7.テルス防衛戦―泣かない子供―
要塞への潜入任務は、明朝の日の出と共にと設定された。まずは、各班に宛がわれている就寝用のテントで、夕方には寝袋に入ってゆっくり睡眠をとる。
外では夕食の配給が行なわれているようだが、アン達は「状態回復を受けてから、とにかく眠れ」と指示された。
しばらくすると、夕飯を食べ終わった女性兵士の一部が、テントに入ってきた。
外に聞こえない程度のボソボソ声でのやり取りをして、その後は寝袋に入って眠り始めた。
クラッカーは一枚食べたが、腹の虫が鳴るのをアンは抑えておけなかった。
他の兵士達が眠っているか、目を閉じているのを確認してから、こっそり体を起こし、ポケットからキャラメルの箱を取り出す。
一粒のキャラメルを包装紙から剝がし、口に放り込んだ。
「お腹減った?」と、すぐ真横で囁き声がした。
隣の寝袋で眠って居た、金髪碧眼の女性がゆっくりと体を起こす。ヘルメットとアーマーを脱いで眠って居た彼女は巻き毛を短く結んでおり、寝袋から見えている上半身だけ観ても、所謂グラマーと言う体つきである。
確か、ルイザと名乗っていた兵士だ。ルイザはアンの耳元に囁く。
「慣れるまでは仕方ないよね。大丈夫、此処には『チクリ魔』は居ないから」
「すいません……」と、アンも囁き声で謝って、口の中でゆっくり溶かそうと思っていたキャラメルを、軽くかみつぶして飲み込んだ。
ルイザはアンの耳元に口を寄せた。
「貴女達くらいの少年兵が、任務に就く事を、善く思ってない奴等も居る」と、ルイザは控えめに言う。「手柄を取られるとか、そう言う事じゃない。みんな、心配なんだ。戦場では、いつ誰が死ぬか分からないからね。貴女達が休憩所に入って来るまで、ガートなんて大反対してた。彼は過保護すぎるんだよ。少年兵達に、自分の娘さんを重ねてるの」
アンは、ルイザのほうに微かに顔と視線を向け、黙って聞いている。
ルイザは、周りの女性兵士達が眠って居る事、もしくは眠ったふりをしていてくれることを確認してから、続けた。
「ガートは、元はお医者さんなの。代々続いてる小さな町医者だったんだって。十歳だった彼の娘さんが、『麻痺病』にかかった時、彼は自分の能力と知識じゃ、治せないって分かったの。それで、術師として軍に入って、訓練をして、特殊な術を学んだ。でも、彼が軍医術師として能力を発揮できる前に、娘さんは亡くなった。十五歳で」
「麻痺病って、確か……」と、アンは囁き声で返す。「邪気侵食の……」
「そう」とルイザは答えてから、「この国の成人年齢が十六歳になってから、隊にも、十六歳の子が入って来るようになった。でも、ガートには『十八にもならない子供』に見えてるみたい。貴女も、まだ十八歳以下でしょ?」と聞いてきた。
「はい。今年で……十七です……」と、アンも囁き声で耳打ちする。「でも、安心して下さい。私、勤務歴は長いんです」
「二年?」とルイザが聞くと、「えっと……あの……な、七年……です」と、しどろもどろと言う風にアンは答える。
ルイザは一度、アンとしっかり目を合わせ、「嘘を吐かなくても、誰も貴女を責めない」と、真剣な顔で言い聞かせた。「それに、勤務歴が短くても、昼間のあの術を見たら、貴女が優秀な術師である事は分かる」
そう囁いてから、ルイザは再びアンと目を合わせ、顔を笑ませた。
「お腹減ったのは、治った?」
そう言われて、腹をさすってみると、確かに空腹は治まっている。
「はい。あの……」と、アンが疑問を言いかけると、「私はなんにもしてない。お休み、七年」と囁いてから、ルイザは寝袋に潜り、目を閉じて息を整え始めた。
あれだけ酷かった空腹が、キャラメル一個で解消できたのだろうか? そう思ってから、そんなはずはないだろうと思いなおした。それでも、質問するのもおかしいので、アンも寝袋に潜り、ようやく浅い眠りに就くことが出来た。
「私ね、注射、痛くないよ」
十歳くらいの女の子が、予防接種の絆創膏が貼られた腕を見せて、若い父親に告げる。
「転んでも痛くないし、泣かないよ」と。
父親は、娘の「強がり」を、笑って許し、頭を撫でた。そして優し気に言う。「痛くなくても、手当はしないとだめだぞ? 膝がすりむけたら、水で洗ってから、消毒をするんだ。それから、絆創膏を貼る」
「うん!」と言って、幼い女の子は微笑んだ。
先ほどの女の子が、歯医者で治療を受けている。乳歯だが、歯医者はペンチで女の子の奥歯を抜いた。形が抉れるほどの、大きな虫歯だ。歯医者はそれを銀のトレーの上に置いて、「今から、歯茎の処置をするから、少し痛みますよ?」と言う。
女の子は黙って頷く。泣いているわけでも、痛みを我慢している様子も無い。麻酔を使っているのだろうか? それにしては、歯医者の設備は旧式だ。どう考えても、「患者に痛みを我慢させるのが当たり前」の時代の、古い設備だった。
先ほどの女の子は、十一歳くらいになったようだ。
「お父さん、帰って来ないの?」と、母親らしき女性に聞く。母親は娘に歩み寄ると、視線を合わせるように屈みこみ、「お父さんはね、軍隊に入ったの。他の軍人さん達と、お仕事を交代出来たら、帰って来れるの。帰って来れない間は、一生懸命お仕事をしてるのよ?」と言い聞かせる。
「お母さん。これ、味が無いよ」と文句を言って、十二歳ほどになった先の女の子が、たっぷりのソースで煮詰められた料理に、塩を振りかけた。
「やめなさい」と、母親は怒った声で返してから、「塩分の摂りすぎになるわよ」と注意する。
「だって、全然味がしないんだもん。お母さん、味付け下手になった?」
そう聞かれて、母親は、一度ゆっくり目を閉じ、再び開くと、娘に告げた。「あなたは、病気なの」
女の子は、これから自分の身に降りかかるはずの病状を告げられた。それでも、女の子は、泣いたり真っ青になったりはしなかった。
「ふーん」とだけ答えて、味が薄くても食べれる類の食品を、口に運んだ。
大病院の一室で、十四歳ほどの女の子が眠って居る。母親は彼女を見舞い、花瓶に花を飾る。耳に語り掛け、頬と手に触れて、唇に水で湿らせた清潔な布をあててあげた。
心電図と脳波計の反応で、女の子の意識が完全に閉ざされているわけではない事を確認する。
母親は、電話をする。父親が術師として戻って来れるのは何時なのかと言う問いかけから始まり、娘の容体が日々悪化している事を告げる。
ほとんど止まりかけている心電図の波形が、まだ微弱に跳ねている。
父親が病室に駆け込んできた。
「イリル」と、娘に声をかける。
母親は、父親を廊下に呼びつけた。母親は言う。
「貴方はあの子の父親じゃなかった。医者でも無かった。奇跡なんて信じて、唯の軍人になった。私達から逃げ続けた。地の果てまで逃げれば良いわ。私も、そうするから。さよなら、兵隊さん」
母親は、娘の臨終を看取らぬまま、姿を消した。




