3.テルス防衛戦―現状を死守すべし―
体の内側に、内臓が熱を持って痛むような苦痛が走った。放出するエネルギーに体力が見合わなくなって来たのだ。治療所で中途半端な回復しかしてこなかったつけは大きい。
東側から放出する魔力波が、格段に弱まる。
「アヤメ。もう少し持ち堪えて」と、通信越しにルイザの声がした。声も出せないアヤメに変わって、サポート組に声をかける。「タイガ、ナタリア。回復と保存を」
術を通して、両隣からエネルギー流が送られてくる。
アヤメは喉の奥を鳴らすように息をし、震え始めていた手指に、もう一度魔力を込めた。
「ありがとう。もう大丈夫」と、アヤメは答えた。
状態保存がどれだけ効果を持続するかで、今後の状況も変わって来るだろう。
要塞の内部に侵入した第二部隊は、二十名。内部に引き込まれた者と、外での異変に気付かず、更に煙の中に侵入して行く者、全員に気を配らなければならない。
第一部隊に「引き込まれた者達」は、一定の箇所から動かない。その者達に、何かが近づいてきた。邪気の煙に邪魔されて視覚的には見えなかったが、兵士達を殻ごと蜘蛛の糸のような物が絡めとり、彼等の体の周りに「胚」を植え付けた。
「新しい個体の餌にするつもりだ」と、ルイザの声がした。「アヤメ。殻を変形する余力は?」
「短時間しか維持しなくて良いなら」と、アヤメは答えた。
「よし。キープと回収は私達に任せて、振り千切っちゃって」
ルイザにそう言われて、アヤメは「了解」と答えると、練っているエネルギー流を一時的に増強した。
第二部隊を守っていた殻に、無数の針のような刃が発生する。その棘は、殻の表面を回転移動し、蜘蛛の巣を「振り千切る」。そして、周りに産み付けられていた胚を潰し、砕いた。
ルイザが、殻をキープしたまま、第二部隊全員を強制的に要塞の外へ引き戻す。
第二部隊の一人が、糸に絡め取られたままの第一部隊の腕をつかんでいる。
「セラ! そいつを放せ!」と、ガートが声を飛ばした。
「いやだ!」と、子供のワガママのような青年の声が、術師達の耳に聞こえる。「こいつは、こいつだけは……助け出すって……」
術的な能力を持たないセラには、「第一部隊を煙の中から運び出す」事が、助ける事だと思っているのだろう。
補助部隊の目には、セラが腕をつかんでいる兵士の首に、細い糸が絡んでいるのが見えている。窒息死するか、「何者か」の言うことを聞くか、首輪を付けられている状態だ。
「今連れてきても、助けられない。機を待て!」
ガートにそう言われて、セラは歯を食いしばると、外部の術師と内部の「何者か」の術の間で、ガタガタと振動していた仲間の体から、手を放した。救出しようとしてた身体は、また要塞の中に吸い込まれる。
「カオン!」と、セラが呼んだ。しかし、意識を失っている兵士からの言葉は返って来なかった。
要塞を囲む泥ような雲の動きが変わった。外壁の手前に着地した第二部隊を取り込もうとするように、煙の量が増幅して行く。
「第二部隊、退避」と、この状況になって、ようやく本部から指令の通信が来た。「補助部隊は、現状を保て」と言う、呪い殺したくなるような命令も。
自分達を守るための力も全て費やしているのに、増幅しつつある雲の「現状」をどうやって保つと言うのだ。
術に対して大まかな知識しかない参謀達は、その能力が体力や精神力を急激に消費するとは考えていない。術師達は無限に湧き出る「魔法の」力でも持っていると勘違いしているようだ。
「やっぱり、黄泉の入り口で骸骨が手招いてたな」と、東西の補助部隊だけの通信で、シノンの声がした。「術が解けないんじゃ、バービードールとチューもできない」
「本部としては、『通り道』を確保しててほしいみたいだけど……。どっちにしろ、私達が死んだら術は解除される」と、ナタリアは術を保ったまま補助部隊同士の通信に応じる。
「命令は現状の保存です」と、タイガも通信で言う。「城全体を覆うように殻を転換しましょう」
「良策だ」と、ガートの声。
術の核を担って居るアヤメとルイザは、要塞の内部に通していた魔力を回収し、今、自分達を飲み込もうとしている泥雲を覆う防壁を作った。
防壁の内側に、邪気の雲がぶつかった。術の転換が二秒でも遅れていたら、補助部隊達も、まだ城壁の外に出られないでいる第二部隊も、雲の中に取り込まれていただろう。
雲が空でぶつかり合うような、ガラガラと言う音を立て、泥雲は何度も防壁にぶつかる。
ぶつかっていると言うより、「体当たりをしている」に近い。まるで意思を持っているように、泥雲は殻の内側で暴れていた。
第二部隊は無事に撤退し、補助部隊は要塞の周りに取り残された。
城塞一帯を覆う煙が襲って来ている状態で術を解除すれば、人間六人など、あっと言う間に飲み込まれる。
第一部隊の突入は「餌」を、第二部隊の突入は「敵」を、要塞の内部に居る者に知らせただけに終わったようだ。
術師達は自分達の疲労を、「状態保存」で平常状態にキープしているが、保存の術が長引けば、術が切れた時に反動で命を落とす事もある。
ナタリアは、その反動を憂慮していた。
「タイガ。ガート。なるべく、アヤメとルイザに定期的な『状態回復』を」と、ナタリアは補助部隊の通信で言う。
「了解」と、回復役の二人から声が返って来て、ナタリアもひとまず安心した。術の核を担う者の疲労は、外から見えなくてもその器に多大なダメージを残す。
特に、アヤメは魔術を操り始めて二年にも成らない。彼女の日頃の鍛錬と才能によって、二年で術の核を担えるまでになったが、その能力は「魔力」だけではなく、ほとんどを生命力に頼って発動している。
術が長引けば、状態保存が切れた途端、突然死してもおかしくない。
本当に、参謀本部を呪い殺したい、と、ナタリアは言わないでおいた。
キャンプに戻った第二部隊は、参謀達により要塞の内部の様子を質問されていた。内部はどのような形状であったのか、発見された第一部隊達はどんな様子だったのか。
「内部は、泥みたいな煙に覆われています。目の前に持って来てる自分の手も見えない濃度です。殻が無かったら、息もできなかった」
「壁に触れて、手探りで進みました。壁の所々は崩落して、その代わりにべたべたした糸みたいなものが覆ってました。正面通路で見つけられたのは、五人だけです」
「その五人は?」と、参謀は訊ねる。
「煙の中から救出しようとしましたが、救助していた者に急につかみかかって、要塞の内部に引きずり込みました。補助部隊が居なかったら、救助者も奴等の餌になってます」
「餌とは?」
「『何者か』は、第一部隊の体の周りに胚を産み付けていました。恐らく、引き込まれた者達も同じ様子だったと察されます」
「内部への侵入は不可能か」と、参謀の一人が呟いた。
「いや、不可能ではない。邪気の除去に適した人材がいれば」と、別の一人が言う。
「通信兵達からの情報は?」と、また別の一人。
「先ほど、清掃局と通信が取れました」と、オペレーターが言う。「緊急で人員を派遣してくれるそうです」
「数は?」と、希望に顔を緩めて、参謀の一人は聞く。
そして、次の応答を聞いて、顔を手の平で拭うほど絶望する事になる。
オペレーターは冷静な声で言う。
「派遣できる人数は、一名との事です」