25.コバルトの舌戦―体調に勝てず―
遠くから、風圧を伴う何かが、急激に近づいて来ている音がした。蜂蜘蛛の女王が、その音波に気づくと同時に、抜け穴の周りの土が、爆発するような音を立てて飛び出してきた。
強い削除エネルギーが、巣の中に放たれる。黒雲のエネルギーを削り取られ、蜂蜘蛛達は力の放出をやめた。
最深部の、壁の中ほどに設けられた抜け穴から土が抉られ、巣盤の幼虫達の一部を覆ってしまった。穴は、蜂蜘蛛達の体が必要とする大きさより、ずっと巨大化した。
其処から、物凄い勢いで、内部の空気が吸い出されて行く。風の流れが出来た事で、辛うじて正常だった最下層の空気にも、頭上から毒素が届いてきた。
蜂蜘蛛達は、身体が焼かれるような感触を覚え、一匹、また一匹と肢を折って倒れる。
広がった抜け穴の中には、二人の人間が居た。どちらも黒い服を着ている。髪の白いほうが、箒の柄をこちらに向けて術を操っており、髪の黒いほうが、ライフルを構えてスコープを覗きこんで居る。
箒を持った方の人間は、蜂蜘蛛達の放出するエネルギーを吸い取って、別のエネルギーに変換し、変換した気体を、穴の外に吸い出している。
それも、唯、排気を逃がしているだけではないようだ。
蜂蜘蛛達にとっては危険な、何らかの力を蓄積している。
女王は其処までを察し、最悪の事態を予想した。
逃げ道を確保するため、まだ体の動く蜂蜘蛛達は攻撃態勢に入った。だが、ライフルを構えているほうの人間が撃つ弾丸により、穴の縁に姿を見せただけで撃ち取られて行く。
外の娘達は?! と、女王はとっさに思った。
力を得た視力を使うと、霊媒と幼虫達を残して、外部に放った小柄な娘達は全滅している。
動けるのは幼虫達と共にいた霊媒だけだ。
「霊媒!」と、女王は声に魔力を込め、遥か遠くに呼びかけた。「子等を連れ、逃げろ!」と。
霊媒は一瞬ビクッと身をすくませ、巣穴の隠し通路の方向を見た。そこに、人間の魔力の気配がする。
浄化エネルギーを蓄積している、と、霊媒は気づいた。
恐らく、あの敵は女王達を殲滅したら、幼虫達にも手を下すだろう。すぐにでもこの場を離れなければならない。
霊媒は繭の上から腹を押さえ、口から地面に霊的物質を吐き出した。
それは数秒もせずに物質化し、十数匹の成虫の蜂蜘蛛の姿になる。
成虫の姿をした蜂蜘蛛達は、競うように木の幹を上ってきて、梢のベッドから、蜘蛛の糸の繭に守られている幼虫達を運び出した。
霊媒も、繭に包まったまま、擬似生命体の蜂蜘蛛達に運ばれて行く。
彼女は繭から完全に体を脱ぎ出ようとはしなかった。むしろ、自由になりかけた両腕に糸を纏わせ、身を護るように頭の方にも残った糸を絡めた。
アンは術を使いながら、巣盤の全体を透視し、其処に生きている人間が残されていない事を確認した。
――アヤメ。ナタリアに、着火の合図を。
すぐ隣にいる相棒に念話を送る。
――此処には生存者は、居ません。
アヤメはすぐに通信を起動した。
「ナタリア。こちらアヤメ。着火の準備を。巣盤の中に生存者はいない」
「こちらナタリア。通気は出来ているか?」と、通信の中に返事が返ってくる。
「もちろん」と、アヤメは答えた。
隊が戦線から帰ってくると、まず、アンが呼び出された。
「生存者の救出はどうした!」
テッヘルはテーブルを殴り、唾と大声を飛ばす。
「巣の中には生存者はいなかった?! 人質が居ると言うから、困難な作戦を組んだと言うのに!」
「その作戦の実行を許可したのは我々だ」
相変わらず冷静にユニアが言う。「しかし、情報の取得ミスとは思えない。人質が死亡したか、別の場所に移されたのか?」
「いいえ」
アンは答えた。休む暇も与えられなかったわりには、彼女の様子は落ち着いている。
「人質は、女王からの命令を受け、幼虫達を連れて『私達』から退避しました」
「女王と言うのは?」と、モームが聞きながら、手元で水晶版を操作する。
アンは、邪気の性質を知らない者を相手にするのは慣れていると言う風に、ゆっくりとした口調で教え諭した。
「蜂蜘蛛の……。今回の事件の原因になった、魔獣の女王です。蜂で言えば、女王蜂にあたります。彼女達の放つ邪気に、人質は意識を汚染され、操作されていました。
そのため、命令を送って来る女王が意図する、『危険な外敵』である私達から、幼虫を守ったんです。カオン・ギブソンが何処へ逃亡したかは、痕跡を発見し、残存魔力を解析しない限り、分からないでしょう」
テッヘルはその話を聞きながら、テーブルの上で握った手を震わせ、唇が真っ青になるほど噛みしめた。
どう言い負かそうと、頭の中に血を巡らせる。顔を真っ赤にしてから、「そんな事は!」と叫んだ。
途端に、その大きな頭がぐらっと斜めを向いて、テッヘルは卒倒した。
「救護班を」と、大尉は控えていた兵士に申し付ける。慣れていると言う風に。
速やかに担架が運ばれてきて、頭もでかいが、腹に向かって山を作るように脂肪がついているテッヘルの巨体を、兵士達は運んで行く。慣れていると言う風に。
「あの方、大丈夫ですか?」と、アンは救護班を見送りながら、むしろ心配そうに聞いた。
大尉は「御心配なく。唯の高血圧です」と答え、アンに向かって問う。
「それで、巣の内部はどうやって焼き尽くしたのですか?」
説明を求められて、アンは分かりやすく話した。
「はい。蜂蜘蛛達の邪気を、巣の外まで吸い取って浄化した後、排気エネルギーを蓄積させておいて、縦穴の方向へ送り返したんです。
そうやって全体的に浄化する事で、霊的物質で出来てる虫達の体液を無効化しました。それから、まだ生きてる蜂蜘蛛達が、邪気を発さないように場に封印して、その後は、酸素が無くならない程度に間隔を空けて、火炎放射器を使用してもらいました」
隊長は頷きながら、ユニアはアンの様子を観察しながら、モームは水晶版を操作して会話をメモしながら、その話を聞き、アンには礼を言ってテントから退席させた。
アンの後に、ナタリアやルイザを含む、第三部隊に参加した兵士も集められ、現場での状況がどのようであったのかの質問を受けた。
実質上の最前線から生きて帰ってきたトリム達三人は、夫々の功績が認められた。一名は位が少し上がり、トリムともう一人の若い兵士は、後日に小さな勲章を授与する事になった。
アンは、治療班のテントに残していた、首から蜘蛛の糸が生えていた兵士達の様子を見に行った。
兵士達は、延命のための術をかけてもらいながら、穏やかな表情で眠って居る。その首は、少しだけ紫がかった痣が残っているだけで、糸は完全に消滅していた。
首に根だけが残っていた兵士、イソ達のテントにも行ってみる。ガートやノリスが、患者の首から包帯を巻きとっている所だった。
包帯をすっかり取ってもらった後、不安そうに自分の首に触れてみようとしているイソに顔を向け、アンは頷いた。「綺麗に治ってますよ」と声をかけながら。
その言葉に勇気をもらったように、イソは自分の首筋に触れる。触れてみた皮膚は滑らかだ。アンが手の平に作った水鏡を見て、自分の手の感覚が正しい事を理解し、笑顔を浮かべた。




