21.ルビドゥス兵器戦―情と言う何か―
城塞の邪気の煙の中から飛び立つ者を見つけて、迎撃部隊の任務に就いていたアヤメは一瞬引き金に指をかけた。
しかし、邪気の煙の中から出て来たものは、虫や翼竜の姿はしていない。
箒に乗って飛翔している、黒いワンピースと白く長い髪の人物。
引き金から指を放し、「アン・セリスティアだ」と、アヤメは通信で他の隊員にも伝えた。
アンは身体の周りを青緑色の結界で覆い、非常にハイスピードで要塞の西側の森に回り込んだ。
「何があったんだ?」と、他の狙撃兵も、スコープを覗いたまま疑問の声を上げる。
アンは邪気の浄化清掃の要。その人物が本業を置き去りにして、外に飛翔してこなければならない理由は?
そう考えて、アヤメは通信班に居るはずのタイガに連絡を取った。
「タイガ。こちら、アヤメ。アン・セリスティアが要塞の西側に飛翔するのを確認した。第三部隊の作戦はどうなってる?」
「こちらタイガ。アヤメさん。実は……」から、説明を始めた。
「要塞のある山の地下に、隠し通路だった穴があるんです。その穴には、蜂蜘蛛の巣穴からの通路が接続されています。
脱出ルートは西の森の中です。人間だったら、岩の間から地面に這い出るように作られています。
以前、僕達が要塞に潜入した時に遭遇した蜂蜘蛛より、大きい者は逃げられないと思いますが、小型の蜂蜘蛛が、そのルートを通って外部に逃げてしまう可能性があります。
アンさんは脱出ルートを封印して、同時にそちら側から蜂蜘蛛達を追い立てる事になったんです。何にしろ、敵の群れが集中する可能性があるので、『僕達』では無理だろうと言う見立てです」
アヤメは其処まで聞いて疑問を問うた。
「要塞の中の浄化は? 必要ないの?」
タイガは言いにくそうに言葉を濁す。
「必要なくはないんですけど……。要塞内部の浄化と封印は、弾丸に込められた術で補う事になりました。一瞬で消滅はさせられないけど、その分、弾丸を打ち込むことにする……と言う手段で。
それに、シノンさん達が、兵器を要塞のふもとまで搬送してくれたので、残りの弾数でも、最終段階までは持つだろうと見込まれています。
あ。それで、第三部隊の兵士が数名、兵器を確保するために移動しているので、撃たないように気を付けて下さい。多分、狙撃隊の射程より外側を移動するとは思いますけど。
外見的には、アンさんの作った魔力流で体を覆われてるから、魔獣とは見分けがつくと思います」
全部聞き終えたようなので、アヤメは応答を返した。
「了解。他の隊員達にも情報の共有を」
「はい。夫々のオペレーターさん達に頼んであります」と聞こえてから、通信が術師しか聞こえないものに切り替わった。「それで、あの……アヤメさん……」
其処から聞かされた別の任務のために、アヤメは迎撃部隊を抜ける事になる。
「参謀から特殊任務を命じられた」と言って、アヤメはライフルを持ったまま部隊を離れ、アンが向かった要塞西側の森に走った。
蜘蛛の糸の中から、右腕と首元まで脱ぎ出た霊媒は、腹を空かせて身体をゆさゆさと悶えさせる、人と同じくらいの大きさの幼虫達に、「状態回復」の術をかけていた。
「お腹減るよね。もう少し待とうね。別の子も連れて来る時、お姉ちゃん達がご飯を持って来てくれるから」
そう話しかけると、幼虫達は互いに顔を見合わせ、分かったような分かっていないような様子を見せていた。
しかし、霊媒の右手から放たれるエネルギーが「気分を好くしてくれる」事は理解したようだ。一匹の幼虫が「状態回復」を受けている間、待ちきれないと言う様子で、別の幼虫達は絶えず体を揺する。
「あんまり動くと、繭から転がり落ちちゃうよ」と、霊媒は優しく言う。
一匹の幼虫は少し考えるように動きを止め、「おなか」と声を発した。「おなか。おなか。おなか」と、囀るように繰り返す。
霊媒がその個体に手を差し伸べ、柔らかいお腹の辺りに触れる。
触れられた幼虫は、気分が良さそうに、ぐいと背を伸ばした。
その様子を見ていた他の幼虫達も、口をもごもごさせるように動かし、「お……なか……」と、たどたどしく声を発し始めた。
餌を求める雛鳥のように、幼虫達は「おなか。おなか」と騒ぎ出す。
「これはなんてこと」と、巣から新しい幼虫を連れてきた、成虫の蜂蜘蛛達が、驚いたような声を出す。「霊媒。子供達に言葉を教えたのか?」
「いいえ。この子達、自分から話し始めたの」と、霊媒が返すと、成虫の蜂蜘蛛は、慈しむように幼虫達を触覚で撫でた。
「そうか。お前達、『生き残り方』を考えているんだね」
「おねえ。ちゃん」と、ぶよぶよとした体の芋虫のような白い幼虫は、成虫の蜂蜘蛛に呼びかける。「おなか。おなか。ごはん。おなか。ごはん」
成虫の蜂蜘蛛は、より一層、愛おしそうに幼虫達を触覚で撫でてから、後から新しい幼虫を連れて来た蜂蜘蛛達にも、幼虫達が言葉を話し始めたと告げた。
既に、食料になる肉を用意して来ていた、別の蜂蜘蛛が、新鮮な肉団子から肉を――恐らく虫の肉ではない何かの肉を――細かく千切って、幼虫達に与えた。
しかし、小さな肉片では、幼虫達の腹は満ちない。
幼虫達はしきりに体を揺すり、「おなか。ごはん」と囀り続ける。
「ああ、忙しくなって来た」と、感動するような声で蜂蜘蛛達は労働の喜びを表す。
外部に幼虫を運び出す者の他に、幼虫に肉を運んでくるための専門の部隊を作り、糸を発しながら木々を飛び回った。
アン・セリスティアは、その様子を森の上空から梢を透かして観察し、どうするべきかを考えていた。
任務を優先するのであれば、アン達はこの魔獣と、その幼虫達を殲滅しなければならない。
自分達の同胞に対する愛情と言うものを有する何かを、殺傷しなければならないのか。彼等が生きる事は、私達の命や意識が害されると言う事だから。
アンは一度目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。肺の中に数秒空気を置き、細くゆっくりと吐き出す。
それだけで、観てしまったものへの同情は冷めた。
この蜂蜘蛛達は、自分達が生き残るために、人間の意識や存在を脅かす方法を覚えてしまった。全てを消去しなければ、何処かで「私と言う人間の同胞である誰か」が、この者達に殺められることもある。
実際に、邪気に侵食された人間の女性が、意識を乗っ取られて、蜂蜘蛛達に与している。
「アン」と、遠くからアヤメの通信が聞こえた。走っているらしく、息を切らしている。
「隊長から、貴女に協力しろってお達しが来た。今、どの位置?」
「要塞から三キロメートルほど離れた、西の森の上空です。アヤメ、貴女がこっちに来る途中で、魔獣達に遭うかもしれません」と、アンは淡々と答えた。
「もう、奴等は逃げてるの?」と、アヤメは声音を緊張させる。
アンは落ち着いた声で言う。
「逃げてはいません。ですが、巣から数匹の幼虫を逃がしています。肉を集めている蜂蜘蛛に用心して下さい。襲われる可能性があります。早急に私と合流を」
「了解。真下に行ったら『声』を送るから、下降してきて」
「はい。アヤメ……」と、アンは言いかけ、それを言う事にした。「幼虫を殺すのは、最後です」




