分裂した軸~コナーズの場合~
ガルムが居なくなってから暇だな、と、偵察隊の古株、アルフォード・コナーズは思って居た。
残った「ガルムの知り合い」である、自分とノックスとガッズの三人は、セリスティア大尉の教授を思い出しながら、暇な時にお菓子作りをするようになった。
その事について、マダム・オズワルドは寛容な姿勢を見せながらも、勝手に味見用のスプーンをパンケーキの生地の中に差し込んで、べろりと舐める。
それから言うのだ。
「まだね。あの子の領域には、まだ踏み込めていないわよ、あなた達?」と。
確かに、ガルムが実演しながら教えてくれた時のパンケーキと、自分達が作ってるそれが雲泥の差であるのは分かっている。
今の所、三人は、あの時食べた「ふわふわでとろけるようなパンケーキ」を夢見て菓子作りをしている。
分量はきっちり測っているが、生地の作り方も「どれを先に混ぜるんだったっけ?」と言う所から、毎回おさらいしていた。
フライパンに油を敷いてコンロで温め、油をキッチンペーパーで拭き取ってから、濡れ布巾の上で冷まして……と言う工程を省いてしまった時は、見るからに美味しくなさそうな「パンケーキ揚げ」が出来上がった。
その時のマダムの形相はすさまじかった。
口から火を噴きそうな鬼神の顔をして、「本当に、あの子の意思を継ぐ気は、あるのかしら?」と、唸るような声で聞いてきた。
ノックスは、時々ガルムに手紙を出す程度の付き合いをしているようだ。
新しくルームメイトになった兵士とは、あまり仲良くなれていないようで、ノックスは逃げ場を求めるようにコナーズに絡んでくる。
「ガルムから手紙が来た」と言う食事中のネタは、いつもの話題の一つになっている。
同封されていたと言う、白衣姿のアン・セリスティアの写真も見せてもらったが、確かに年齢を重ねても「可愛らしい」容姿の女性だった。
「本当にガルムさんにそっくりだ」と、そのアンの写真を見て、ガッズは納得していた。
「だろ?」と、ノックスは受け答えて写真を返してもらう。「ガルムが狂暴だった理由は分かったか?」と一言を添えて。
「なんとなく……」と、ガッズは返事をするが、「でも、本当に、基地の中で痴漢する奴なんて、居るんですか?」と、ぼんくらな様子はいつも通りだ。
「そりゃぁ、お前くらいごつかったら、誰も痴漢しようなんて思わないだろうけど」と、コナーズは教えてあげた。「見た目で威嚇できないって成ったら、狂暴になるしかないんだよ」
コーンコーンと言う、空気の綺麗な場所で、水晶玉でも叩いているような澄んだ音がする。コナーズは、眠りの中で「ああ、夢か」と気づいた。だが、意識が覚める様子はない。
水晶を叩くような綺麗な音は、何処までも続いている薄闇の回廊のような場所に響き渡っている。これは良い夢だと判断して、コナーズは起きないことにした。
回廊の中を、音のするほうに歩いてみる。
行く先に明かりが見えた。その光の中に、一つの人影がある。
向かう先から届いている光が、ぼんやりと誰かを照らしている。黒い革靴を履いて、紺のスーツを着ている人物だ。その白い髪と背格好には見覚えがあった。
あいつ、ガルムだ。
コナーズはそう気づいて呼びかけようとしたが、何故か声が出ない。喉を詰まらせている間に、相手のほうが、ゆっくりとこっちを振り返った。
いつも見ていた青い瞳より、更に透き通った雪影のような瞳が、コナーズを見つめた。
その顔の作りは、記憶にあるガルムの物と一致している。でも、自分達に「パンケーキの作り方」を教えてくれたガルムではない。
「あんた、誰だ?」と、コナーズは声を絞り出した。
ガルムにそっくりな誰かは、曖昧に口元を笑ませた。
そっくりさんは言う。「貴方が存在している軸には、存在しない者かな」
「なんだそれ」と、コナーズは文句をつける。存在しないと言われても、目の前に存在しているのだから。
「少し、忙しいことになりそうなんだ」と、そっくりさんは勝手に話を進める。「それで、時々、お邪魔するかも知れない。貴方の領域に」
「領域って?」と、コナーズは聞き返す。
「この空間の事」と、そっくりさんは回廊の天井を見上げる。「貴方の意識は、美しい作りをしているね」
変な誉め言葉をもらって、コナーズは「それはどうも」と返事をした。それから、「この音は、何処から響いてるんだ?」と尋ねた。なんとなく、目の前の青年なら知っている気がしたのだ。
「時計の心臓」と、そっくりさんは訳の分からないことを答え、逆に聞き返してくる。「遠くから聞こえる?」
「だいぶ近くから」と、コナーズは端的に応じた。
「それなら、貴方も見るかもしれないね」
不思議な青年の、その言葉を最後に、コナーズの意識は覚醒し、辺りは瞼の闇で真っ暗になった。そして「時計の心臓」の音はしなくなった。
数日後の休暇。三人はいつも通り貸し出し厨房に集まっていた。
砂糖を混ぜた卵白を、コナーズ達は泡だて器で泡立てる。これでもかと言うほど泡立てる。
「腕が痛い」と愚痴りながら。
「無駄に力んでいるからよ」と、マダムの忠告が割って入って来る。「もっと軽やかに。腕を振るんじゃなくて手首を使うの。スナップを利かせなさい」
そう言われて、実際に手首だけ動かすようにすると、疲労は多少ましになった。
その努力の甲斐あって、今までになく「きめ細かいクリームのようなメレンゲ」を作り出せた。
後は、このメレンゲの気泡を潰さないように生地に練りこんで、生焼けでもなければ団子にもならない状態に、焼き上げなければならない。
四苦八苦しながら作り上げたその日のパンケーキを食い、「今までの中で最高に、ガルムが作った物に近い」と男達は盛り上がった。
しかし、マダムは許さない。
「あなた達、このパンケーキを、誰に食べさせたい?」と、謎の問いを投げてくる。
自分達の舌を満足させるために頑張っていた三人は、ぼんやりと仮想の相手を思い描いてみた。
「俺、ばーちゃん」と、ノックスが一抜けた。「二百年の間で菓子作りも進化したんだって教えたいです」
マダムは鼻で溜息をつき、「なるほど?」と返す。
「僕は……妹、ですね」と、ガッズは言う。「男だって、菓子作りの繊細さってのが理解できるって、証明したいです」
マダムは目を閉じ、ガッズの言葉を味わうように頷く。
コナーズは前二人の返事を聞きながら、顎に手を当てて考えていた。マダムの視線が自分のほうを見るのを察して、こう答えた。
「ガルムの奴に、食わせてみたいです」
そう言っている自分が、なんとなく照れくさい。
「俺達だって、お前に負けてないぞってね」
その答えを聞いたマダムは、地母神のように微笑むと、「あの子の領域が、少しは見えてきたかしら?」と、意地悪を言った。
何年か後に、除隊することを決意したコナーズは、それから町ビルの一角で「楽園のパンケーキ」と言う名前のパンケーキ専門店を営むようになる。
最初は自分でパンケーキを焼いていたが、一人では手が回らなくなってきて、新しい店員を雇った。キッチン係が一人と、ホール係が一人。
パティシエの資格を持つキッチン係に、秘伝のパンケーキレシピを教えた時、コナーズはついでにこう述べた。
「心の中に、ライバルを持ちなさい。絶対に、この技術ではお前に負けないぞってね」
その店は大変繁盛したと言う。




