は、左の方の赤い瞳を隠すように、前髪の一部が長く残されている。眼帯の用意が間に合っていないのだろう。
ジュノは、前髪を邪魔そうに耳に掛けていた。耳に掛ける仕草をするたびに、補聴器の収まりが緩んでしまうようで、何度も耳の中に装置を押し込んでいる。
「ジャネットと言う子とは、何処で会ったの?」と、ノリスが聞くと、「うんとね。僕が、お腹痛いなぁって思ってうずくまってたら、助けてくれたの」と、ジュノは明るく言う。
ジュノの話としてはこうだ。
彼は、とあるマンションの四階に住んでいたが、ある晩、父親に引っ立てられ、ベランダから放り出された。理由は分からない。投げ落とされた体は色んな物にぶつかって回転し、腹から着地した。
痛みに苦しんでいると、ジュノと同じ髪型と服装をした女の子が現れた。その子はジャネットと名乗り、身動きの取れないジュノの体を上向けると、ぶつけた手足や腹を撫でてくれた。
すると痛みは治まり、ジュノは体を起こせるようになった。それから、ジュノとジャネットは一緒に「怖い人の居ないおうち」を探して、旅に出る事にした。
ノリスが少年の腹を見せてもらうと、まだ内出血の青痣が残っている。もしかしたら、事件直後は内臓が破裂していたかも知れない。それを、ジャネットと言う女の子が治してくれた。
推測するまでもないが、ジュノにも守護幻覚が発現していたようだ。
ノリスは、ジュノの保護されている施設にも、三日に一度通うことにした。だが、次に施設に行った時、ジュノの姿は無かった。
職員に理由を尋ねると、「あの子、毎晩、夜中に起き上がってクスクス笑うんです。他の子が気味悪がるので個室に移動させたんです。そしたら、今朝には居なくなっていました」との答えが返ってきた。
命の危機を感じなくなったら、守護幻覚は発現しなくなるはずである。であるなら、ジュノは最初の守護幻覚を起こした時から、「何等かの命の危険」を感じていた事になる。
基地での会議で、その旨を報告すると、「ヴィヴィアン、ジャネット……」と、同席していたシノンが呟いた。「偶然かも知れないけど、彼女達とヴァンとジュノは、頭文字が一緒だな」
「確かに」と、司会役のノリスが応じる。「何か、気になることが?」
「守護幻覚が、『自分以外の人間』を見せるって事は、今までにも例があったのか?」と、シノンは聞く。
会議に出席していた他の隊員も、頷いたり顔を見合わせたり、ノリスの返答を待つようにスクリーンを見上げたりする。
ノリスは、予め用意してあった資料を、会議室のシルクスクリーンに映す。
「過去の事例を挙げるなら、二十年前に起こったノークシーの火災事故で、『ダナン』と言う少年が、『ダニエラ』と言う名前の少女の守護幻覚を見る、と言う事件がありました」
そう説明しながら、手元の水晶版を操作して、スクリーンに映る画像を変える。七歳程の子供の顔写真が映し出された。
「右の少年がダナンです。そして、左のモンタージュが、ダナンが証言した『ダニエラ』の容貌です」
「どっちもよく似てるな」と、誰となく言い出す。
「ダナン少年は、施設に引き取られるまで、自宅で『定期的に火傷を負わせる』と言う虐待に遭って居ました。それが発覚したのは、彼の家が火災を起こしてからです。
火災があった時間帯は夜間。ダナン少年は、『早く逃げて。火が広がる』とダニエラに言われ、寝室を逃げ出ました。その時に両親のベッドルームから煙が出ているのを見たと証言しています。
ダナンはそれまでもダニエラの声を聞いていましたが、火事を起こした家から逃げ出した時、初めてダニエラの姿を見ました。
彼女はダナンを火災の起こった家から逃がしてから、『新しいおうちに行こう』と言って、ダナンを児童保護施設に連れて行ったと言う事です」
ノリスの報告を聞いて、会議室の一同は考え込んだ。




