23.コバルトの舌戦―R.I.P―
口の中で舌をベチベチ言わせながら、唾を吐き散らかし、テッヘルはキャンプの広場に響き渡る自分の弁論に酔って居る。
わざわざ自ら壇上に出てきて叱責を飛ばす参謀の一人を、兵士達は「神妙な表情を頑張って保ちながら」見つめている。
その実、テッヘルのお説教が兵士達の士気を上げる事は、まずなかった。若い兵士でも、三回くらいテッヘルの弁論を聞くと、話が頭の上を空滑りするようになって、このやかましい罵詈雑言は単に、次に話す大尉の前座なのだと気づくのだ。
テッヘルが「彼なりに士気の高い」弁舌を三十分ほど続けると、そろそろ良いかと言う風に大尉がテッヘルを遮り、入れ替わりに壇上に上って、「それでは諸君、任務の内容であるが」と話し始める。
この隊長も、「士気を上げる仕事」は、すっかりテッヘルに任せてしまっており、必要な事と、愚直な報告連絡しかしない。
三十分間、神妙な顔をしたまま頭を使うなと言う訓練を受けた後の兵士達は、変に決起を高められるより、その分かりやすい話のほうが心が落ち着いた。
テッヘルの罵りの三十分を乗り越えた後なら、大体のどんな惨状でも乗り越えられる気がする。
その日のテッヘルの話を、本当に身を入れて聞いていた者が居たとしたら、得体のしれない幼虫と邪気が起こすグロテスクな死を経験した兵士の、体がゆっくり溶けて死ぬと言う生々しいまでのホラーをつぶさに表現した、残酷なる叙事詩を聞いた気がしただろう。
直接見たわけでもないのに、「蛋白質が異変を起こす時の異臭を放ちながら、皮膚から肉、肉から骨へとその液体は染みわたり……」とか、「血液さえ変質して、沼の底からわき出した泥のような色彩に、どろりと変わり……」とか、よく細かく語れるものである。
その兵士の死を語った後、「わが軍の兵が、そのような死を経験すると言う、陰惨たる有様の中、先の清掃員が何をしていたと思うか」と、テッヘルは言い出した。
テッヘルの弁論は続く。
「あの十七だと言う若輩者は、眼前の敵と、守らなければならない兵士達を放り出し、裏口にある安全なルートから敵地に侵入すると言う無様をさらした。
あの小娘は、臆病風に吹かれたのだ。そもそも清掃員等と言う、ゴミ掃除を生業に世間の隅で生きているような者に、我が軍の尊い兵士の安全を任せた事が落ち度なのである。
この責任は、後々まで軍法会議で論議してもらい、諸君の尊い命を一粒でも溢さぬように、語り継いでいくことを、私は諸君に約束する」
そんな、出来ようのない約束で、その清掃員さんを侮辱したい気分を、俺達のせいにされても困るけどな。
ちゃんと話を聞いていた兵士、ウォーレンは、頭の中でそう思っていた。
その清掃員さんと一緒に現場に行った事がある、十六歳の「若輩者」であるタイガから話を聞いても、当の清掃員さんは、軍人より冷静なんじゃないかと思う働きぶりだったと言う。
兵士としては、まだまだこれからのタイガのフォローをしてくれたり、アヤメとのやり取りでも言葉の無駄も無く、臨機応変に変わり続ける状況に適した術を使い、指示を出してくれたと言う。
正面突破をしようとしている兵士達を置いて、確実に敵が逃げ集まって来るであろう裏口から、単身で乗り込まなければならない……となったら、そっちの方が勇気が必要な気がするんだが。
そんな事を考えながら、ウォーレンも十五分もする頃には、話の内容が頭の上を空滑りするようになって行った。
もう、テッヘル参謀が何を言ってるかは分からない。
その代わりに、テッヘルの口元から盛大な唾液が飛んでいるのは分かった。
ウォーレンはボケーッとしたまま考える。
あいつの目の前に居る兵士は、三十分くらい、唾液が飛んできてるのを我慢しなきゃならないんだよなぁ。
そんな所で、兵士としてのベストを尽くしたくはないなぁ……。だけど、新人はどうあったって先頭に並ばなきゃならないし。
可哀そうだけど、一、二年耐えてくれ、新兵。
そんな事を考えていると、きっかり三十分経過する頃に、大尉が止めた。
「テッヘル。ありがとう」
呼びかけられても、テッヘルは返事もしないし、話もやめない。
まだ頭の中にアドレナリンが出ているらしく、口の周りを飛沫と唾液でテカテカ言わせながら、話を続けたがった。大尉の声が聞こえてないのだろう。
「テッヘル!」と、大尉は喝を入れるように呼んだ。「十分に士気は高まっている! 時間が惜しいんだ!」
自分の弁舌が、時間を無駄にしていると指摘されて、テッヘルは過呼吸気味に肩と胸で息をすると、黙って壇上から去った。
代わって、大尉が壇に立つ。
「それでは諸君。任務の内容であるが」
いつも通りの大尉の声を聞いて、其れまで姿勢を正して地面に立ち、目をガン開きにしたまま眠気と闘っていた兵士達は、ようやく必要のある情報を手に入れる事が出来た。
洗浄機を担いで、敵の根城である巣穴をうろつく事になったトリムは、ミストの散布で部屋の空気を綺麗にする時のように、なるべく上の方に向けて洗浄剤を撒いた。
もやもやと立ち込めていた邪気が洗われ、空気の中から引き剝がされる。
濃密に覆い始めていた、黒い霧のようなものが洗浄剤の粒子に包まれて巣盤に落ち、さらにその下に流れ込んで行った。
「便利だ」と、トリムは独り言ちたつもりだった。
「確かに」と、一緒に洗浄作業をしていた年上の兵士が返してくる。「なんかさ、俺、聞いたんだけど」
作業をしながらその兵士は言う。
「殺虫剤を作れって言ったのはタイガで、洗浄剤を作れって言ったのは、例の清掃員の人なんだとさ」
トリムはそれを聞いて、ちょっとだけその兵士のほうを見た。
「へー。タイガのほうはインスピレーションだと思うけど、清掃員さんのほうは『職業柄』ってやつなのかな」
トリムは、殺虫剤の中でも生きていた奇妙な幼虫を、足元に迂回する。
「環境を綺麗にする仕事って言うのは、大事なもんだね」
すると、先輩の兵士は、話に乗ってきたトリムにこんな事を言い出す。
「だよな。それでさ、あの清掃員さんて、割とイイ女じゃないか?」
「イイ女?」トリムはガスマスクの中で目を見張った。「う、うーん。後十年くらい経過したら、確かにイイ女になるかもな」
「なんだよ。年増が好みなのか?」
「どちらかと言うと、ロリコンではないと自負している」
「十七歳って言ったら……確かに若いけど、成人年齢は越えてるぞ」
「今の成人年齢が若すぎるんだよ。俺は文句言える立場でもないけど」
「なんでだ?」
「成人年齢が下がったから、十八になる前から入隊できたって言う、恩恵にあずかってるんで」
「ああ、お前今年で十八だったっけ」
「お前ら駄弁るな」と、二人から離れた所で洗浄剤を撒いていたもう一人が注意する。「一人死んでるんだぞ。もうちょっと慎重になれ」
「えーと、こう言う時はなんて言うんだ?」トリムと話していた兵士が述べる。「誰か死んだとき」
「アールアイピーじゃないか? 土には還れそうにないけど」と、トリムは返した。
洗浄剤の撒かれる、シューと言う音が、巣盤の中に静かに響いていた。




