17.ルビドゥス兵器戦―迷宮へ―
蜘蛛の巣のバリケードに行く手を塞がれる度に、その場に残って蜘蛛の巣を切り裂く役と、別のルートは無いか探索に行く役の二手に分かれた。
隊員達は、絶対に一人にならないように言い聞かせられている。別のルートを探しに行った者達も、二人以下の人数になりそうだったら元のルートに戻って、少なくとも四人以上の隊を組んだ。
「ナイフで切れるか?」と、ある隊員が通信で聞く。ガスマスクをしているので、声はくぐもり、吐息の音がうるさい。
「切れないことは無い……けど、すぐにべたべたになっちまう」と、実際にナイフを振るっていた隊員は、刃の鈍りを気にする。
「焼いたらどうだ?」と、別の隊員。
「火を使うのは最終段階だけだ」と、こそこそ言い合っていた。
ルイザが含まれていた隊では、蜘蛛の巣の隙間隙間で、魔獣との交戦が行われている。
敏捷性を増した邪気の魔獣達は、蜘蛛の巣の迷宮の使い方をよく知っているようだ。
ルイザ達が相手にしたのは、比較的小型の魔獣だが、伸縮性のみで粘り気の無い糸に体を預け、撥ね返る性質を利用して一瞬で間合いを詰めてくる。
「そっちに行った!」と、兵士の一人が拳大はある昆虫型の魔獣を指さし、通信で叫ぶ。
ルイザは魔獣のタックルを銃身で受け流しながら、どの糸が「粘つかないもの」なのかを観察し、魔獣が再び近づいてきた時に、タイミングを合わせてナイフを突き出した。
小型の魔獣は、自らの跳躍力でナイフの先端に飛び込んでしまい、核を潰されてあえなく砕け散った。
仲間のうちの一人が、六連式の短銃で、液体状の残骸に「封じ」をかける。
ルイザはナイフを逆手に持ち替え、魔獣がトランポリンのように使っていた糸の束だけを切り取り始めた。
「蜘蛛の糸の性質って知ってる?」と、独り言のように通信の中で言う。「縦糸はべたつかない。獲物を捕らえるのは横糸だけ。この糸の中の縦糸だけ切れば……」
そう言いながら、ルイザがいくつかの糸を切ると、目の前を塞いでいた粘つく糸の束がばさりと床に落ちた。
「こうなる」と、多少開けた通路を進みながら、ルイザは締めくくった。
タイガは通信兵達に混じりながら、第三部隊の交戦状況を捉えていた。
「第三部隊、『屋内』に侵入。魔獣の小型化を確認。邪気を翼竜の成型に費やしたためと推測される」
他の通信兵からの共有情報が、タイガの操っている水晶版に映し出される。
邪気に覆われる前の要塞の形と、今まで交戦を行なった記録のある魔獣の情報だ。
タイガは、その映像の中に、あの巨大な蛙が写し出されるだろうなと嫌悪感を持っていたが、何故か資料は作られていなかった。
おかしいな、と首を傾げる。
僕の視界を読み取っててもらったはずだけど、あの蛙が居ないなんて。他の邪気の魔獣と違って、半透明で「唯のヤドクガエル」を巨大化しただけのような生き物だったけど、あれは邪気で出来ていた物ではないのか?
そう考えて、情報を送って来てくれた通信兵に確認を取った。
「ヤドクガエル? 何色のですか?」と、返事が返ってくる。
「真っ赤な蛙です。見付けたらすぐ分かるような」と、タイガは言うが、「私達のデータにはありません」と、首を横に振られる。
「僕が、そのヤドクガエルの脚を切り取ったり、核をナイフで刺した時は……」と、問い重ねると、「あ。ああ、あの時、そんなのが居たんですね」と返ってきた。
なんとなく、何かを誤魔化そうとしているように感じて、タイガは「見てないんですか?」と聞いた。
女性の通信兵は神妙な顔で一つ頷くと、答えた。
「私達には、見えませんでした」
タイガは、通信でナタリアを呼び出した。
「ナタリア。緊急でお知らせしたい事が」
「何だ?」と応じて、ナタリアは、耳を澄ます。ナタリアの周りでは、小型化した邪気の魔獣との交戦が始まっている。
タイガは続ける。
「邪気侵食に気を付けて下さい。特に、空気の中に混じってる邪気に。ガスマスクを浸透するかもしれない」
「どう言う事?」とだけ、ナタリアは通信に聞き、自分の近くに魔獣が来ていないか、一度辺りを見回した。
「僕達が巣穴の入り口を突き止めた時は、結界は備えてたけど、ガスマスクをしてなかった。それで、邪気に由来する幻覚を見てたかもしれないんです。でも、僕もアヤメさんもアンさんも、同じ『邪気で出来た生き物』を見てました。唯の幻覚じゃない。もしかしたら……」
そこまでタイガの声が聞こえた所で、ナタリアは「静かに」と合図した。
ズシン、ズシン、と、重い足音を立てながら、何かが近づいてくる。
蜘蛛の巣の隙間隙間から見えたのは、岩のように大きな頭、膨れ上がった腹と大きな両手の指、そして緑色の皮膚をした化け物だ。
腐った肉のような異臭が、辺りに立ち込める。
その化物は、絵本に出てくる、完璧な「トロル」の姿をしていた。半透明で、体の中央の核が透けて見える以外は。
ナタリアが、ガスマスクの中で表情を引きつらせる。反射的に銃を構え、引き金を引いた。しかし、トロルの纏っている殻によって、弾丸は弾かれた。
アンは箒にまたがり、蜘蛛の巣を潜って空中に浮くと、片手にエネルギーを集中した。
風の刃が巣の縦糸を切り取る。
視界が通ると同時に化物に近づき、手の平から熱波を放った。化物の纏って居た殻が破られる。
「ナタリア!」と、アンは呼びかけた。
視界が明瞭になったナタリアは、ショットガンをリロードし、トロルの体に透けている核を撃った。
体組成がゼリー状になっているトロルは、細かい弾丸を受けて体の一部がはじけ飛んでも、余裕でナタリア達に向かってくる。
ナタリア達は蜘蛛の巣の陰に身を潜めた。が、トロルは隊員の隠れている蜘蛛の巣ごと、獲物を掴み上げた。
仲間のうちの一人のライフルが、ゼリー状の体に鋭く切り込む。
術を込めた弾丸が、核に刺さった。
崩れるように、ざらりと化け物の姿は消え去った。掴みあげられてじたばたしていた隊員も、一緒に床に落ちる。
アンが残骸を封じるまでもなく、その残骸には「封じ」が掛けられたいた。
それを確認してから、アンはナタリアの横に降り立った。
「タイガと通信を取っていたんでしょう?」と聞いてくる。
「あ。ああ、タイガ……。もしかしたらの続きは?」と、ナタリアは聞く。
「変な事言うので、笑わないで下さいよ」と、タイガは前置きをしてから、「お化けなんじゃないかって思ったんです」と続けた。
「お化け?」と、ナタリアは返して、今自分が撃ち取った化物の居た場所を見た。妙にリアルで、とても不気味な、魔獣と言ったらこれだろうとナタリアが連想する類の化物だった。
ナタリアの返事から、話の内容を察したアンが、念話を送ってくる。
――今のは、『死した何か』で作られた化物です。貴女が一番不快に思う化物の姿をしていたでしょう?
――『何か』って言われても、分からない。
ナタリアがそう返すと、アンは再び言葉を続けた。
――『死霊』と同じ成分のものです。貴女にどう見えていたかは分からないけど。
迷宮の奥で、何かがどろりと動いたような気がした。




