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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第二章~大地の底にて~
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30.ニオブの園―その向こうに帰る時―

 標的に向けて見事なワンホールショットを連射して、アヤメはハンドガンの弾倉を替える。

「いつも通りだね」と、訓練所の職員に言われた。

 アヤメは首を横に振る。「三弾目がずれた」と言って。

 狙撃の練習の後は、基地内のジムに行って、筋力トレーニングをする。それから、トラックの中を全力疾走しながら障害物をよける訓練をして、その後は長距離走の訓練。

 別にドライアップしているわけではないが、体中が汗だくになった。その塩っぽい汗をシャワー室で流し、服を着替え、飴を口に放り込んで水を飲む。

 結んでいる後ろ髪がだいぶ長くなってきている。

 休暇の間に切っておこう。

 そう考えて、一週間の休暇の間に、地元のヘアサロンに行く事にした。


 次の日の朝、アヤメは規律通りの時間に起きると、自宅に帰る身支度を始めた。空は青く明るいが、寮の窓から観ると、遠い空に雨雲がかかっている。通り雨が降っているようだ。

 リュックサックの中に、着替え、手回り品、貴重品をつめる。家への土産は、基地の周りに在る繁華街で、名物の焼き菓子を買うつもりだ。

 花屋に頼んでおいたドライフラワーのポプリを受け取るのも、忘れないようにしよう。

 そう考えながら、平服に着替え、上着にパーカージャケットを着て、リュックサックを担ぐ。

 ハルナは今年で何歳になるんだっけ。私より七つ下のはずだから、十一歳か。

 予定通りに焼き菓子を買い、花屋ではポプリを入れた箱を、包装紙とリボンでラッピングしてもらった。それらを入れた紙袋を持ち、アヤメは大通りに向かう。タクシーを拾うために。

 途中で遠距離通信用ボックスを見つけ、「家に連絡しておこう」と思い立った。

 受話器を手に取り、コインを投入する。自宅への暗号キーをボタンで入力すると、ボックスの斜め上から伸びている線に、内部からしか見えない光が走る。

 装置に設定されている「遠距離通信」が起動した。

 数回のコール音を鳴らしてから、「はい。コペルですが」と、中年女性の声がする。

「ああ、母さん。私。アヤメ」と、短く名乗り、「予定通りに休暇が取れた。これから帰るけど、着くのは昼過ぎになると思う」と告げる。

「ああ。そうなのね。気を付けて。あなた、ニシン好きだったわよね?」と、母親。

「生憎、好きじゃないなぁ」と、アヤメは答えた。また間違えてる、と思いながら。「ニシンよりチキンが食べたいな」

「買い物に行く前でよかった」

 母親はポジティブに応じる。

「それじゃぁ、お腹に野菜を詰めたでっかいチキンを用意しておくわ」

「それはどーも。張り切りすぎないでね。じゃぁ」と言うと、アヤメは受話器を置いた。


 タクシーに乗って駅まで行き、切符を買って改札口に向かう。改札員に手早く切符を切ってもらい、構内へ。

 目的地の方向へ走っている列車が、次に来るのは十五分後。待合室で待つほどの時間でもないし、気候はすっかり暖かい。

 ホームに出て居よう、そう判断して、アヤメは階段に歩を進める。

 途中まで同じ路線を通るが、最終駅が違う列車が、目の前に停まる。奇妙な事に、始発でもないのにその列車には誰も乗っていない。

 なんだこりゃ、と頭の中で呟いていると、左の遠くにある一番後ろの出入り口だけが開いて、そこから黒いワンピースと白い長い髪の女の子がひょいっと出てきた。

 特徴的な朱色の瞳が、仕事終わりの笑みを浮かべている。

 アン・セリスティアだ、と、アヤメは一目で分かった。

「お疲れさまでした」

 アンが、窓から手を出している車掌に声をかける。電車は全部のドアを開けて、待っている乗客達を飲み込み始めた。

 どうやら、さっきまでこの電車の中で、邪気の除去作業が行われていたらしい。それを知られないように、アンは目立たない場所に隠れていたのだ。

 自分の得物である箒を持ったアンは、作業が終わったばかりの列車が、ちゃんと人を乗せて駅から出発するのを確認し、口元に笑みを浮かべた。そしてようやく、ホームの階段のほうに歩いてくる。

 アヤメは、アンがこちらに来るのを見て、目を合わせ、目立たない程度に片手を振った。

 アンもアヤメに気付き、目を合わせて小さく片手を振る。

 アヤメは、仕事の内容を聞きたい気がしたが、下手なお喋りをしたら業務違反になってしまうだろう。

 階段を下りるために、こちらに歩いて来ていた清掃員の女の子に、「お疲れ」とだけ声をかけておいた。

「お疲れ様です」と言ってから、女の子は何か気付いたように、アヤメに近づいてくると、その左肩の上を、さらっと手の甲で払った。

 途端に、肩がスッと楽になる。

「何か居た?」と、アヤメは聞いた。白い髪の女の子は、黙って頷く。そして、足取りも軽く階段を下りて行った。


 十五分後、アヤメは郷里の方向に走っている列車に乗って、どうにか座る席を確保した。

 なんとなく窓を見上げると、黒いワンピースを着た白い髪の女の子が、箒に乗って青空の中を飛んで行くのが見えた。アンも、会社か家に帰る所らしい。

 その空の向こうに、虹がかかっている。虹と言う光の現象は、その中にいる者には見えないのだと言う。

 おい、君の行く方向は、虹のアーチの向こうだぞ。

 声が届くのなら、そんな風に言葉をかけたくなった。


 アンが家に帰ったのは、二十三時を過ぎる頃だった。石煉瓦造りの古い家の二階の窓を見上げる。明かりはついていない。そっと玄関の鍵を開けて、物音を立てないようにドアを開け閉めする。

 玄関の、コート掛けの下に箒を立てかける。

 家の中は静かだ。弟は眠っているのだろう。

 リビングの、間接照明だけが照らすオレンジ色の室内に、甘い香りが漂っている。

 キッチンとリビングの間のカウンター席に、ラップに包まれた小さなベイクドチーズケーキと、一本のキャンドル、それから「誕生日おめでとう」と言う弟からのバースデイカードが置かれていた。

 アンはそのチーズケーキに細いキャンドルを立て、マッチで火を点けた。

 カウンター席の椅子に座り、ゆらゆら揺れている火を眺めながら、しばし耳を澄ます。何処からか、チェロの音色が聞こえる気がした。

 死霊の町で回収したあの銀のペンダントは、清掃局で預かってもらってるが、そのチェロの音色は時々、ぼんやりと聞こえてくる。

 愛情と言うものは、ちょっとした心遣いを積み上げて出来ているものなのかもしれない。失ってしまうには惜しくなるほどの心遣いを。

 そう思いながら、アンは輝いていたキャンドルの火を、ふっと吹き消した。

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