14.リード情報戦―生き残りをかけて―
餌が逃げようとしているのに、翼竜は邪魔せず、邪気は固形化せず、「何者か」は、ナイフしか持っていない体力の弱っている獲物を、やすやすと逃がした。
そして、キャンプの場所を見つけ出し、「スコール」を降らせた。
北部キャンプは現地の術師達によって守られた。東部キャンプは応戦が間に合わず全壊した。西部キャンプは多少の雨粒の侵入を許してしまったが、代わりに「生きた翼竜」を捕らえた。南部キャンプは迎撃部隊の狙撃で応戦したが、数名の負傷者を出し、場が汚されたためキャンプの位置を変えなければならなくなった。
アンはそこまでの情報を頭の中でまとめ、言葉に出してタイガとシノンに確認を取った。
それから問う。「『生きた翼竜』から得られた情報は、共有されていますか?」
「はい。捕まって数分で液状化したので、邪気の液体から得られた情報ですが」と、タイガは前置きし、「彼等を生み出したのは、アンさんが捕えた『蜘蛛のようなキマイラ』と組成を同じくするものです。でも、体の作りからすると、蜘蛛と呼ぶのは少しおかしいかも知れません。彼等の組成の基礎は、『蜂』と同じものなんです」と続けた。
「蜂の組成を持つキマイラ」と、アンは復唱した。
「そうです。以前、隊の間で情報交換された事なんですけど、地下に、多数の胚のある、大規模な空間があるみたいなんです。新しい胚が成長したら、山を抉って出て来るんじゃないかって事で、緊急で第一部隊の突入が決定されたんです」と、タイガ。
アンは「それで、深層に居る人質って言うのは?」と聞き返した。
「はい。人質が居るのは要塞の中の、此処です」
タイガは言いながら水晶版を操作し、山の断面図を幾つか写し出して、指で示す。
「たぶん、縦穴から引き込まれて、蜂の巣の中に運び込まれたんだと見当をつけたんですけど」
そのタイガの手元を、アンは横から覗き込んだ。
アンはしばらく断面図を見てから、「ベスパって言う蜂を知ってますか? 特に、地中に巣を作るタイプのベスパ」と、二人に問いかけの形で知識を与えた。
タイガとシノンはきょとんとしている。アンは構わず続ける。
「地中に巣を作るのは、ある島国に住んでいる珍しいベスパなんですけど、種族としては、別種のどのベスパも勝てないくらいの身体能力を持っています。そのベスパが作る巣に似てますね。
繁殖方法としては蜘蛛の其れを受け継いでるみたいですけど、体の組成の基礎と頭脳がベスパのままだったら、卵を産むのは女王か、偽女王だけです。
この巣の規模からして、山の側面を抉って通路を作ったりはしないでしょう。外部に出られる横穴を作ると言う事は、外部からも侵入されるって事ですから」
淡々と話すアンを、珍しいものを見るような目でタイガとシノンが見ている。
「なんですか?」と、アンは聞いた。
「いや、島国に住んでるベスパなんて、何処で知ったのかなーってね」と、シノンは言う。
「ペットとして、その外来種を持ち込んだ大馬鹿者の後始末をした事があるだけです」
アンは溜息混じりに愚痴る。
「でっかい円形の蜂の巣が層状に土の中に出来ていて、幼虫がぎっしり入って居る巣を地中から取り出したんですよ。あの時は、魔力より殺虫剤が必要でしたね」
「殺虫剤で死んだら良いんですけど……」と言って、タイガは何か閃いたように表情を明るくした。
迎撃部隊の任務から、休憩を取りに来たアヤメが、片目を押さえながら戻ってきた。
予備のコンタクトレンズは、個人持ちの荷物の中に在る。そこに辿り着くまで、なるべく周りの隊員に「この目」を見られたくなかった。
それに、コンタクトレンズでの封じを解いた目は、動体視力と魔力捕捉には長けているが、極度の近眼で、正常な方の片目と比べると視界が不明瞭すぎる。力を使わない間に放っておくと、目が見る事をサボって、瞳孔が適当な方向に勝手に動き出すのだ。
予備を持って行ってたら良かった、とアヤメは思った。
片目がまっすぐ前を見ているのに、もう片目が泳いでいたら、不気味な事この上ない。
テントに隠れるようにキャンプを歩いていると、曲がり角から走って来た誰かとぶつかった。とっさに、目を押さえるのを忘れて手で受け身を取る。
緊急時でもないのに、キャンプの中の細道を走るなんて言う慌て者は……アン・セリスティアだった。
「すいません!」と、アンは勢いよく謝って、アヤメと目を合わせる。「その目……」と言われて、アヤメは青く虹彩が変色して居るほうの目を手で隠した。
「後で説明する」と、アヤメは慌てて言う。アンの耳元に口を寄せ、「それと、キャンプの中は走らないで」と告げた。
アンは治療所のあるテントのほうににそそくさと去った。
呼び出されたのか、それとも何か用件があるのか。どちらにしても、キャンプの中を思わず走ってしまうほど大慌ての事態のようだ。
そんな事を考えながら、アヤメは無事に就寝用のテントに到着し、置いてあったコンタクトレンズを目に入れなおした。
外で夕食の時間を告げるベルが鳴る。補給班のテントに、兵士達が集まり始める。
もらえるのは、コッペパンとチーズとハム、野菜スープを入れた小型のボトルと、チョコレートと水だ。
お腹いっぱい食べられるわけではないが、「状態回復」だけ受けて眠るより、ずっと健康でまともな状態にはなれる。
アヤメはいつもの調子で列に並んだ。
早い者順に包みを受け取るだけだが、一度列が出来てしまうと、待つのは長い。
ちらっと見てみると、アヤメの後ろにも早々に長い列が出来ていた。
その列の一番後ろで、箒を持っていない状態のアンが、うろうろしている。
彼女の心中を察するなら、兵士でない自分がみんなと同じ食事をもらって良いんだろうか、と言う所だろうか。
その時点で一番後ろに居た兵士がアンを見つけ、「並ぶなら今のうちだよ」と言って、自分の後ろを指さしてくれた。
アンは表情を緩め、その兵士の後ろに並んだ。
食事をひとまとめにした包みを受け取って、それほど埃っぽくない場所に数人で集まって食事を摂る。
一人で食事を楽しみたいと言う者は、ちょっとだけ離れた場所でパンを噛んでいる。
アヤメはルイザを見つけて、軽く挨拶を交わしてから一緒に包みをほどき始めた。
アンが、何処に座ろうと言う風に、食事を持ってうろうろしている。
「アン!」と、ルイザが呼んだ。「こっちにおいでよ!」と、合図する。
アンは笑顔を浮かべて、ルイザの隣に座った。
「兵隊さんと一緒の食事って、食べたの二回目くらいです」と、アンは言う。「きちんとした食事が配給されるって良いですよね」
「貴方の仕事では、仕事中に食事は摂らないの?」と、ルイザが不思議そうに聞く。
「はい。何せ、掃除が仕事なので……。区切りの良い所まで片付けて、周りが綺麗になってからじゃないと落ち着いて食事は出来ないんです」
アヤメはパンを齧りながら、それならば、大きな仕事の場合は、清掃作業が終わるまで食事は抜きなのかと想像してみた。




