分裂した軸~ユリアンの場合~
それはガルム・セリスティアが時を渡る能力を託され、雪影色の瞳を持って暮らしている時間軸でのこと。
ユリアン・ラヴェルは、ハウンドエッジ基地でアンナイトの専属操縦士を任されていた。
邪気発現地帯に神気体を照射し、その場での「エネルギー変換作業」を行なって、術を場に固定し、神気体の照射をやめて帰還する。
仕事はその単純な繰り返しだが、ユリアンが一つの現場を片付ける度に、新しい邪気の発生源は二ヶ所三ヶ所と増えて行く。
毎日何処かの邪気発生現場に出かけては、今でも、先輩であるガルムの偉業と威光の下に、アンナイト計画は進んでいるのだと実感する。
ユリアンが、どれだけ負荷のかかる術を望まれても、一回も気を失わないで仕事がこなせているのは、命がけで「初期型」のアンナイトを操縦していた頃の、ガルムの神気体行動記録が活かされているからだ。
神気体が発現する行動のうち、魔力的影響と物質的影響は、ユリアンが操縦するようになってから更新されていない。
彼が更新できる霊力的影響の部分が強化され、アンナイトは「エネルギー変換に特化した機体」として進化してる。
その他に、疑似形態と呼ばれる特殊機能も、近年の発達が目覚ましい。
実験に参加しているジークと名乗る人物が、好き勝手にシャドウを操っていた結果、とても有能な「外形変形」や「魔力的影響力」を記録できた。
ジークのシャドウは、飲食をしたり、自分以外の物の形に変形したり、分裂機能を得たり、魔力的影響力を発現出来たり……と言う、研究するほうとしては情報の宝庫なのだ。
何より一番特化されたのが、マシンによる収集情報を限定して「プライバシーを守りながらの行動」と言うものを取ると言う、最初は考えられてもいなかったような所まで、プログラミングを発達させてくれた。
ユリアンは、ジークと直接の面識はないが、彼の操っているシャドウになら会った事がある。
前髪の長い白っぽい茶髪から、色んな色の長い髪の束が所々飛び出ている、奇抜なヘアスタイルと、黒いダメージ素材の服に蛇柄のベルトを着けている、パンクファッションの青年だった。
喋り方は非常に砕けていて、語尾に変なニュアンスを入れる。
「あんたがガルムの後輩にぇ~。まぁ、よろしくお願いするにゃぁ」と言った風に。
どうやら、「ナ行」を「にゃにゅにょ」に近い音で発音する事が、彼の中で流行っているらしい。
「よろしくお願いします」と言って、ユリアンが神気体で握手を返すと、だいぶがっちりと握り返された。それから、ジークはこう言ったのだ。「握力強いにょにゃ。神気体ってそんにゃもんにゃの?」と。
「あ。すいません……」と言って、ユリアンが手の握りを弱くすると、ジークは逆に握力を強くして、ユリアンの手を握りつぶそうとした。しかし、シャドウの影響力では神気体には力は及ばず。
「ああ、やっぱシャドウじゃ、握力相撲は無理にゃにょにゃ」と言っていた。
そこで、ユリアンは聞いてみた。
「喋りづらくありませんか?」と。
「いやいや、活舌の訓練は日頃からしとくもんだじぇ」と、ジークは至って気楽な様子で受け答えていた。
ユリアンが、久しぶりに出来た休暇を基地で過ごしていると、何処で嗅ぎつけたのか、ジークのシャドウがユリアンの居室を訪れた。
ドアをノックして、返事をするより先にドアを開け放ち、「よぉ。ユーリ。暇してるかにゃ?」と、声をかけてきた。
アルバムの写真の整頓をしていたユリアンは、手を止めて「割と忙しいです」と答えた。
しかし、ジークのシャドウは「はいはい。なるほどなるほど」と言いながら、どかどかと部屋に入り込んでくる。
「これ、お前にやるにゃ」と言って、ジークは一枚のポラロイドを渡してきた。
白い髪と、空色の瞳の、白い服を着た女性の写真だ。その笑顔には見覚えがあった。
「これ、アンさん……ですよね?」と、ユリアンは聞き返した。
「そう。ガルムの奴が、『ノックスが欲しがっているから渡してやってくれ』って言って、よこしてきたにょよ」
そう言って、ジークは口元をにたりと笑ませる。
「直接渡してもつまらにゃいし、その一枚をネタに賭けでもすればぁ?」
「賭けですか……」と、ユリアンは言葉を濁した。
何せ、めったに手に入らない、近影の生写真が、ひょいっと自分の手に渡されたのだ。これは、手放してしまうには、ファンとしてはとても惜しい。
「アームレスリングだったら、勝てる自信があるんだけどな……」と、ユリアンは自分に有利な賭けを思い描く。
その頭の中が聞こえているように、ジークは歯並びの良い口元をニタニタさせていた。
後日、ユリアンは、その一枚をネタに、ノックスとカードゲームをして、見事にアンの生写真と、ノックスが集めていたコレクションの中の一枚を自分の物にした。
ユリアンのファン魂は、七つの頃に、十四歳のアンの記事を読んでから、加熱しっぱなしである。
ドラグーン清掃局の「局きっての天才児」として紹介されていたアンの活躍を知る度に、実物はどんな人なんだろう、と好奇心が湧いた。
アンの弟にあたる人物が軍に入ったと言う話を読んだからこそ、ユリアンも、十六になる前には自分も軍に入ろうと想像していた。
実際に入隊し、アンナイトのセカンドシステム操縦者候補に名乗りを挙げた。
彼がセカンドシステムを扱えるようになったのは、純粋に努力の結果だが、動機としてはアンとガルムに対する執着心のなせる業である。
ユリアンも、自分の執着心に対しての自覚はあるし、だからと言ってあの姉弟の人生や生活に深入りしようとは思わない。
良心的な信者であろうと心構えを持ち、アンのファンであることは、ガルムにだって、ちらっとしか打ち明けてない。
不安に思った時もあったが、ガルムから「気持ち悪い奴」だと思われなかったのはユリアンにとって非常に幸いだった。
新聞に載らなくなってしまったアンの近況も知りたかったが、それは贅沢な悩みである。
なんだったら、ユリアンはいつも「ノックスさんのポジションに居たかったな」と思ってしまう。
ガルムから「姉の写真を渡しても良い」と思ってもらえるほど、親密で健全な仲間として見てもらえたらよかった。そうなるための時間の猶予も欲しかった。しかし、ガルムは突然除隊の意思を固め、軍を出て行ってしまった。
ユリアンは、せめて「アンナイト計画」を有効な方向に進めることで、ガルムから「良い後輩だ」と思ってもらえることを期待している。
未だに異空間に居るリポラだって、きっとあの時のように励ましてくれるだろう。
邪気を徹底的に無くし、リポラ達が戻ってこれるような星を残すこと。
それが、僕にできる最大限の「愛情表現」だ。
そう志すユリアンは、操縦服に着替えた後、今日もまたアンナイトの設置室に足を運ぶのだった。




