22.ルビドゥス兵器戦―煙の中で―
人間のような呼吸器官を備えている蜂蜘蛛達は、ゲホゲホと咳き込みだした。
上層の盤にいたものから順に、酸欠を起こして窒息死して行く。
死んだ者を調べようとした者達も、酸欠を免れなかった。喉の奥に火ぶくれが出来たような感覚がして、体中が熱を持って痛む。
まだその毒が完全に届かなかった場所に居た者が、周りの者の異変を察し、慌てて巣盤を下層のほうに移動した。
取り残された幼虫やサナギ達も毒に侵食され、恐怖の悲鳴を上げながら、もしくは眠ったまま乾くように死んだ。
「何が起こった?」と、上層の巣盤に沸いた幼虫の悲鳴を聞き取り、下の巣盤に居た蜂蜘蛛の成虫が、命からがら移動してきた姉妹達に尋ねる。
逃れてきた者も、関節をがくがくさせながら、震える肢で辛うじて踏みとどまっている。
「巣盤の上から、毒が投げ込まれた。焼かれるような感触のする毒だ。私の体も、もう持たない。女王に知らせろ」
喉をカサカサ言わせてそう言うと、崩れるように巣盤の上に転がった。
女王は、縦穴の中に張り巡らせてある螺旋状の糸に、重たい何かが複数触れたのを感知していた。それは蜂蜘蛛の丈夫な糸を、重みで引き千切る。
女王は、ついに来たか、と心を尖らせた。
その異変を察してから数秒後、上層の巣盤から娘達の悲鳴が聞こえた。
上の巣盤の異変を知らせた娘達も、一息も吐かないうちに乾いて死んで行く。
下層の巣盤でも波のようにざわめきが起こり、予てより各巣盤に待機していた戦闘的な娘達は、女王を守るために最下層の巣盤に集まった。
女王は、まだ胚の残っている自分の腹を見つめ、やがて来るであろう忌々しい害悪達を巣の底から睨んだ。
女王の体から、蜂のフェロモンに由来する、黒い霧のような邪気が放たれる。他の娘達の体からもだ。
最後の巣盤に残っている、まだ未成熟な数十の胚……。それは、女王のゲノムのみを受け継いだ、雄蜂になるはずの胚だった。
霊媒から「知らせ」を受けた事により、少しは未来が変えられたらしい。やがて新女王に育つはずの幼虫達は、既に外部に避難させてある。
あの子達が、胚のまま死ぬ事にならなくてよかった。
それだけを女王は喜び、ずかずかと巣に入って来るであろう外敵達に備えた。
毒を使えるのは、お前達だけではないぞ。
それを知らしめるように、女王は体中から黒雲のような邪気を噴き出させた。
城内から競って来る邪気の濃度が次第に強くなる。
今までも、ヘドロのような邪気が漂っていた事はあったが、ヘドロのような、ではなく、既にそれは邪気のヘドロだった。
外を警戒しているアヤメの周りには、幼虫の面倒を看るために集まっていた蜂蜘蛛達の死骸が散らばり、高い木の梢の上には、白い繭のような糸のゆりかごがある。
そのゆりかごの中からは、餌を求める幼虫達の鳴き声が聞こえている。その鳴き声に引き寄せられるように、巣の外に居た蜂蜘蛛達は次々に集まってきていたが、それも静かになった。
かつて城塞からの抜け穴だった道は、途中から土を潜るトンネルに接続されている。
そのトンネルを潜りながら、アンは溢れ出ようとする邪気を浄化の力で押し返し、単身で巣穴まで進んでいる最中だ。
「アン」と、外からアヤメの通信が届く。「成虫の蜂蜘蛛は来なくなった。私も、そっちに向かって良い? 通信が途切れそうなんだ」
アンはしっかりと固められている土の道を振り返り、まだ視覚的に外の出入り口が見えるのを確認した。
「了解。でも、私の近くに来ると、魔力流が融合する事になります」
「『抜け穴』はそんなに狭いの?」と、アヤメ。
「ええ。元々、隠し通路ですし……。蜂蜘蛛達も、そんなに広さは必要としなかったみたいです」
そう答えながら、アンは両腕を伸ばして、隠し通路の内部の広さを測った。
ギリギリ、人間二人が横に並べるくらいはあるだろう。
「分かった。流が融合した後は、背合わせに進もう」
そう答えて、もう一度周りに銃口を向けながら警戒すると、アヤメは岩の陰に隠れた抜け穴の中に滑り込んだ。
縦穴の中から「煙霧ボトル」をひとまず十五ボトル投下した後、様子を見ていると、要塞内部の邪気の濃度が濃くなり始めた。
「これは、待ってる場合じゃないな」とナタリア達は判断し、縦穴の上からロープを投げ、隊員四名を穴の底まで降ろした。
繋ぎ合わせて作った百メートル近いロープは、真っ直ぐ縦穴に通って行った。
巣盤の上に着地した四名は、すぐさま辺りを見回す。
殺虫剤の立ち込めている巣盤の中を移動していると、房の中に残されている幼虫の中で、まだ動いているものが居た。
「まだ生きてた」と言って、ある隊員がその幼虫を撃った。
幼虫は、水が跳ねるような音を立てて潰れ、体内にあった物質を飛び散らせる。
発砲した隊員はそれを浴びて、不愉快そうに首を振った。
その、幼虫らしきものから溢れた物質は、巣盤の下から染み込んでくる邪気に反応して、毒素を持つ。
ガスマスクの通気が悪くなった事で、幼虫の体液を浴びた隊員は異常に気付いた。
「息が……できない……」と言って、パニックになった隊員は、短く素早い呼吸になると、自分の顔からマスクをもぎ取ろうとした。
だが、防護服の内側にがっちり止めてあるマスクは外れず、瞬く間に酸欠になって倒れ込んだ。
そして、倒れたきり動かない。
他の隊員が調べると、防護服とアーマー、そしてガスマスクの一部分が、どろりと溶けている。
溶解物質は次第に隊員の体を侵食し始め、倒れた者は硫酸を浴びたように体が溶け始めた。
他の兵士は、倒れた隊員と、動いている幼虫のようなものから距離を取り、通信で地上に異常を伝える。
「殺虫剤で死なない幼虫……」と言って、ナタリアは地の底の巣盤に目をやる。「それが何かの異物である事は確かだ。その幼虫には接触するな。こちらから見通すには、邪気の濃度が濃い。洗浄機を下ろす。アンと合流するまでに、邪気を片づけろ」
「了解」と、返事は返ってきたが、残った三人にとっては全く「了かに」「解している」訳ではないだろう。
私が率先して降りるべきだったか、とナタリアは悔いた。
ガスマスク越しに表情を読み取ったルイザが「リーダーは現場で考えるのが仕事」と言って、ナタリアの肩を叩いた。
地下に降りた三人のうちの一人、トリム・カーターは二年前に入隊し、今年十八になったばかりの若輩者だ。
若い者は偵察力に勝るなんて言う参謀のおだてに乗ってしまったが、部隊には若い鉄砲玉が必要と言う意味なのだろうと言う事を、敵の巣穴で知った。
五分前に戻れるなら戻りたいが、もう目の前には「噴霧洗浄機」が三台、ゆっくりと降りてきている。引き返したいなどと言い出したら、後々が矢面の日々だ。
洗浄機の他に、煙霧ボトルの追加も数本下ろされてきた。援軍も下ろしてほしかったが、せめて足場の邪気が綺麗になるまで、追加の人員は来そうにない。
自分の年齢と口の上手い参謀を恨みながら、トリムは薬剤の入ったタンクをひとつ担ぎ、スプレーのように洗浄剤を撒く事の出来る取っ手を手に持った。
銃を片手に、洗浄機を片手に。後は、死なないように仕事をするしかないのだ。




