28.ニオブの園―眠りと目覚め―
その年の冬に、クリスマス休暇をもらったノーラのお父さんが、家に帰ってきました。
ノーラのお父さんは、緑のリボンと赤い包装紙で包んだ、大きなクマのぬいぐるみを抱えていました。
しかし、オレンジの明かりが燈る家に帰っても、ノーラは居ませんでした。
お母さんだけが、ソファに座って、眉間にしわを寄せ、こめかみを押さえています。
「ノーラはどうしたんだ? まだ、保育所か?」と、お父さんは変な感じがしながらも、妻に聞きました。
お母さんは、悩むような顔をして、言い訳をしました。「ノーラが、迷子になったの。外で遊んでたはずなのに、いつの間にかいなくなってて……」と。
実際は、ノーラがノノラと旅に出てから、その日で三日目でした。
お母さんは、二日間ノーラが帰っていない事に、気づいていなかったのか、もしくは無視をしていたのです。
五歳の子供が家を出て行く事なんて出来ない、放っておけば帰ってくると思っていたのです。
ですが、お父さんが帰ってくる日になっても、ノーラは帰ってきませんでした。
お父さんはビックリして、警察には届けたのかと聞きました。お母さんは少し黙ってから、首を横に振ります。
お父さんは、お母さんがノーラをすぐに探さなかった理由が分からなかったのですが、その日のうちに警察に連絡しました。
近所の人達に、ノーラを探す手助けもしてもらいました。ノーラのお父さんが、ノーラが居なくなった事を近所の子供達に言い、何か知らないかと言うと、子供達は答えました。
「ノーラは、まいにち、かわらにいたよ」
「まいにちはだしで、かわらにあそびにくるんだ」
「さむくなってからも、まいにちかわらにいたよ」
「わたし、かぜひくよっていったけど、『うん』ってだけいって、ずっとすわってたよ」
ノーラのお父さんは、居なくなるまでのノーラの様子が、とてもおかしかったことに気付きました。
娘の事情を知ったお父さんは、ノーラのお母さんに「何故、冬になっても河遊びなんてさせてたんだ?!」と聞きました。
お母さんはしばらく言い訳を考えていましたが、「うるさかったからよ!」と、うるさい声でお父さんを怒鳴りました。「私だって、辛かったのよ」と。
お母さんの脳は、絶対に自分が「サディスト」と言うものであることを認めませんでした。
ノーラはだいぶ河上まで歩いてきました。ノノラの暖かい手を握っていると、疲れないし、息も切れないし、お腹も空きませんでした。
暫くすると、ぽつりと明かりが燈っているように、綺麗な森の風景が見えました。
「ほら、あたらしいせかいにきたよ」と、ノノラは先を指さし、言いました。「ここからさきは、ノーラだけで『ほんとうのおかあさん』に、あいにいってね」
「ノノラはこれないの?」と、ノーラは不安がります。
「うん。いまはまだ、いっしょにいけない。だけど、だいじょうぶだよ。ほんとうのおかあさんは、きっと、ノーラのことがすきだよ」と、ノノラは言って、ノーラから手を離しました。
凍りつくような水の中から、ノーラは温かな体のままで地面の上に姿を現しました。
不思議なことに、服も髪も皮膚も、水に濡れていません。ノーラの体は、ほんのりと橙色の、淡い光に包まれているように見えました。
深い森の中を歩いて行く間、風は吹いておらず、森の木々は、そよとも動きません。ですが、良い匂いがしました。花のような甘い香りでした。
森の中を歩いて行くと、大きな岩山がありました。登れる場所を探して先に進むと、山の一角に、白い糸のカーテンのかかっている入口が見えました。花の香りはそこから流れてきます。
此処に、ほんとうのおかあさんが居るかも知れないと思って、ノーラはカーテンを避けました。
入口の細い岩山の奥は、人が住めそうなくらいの洞穴になっています。
その洞穴の部屋を幾つか見て行くと、大きなお腹と、大きな頭をした、蜂のような、蜘蛛のような生き物が、少しほつれた白い糸の繭の中でうずくまって眠っていました。
「おかあさん?」と、ノーラはその生き物に声をかけて、柔らかそうな繭に触れてみました。表面はふんわりとしていて、とても弾力があります。
一緒に眠ったら、心地好さそうだと思いました。
「いらっしゃい」と、優しい声がしました。声の方を見てみると、ボロボロの黒い服を着た女の人が居ます。「貴女も、女王の香りが好きなのね」
「じょおう?」と、ノーラは聞きました。
「ええ」と、黒い服のお姉さんは言います。その服は、ほつれている場所を、白い糸でかがってありました。「この方は、いずれ、国を作る女王になるの」
「おねえさんはだれ?」と、ノーラは聞き、名乗りました。「わたしは、ノーラっていうの」
「名前は忘れた」と、お姉さんは言います。「霊媒って呼んで。それが、私のお仕事の名前でもあるの」
「れいばいさん。わたし、ほんとうのおかあさんをさがしにきたの」と、ノーラが言うと、霊媒さんは微笑んで、「女王は、きっと貴女も受け入れてくれるわ」と言います。それから、「今は眠ってるけど、春に女王が目を覚ましたら、ノーラの事を紹介してあげる」と返しました。
「れいばいさん」と、改めてノーラは呼びかけました。「おかあさんとねむってもいい?」
「そうね。ゆっくり眠れるように」と言って、霊媒さんはノーラの顔の近くに片手を寄せると、その上で息を滑らせました。
ノーラは急に眠たくなって、膝から力が抜けました。倒れかけたノーラの体を支えて、霊媒さんは女王の作った繭の中にノーラを寝かせました。
今年の秋から冬にかけて、山間の町で子供達の失踪が後を絶えない。居なくなるのは、皆、七歳未満の幼児ばかりで、親が気づかない間に、いつの間にか居なくなっている。
誘拐や事故等が疑われているが、今まで失踪した子供達は、誰一人遺体で見つかった事は無い。
ニュースペーパーでその情報を知ったガルムは、丁度帰って来ていた姉に事件の話をした。
「失踪事件ねぇ……」と言って、アンはニュースペーパーを受け取り、文章に目を通す。「大規模な誘拐組織の存在も疑われる。外国への人身売買などに手を染める者達の存在が囁かれている」
文章を読み上げてから、「疑われたり、囁かれたり、大変だね」と感想を述べる。
「情報屋は『確定した事』以外は、言葉を濁すものなんだって」と、ガルムは言う。「占い師が書いたようなニュースペーパーもたくさんあるよ」
「今月のラッキーアイテムは毛糸の靴下、とか?」と、アン。
「冬の間は、確かにラッキーアイテムだね」と、ガルムは返して、ハハッと短く笑った。
春になって、新女王は目を覚ますと同時に、たくさんの「人間の子供達」に囲まれていることを知りました。それも、霊媒と同じ匂いがする子供達です。
人間の子供達は、新女王を「おかあさん」と呼びました。霊媒にわけを聞くと、みんな新女王の放つ香りに引き寄せられて、この世界に来た、従者達だと言います。
「皆、貴女の作る国を支える者達です。術師としての訓練は施してあります。前女王の遭遇した苦難を、この者達と共に乗り越えましょう」
霊媒の言葉を聞き、この子供達は、生き残った新女王である自分を守るために、霊媒が用意した兵士なのだと理解しました。
そして、共に国を作るために働いてくれる、愛しい我が子達なのだと。