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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
エピソード集2
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色彩眼者~ハルナちゃんの家庭の事象1~

 朝焼けが明るくなり始めた町の通りで、血を流し、うつぶせに倒れている者がある。スーツを着た男性だ。青白い手腕は投げ出されたままで、呼吸をしているらしい背の動きもない。顔の横に伸びた手指が、地面のブロックに血文字を書いている。「目」と。


「第三地区来海町(らいかいちょう)福禄寿通りで、遺体が発見されました」

 自宅で朝のトーストを食べていたアヤメは、カリカリに焼けたパンが喉に刺さるのを感じながら、点けっぱなしの置き型水晶版のニュースを、背中で聞いていた。

 たっぷりの朝ご飯を、次々に作っては配膳していた母親が、「遺体」の言葉に反応して、カウンター越しにひょいっとリビングを覗く。

「被害者は、ジン・ウキョウさん二十四歳。何者かにより、胸を鋭利な刃物で刺されていました。現場を確認した、布袋第一警察署では殺人として捜査を進めています」

 女性ニュースキャスターが淡々と事件を告げ、母親は呆然と画面に見入る。

 間仕切り向こうのコンロから焦げ臭いにおいがして、アヤメは自分達の食べる朝食が危機だと察した。

「お母さん。目玉焼きが焦げてる」

「だって、あの顔……」と、母親は視線を水晶版のほうに向けたまま、手元のフライパンを見ないで、三つの目玉焼きの白身を切り分ける。「それに、ウキョウさんって……」

「何が言いたいんだか分かんないけど」と、アヤメは食べていたパンで、母親の視線を奪っている映像を隠した。「まず、目の前の危機を処理して」

「お母さん、その目玉焼きだけ、白身ないよ」と、アヤメの隣でお茶漬けを食べていた妹が言う。「白身ないやつ、お母さんのにしなよ」と。

 ニュースの内容が変わり、母親はようやく我に返った。

「言われなくてもそうします」と言って、母親は焦げ付いた上に切り損じた「黄身焼き」を自分の皿に盛った。


 コペル家は四人家族である。父、母、アヤメ、妹の。

 アヤメ達の父親は海兵隊に所属しているので、滅多に帰って来ない。レーダー以外の何処を見ても水平線しか見えないと言う生活を、半年くらい続けては、時々得られる休暇を使って家に帰ってくる。

 半年間の任期の間は、書き溜めた手紙が一ヶ月に一回、様々な港を通してコペル家に届く。

 アヤメも、休暇で家に帰ってくると、自分が基地にいた間に父親から届いていた手紙を読む。読むたびに「海兵にならなくてよかった」と思った。

 その日も、数年間休暇が合わなくて、一切会って居ない父親からの手紙を読んで居た。

 アヤメの座っているソファの横で、母親は小刻みに首をゆすりながら、床に敷いたニュースペーパーを観察している。

「やっぱりよ。やっぱり」母親は、自分の方を見ているが当たり前だと言う風に、娘達を手招きで呼ぶ。

 生憎、アヤメは手紙を見ていたし、妹のハルナはヘッドフォンをしていた。

 ハルナのヘッドフォンは家庭用通信機に接続されており、子供用の公共通信「わっかるかな?」を放送している。ハルナにとっては、母親の気まぐれより、出題される謎々のほうが重大な情報だ。耳は完全にパーソナリティーの声を追い、十秒間の思考時間で、謎々の答を考えている。

「ちょっと、ちょっと! あんた達、こっち見て!」と、母親は騒ぎ、娘達を呼びつけるのを諦めて、とりあえず大きい娘のほうにニュースペーパーを持ったまま近づいた。

「何?」と、アヤメは迷惑そうに言う。母親は空気なんて読む気はないと言いたげに、ニュースペーパーをアヤメの顔の前に押し付け、一文を指さす。「これこれ。ジン・ウキョウさん。二十四歳。会社員。第四地区、毘沙門天街黄岸(おうぎし)在住」と、その一文を読み上げる。

「それで?」と、アヤメは語尾を上げる。

「もう。鈍いわね。貴女の『初恋のお兄ちゃん』が亡くなったんじゃない」と、母親は言う。

「はぁ?」と、アヤメはもっと語尾を上げた。それから、「勘違いが過ぎて、わけわかんない」と、乾いた声で言う。

「だって、三つの頃は、毎日『ジンお兄ちゃんが意地悪する』って言ってたじゃない」と、母親。

「ああ。また間違えてる」と、アヤメは苦言を呈す。「あの頃は言葉を知らなかったけど、『ジンって言うクズ野郎が眼帯を剥そうとする』って言う苦情を申し立ててたの。そしたら、母さん? あんたが、『ジン君はあんたが好きなのよ』とか、わっけ分かんないこと言ってたわけ」

「えー? そうだっけ? 絶対違うよ」と、母親は記憶の塗り替えを否定する。「あんた、いつもジン君の話するとき、ニコニコしてたじゃない」

「涙をこらえていた表情が、笑顔に描き換えられているのかな」と嫌味を言って、アヤメは手紙のほうに視線を戻す。「都合の好い事ばっかり夢見てるから、そう言う思考回路になるんだよ」

「ジン君が亡くなった事について、考えることは無いの?」

「清々した」

 娘の台詞を聞いて、母親は目を座らせる。

「やっぱり娘を軍隊になんて入れるんじゃなかった。なんて冷たい子に育っちゃったんだろ」

「私は軍隊に入ってよかった」と、アヤメも言い返す。「子供が育った後の、専業主婦のぬるま湯につかってボケたくないもん」

「何言ってるの。専業主婦って言うのは、毎日が戦争よ」と、母親。

「何処で誰と闘ってるの?」と、アヤメ。

「タイムセールに間に合うように、市場店に出かける準備を一日の間に組み込んで、掃除、洗濯、料理、皿洗いをして、ハルナの面倒を看て……」と、母親が言いかけると、「ハルナも疲れるんだよ」と、本人から反論が来た。「お母さん、買い物行くと、必ず近所の人とおしゃべりするんだもん。おしゃべりが長引くと、『ハルナ、鍵と荷物持って帰ってて』って言って、私一人で帰る事あるんだから」

「戦争中に井戸端会議をすると言う、余裕と打算はあるんだね」と、アヤメがまとめる。

「良いじゃない。おしゃべりくらい。情報収集は必要な事なのよ? ゴミの日を守らない不届き者が、一体どこのどいつなのか、を話し合ってるの」と、母親はしゃあしゃあと言う。

「すっごい下らない情報戦」と、アヤメは返しながら、便箋を読み進める。

 父親の手紙の中では、「海洋資源欲しさに、国領域を越えて来ようとする民間の船を追い払うのに手を焼いている」と言う、オフレコの話が書かれている。

 こんなことを、母親(このひと)に読ませて大丈夫なのだろうかと思った。絶対に機密が「ご近所様」にバレてしまう気がする。

 その前に、さっきアヤメの言った台詞も、明日には井戸端会議で拡散されるんだろうなと、アヤメ本人も予想していた。

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