5.テルス防衛戦―たかがでもしかし―
頂に城塞を備える山の天辺が、丸ごと青い光で縛られた。
突風のようなエネルギー風が城の周りから吹き出し、アヤメ達の展開していた「殻」を崩壊させる。しかし、邪気の煙も雲も漏れてこない。
青い光の内側は、完全に邪気の放出を停止されている。このエネルギー風は、結界を発動した時の余波のようなものだ。
息がつまるようなエネルギーを浴びて、アヤメ達は吹き飛ばされ、陣がほどけた。
体重の軽いタイガが数メートル吹き飛んだ。が、体のバランスを取り、空中で一回転して足から地面に着地し、それでも風に押されて踵を擦り切らせた。
アヤメは腰を落とし、両腕で顔と頭をガードした姿勢で、自分の周りに殻を展開している。
ナタリアも、殻よりもっと簡易的な「障壁」を使い、エネルギー風を退けている。
「西、補助部隊!」と、タイガも障壁を使ながら、通信に呼びかけた。「そちらの、状態は?!」
「生きてるよー」と、シノンの暢気な声が聞こえてくる。「バービードールが頭の良い女で助かった」
「貶すのか褒めるのかどっちかにして」と、ルイザの声。
通信の中で何かごちゃごちゃ言ってるが、どうやら向こうも無事らしい。
タイガは術師としての視力で、要塞を覆った「何等かの強固な術」を見定めようとした。殻よりも、もっと強力で安定した術。まるで、神官達が使う、「神星結界」のような。
このレベルの術を使える存在と言えば、高位の魔神か、神官の集団くらいだ。
「アプロネアの神官でも呼んだのか?」と、タイガは独り言のつもりで呟いたが、通信を起動させたままだった。
「いや、これは神気じゃない」と、爆風の吹き荒れる中で、ナタリアの声がタイガとアヤメにも届く。「魔力だ。異常に高出力の……」
アヤメの目が、それを捉えた。
「術師が来る! 撤退!」と、通信の中で叫ぶ。
どうやら、彼女には何処かにいる「魔術師」が、結界を固めに来るのが見えたようだ。
アヤメは走ろうとして、思いっきり躓いた。足が思うように持ち上がらない。長時間の「状態保存」の反動で、手足がギクシャクしている。
ナタリアは、自分より頭一つ背が低いだけのアヤメを肩に抱え上げ、タイガのほうに走り寄った。
「障壁をキープ」と、ナタリアは囁き、タイガはエネルギー風の吹きつける方向に障壁を作りながら、ナタリアに肘を掴まれて走り出した。
要塞を振り返った彼の目に、その姿はちらりとだけ見えた。
白い翼を持った、黒い服の女神が。
命からがら帰還した補助部隊は、本部キャンプのテントに集められ、土の地面に座らされた。
参謀の一人が、長机の向こうに立っている。でっぷりした頭と腹と、細い脚と言う、毒キノコみたいな体型の男性だ。
「全くもって、君達には失望させられた」と、その男性はつくづくと言う。「通路も確保できない。城塞の状態すら確保できない。何のために、君達は『術』を学んでいるのだね?」
部下を罵るのだけが生き甲斐の説教係は、ねちねちと嫌味を言いながら、長テーブルの向こうで、うろうろと落ち着きなく歩く。
嫌味を言いながら歩く癖があるから、脚だけ細いのかもしれない。
説教係の嫌味は続く。
「最終的に君達は、任に身を粉にする事ではなく、自分達の保身を考えたんだろう? 仕事を交代できる人物が到着するなり、助かると分かって、一斉に逃げ出したのだ。何と言う無様だ」
治療所に立ち寄る暇も与えられなかった六人は、何も言わない。反論は説教を長くするだけだ。何せ、彼等は神官ではなく、たかが清掃員なんて言う人に助けられてしまったのだから。
「あのー」と、同席した清掃員の女の子が、椅子から立ち上がって口を挟む。「御存じないかと思うのですが、あの城塞の周りの邪気の濃度は、液状化してもおかしくないくらいでした」
「それがなんだって言うんだ?」
説教係に聞かれて、清掃員はさらに口を挟む。
「つまり、この人達は、物質化した邪気を押さえ込んでたんです。城塞一つと同じ大きさの化物を『殻』で閉じ込め続けるなんて、普通の兵隊さんは出来ませんよ。
この人達は、ちゃんと鍛錬もしてるし、実力もある」
「君に軍人の何が分かると言うのだ?」と、説教係は清掃員に詰め寄る。「彼等は、軍人として誇りより、個人としての生存を選んだ。それが人間として、彼等の弱さを表しているのだ。その事について…」
「いや、軍事の仕事は分かりませんけど」と、黒いロングワンピース姿の清掃員は何時までも続く嫌味を遮った。
「でも、体が言うこと聞かなくなるまで働かせておいて、帰って来れたら即お説教って言うのは、人道的にどうかと思います。まずは、『よくやった』って声をかけるのが、部下を持つ者の心がけでしょ?」
清掃員に人の道を説かれて、説教係はぽかんとし、言葉に詰まる。
しかし、言いくるめらるものかと眉に力を入れ、「作戦が失敗したのに、褒めるのか? 彼等は子供じゃないんだ。飴を与えて言うことを聞かせる必要など……」と、言い返そうとする。
清掃員の女の子は、至って平然と答える。
「じゃぁ、子供じゃなくて奴隷ですか? 鞭で叩いて死ぬまで言うこと聞かせるんですか?
貴方はそんなにサディストなんですか? それは個人的な趣味趣向ですよね。
仕事に趣味をもちこんじゃいけませんよね」
少し灰色がかっている白い長い髪をした、どう見ても十七か十八くらいにしか見えない清掃員は、大きな朱色の瞳を瞬かせながら、淡々と冷静に言葉を並べた。
「そうですね」と、説教係と清掃員のやり取りを微笑ましげに見ていた隊長が言い出した。
「テッヘル。気は済んだでしょう? そろそろ、本題に入らせていただけますか?」
自分の、「ありがたいお説教」が、苛立ちを紛らわせているだけだと暗に指摘され、説教係は清掃員と隊長の間で視線を彷徨わせてから、取り繕うように咳をして、着席した。
代わって、隊長が起立し、言葉をかける。
「さて、まずは……『よくやってくれた。補助部隊諸君』。お嬢さん、これで良いかな?」と、悪戯気に清掃員と目を合わせる。
清掃員は苦笑いをしてから、自分の席として宛がわれていた椅子に座った。
隊長は続ける。
「こちらのお嬢さんは、確かに肩書は清掃員だ。邪気や邪霊の清掃に関して特化した術を使う、ドラグーン清掃局の局員、アン・セリスティア嬢だ。
ドラグーンの名前くらい、新聞で読んだ事はあるだろう?」
「嬢は要りません。アンだけで結構です」と、この清掃員は人の話に割って入る癖があるらしい。
隊長は話が区切られた間を笑みで誤魔化した。
「では、アンの所属している清掃局の働きは、軍人としてもお手本とすべきだ。何せ、彼女達は毎日訓練をして、『死霊』と言う敵と戦っているわけだからな。
実戦の中で術を磨き、駆使しているわけだ。もちろん、我々の持つ『規律』や『規則』を、彼女は知らない。そこは、互いに補い合うべき所だが、これから我々は、アンを『同じ任務に就く対等な仲間』として受け入れる。よろしく、アン」
隊長は言葉を続けながら、長テーブルを回り込んで、清掃員の横に立ち、右手を差し出した。
アンは、照れ笑いのような表情を浮かべながら、ぎこちなく握手を返した。




