分裂した軸~ルークスの場合~
暖かい風がふわふわと流れてくる。そこに、甘い花の蜜の香りが漂っていた。近くの花畑が開花したのかもしれない。
ようやく一人で出歩くことが許されるようになったルークスは、机の上の連絡帳に「散歩に行ってきます」と書いてから、流れてくる香りに導かれて花畑まで出かけた。
森の中の少し拓けた場所に、白い花が群生している場所がある。梢の先から零れてくる日溜まりを受けて、花は甘い香りを漂わせていた。
白い花は周りに緑色の草を伴っており、それは世ではクローバーと呼ばれる植物であった。それに混じって、他の白い花も咲いている。まるで、誰かが白い花だけ集めて植え付けたように。
ルークスも、少しは花の名前を憶えている。
薄暗い森の中は少し肌寒かったので、日差しを浴びようと、花畑の中に踏み込んだ。
「誰?!」と言う、甲高い女の子の声がした。
声のほうを見ると、女の子が、這っていた地面から体を起こす所だった。彼女のスカートの膝は、踏みつぶした草の緑色に染まっていた。
ルークスは目を瞬いて、「君は?」と尋ねた。
「貴方こそ、誰よ?」と、女の子は言って、警戒の視線を向ける。胸の前で握り合わせた手の中には、幾つかのクローバーと白い花があった。
「僕は、ルークス」と、ぼんやりと答えた。「年齢は……分かんない。この近くに住んでる。得意なのは、天気予測と、美味しいスープを作る事」
「あ……。ああ、そう」と、女の子はボソボソ言う。自己紹介を求めたわけではないのだが、と言う様子だ。「私は……えっと……ここに、花を探しに来た、通りすがり」
「名前は?」と、ルークスは聞いた。
女の子は黙った。黙ってから、ちらっと手元を見て、「スノーフレーク」と呟いた。
「初めまして、スノーフレーク」と、ルークスは習った通りに挨拶をして、片手を差し出した。その時、腕に描かれている、魔力流を封じる印が服の袖から覗いた。
「貴方……」と言って、女の子は言葉を無くした。
ルークスがきょとんとしたまま首を傾げると、スノーフレークと名乗る女の子は諦めたように、「初めまして」と言い、取り繕うようにルークスの手を握り返した。
スノーフレークは、その日はさっさとどこかに帰ってしまった。
ルークスは、変わった女の子だと思いながら、茶色のスカートに白いエプロンをした女の子が居た場所を、なんとなく眺めてみた。
そこには、何かを掘り起こそうとした跡があった。
住処に戻ると、師匠であるアウレリアが、眼鏡をかけて連絡帳を確かめている所だった。
「ルークス。もう日が沈むよ」と、アウレリアは声をかけた。「何を持っているんだい?」
「花……。花畑の」と言って、ルークスは白いベル状の花が下がっている株を差し出す。「これは、何?」
そう問われて、アウレリアは老眼鏡越しに、ルークスが手にしている花をつくづくと見た。
「鈴蘭だね」と言って、アウレリアは弟子の手から株を取り上げ、「手を洗って、消毒しておきな。こいつは毒の塊みたいな花だ」と述べる。
「そう……」と答えてから、ルークスは水瓶の近くに行き、手桶に水を汲むと、土まみれの両手を洗い、塩素水で消毒をした。
ルークスの持ってきた鈴蘭は、アウレリアの手で鉢植えにされた。
翌日も、さっぱりとした風のそよぐ晴れた日だった。やはり連絡帳に言伝を書いてから、ルークスは花畑に向かった。
そこに、スノーフレークと名乗っていた女の子が居た。やはり、地面に膝をついて、いくつかの花を摘み集め、何かを探しているような様子を見せている。
「スノー」と、ルークスは声をかけた。「また、花を探してるの?」
女の子は、パッと体を起こして、ルークスを見て顔をこわばらせる。
「ええ…」と、スノーフレークは誤魔化すように答える。「此処には、薬草になる花が、時々咲いてるから」
「何か、必要なの?」と、ルークスは問う。
「心臓が……。心臓が弱い人が、使うための薬が必要なの」と、スノーフレークは突然、口火を切ったように話し始めた。
彼女の語る所によると、スノーフレークの母親が病で臥せっており、段々と心臓の動きが鈍くなって行っているらしい。それを治すために、強心作用のある薬草を探しているのだと。
「貴方は、何かの術師なんでしょ? 私に、薬の知識を教えてくれない?」
亜麻色の長い前髪の間から、若草色の瞳を輝かせてくる女の子は、確かにスノーフレークみたいだった。
ルークスは、少しぼーっとしてから、「良いよ」と答えた。「知識については、僕より詳しい人がいる」
「その人の所に、連れて行って」と、スノーフレークは訴え、ルークスの片手を握った。
実際に、ルークスが「誰かを連れてこようとしている」のに気付いたアウレリアは、住処の外に出て待っていた。
アウレリアの纏っている、白檀のような魔力香を嗅いで、女の子は期待したような表情を浮かべた。
事情を聴いたアウレリアは、「確かに、強心作用のある薬草は、無くはない」と答えた。「しかし、素人が扱えるものじゃない。薬になるものは、毒にもなるんだ」と言い含め、「それでも、知識が欲しいかい?」と問い質した。
スノーフレークは、挑むような視線を返し、きっぱりと頷いた。
それから、スノーフレークは、アウレリア達の住処に、薬学について勉強しに来るようになった。
彼女は日が天頂まで登ってからアウレリア達の住処に来て、日が暮れる前に帰って行った。その短い授業の間に、まるで「知識を食らっているように」学習していた。
この頃から、アウレリアは朝早く、何処かに出かけて行くようになった。
やがて、住処から森を超えた先にある村で、葬式が行われた。
ルークスは、村の教会から響く鐘を聞いて、なんとなく、そっちのほうを見た。
それから、住処に帰ってきたアウレリアに、「スノーのお母さんが死んだみたい」と知らせた。
「そうか」と返事をしてから、師は弟子に、「屋移りをするよ。次にスノーが来る前に」と、知らせた。
そう言ったわけで、目を吊り上げた村人達が、アウレリア達の住処を燃やしに来た時は、石組みで作られ、土で固められていた住処の中は空っぽだった。
「どう言う事か、説明が必要だね」と、アウレリアは弟子に言う。
「スノーが聞きたがっていたのは、薬草を『どう扱えば薬になるか』じゃない。どれがどんな作用を起こして、どんな中毒性があるかって事だけだ。彼女は、恐らく母親とやらの『早々な死』を望んでいたんだろう。
目的を達した彼女は、母親を殺したとして処罰されそうになることを見越してたんだ。それで、毒草の知識を与えたとして、私達の事を村の連中に教えたわけさ。私達を魔女だとすることで、罪を逃れようとね」
それを聞いて、ルークスは、やはりぼんやりしていた。
精霊と違って、人間の女の子と言うのは、とても恐ろしい事を考えるんだなぁと、言葉を思い浮かべてみた。
そして思う。
恐ろしいと言うのは、こんな感覚だったっけ、と。
双神によって砕かれたルークスの心は、少しずつ「人間性」を取り戻しつつあるようだ。
これは、幾重にも分裂した軸の中の、一つの柄の中の出来事。




