7.隠されていた事
火曜日十三時
身支度を整え、再び町のお掃除に繰り出そうとした時。
アンの知らない女の人が、補給所を訪れた。
チャコールグレーのメッシュを入れた焦げ茶髪のポニーテールで、宝石のような青い目をしている。黒地に銀色の狼の顔の刺繡を縫い付けたユニフォームを着ていた。片足を引きずり、腹を押さえている。
「シェル」と、マーヴェルが声をかけた。駆け寄って、肩を貸す。
「しくじった。予想より、状況が悪い」と言って、シェルと言う女性は、押さえていた腹から、手を離して見せた。
黒い粘液がその手の平から傷口にねばつく。皮下脂肪から筋膜近くまで大々的に抉れているのに、出血が少ない。その傷つき汚れた肉は、意思を持っているように蠢き始めている。
反射的にマーヴェルは回復のための術を使おうとしたが、「待って」と、アンに止められた。
「姿勢はそのまま。少し、痛むと思うけど」と言ってから、アンは箒に力を送る。飛翔の時と同じ魔力が展開し、片手をシェルの脇腹の傷にかざすと、力を浴びせた。
シェルの脇腹に巣くっていた邪霊がはじきとばされて光になって消えた。それと同時に、今まで抑えられていた出血が一気に溢れてきた。
「ぐぅっ」っと呻いて、シェルは傷口を押さえ、その場に頽れそうになる。
マーヴェルがシェルの肩を支えたまま、アンを見る。アンは頷いた。
マーヴェルは、ようやく怪我人に治癒の術をかけることが出来た。
火曜日十六時三十分
「十五時。シェル・ガーランド、意識回復」
フィン・マーヴェルがそうニュースブックに書いたのを見たらしく、跳んで帰って来ると言う風に、アンだけが補給所に戻ってきた。
シェルはカウンター席を借りて食事を摂り、コーヒーを飲んで休憩してから「予想より悪かった状況」について話した。
「発電所と言うか、あそこは……既に、邪霊育成所だ。外部からの変化を情報として取り入れて、新しい型の邪霊が作られている。誰が作ってるって言っても、人間じゃない。ああ、あれはもう人間じゃない」
そう言って、シェルは気分が悪そうに片手でこめかみを押さえ、息を吐いた。そして続ける。
「長時間、人間が邪気にあてられると、意識や感覚に、陶酔感と麻痺を起こす。それは、あんた達も知ってるだろ?
そんな、憑りつかれた人間もどきを操って、死霊達は自分達を成長させてるんだ。私達が、死霊を掃除しても、それに対抗できる力を持った霊がまた作られる」
そう説明してから、シェルはアンのほうを見た。
「あんた、昨日から居るらしいけど。死霊達が、電灯から『補給』している所なんか、見たことは無いか?」
アンは、体の千切れた霊体達が、残っている電光をいつも拝んでいた事と、家にいた子供――エム・カルバン――が、邪霊達が信仰するものを見つけたと言っていた事を説明した。
「やはりか。発電所から送られてくるのは、電気だけじゃない。それまでとは性質の違う邪気と、死霊の情報の連絡がされてるんだ」
「そもそも、なんで発電所に死霊が住むようになったの?」と、アンは聞いた。
「企業秘密だ」と言ってから、シェルはアンに会って初めて少し表情を緩めた。「とは言っても、あんたも私達のチームだったな。話そう」
仮眠室にいたエムの周りに、またあのオレンジ色の蝶々が舞っている。エムは蝶の囁きを聞いた。外から来た「悪い人」が、死霊達が怖がる「悪い事」を話している、と。
火曜日十八時
シェルから聞いた話を頭の中で反芻しながら、アンは町の中で箒を振るっている。
口元はマフラーで覆っているが、この町の邪気の濃さにも慣れてきた。考え事をしながらでも、浄化は出来る。
「発電所が機能するためには、大規模なエネルギーが必要だった。風力、水力、火力、地熱と言った、何等かのエネルギーが要る。
この町の近くには大きな沼があった。その沼から発される可燃性のガスをエネルギーとして使えないかと言う研究がされ、実際に火力発電所が作られた。
昔からこの土地に住む老人達は、沼のガスを使う事に大反対をしたらしい。その大反対は、『他の土地への移住手当』と言う金銭で抑え込まれた。
可燃ガスを使っての火力発電が行われる時、よりによって発電所職員は儀式めいたものを求めた。魔力の時代から、電力の時代への力の継承。そんな夢を見て、『着火式』の時に魔術師を呼びつけ、魔力での着火を試みた。
その瞬間から、沼のガスの中に混ざっていた悪性の霊魂……邪霊が魔力に似通った力を得て、その力は一ヶ月で町ひとつを乗っ取るまでに成長した。移住して行った老人達が危ぶんでいたのは、沼のガスに混ざっている不純物が何かを知っていたからだ」と言う事だった。
うーんと考えこみ、ずっと掃き続けてきた路地を振り返った。直線距離でも、だいぶ広範囲を綺麗に出来ている。
片手に箒を持ち、放り投げて空中で回転させる。今まで掃いて来た道に結界が発生した。
火曜日二十時
職務放棄はしていないが、アンは再びアーヴィング家を訪れた。奥様は美容のために早々に睡眠をとられており、執事の老人が対応をしてくれた。
アンは、居間にある町の地図を見せてくれと頼んだ。
老人は「明かりは点けられませんが」と言ってアンを居間に通し、アンはランタン明かりを近づけて、じっくりと地図を眺めた。
水曜日深夜二時
再三補給所に戻ったアンが、ガーランドと入れ違いに仮眠室に行く。
何時も通りに、速やかに眠りに就いた。
慣れてはいるけど、三日間熟睡できないのは辛いもんだなぁと、頭の片端で思った。
一日多く活動している、他の清掃員達は、もっときつい思いをしているだろう。
二時間ギリギリまで充分に仮眠を取った後、マーヴェルに許可を得て、ランスロットに通信を送ってもらった。町の外にある沼を調べたいから、同行してくれと。
通信を送った後で、マーヴェルは「私達も、初日に何度も調べたけど……。沼に行っても、これと言って手立てはないかも知れないよ?」と確認してきた。
「うん。私も、『確実になんとかできる』とは言えないけど、現場は見ておきたいから」
そう言って、アンは補給所のドアを潜ると、ランスロットと待ち合わせをした崖の階段の霊符の所まで忍び足で進んだ。
「ナメクジかお前は」と、崖が見えてくる頃に、ランスロットの声がした。「とろとろ歩いてるのかと思ったら、ねばねば歩いてる」
「足音を殺して居るんですが」と、アンは答えた。「ランスが普通に話してるって事は、此処は安全地帯か」
「苗字を略すなって言ってるだろ。ランスロットだ」と、霊体の姿しか観た事のない先輩は、ほとんど諦めかけている文句を口にした。